2015年4月30日木曜日

昨日のNHKBSプレミアム、戦場ヶ原中継番組は残念すぎて・・・・トホホ。

 まず、昨日のNHK・BSプレミアムで放送された「生中継!早春の奥日光トレッキング」をこのブログを観てご覧になった方々に深くお詫びを申し上げなければ成らない。あまりの中味のなさと質の低さにショックを受け、皆さんに声高にPRしてしまった自分に、現在自己嫌悪の真っ最中。一体何処がプレミアムなんじゃ?番組を見た後直ぐに連絡をしてきた辛口評論家も「コメンテーターは一体誰が選んだのだろう?やり取りも、ライブ放送する価値あったのかな?」と非常に的確な意見を送ってきた。スケーター上がりで借り出された新米タレントの浅田舞などは、必死で蛙の卵等を持たされていたが、本来此れを見て押し寄せた観光客が皆同じ事をしかねない。都会のばい菌やネイルアートの材料は戦場ヶ原の自然に影響は無いのだろうか?

 一方で何度も中継中現場の太陽光の下でパッドで撮った写真等を紹介していたが、予めプリントしたモノの方がはるかに見やすかった。何故パッド画像を中継画像ラインに電送してしっかりと見せないのか腹が立った。その場で撮影した画像でもないのに・・・。パッドを使っている所を見せたかったのか?あのような使い方は全然便利じゃない事ぐらい判ろうもん?それに、今来ればこういった野鳥を眼に出来る可能性が在ります・・的な野鳥の紹介、植物の紹介もごく2~3の例しか無いし、国内有数の自然の宝庫の戦場ヶ原を、たったあれだけの内容で紹介しようとするNHKの報道姿勢に更に腹が立った。昔つり博覧会でお世話になった「浜さん」のような厳しい職人的プロデューサーはもうNHKには居ないのだろうか?

 何処かのトレッキングのプロらしき解説者が「私は年間100日は野外泊する」と自慢していたが、ホームレス達なんて毎日が野外泊だろ?まるで雑誌の特集レベルから一歩も出ていないバラエティ番組の延長のようでショックだった。逆に言えば、戦場ヶ原の雰囲気だけをサラーッと伝えた昨日の放送を観て「良いねぇ、行きたいねぇ、さぁ奥日光戦場ヶ原へ行こう!」と即行動に移す人が急増する心配はないかと思った。しかし、普段コンクリートジャングルや夜の巷のネオンの中で蠢いている都会人には、たまたま運よく中継中雨になったりしなかった為、凄い所のように観えたかもしれないので油断は禁物か?

 と、言いつつ3日間の画像をチェックしてみてやはり今年の野鳥飛来の異変?を少し感じない訳にはいかなかった。此処5年間春季4月下旬~5月上旬に必ず2度、秋季~冬季にも3度ほど戦場ヶ原周りをしている経験から考えても変化を感じない訳にはいかなかった。とにかくキビタキが居ないのだ!コサメビタキ、サメビタキ、ノビタキ、ルリビタキ、ミソサザイ、アオジの類は既に囀り始めていて、其の声で居場所が判るのだが、キビタキは湯川の沢で遠い距離で一度視認できたのみ。次回5月8日に再度リベンジ撮影行を計画しているので期待している。

 今日の画像は湯川の土手から、川の中ほどの倒木等目立つ所にまだ出てこないで、土手の水際、もしくは崖の中腹で囀っているミソサザイの画像を集めてみた。撮影画像を調べてみるとミソサザイに関しては3日間で計12箇所8個体の画像を収録していた。其のうち川の中央の倒木に留まったのは1度のみで囀らなかった。

 
日光市内東大植物園の崖下を流れる大谷川(だいやがわ)の崖上、筆者の足元4mで発見。

川に向かって囀る為、こちらは殆ど気にしない・・・ということはこちらを向かない。

戦場ヶ原・湯川の対岸水際の腐った古木、夕方5時近く。更に暗い為難しい撮影だった。

しかしなかなかこういった羽根を広げてのディスプレイ付き囀りは眼にできない。筆者も初めて!

目立つ所ではこういった一般的な囀りが普通。

早朝7時前、熊に注意しながら川から離れた樹林帯の木道を歩いていて、いきなり正面の腐った古木あたりからミソサザイの弩でかい囀りが聞こえて腰を抜かしそうになった。熊避けの鈴を最大限鳴らしていても全然気にしないようだ。

そーっと針葉樹の隙間から狙うと、下は見ていない。4mほど上だった。

メスを呼ぶことに全神経を注いでいるのだろうか?



 

2015年4月29日水曜日

今日13時からNHK・BSプレミアムで放送の「生中継!早春の奥日光トレッキング」現場裏話

 やはり自分が少し関係するメディアの放送については気になるものらしい。今日午後1時からNHK・BSプレミアムで放送される「生中継!早春の奥日光トレッキング」は昨日まで滞在した奥日光戦場ヶ原を中心に、過去に例の無い形で現場からほぼ全域をライブで中継する相当大掛かりな番組制作だった。

 しかし、2日前から関係者の話を聴いた感じでは、どうもネイチャー・自然環境・観察的な番組ではなくタレント等を起用したバラエティ的なニオイの強い雰囲気だったのでがっかりしている。まあ観てみないと何とも言えないが・・・。例えば世界に名だたるNHKであれば、英国のデイヴィッド・アッテンボロー氏などをゲストに呼んで奥日光戦場ヶ原(2005年ラムサール条約登録)の素晴らしさと注意点等を解説する等して欲しかった。

 NHKは過去においても自然環境を番組を見た多くの見物人の影響で大混乱させる常習犯だから非常に危惧している。例えば房総半島中部山田地区に源氏ボタルが乱舞するエリアがあったが、此れを放送しため其の翌年見物人が一日数千人押し寄せ、田んぼで用を足すは平気で田に足を踏み入れるは無断駐車するなど大騒ぎになったことがあった。NHKは放送の評価は欲しいがその後の二次的影響に関しては関知しようとしない。この辺りが英国BBC等との差だろうか?

 今日放送される奥日光戦場ヶ原の佇まいと湯川沿いのルート解説。それにNHKスタッフの事前の準備をレポートしよう。

誰もが雑誌、パンフレットやネットで観る奥日光戦場ヶ原の一般的イメージが此れ!2日前撮影。気温は27度近かった。「生中継!早春の奥日光トレッキング」という番組タイトルとはまったく似つかわしくない実情。一体番組タイトルを考える人間に「自然環境」に対する知識はあるのだろうか?

赤沼サイドから戦場ヶ原の「戦場ヶ原自然研究路・赤沼ー湯滝ルート」に入る老夫婦。最初の250m程は地道だが木の根が多く非常に歩き辛い。左の溝は湯川に合流する小川だが一部干上がっている。老夫婦の旦那さん?大きなレンズを装着したカメラを肩から提げ、後ろから奥方が大きな三脚を肩に担いで木の根に躓きながらヨロケて後を追っていたが・・・何処までこの炎天下持つだろう?この先5kmはトイレ無いのだが。

赤沼から湯滝に向かって木道を進むと、暫くは左に湯川を見ながら進むことになる。朝日の出の頃、早い時間に行けば相当数の野鳥に囲まれる事が多いが、勿論熊に遭遇する可能性が一番高い時間帯だからリスクは大きい。2年前早朝男性が襲われたのもこの辺り。

しばらく行くとカーブが連続する。フクロウの交尾、アカゲラの交尾等を撮影したのもこの辺り。キレンジャクの群れに囲まれたり、3mの距離でキビタキに遭遇するのもこの辺り、野鳥との距離は信じられないほど近い時がある。500mmの超望遠を装着してきた事を何度悔やんだか・・・。

急に視界が開き戦場ヶ原のほぼ東側全域が見える場所に到着。腰をかける施設はあるが、勿論トイレは無い。風が強い日にお弁当を開いて包み紙やレジ袋を飛ばす不注意者が続出して問題になったことがある。

此処では10mの距離にこうしてノビタキが観られる時期がある。今回もそうだったが、オオジシギが草原に隠れている。昨日もズビャーク、ズビャークと声が聴こえた。

再び森林地帯に入ると湯川の沢になり、両側は山に囲まれる。日陰と日なたの明るさの差が極端で撮影者泣かせの場所でもある。

このエリアだとまずミソサザイに出逢わない訳には行かない。100m置きに声高に囀るシーズンがもう少しで到来する。まだ今は日陰の土手で囀っている事のほうが多い。この画像は朝7時熊に怯えながら単独行で逆の湯川側から入って撮影したもの。熊の糞が木道上に乗っていたが、雪の降る前のものだと思う。


湯川の小滝、この辺りにも結構色々な野鳥が飛ぶ時期があるらしい。

終点の湯滝。壮大な斜めの滝だがこの上に湯の湖が在る。

三本松駐車場のNHK中継舞台の一部。

画像には無いが、昨日は大きなクレーンで中継電波を飛ばすアンテナを掲げて準備していた。

事前の見地リハを行うスタッフ、こいつらが問題で、大声で木道一杯をドカドカ歩き、時折手を叩いて大笑いする。学生時代の修学旅行と勘違いしているこの連中はNHKスタッフなのか下請けのバイトなのか?即NHKにクレームメールを打った。うるさい様は録音もしてある。

ノビタキが飛び交う開けた場所の休憩椅子の下に中継機材やケーブルを入れ込むNHKスタッフというかバイトか・・・。

いずれにせよ、番組を良く観て精査しようと思う。昨日のブログでも書いたとおり、この番組の放送後、ワーッと押し寄せる野次馬的観光客でしばらく戦場ヶ原が混雑するのが大変気になる。ゴミの始末、立小便、声高な雑談歩行、木道をそれた歩行など・・・・。さあNHKがどのように放送するか見ものだ。




2015年4月28日火曜日

今年の奥日光は春が遅いようだ!その2.  In Oku-Nikko of this year, spring seems to be late! Part2.

  2日目の奥日光は昼間1時から3時までのミーティング、テレビ放送スタッフとの打ち合わせ、アドバイス以外自由な時間に野鳥撮影が出来たが、やはり武蔵野の小川流域ではお目に掛かれない、奥日光に来なければ出遭えない種類に「お約束」のように遭えて嬉しかった。

 木道で出遭った北関東の野鳥カメラマン達も皆親切で、話好きで野鳥情報の話題にしばし立ち話が弾んだ。5名ほど人懐こい方々と話をしたが、その中の一人が「YAMASEMI WEB」をご存じで、このブログをときどき覗いているという事で、大変驚かされた。ブログを主宰していて、こんなにうれしく思った事は無い。驚いたことに今朝コマドリを木道で見かけたという方が居て、話題になった。湯川沿いにコマドリが居るのは知っていたが、開けたところにまで出没するというのは、初めて知った、今後に期待しよう。

 キビタキは昨日1羽だけ遠目に視かけた以外目視出来ていないので、今年は飛来が遅いようだが、キレンジャク、オオジシギ、など冬の鳥はまだ結構いるようだ。今回目撃した生態の中で一番はハシブトカラスがカエルを採餌する場面に遭遇した事だろう。ハシブトカラスは本来森林地帯に住む野鳥でネズミや小鳥を獲って食べるのが本来の生態だったそうだ。武蔵野の住宅地に居る迷惑なカラスに見慣れた筆者には衝撃的な場面遭遇だった。

 今回の環境ミーティングの一部にNHK・BSプレミアム放送(29日13:00~14:00)奥日光戦場ヶ原の自然・ライブ中継番組サポートがあったが、お時間のある方は是非見て頂きたい。ただこの番組の放送後、ワーッと押し寄せる野次馬的観光客でしばらく戦場ヶ原が混雑するのが気になる。ゴミの始末、立小便、声高な雑談歩行、木道をそれた歩行など・・・・。NHKには重々番組内でのアピールをお願いしたが・・・果たして・・・・無理だろうな?



最近はこういったファッショナブルなトレッキング客が増えた。非常に微笑ましいが、中には新宿の歌舞伎町から朝そのまま出てきたような場違いのスタイル客もいて、他の顰蹙を買うような者たちも時々居る。

駐車場にはまだ雪がたくさん残っている。

奥日光湯元にあるビジターセンター、規模がしっかりとしている。

此処が今回の打ち合わせ本部

打ち合わせのスタッフ、環境関係のスタッフたち。

これで大部隊の40%。残りは他のエリアにまだ2部隊。

打ち合わせの合間に車で昼寝。結構気温が上がった中での炎天下15kmは脚に来た。

たまには自分で自分を撮る、自撮り棒などという軟弱なものは要らない!自撮り木道で十分!

打ち合わせと29日の中継準備の模様をご紹介だったが、撮影内容は今夜戻り、画像処理後このブログにアップしたい。 NHKの中継生放送は明日29日午後1時からBSプレミアムで・・。 http://www4.nhk.or.jp/P3558/



2015年4月27日月曜日

今年の奥日光は春が遅いようだ! In Oku-Nikko of this year, spring seems to be late!

 恒例の自然環境観察調査で奥日光に2泊3日。昨年とほぼ同様の日程で調査撮影。しかし今年は雪も多く、気温もまだ朝晩は氷点下の事もあり、まだ空気は冷たい。朝7時半にはエリアに到着、8kgの荷物を背負って4kgのカメラを肩から下げて木道その他を11km歩いた。

 とりあえずは、戦場ヶ原の乾燥は年々進んでおり、樹木の様子も年を追って変化しているが野鳥の飛来状況など中心に気温の年変化と比較しながら統計を取っている。今年は明らかにキビタキの飛来が遅く、オオルリの数が多く、サンショウクイは例年通りと言ったところか?ミソサザイも例年通りだがまだ川の真ん中まで出てきて囀らず、両岸の土手近くで声を張り上げている。

 2日後に帰京してから画像の精査を行うため、まずはとりあえず・・と云う内容でのブログアップ!

















2015年4月25日土曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #109.」 ヴァン ヂャケットの社内エピソード、入社3年目で海外出張.その5.

 このレコード屋に張り付いて頑張った夜は、それまでのナッシュビル中心部のライマン教会に代わり1年前新しく出来た会場(=グランド・オール・オプリー・ハウス)であの有名なC&Wミュージック・ライブショウ「グランド・オール・オプリー(=The Grand Ole Opry)」を観に行った・・・というより参加しに行った。」
 この模様はメンズクラブ#171号(1975年10月号)に筆者がレポートを5ページに渡り掲載したので「団塊世代」の方であればご覧になった方も居るかもしれない。
生まれて初めて雑誌に寄稿した、メンズクラブ171号。1975年10月号。

このグランド・オール・オプリーは1925年11月28日からナッシュビルのAMラジオ局WSMで放送開始され、現在でも続いているアメリカ最古のC&Wソングのライブ番組。この出張時は前・後半のステージの前半、なんとバックステージから観る事が出来たのだ。CMAの計らいで関係者指定席を頂いたものの、もっとC&Wミュージックを知ってほしいとバックステージに上げられたのだった。有名だろう歌手の子供さん等もステージ上のセットの椅子に座って親が歌っているのを聴いていた。其のうちの一人が手にソフトクリームを持ったままステージ上を走り回った挙句、ビッターン!と派手に転んで満員の観客が大喜びしたのを目の前で観る事が出来た。要はC&Wミュージックはアットホームで和気合い合いなのだ。
Grand ole opryのバックステージから名物。ロイ・エイカフのフィドロ(=バイオリン)を顎に乗せる妙技を撮影。向こう側は観客席。生涯の思い出になった。

 このバックステージに居る時に、司会者が満員の観客席に向かって「ニュージャージー州から来た人居るぅ?」と訊くと、ワーッと其の一団が総立ちで騒ぐ。また「オレゴン州から来た人は?」と訊くと其の一団がワーッと騒ぐ。で、UK(英国)は?フランスは?と訊いた後、「JAPAN?」と訊くので若林ヘッドと2名でバックステージから「ハーイ!」とやったらステージ上の皆が前に出ろ出ろ!といって2人ともステージのど真ん中に押し出されてしまった。司会者が日本の何処から?と訊くので若林ヘッドが「東京からこの素晴らしいグランド・オール・オプリーを日本人に紹介する為に来た!」と流暢な英語で話し、満場の大拍手を貰ったのだった。つまり立派に今回の出張は日米国際親善を達したわけだ。其の事を石津社長に報告したか否かは定かでない。返す返すも其の時VANのロゴを観客席に向かって掲げなかったのが失敗だった・・・・てそりゃ無理か?
帰国後メンズクラブ171号に執筆・レポートした記事にも載せたステージの様子。ブルーのスーツでフィドロを弾きながら唄っているのがロイ・エイカフ

 これらの模様はメンズクラブ#171号(1975年10月号)に掲載したとおりだがこのブログ上でも其の一部を画像紹介しよう。
雑誌メンズクラブのナッシュビル特集・扉ページ実際の行程と矢印は違っているがこの方が判り易かったのだろう。まるで雑誌に後で執筆するのを予測していたかのように看板等を撮影していた。

 このナッシュビルからネバダ州のフェニックス・スコッツディール、ラスベガスに飛んで更に色々な体験をした。まず砂漠の真ん中のスコッツディールではあまりの暑さに商店街の通路の上に庇のある場所から一歩も出られなかったことを想い出す。こういう場所でのテンガロンハットやソンブレロ等のツバの広い帽子の必要意味が非常に良く判った。
ピナクルピークという場所に有名なステーキ屋があり、其の天井に世界中から来たお客のネクタイが切り取られてぶら下がっている。お客は皆其の事を知っていてわざわざネクタイ着用でお店に来て切って貰うのを誇りにしている。名刺をつけて天井から下げるのだが果たして我々2名のネクタイがまだ在るか否かは判らない。
遠くにフェニックスの都会の灯を望みながらの夕焼け。サボテンがいかにも西部だった。

 次の晩はフェニックスの有名なローストビーフ(プライメア・リブとも称する)屋に連れて行ったもらったが、回転灯を回したパトカーが数台止まっていてお店は数分前に閉店になったらしい。何でも店で客の一人が銃で撃たれて病院に担ぎ込まれたらしい。其の直後だったのだ。まるでアメリカのTV番組そのままのような現場に遭遇してしまった訳だ。正直この時ばかりはちょっと驚いた。

 ラスベガスに移動した後はホテルのディナーショウを観る事になっていた。此処で知ったのが、いわゆるミュージシャンには踊って会話で笑わせて唄も上手いというお客を楽しませ飽きさせないエンターテイナーというタイプと、あくまでレコードの売り上げと少しのライブ演奏がメインというレコーディング・アーティストという2種類のタイプに分けられていて、アメリカでは前者のエンターテイナーが尊敬されているという事だった。芸能人としてもエンターテイオナーの方が地位が高かったらしい。前者の筆頭がサミー・デイビス・ジュニア、ジーン・ケリーなどで後者の筆頭がエルビス・プレスリーだろう。マイケル・ジャクソンがヒット曲以上に評価されているのもこの点がポイントかもしれない。
 この時のディナーショウは前座がオリビア・ニュートン・ジョン、メイン(トリ)がSmothers Brothers(=スモーザース・ブラザース(窒息兄弟)という全然知らないコメディアン音楽師だった。何でも「Colorfull Black」などという日本語でも判りそうな冗談・ギャグを持っているらしい。「色彩豊かな真っ黒?」って事なのだろう。確かレコードも出ていたような気がする。
カントリー・ソングで出てきたオリビア・ニュートン・ジョンだった。

 このラスベガスでは生まれて初めてルーレットをお金を掛けてやってみた。ラスベガスの空港へ行く直前、バス待ちの20分を使ってやったのだが、細かい数字には賭けず黒か赤か、上半分か下半分かという大雑把な賭け方だった。事前に見物していた時の確率を覚えていて賭けたのだが、何と15分間に200ドルも儲かってしまった。驚いたのはチップがプラスティックのカラフルなチップではなくアイゼンハワーの横顔が描かれたあの重たい1ドル銀貨だった。あんなものポケットに入れて歩いたら直ぐに穴があくだろう?

 だから全米の1ドル銀貨は殆どがラスベガスに集まっているらしい。換金してバス停で待ち合わせた若林ヘッドと集合した際この話をしたらムスッとしてしまった。スッたらしい。確か其の次のロサンゼルスの夕食代をご馳走したような覚えがあるが定かではない。
 LAでは星条旗がデザインされたアルミの大きなトランクを買い入れ荷物を1つにまとめたが空港でオーバーチャージを徴収された記憶がある。このLAで初めてタワーレコードというレコード屋さんに入った。
LAのタワーレコード。まだ日本には進出していなかった。

 サンセット大通りの丘の中腹にあってさほど大きなお店ではなかったが黄色に赤のロゴは印象深かった。近所にジョニー・リヴァースで超有名になったWhisky A GO GOが在ったのを覚えている。オーガニック、つまり菜食主義専門のお店があちこちに出来始めていて印象的だった。



「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #108.」 ヴァン ヂャケットの社内エピソード、入社3年目で海外出張.その4

 ナッシュビルは南北戦争終了の頃には中西部でも結構な大都会だったようで、其の名残が町の中心部ブロードウエイ(と言ってもホンの500mしかない)に残っている。今は其の殆どがカントリーミュージック関連のお店とナッシュビル土産のお店になっている。
 1975年当時は今よりはるかに開拓時代の面影が残る古い建物が多く、高いビル等ひとつも無くてナッシュビルに来る途中立ち寄ったミズーリ州のスプリングフィールドの中心部に良く似ていた。今は双方とも近代的な高層ビルが林立していて俯瞰で撮影するとそちらの新しい高層ビルの方が目立ってしまう感じだ。
ネオンが点くころのブロードウエイは知らないが町並みは変わらないようだ。Google画像

 このナッシュビルでの2日間、実は1日は此処まで同行してくれた成田さん、若林さんの弟さんとゴルフをやる事に成っていた。しかし初日中心部で見つけたレコード屋に筆者の心は釘付け状態に成ってしまっていた。で、後生だから1日このレコードショップでレコードを選ばせて欲しいと若林ヘッドに懇願した。朝、レコード屋の店頭に車から落としてもらい、夕方ゴルフが終了後ピックアップしてもらう事にした。若林ヘッドからは「何ていう奴だお前は!お前みたいな変わり者、見た事無い!」と言われてしまったが、心は堅かった。
40年前の記憶だと道路の反対側で平屋だったような気がするが、自分の過去の記憶が色々な部分で左右逆の事が多いので、この通りなのだろうと思う。反対側に移転したのかもしれない。

 何故って、日本のレコードコレクターの間では当時でも1万円以上もする超貴重盤が沢山在って、何と1枚99セントなのだ。当時の価値で米国1$は日本円で270円程度だったから、99セントといえば250円くらいって事?つまりは相場の40分の1で手に入ったという事。しかもニューヨークやロサンゼルスのレコード店では探しても、新品はまず絶対に見つからない代物達。ナッシュビルという田舎の大都会だったからこそ、同時にC&W音楽が主産業の一部だったからこそビニールを被った手付かずの新品在庫が残っていたのだ!此れを神様のお導きといわずに何と言おう?
コレクターズアイテムの中でも特に女性ボーカルグループは特別のファンが多い。

 正直、一日居座ったLawrence & Brothers Record Shopのオーナーや店員さんたちも筆者が選ぶレコードのアーティスト(C&W歌手ではなかった)を殆ど知らなかった様だ。 こちらが昼休みに一緒のランチのホットドッグをサービスされた際の会話で何故オールディズ・レコードを漁っているか説明したほどだった。遠い東洋からやってきたウエスタンスタイルの格好をした若者が、終日店内でレコードを漁っているというのは彼等からしてみても、さぞ不気味な存在だったろうと思う。 立場を代えて考えれば判って頂けよう。片言の日本語を喋る金髪の若者が着物を着て下駄履いて、日本のレコード屋さんで演歌のレコードを片っ端から感激しながら選んでいるのと同じ、だから彼等からすればもう完全にビョーキに見えたのではないかと思う。

 お昼のホットドッグは店のオーナーの驕りだった。あまり根つめて選ぶものだから気の毒に思ったのかもしれない。大きなマグカップに薄めのアメリカン・コーヒーと、どう考えても日本の倍の大きさはあろうという大きなホットドッグに、これまた大きめのサイコロ状のオニオンがボロボロこぼれんばかりに乗っかっていた。最初は食べきれまい?とタカをくくっていた彼らだったが、江戸へ戻れば筆者はアイスホッケーのフォワードだよ?アッと言う間に平らげ、更に勧められた半分もペロリと食べてしまった。


 パンも美味しかったが、実は中に入っていたでかいソーセージのなんと言う美味しさよ!此れじゃ日本が戦争に負ける訳だ・・・と思わざるを得なかった。半分冗談だが今回の米国ツアーで「日本が米国相手の戦争に負けた訳」が判ったように思える事が幾度も在った・・というより、米国という国をもっとよく知っていたら絶対に戦おうなどとは思わなかっただろうにと思った。それほど色々な文化や常識が違う国だったのだ、たかだか建国200年のアメリカ合衆国なのに。

 しかしアメリカのコーヒーはあまり美味しいとは思わなかった。最初にセントルイスでコーヒーを飲んだ時に思わず「何だ此れ?薄くて味がしない」といった途端、若林ヘッドの顔色が変わったのを見逃さなかった。自分の大好きなアメリカを馬鹿にされたと思ったのだろうか?でも人間の味覚は千差万別だ、好みというものは皆異なる。あのローマの空港で生まれて初めて飲んだエスプレッソの感激とは全然違う只のお湯のようなコーヒーに思えてしまったのだから仕方ないだろう?若林ヘッドは暫く口をきいてくれなかった。

 結局、Lawrence & Brothers Record Shopには1日半居座って、結局100枚以上のレコードを購入した。船便で我が家に送る段取りをしたら、後20枚おまけで好きなのを選んで良いから・・・と言う。もう大喜びで泣く泣く捨てた30枚の中から20枚を復活させ同梱した。計120枚のコレクターズ・アイテムのレコードは1ヵ月後に東京の三鷹の我が家に届いたのだった。

 あれから40年!綾小路きみまろじゃないが、ネット上、YouTubeにLawrence & Brothers Record Shopを見つけたときの驚きと感動は半端ではなかった。「&Brothersが消えてはいるが、 当時のままの店内、雰囲気。インターネットのおかげでお金では買えない悦びを得ることが出来た。 https://www.youtube.com/watch?v=k8Z0Q-ZmIhM

 この親切なお店に少しでも恩返しをしようと日本のレコード屋さんにこの貴重なお店を紹介した事があった。静岡が本社のレコードショップ・チェーン「すみや」が渋谷に出先の事務所を持っていた。当時ちょうど其処の1フロア上に在った歯医者に通っていたので、時々其の事務所に顔を出し、レコードバーゲンの手伝いを行っていた。
 横浜の岡田屋(現モアーズ)のお店などでバーゲンを行う前日に、品揃えや値札マークを付ける手伝いをする事で、珍しいレコード取り置きリーチをさせてもらっていたのだった。値付けに関してもあまりに安すぎたり高すぎたりするモノは変更のアドバイスをしていた。で、其処の社長にこのナッシュビルの宝の山を紹介したら、なんと暫くして現地に出張し、お店の裏の倉庫の在庫を殆ど買ってしまったらしい。2000年以降会社の事業体が変わり一時はナスダックに上場していたけれどいつの間にか廃業したようだ。この「すみや」とのお話はまたいずれ詳しくしよう。

 半年して御礼なのだろう、Lawrence & Brothers Record Shopからレコードが沢山届いたが全てC&Wのレコードだったので全て感謝をこめて若林ヘッドに進呈してしまった。あの時無理やりゴルフに付き合わされていたら、正直人生少し変わってしまっていたと思う。
コレクターズ・アイテムの中でも結構高値になっているフィル・スペクター系、500ドル以上。

同じ頃の女子ボーカルグループ系、此れもマイナーレーベルで貴重盤

真ん中のシフォンズ、「He's So Fine」は後にBeatlesのGeorge Harrisonが「My Sweet road」で殆ど同じメロディを使用した為裁判になった原曲。このブログを書くので調べたら右端のシフォンズ現在何と1枚400ドルもしていて驚いた。以上全て現存コレクション。

 このナッシュビルで購入したレコードの中で一番の成果はフィル・スペクター・レーベルのThe Ronnetes, The Crystals, その他女性ボーカルグループDixy Cups,The Chiffons,その他The Four Seasons, Peter&Gordon,Lesly Gore など日本ではオリジナルはなかなか手に入らないものばかりだった