2013年5月31日金曜日

 写真撮影について・・・・4.

専門家ではない、ごく普通の人々特に団塊世代の写真ファンのために写真撮影についてのあれこれをランダムに述べてきたが、最近写真の世界がどうもおかしくなってきているように感ずるので今日はそれを述べたい。

 写真と云えば演台のようなものに寄り掛かった坂本龍馬の画像や江戸末期・明治維新の日本の風俗写真がまず最初の頃の写真と認識する方が多い事だろう。神田の古本屋街の神保町交差点直ぐにある岩波ビルの2階のお店などに明治・大正以降の日本の絵ハガキ写真などを売っている。これらを観ると観光地写真や当時のビル・町並みなどの写し方などがよく判る。一度行ってみるととても面白い。

 一度など航空機の大きなイベントを担当していて、昔の航空機の古い写真を物色していたところ、代々木練兵場での軍事祭典記念の絵葉書が有ったので買い求めた。裏に記念切手が貼ってあり初日カバーだった。切手・コイン収集のお店に持っていったら13万円で買うという!2千円で買ったモノが13万円!アベノミクス以前の話だが、足で稼ぐと神田の古書街にはまだまだお宝が眠っているかもしれない。

また話が飛んだ。悪い癖は治らない・・・・。

 写真と云うものは結婚式などの家族催事や学校の卒業記念が一般庶民には近い被写体だった。次にマルベル堂などの芸能人スターのプロマイドなどが近い存在だろう。しかし一番需要が多く技術的にも発達したのは軍事利用の写真と報道関連の写真だ。これらの両方から派生しておきながら一般の写真家・写真メディアがもてはやしたのが有名なフランスの雑誌の表紙を飾った「ロバート・キャパの『崩れ落ちる兵士』」だ。


 軍事報道写真の権化として、「瞬間を捉えた奇跡の秀作」とカメラ雑誌中心のマスコミがこぞって賞賛し、日本の写真業界もそれがあたりまえ、それを知らなきゃモグリだと言わんばかりの常識を写真愛好家たちに植え付けてきた。特にフィルム時代の写真界の大御所は殆どがそうだったと最近になってあちこちでそういう記事を目にする。
 

 しかし今年、沢木耕太郎氏がNHKなど主要メディアで問題の『崩れ落ちる兵士』の嘘とねつ造、撮影者も実は彼の相棒の女性カメラマンであった事などを理路整然と説いた。権威と一部の中心的人間で牛耳られていた写真界の常識をひっくり返してくれた事は非常に小気味よかった。 

 絵画にしろ写真にしろその背景は「訴えたい何か」を如何に説得力ある「画像」で相手に伝えるかというものだろう。ピカソのゲルニカにしろ、コップの底に顔が有っても良いじゃないか!の岡本太郎にしても同様だと思う。したがって演出・作為はその「構図」はもちろん「瞬間」をどう表現するかで決まってくる。だからやみくもに撮影しまくった中から良い写真・画像を選ぶのは超初歩的スタイルで、撮影前にすでに何を狙い、どういうシチュエーションでシャッターを切るか熟考ていなければならないと思うのだ。 だから黒沢明監督が映画を造る前に相当量の絵コンテを自分で描いていた事を知った時、自分の考えは間違っていなかったと腑に落ちたのだった。

 ロバート・キャパの場合も自分自身を名前まで変えて、アメリカ人の報道カメラマンの様に演じ、自分が撮ったのではない写真で、しかも本当の戦場の撮影でもないのにそういうフレコミでメディアに画像を載せてしまった。当時無名で貧乏で、有名になり金を稼ぎたい一心での行動だろうが、レタッチ屋に画像の処理を依頼したり、パソコンで必要以上に彩度を上げたりしてしまう今のアマチュアカメラマンの行動に通じる「何か」が有るような気がしてならない。決して良い事ではないだろう。

この話には更に奥の奥が有る。

 NHKが取り上げ、これだけ話題になったこの沢木耕太郎氏のドラマチックな暴きは、実は当の昔6~70年前から欧米の写真業界・著名なカメラマンの間では「でっち上げ・嘘」であるという事が常識化していて、日本のメディアや写真業界が知らなかっただけだという話もある。永年広告代理店勤務の経験値からすればタイミング良く「ロバートキャパ生誕100周年記念展」を開催している動きとこれらが連動していないとはとても思えない。世の中はこんな事ばかりだから、余程自分の眼を開いて「真実は何処にあるか?」を自分で判断しなければならない時代だという事だろう。

2013年5月29日水曜日

■写真撮影ついて その3.


 シャッターチャンスを重要視する記述が多いので、なぜだろうと思われたと思う。これは大学時代の絵画・油絵の単位を危うく取り損ねそうになった或る事件が発端。
 大学の教育学部美術専攻科に在籍中、油絵の教授から「シンジョー君は人物を描かないが何故かね?きちんと人物を描かなければ単位は上げられないよ!描かないまっとうな理由でもあるのなら話は別だがね・・・。」と言われてしまったのだ。

 3日間の猶予の後、全学年の美術科学生のいる前でその理由を述べる一種の裁判の様な集会が開かれてしまった。そこでこう述べた。「人間を描けない理由を説明します、人間が美しい・魅力有ると思える時はどんな時か・・・大口を開けて笑っている時、感動のあまり泣いている時、怒髪天を突くような怒りの時、つまり感情をあらわにしている時だと思う・・・・しかし歴代の名画にそんな絵が有るか?せいぜい笑っているか否か問題になるようなモナリザが精いっぱいではないか?

 何故、歴代の名画に無いか?それはそういう瞬間をモデルに求めることは不可能だし、一瞬の筋肉の動きや目の表情のナセル事だから油絵で描く事自体が難しいのだと思う、したがって僕はそういう人物を描写するには「写真」という方法が一番適していると思う。昔は写真と云う技術が無かったので肖像画や似顔絵という技術が発達したが今は中世ではない。写真も美術の一種だと思う、それが一番生かされるのが人物描写ではないかと思う。だから僕は描かない・・・。22歳にしては生意気だったとは思うが、今でもこの考えに変わりはない。

 この後ほぼ全員が拍手し一つの考えではあると同意してくれて教授は単位を授けざるを得なかった。これが私がシャッターチャンスの重要性をまず挙げるという根拠になっている。「瞬間」を切り取る!これが画像が迫力を持つか否か、ヤマセミが死んでいるか生きているか・・の分かれ目になると思っている。基本的に飛行機も野鳥も空を飛ぶモノ、格納庫や飛行場に駐機している飛行機より飛んでいる飛行機の方が美しい、野鳥だって木の枝に留まっている時より、水に浮いている時より空を飛んでいる時の方が遥かに美しいし主翼のフォルムや色もよく判る。だから飛行機も野鳥も飛ぶ姿を画像に収めたいと思うのだ。

 色やピントは有る程度パソコンの画像処理で調整、増幅できるが、シャッターチャンスだけはパソコン処理できない。撮影者の技量と努力と精進が確実に出てしまう。どんなに高いカメラやレンズを持ってしても、広告宣伝用の商品などのスタジオ撮影と違って自然物相手の撮影は撮影者の技量・経験+事前調査・研究に運が味方しなければ成就しない。

 
大学在学中時代の自室


2013年5月28日火曜日

■写真撮影について 2.


 パソコン画像処理を自分でできなくても、撮影自体は問題なくできるのでアマチュアカメラマンの増加は今後も続いていくことだろう。手っ取り早いところでは「風景」「花」「神社仏閣」「街並」「日常生活」など失敗しても撮り直しが効く被写体。

例)近所の神社の古瓦に落ちた紅葉


 これが少し進むと「四季折々の風物詩」「祭り」「SL蒸気機関車・鉄道・航空機(基地際など)」そうやたら撮影するチャンスが多くないジャンル。

例)パリエアショーのユーロファイター戦闘機デモ飛行


さらに進むと「山岳、水中撮影・スポーツ・海外のたたずまい・近郊の野鳥・・・」など被写体に近づくにも自分自身の労力・撮影費用が重要なファクターを占めるもの。

例)ロンドン・ノッティングヒルの住宅

 


 極限は自宅や近所や檻の中にはいない動物(珍しいヤマセミのような野鳥もこれに含まれる)・希少生物・著名あるいは芸能人・政治家などの有名人などの被写体にたどり着くのが至難な被写体。

例)裏磐梯で巣穴から外を覗くアオゲラ


 少なくともカメラで何を撮りたいのか、自分のスキルと経験値で撮れるのか?自分の体力・スキル、財力、時間を天秤にかけて進むべき道を決めていくのが普通のことだろうと思う。しかしこの方向を自分では決めかねて「私はどうしたらいいでしょう?」というアマチュアカメラマンがなんと多いことだろう?
 自分個人の考えより、お友達の何さんがお祭りの撮影に行くので自然と私もついて行くようになったんですが・・・実は私は人ごみが嫌いなのよねー・・・」というような自主性のない話などがそこいらじゅうに転がっているから不思議だ。

 撮れた写真を褒めてもらいたい、誰かに煽ててほしい、自分は数多いアマチュアカメラマンの中で初心者だとは思うがセンス面でまったく底辺なのか?そこそこ行けそうなレベルなのか?期待薄だがひょっとして天性のセンスが有ったりして・・・などと勝手に思いを巡らせているのが昨今のアマチュアカメラマンの実情ではないだろうか?

 よく、海外から来る観光客に日本の印象をどう思うか聞かないと心配になるマスコミの御仁がいるが、それと同じなのだろう。要は自分自身に自信や確固たる信念がないので何かにつけ不安でしょうがないに違いないと見ている。その極致がコンテストにやたら応募するアマチュアカメラマンだ。コンテスト応募専門のカメラ雑誌まで発刊されるほどだもの、カメラ業界は人の心理をよく読んでいる。挙句の果てにはレタッチ屋さんだとか、レタッチの技法本まで出始めている。まるで整形施術そのものではないか?「枝被りしていても、後でレタッチで消せば良いんだ・・」という変な常識が一般化するに至ってはあんまりだとは思わないか?

 一番多いパターンは、自分が撮影した画像の良し悪しを検討・研究し、次の撮影にどう生かしていくか、次のテーマをどうするのではなく、仲間内で腕が上がった下がったの競争を始めてしまうアマチュアカメラマン達だ、カメラもゴルフも一緒なんだろう?

 撮った写真を見てほしい、褒めてほしい、それの極致がブログへの掲載だ。ちょっとパソコンをかじって画像処理ができるようになったらもう大変!必要以上に彩度を上げ、「綺麗!」に撮れたと自慢したくなる、しかし歳を取るほど鮮やかさに歯止めが効かなくなりどんどん彩度を上げて行ってしまう。秋の紅葉時期の観光案内パンフの紅葉の色と一緒!まるで香水を付けすぎて自分が自分の匂いに鈍感になってしまい不安になって、ついつい周りが避けて通るほどたっぷり香水を付けてしまいヒンシュクを買うのと一緒だ。

 神田にある日本で唯一のバードウォッチング・専門店で野鳥の写真集の最近事情を聞いた。そうしたら今は野鳥の写真集はなかなか売れないという。要は人が撮った野鳥の写真をいくら見ても自分がそうできるわけではないからジェラシーを感ずるとの事。アマチュアカメラマン達でも掲載された写真が野鳥の巣の中を写したり、明らかにストロボを当てて撮影した作為的な画像は「自然保護の面からも明らかに違反だよな?」と判断する普通の心は持っているようだ。

 
 動物園に行ってユニークな顔をした動物の写真を撮るのも一つのスタイルだろう。しかし、野生のままの動物を自然体で撮影しようとしたら、クマに食われてしまった動物写真家ほどではなくとも、撮影中に蜂に刺されたり、毒虫にやられたり、山ヒルに食われる、あるいは蛇を踏んづけるくらい当然のリスクなのだが、そういうのは絶対に嫌だが何とかならないか?としつこく聞いてくる人もいた。残念だが絶対に何とかはならない!本物のシャッターチャンスは決してそこいらには転がっていない。

この項もっと続く、


 
 

 

■ 団塊世代の写真撮影ブーム

■写真撮影について


  昨今、60歳、昔でいうところの還暦を過ぎた団塊の世代を中心に、写真撮影のブームが続いているようだ。墓石の争奪戦までしなければならないかも知れないと言われ続けて育った団塊世代、リタイヤ後の生活費や死に金の準備、今ならさしづめ終活というのか?費用面では少し余裕のある層が今までよりは増えたと見える。

 それが証拠に日経やその他全国紙の日曜版全面広告を見るが良い。やれ豪華客船クルーズだのJR九州特別列車で九州1周200万円だのお金に糸目を付けない「おさそい広告」で一杯だ。競争で育ったこの世代は豪華客船のクルージングでもテラス付のセミスウィートくらいではないと同行者が納得しないから、高い船室から埋まるという。これに目を付けた海外のクルージング会社が日本の裕福な団塊世代を狙って格安クルージングの企画ツアーを続々持ち込んできた。

 おかげで我が日本郵船・飛鳥の豪華客船のツアーは真っ青!近海の切り売りツアーへの戦略転向を余儀なくされているようだ。しかし海外からのクルージング会社も大量動員一挙売上向上を狙った超大型客船を日本用に転用したものの、横浜ベイブリッジは橋が低くて潜れないは、東京港レインボーブリッジも潜れないなど土壇場でみじめな結果を招き始めている。せっかくあの横浜港大桟橋からの出航を夢見ていたのに、暴走族の集会所・大黒ふ頭までバスで移動させられ工業地帯・倉庫地帯から乗船・出航だ、これじゃ大昔の石原裕次郎の映画そのままではないか?

 話が飛んだ・・・元に戻そう。

 やっと人生に余裕が生まれた団塊世代だが、多少の余裕ができたのはあくまで金銭面だけで、自分の頭の中や今後自分がどうするんだという、設計・プランはまるで空っぽという御仁がなんと多いことか?リタイヤ後の不安に対しては、金の心配しかしてこなかった、今まで金を出してモノを買ったり、行楽に使うなど消費能力しか磨いてこなかったから「モノを作り出す、生み出す」スキルにかけているのが実際のところなのだろう。

 そういう中で、写真撮影をして画像を残す・・・少なからずクリエイティブな方向に進みつつある団塊の世代の一部は、まだましなほうなのだろう。しかし、ここにも特有の「勝った負けた、優越感という悪魔の囁き」が歴然と存在するのだ。

 以前写真撮影のレクチャーにインストラクターとして助っ人参加してサポートした際の状況をほんの少し紹介。

 まず、持っているカメラの自慢、三脚の自慢、行った撮影場所の自慢、撮影技術・専門用語などカメラ知識の自慢。もう「俺が俺が、勝った負けた」の大論争が必ずレクチャーの最中、撮影指導の最中にあちこちから聞こえてくる。その次が撮影場所の取り合い喧嘩・口論。


 一体何なんだ?これは?と思いつつ、一番元気のいいオジサン(筆者とあまり変わらないと思う)に質問してみた。「画像処理ソフトは何をお使い?、何を主に撮影されているので?」
 これに対する返事は、「あー撮った画像はカメラのキタムラでプリントしてもらうんですよ!パソコンは判んないんで。何を撮るかって?それが問題なんですよねー、先生の後をくっついて勉強はしているんですが・・・。」
という事だった。自慢する事は沢山あるのだが、何を撮りたい、何を撮るからこの機材・・」という理念もプロセスもない、カメラ自慢の会に近いのが実情だった。



中学校の時の様に親に買ってもらったカメラは自慢しあうのに、撮れた画像を自慢しあわない、しあえない群衆がそのまま大人になり老齢期を迎え同じことを繰り返している。なんだかなー?


この項続く。

 








2013年5月27日月曜日

■人吉を離れた途端梅雨入り?

17日に熊本入りした日にパラパラ来ただけで昨日まで連日暑くて晴れて雨がなかっただけに、あまりのタイミングに狐につままれたような感じ。これもまた矢黒神社の御利益だろうか?19:00現在熊本市内はまだ雨になってはいないが、明日は確実に雨模様とか?
今朝は熊本市内に向かう前にほんの一瞬、朝7時半ころまで球磨川本流で撮影したが非常に面白いシーンを撮影できた。

 
宿の室内からお客が架線に留まった見たことがない野鳥を注視している目の前で
何やら会話中のヤマセミのつがい。山奥の谷川で優雅に飛び回るのがヤマセミだと
思い込んでいる方々には「人吉の奇跡!」に思えるだろうが、これが人吉の現実だ。
 
同じ球磨川・川辺川流域でも人吉市街から5kmも離れると他の地域と同じく人影
を見ただけであっという間に飛び去る。ヤマセミと人が共存している人吉ならではの風景。

2013年5月26日日曜日

■昨日で終わりのはずが・・・・・。

昨日撮影中、目の前の森の木々が人間の苦悩の顔の重なりに見えるという幻覚を見て「こりゃいかん!止めねば・・・。」と思い撮影を終了したはずが、別のポイントのヤマセミがどうなったか見回りに出て、調子が出てしまった。
 
 前夜、人吉城址にかかる満月画像をアップしたが、その満月が西の空に沈みゆく画像を撮れた。


 長丁場無事に乗り切れたお礼に早朝6時矢黒神社に詣でたら、拝んだ5分後に生まれて初めて生ヤマセミを見た現場で出迎えてくれたではないか!!しかもつがいでチェイスのパフォーマンスまで。4回ダイブで2度採餌成功。巣に持ち帰らずその場で丸吞み、これは幼鳥が皆巣立ったな?と直感。


 またしばらくして次のポイントに向かうと、こちらの車を待っていたかのように架線に1羽出迎え。ものの10分もたたずにつがいのもう1羽が登場。なんとこの1羽にピッ!と撮影者めがけて脱糞された。もう完全な確信犯だと思う。
 
その後、球泉洞まで球磨川の流れの画像を撮影、このサイトの球磨川下りの中身充実に充てる。


2013年5月25日土曜日

■人吉で7日間子育てヤマセミと対峙!今日で終了!

 連日30℃超えの日々、巣立ちが始まった川辺川・球磨川流域のヤマセミファミリーと連日対峙して数々のシーンを撮影できた。その数今日までに4,000カット以上。38GBになってしまった。ラップトップPCだけのHD容量ではとてもギリギリだった。外付けHDを持ってきて大正解だった。

 ここまで晴れが続くとは・・・矢黒神社はすごい!

 ついに今日の夕方、対岸のこんもりとした大きな森の木々が色々な人の顔に見えてきて恐ろしくなり、今回のヤマセミ撮影行を終了することにした。相当疲れてきたのだと思う。

 今朝も撮影していて、ヤマセミも日焼けして、スマートになったなー?と思ってよく見たら、ササゴイだった。眼にも来ているようだ、このあたりが切り上げどころだろうか?

 明日以降、月曜日は熊本市内で新写真集のメディア取材を受ける模様。

最後の1カットを終えたのが18:17陽はまだ出ていた、人吉の陽は長い!

撮影を終了後、温泉町のほうに行ったら球磨川本流の夕陽が綺麗だった。

食事をして宿に戻ったら、ちょうど人吉城跡の上に満月が出ていた。城壁のライトアップと共に。

2013年5月23日木曜日

■真夏並みの暑さが続く人吉

 昨日22日(水)も今日23日(木)も気温は30度超えの真夏日。今日はいよいよ新しいヤマセミの写真集が上がってい来る日、東京は既に配達されている模様。熊本県内は午後になりそう。
出来上がった山翡翠(ヤマセミ)生態観察写真集は昨年寄贈した「江津湖の野鳥」と同様、県立図書館を通じて県内の図書館へ寄贈される。

 昨日も今日も朝5時半から昼前の10時半まで撮影を行った。夕方が光が良い感じなのだが、今日は熊本まで出て新しい写真集の配布作業に取り掛かる予定。

朝7時頃、突然超高速でオスの成鳥2羽が川を上って行った。

その直後、けたたましい声を上げながら縄張り争いとみられる闘いが始まった。

追いつ追われつのデッドヒート、このくそ暑いのに!よくやるまったく。

ハエ釣りの釣り人の後ろを平気で飛びゆくヤマセミ、人吉郊外だからこその風景。

2013年5月20日月曜日

■今日の紫外線は超弩級!

 朝9時半に小倉から新幹線+車で人吉に戻った。早速巣立ったヤマセミポイントに急行、撮影を開始。今までAF(=オートフォーカス)で撮影をしていたのを3日目からマニュアル、つまり手動でピント合わせを始めている。理由は500mmZOOMに1.4倍テレコンを装着、AFが効かないのだ。
 仕方なく手動マニュアルでピントを合わせ始めたが、これが意外に良く撮れる!驚いた!

 手持ちで700mm望遠で動く被写体をMFで追い写す・・・やってみると意外にできるものだ!

 今日の目玉は縄張り争いのチェイス!と、カラスに追われたヤマセミの♀危機一髪。

縄張り争いは同族でも必死のようだ。

メスのヤマセミがカラスに追われ危機一髪!

しかし、最終的にプレッシャーを掛けただけで威嚇のみ。

昨年カワセミを追いかけるヤマセミの画像を撮影し今回の新しいヤマセミ写真集に収録したがまさに立場が逆になったケース、自然界の不思議はつくづく奥が深い!カラスも悪い奴ちゃ。





2013年5月19日日曜日

■今日は終日雨模様、午後雨上がりの小倉に到着

 昨日は終日ヤマセミを追って球磨川本流で撮影三昧。巣立った4羽はまだ親の後を追いかけて給餌待ちの一日くらし。定期的に集合場所に4羽の幼鳥が集まる。親が餌を咥えて鳴きながら飛んでくると順番待ちの幼鳥が優先権が決まっているかのように礼儀正しく餌をもらいに行く。順番ではない幼鳥は傍にいてもただ見守るだけで餌の争奪戦は目撃しなかった。

 秩序が保たれているような気がするが、たまたまなのかもしれない。十数年前まで日本の大都市でも、何処とは言わぬが地下鉄の乗降時に列を作らずドアに殺到するような大都市があった。東京から出張で行って初めてこの光景を目の当たりにした時は驚いた!

 明日はまた人吉に戻ってヤマセミ観察・撮影と写真集発行の準備。


 岩の上で、親の給餌を待つ幼鳥たち、これは決してもらう順番で並んでいるのではない・・と思う。


この時期オイカワが繁殖期を迎えてオスは頭が黒くなり体が極彩色になる。地元ではアカハヤと呼ぶ。このメスはいったん樹木の上に持ち帰り、改めて上の集合場所の岩場に持ち込んで与えた。


 

2013年5月17日金曜日

■念願はすでに初日にして達成!


 芦北の矢田さんの連絡で球磨川流域のヤマセミの一家族が2羽ほど巣立ったようだとの連絡で、19日からの撮影行を2日早めて今日17日から人吉エリアに到着、早速撮影に入った。
 もちろん恒例・お約束の矢黒神社へのお参りは欠かしていない。そうして、そのご利益は瞬く間に表れた!4羽の幼鳥が採餌の練習を盛んに行っている段階だった。これからしばらくはその様子を観察できそうだ。
 一つのフレームにヤマセミファミリーを5羽を写すことができた!その画像はYAMASEMI WEB本体HOMEWhat’s New・・・・・の「ヤマセミの一家族に巣立ち・・・」の項で緊急報告としたい。

オスの幼鳥のようだが、盛んにホバリングを行っていた。



ダイブを繰り返し、朝方のみならず終日で採餌の練習を行っているようだ。

週末は雨模様、しばし球磨川流域から離れるが、また月曜日から再開の予定。
















 

2013年5月15日水曜日

Wild Birds The University of Tokyo "Nikko Botanical Garden"

日光東大植物園の野鳥・オオルリ/キビタキ

Wild Birds The University of Tokyo "Nikko Botanical Garden"

 Nikko is one of the most famous Japanese sightseeing spot, 2 hours far drive by car. In spring time , we can see many colorful wildbirds. The first week of this May, I took   several photoshots these spring birds.

 Yellow one is Narcissus Flycatcher. Blue one is Blue-&-white Flycatcher. Both of these are the most favorite birds of Japanese birdwatchers.

  Japanese-bush-warbler start to  sings everywhere. They are living among the bush usualy, but this time came out to outside. So you can see and photoshooting them only this season.

奥日光戦場ヶ原から下り翌朝9時開園に合わせて日光東大植物園に着いた。いろは坂を下る際は1台の車にも出遭わず、一気に下りる事が出来た。
 植物園の訪問者は海外のカップル1組以外誰もおらず、野鳥の方も全く人の気配を予測していなかったと見える。オオルリも、キビタキも樹上ではなく苔や草の生えた地面で採餌の最中だった。

 さすがに近寄った気配で近くの灌木に移動するが、こちらが身を固めて動かないとまた地上に降りて採餌を始めるといった感じ。まだオオルリもキビタキも囀っていなかったがこれで3年連続で春先に来ており、オオルリもキビタキも定位置は把握していたので探すのは容易だった。

Narcissus Flycatcher キビタキは園内には数羽いた模様 

Japanese-bush-warbler  You can see a small ball under the bird. This is a bird shit.
 ウグイスが糞をした瞬間!下の丸い点がそれ。
 
 
Blue-&-white Flycatcher
オオルリは3羽ほどテリトリーが決まって居るようだった。
Blue-&-white Flycatcher 
オオルリはまだ囀ってはいなかったが、いろは坂からの途中 の川沿い
では囀っていて、十分撮影が可能だった。

Blue-&-white Flycatcher on left,Narcissus Flycatcher on right.
 
この画像では左右が入れ替わって左にオオルリ、
右端の太い3本の枝が集まったところにキビタキが留まっている。


 

Narcissus Flycatcher on leftside,Blue-&-white Flycatcher on right.
It is the first time photo shot both of them in one picture.
 
この画面の左の日陰にキビタキが、右の日なたにオオルリが留まっている。
3年前に来た時も、キビタキとオオルリが絡み合うように飛んでいた。


 今年はアカゲラとアオゲラを一つのフレームに入れ込んで撮れたし、面白い野鳥の競演を今後も撮れるかもしれない。人吉ではヤマセミとカワセミの呉越同舟を何度も撮れているので、次回の人吉行で何が撮れるか大変楽しみだ。


Nikko Senjogahara is one of the most famous Wild birds field in Japan.

  It was sometimes snowy at Nikko Senjogahara in holiday weeks this May. Summer birds were coming already at there.  wrens and Narcissus Flycatchers were singing all day long on a field. 

奥日光戦場ヶ原探鳥レポート

 喧噪のゴールデンウィークが終了した5月7日に1人で奥日光戦場ヶ原での植物研究の研修に合流。しかしもの凄い寒気に伴う北西からの強風と時折り舞う風花で話にならず延期となったため野鳥撮影に転じた。

 今年の戦場ヶ原はまだ気温が低いせいか、あちこちに残雪も有り例年よりは春が遅い様だ。昨年秋には赤沼付近でクマに襲われた人もおり、クマ避けの鈴をつけて朝8時から太陽を背に問題の赤沼から湯滝に向かって木道を進んだ。
 

 見かけた野鳥は順番に、ノビタキ、キバシリ、アカゲラ、アオジ、ウグイス、オオアカゲラ、ゴジュウカラ、コサメビタキ、ミソサザイ、ルリビタキ、キビタキ、カケス、画像を一部掲載。

雪の舞う中でアカゲラ。

 
  ノビタキはまだ例年に比べて少なかった。 

   
ミソサザイは樹上に上がって囀っていた。
ルリビタキ♂
 

ルリビタキ♀ ルリビタキは殆どカップルで行動中。

 

キビタキはルリビタキと絡むように至近距離で活動していた。

 何だか野鳥図鑑の様なレポートになってしまったが、雪の中のキビタキなどはあまり撮影する機会が無いと思う。さすがに渓流・林間エリアでの飛翔画像は撮影が難しかった。ヤマセミの様にはいかない。

 この翌日、いろは坂を下って日光の東大植物園にオオルリの様子を探りに降りたが狙い通り、ほんの40分間で撮影は終了できた。連休明けの日光エリアは今後も狙い目かもしれない。












 

 


2013年5月14日火曜日

ヤマセミ中心のホームページYAMASEMI WEB いよいよスタート !


 2013年5月、ヤマセミ専用サイト、ヤマセミ・ウェブを試験的にスタートさせてみた。川辺川・球磨川流域で2010年から撮りためた3万6千枚以上のヤマセミ画像を観察・分析し、2011年の1冊目に引き続いてこの5月後半2冊目になる「川辺川・球磨川流域の山翡翠(やませみ)を自費出版し熊本県内のヤマセミ好きの野鳥愛好家の皆さんに無償配布する。

 これを機に、ヤマセミに関する生態観察の専門サイトを並行して開設することで、生態観察写真集と共にされに掘り下げたヤマセミの面白い生態などを紹介していく予定。

 もちろん一人で出来る事には限りがあるため、人吉・球磨エリアで長年ヤマセミを観察し続けている方々の応援を得ながら常に最新の情報を提供してゆくつもりでいる。
 なお、今のところ当サイトは閲覧者からのコメント投稿は受け付けない。







私は1948 年生まれの団塊世代のど真ん中だが、最近この団塊世代独特の「ニオイ」が気になってしょうがない。匂いと言っても加齢臭ではない、団塊世代独特の価値観「競争心」「負けず嫌い」「優越感」「上から目線的=相手を見下した、諭す様な物言い」などだ。 
東京で昔の学生時代のクラス会、同期会などに出ると、懐かしい顔との会話の中に「勝った、負けた」「お前より俺の方が凄いぞ!」が頻繁に顔を出す。中には小学校当時の力関係が、50年経った今でも通用すると勘違いしている奴がいるから始末が悪い。人間50年も経てば色々なモノに化ける事を判っていない(決して容姿の事だけではない)。

団塊世代は戦後のベビーブームの頂点でとにかく競争!競争!で育った世代だ。試験の成績はビリに至るまで廊下に張り出され、常に周りと競い合うような子供時代を送っている。その世代が大人になる過程で「優越感」に目覚め、常に人より優秀でありたい、特別でありたい、褒められたい・・・と思うようになっていったのは仕方がない事だろう。ある意味それによって培われた「優越感」を得ようとする向上心・努力が日本の高度成長、消費の世界の発展を支えたのかもしれない。

 野鳥観察・バードウォッチングの世界にもこれは存在する。人より多くの野鳥を視た、滅多に出遭えない珍しい野鳥を観た、撮った、さー自慢しよう!自分の周りにもこの類が沢山居る。これもエネルギーの源だろう、それは自分でも経験が有るからよく判る。しかし野鳥を観察したり撮影する愛鳥家の志向は実に千差万別だ。それぞれの理念に基づいて道を究める楽しみは色々な形になると思う。野鳥観察の楽しみに優越感や勝ち負けは有って欲しくない。しかし、実はこの様な傾向は世界共通らしい。この写真集にも画像を提供頂いている私の師匠・古江さんに薦められて、ハリウッド映画の「ビッグ・ボーイズ(しあわせの鳥を探して)」を観た。全米の探鳥協会のイベントで年間北米大陸においてどれだけの野鳥を視たか自己申告制で競い合うコンテスト「ザ・ビッグイヤー」をコメディタッチで製作したもの。これにも団塊の世代が出てきてわが身に照らして思わず何度も笑ってしまった。野鳥ファン必見の名画だと思う。

                                                                                    

                                                           2013年5月14日