2013年12月31日火曜日

この冬の球磨川流域の野鳥たち7種。 Seven kind of wild birds at Kumagawa river area in this winter.

 いつもヤマセミの画像が中心のこのブログだが、球磨川流域には勿論数多くの種類の野鳥が生息している。当然ヤマセミ撮影時はヤマセミしか撮影しないのではなくその都度球磨川土手を中心に人吉近郊、川辺川流域を含めて一日に20km以上は走り回っている。徒歩でも15,000歩程度はカメラを持って歩いている。

 したがって、川の土手附近で遭遇する野鳥中心になってしまうのはご容赦願いたい。山奥でしか見られないヤマドリ、ヤマシギなどはまず出遭った事もないし今後も期待薄だと思う。しかし基本的に野鳥が生きていく上で水の存在は不可欠だ。その意味からすれば人吉中心の本流・支流を含めて球磨川流域では数多くの野鳥に遭遇できると思っている。江津湖も良く行く場所だが、それぞれ独特の特徴が有って種類ゾーンも違い、それなりに双方とも面白い場所だ。

 来年はこれに球磨川河口、鏡川河口部などもレギュラー化して幅広い熊本県内の探鳥を続けていきたいと思っている。

朝霧の中でアオジは結構動き回ってくれた。
 
こちらも樹木の上で2~3羽が集っていたビンズイ。土手自体には冬期にはタヒバリも多い、10m間隔で50羽はいると思う。
 
エナガも団子状態で朝霧の中を移動していく。
 
朝霧が少し晴れるとアトリのグループが見え始める。
 
本流から少し離れた細い水路沿いや矢黒神社のエリアにはヤマガラが出没している。
 
球磨川支流の万江川土手はホオジロ、アオジ、ウグイス、キジが必ず相当数居る。
 
 
川辺川流域には最近このソウシチョウが出没し始めている。このほかミヤマホオジロ、ルリビタキ、ジョウビタキが川辺川流域には多いようだ。

 今年は皆さまのお蔭で5月15日以来、ほぼ毎日ブログを更新しながら運営できた。これも皆様に毎日観て頂いているという責任感・緊張感が大きなエネルギーになっている、まことに感謝に堪えない。来年もぜひよろしくお願いする次第。<m(__)m>

 もっとこうして欲しい、どこどこの日のこの野鳥の名前は違うぞ!などのご要望、ご指導は是非YAMASEMI WEBのお問い合わせフォームからお願いしたい。 http://yamasemi.org/contact_us.html 

 年末年始は少し時間が有るので更新頻度を通常時より上げられると思う。乞うご期待!WEB本体の方もヤマセミの生態動画が追々アップされよう。こちらもよろしく。http://yamasemi.org/index.html
 

2013年12月30日月曜日

意外な野鳥を内陸の奈良・長谷寺で撮影。 I photograph a surprising wild bird in inland Nara, Hase-dera Temple.

 明日は大晦日、年に一度しか来ない最後の日だ。年末の大掃除も終わって、年賀状も書き投函し終わってパソコンの野鳥画像ストックを整理中、今年の旅行画像の中から野鳥の画像を発見。内陸の奈良長谷寺でイソヒヨドリを撮影していたのでご紹介したい。基本的にこの野鳥はヒヨドリの類ではなくツグミの類で本来は高山の野鳥だそうだ。

 日本では海岸や河川の河口エリアで良く観られると有る。球磨川を遡上して人吉に最初に向かった時坂本で見かけた。それ以外は長崎の街中、諫早駅、熊本も川尻に近い場所、鹿児島では文字通り島津家の磯庭園(=仙厳園)や加世田(現南さつま市)で良く観たが、内陸の奈良県其れもさらに内陸の長谷寺附近でつがいで観られるとは驚いた。

 しかも街中の細い川沿いで二羽で居たのだ。街中での生活に余程慣れていると見えてなかなか逃げない個体だった。しかも昆虫(カマドウマ)を捕えていた。

 Usually Blue rock thrush is living by the sea or river mouth. But this time I photographed them at inland Nara, Hase-dera Temple where distanced over 50km from seaside.

まず最初に撮影したのはメスの方だった。
 
獲ったばかりと思われるカマドウマを咥えて
 
咥えたり放したりしていた。
 
そのすぐ傍に飛んできたのがオスのイソヒヨドリ。
 
盛んにこちらを気にはしていたが、飛び去ろうとはしなかった。海岸地域ではよく見かけるが、この時ほど傍では撮影出来なかった。
 

武蔵野の野川でマヒワの採餌を撮影。 I photographed the siskin eating the seed of the tree at Nogawa of Musashino Tokyo.

 平日はレギュラーのヤマセミを中心とした野鳥の生態画像をどんどん更新して行きたい。現在ヤマセミは今年10回目の人吉撮影行で収録した求愛給餌の動画を中心に突貫作業で公開準備中。今日は東京の武蔵野を流れる野川の流域で秋楡の実を採餌するマヒワの画像をアップする。

 このマヒワは熊本市の上江津湖の周回道路の公衆便所付近の秋楡にもよく集団で採餌に来ているのを目撃している。いずれも1月に入ってからだった。青い鳥はオオルリ、ルリビタキ、ブッポウソウ、カワセミ、イソヒヨドリのオス、赤い鳥はアカハラ、ベニマシコ、ヤマガラ(茶系だが)、ジョウビタキのメス、コマドリ、などがいるが黄色とはっきり言える野鳥はキビタキ、ムギマキ、そうしてこのマヒワ程度が身近な野鳥だから眼に付きやすい。

 今回の撮影時はカワラヒワと混合の群れでマヒワは10羽程度だったが存在感はいつでもいるカワラヒワを凌いで下を通る散歩中の人々の目を引いていた。

マヒワの好む木の実はハンノキの実と共にこの秋楡が多いようだ。

採餌は普通に採餌する以外に、
 
真っ逆さまで採餌する事が結構ある。
 
季節によって木の実が早くなくなる時とそうでない時でマヒワの出現時期が決まってくる。
 
採餌の最中はまず夢中で撮影者を気にすることは殆ど無い。こちらを見ても逃げない。
 
 
 
 
 

 
 
 

2013年12月29日日曜日

団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #2. 八代へ転校してカルチャーショック My private history Vol-2. The relationships of Me and Kumamoto Pref.


 太田郷小学校へ最初に行ったのは忘れもしない1960年10月9日(日)だった。ちょうどその日は太田郷小学校の運動会の日。たしか今と異なってセミの鳴き声は聞こえなかったと思うが転校の日が運動会というのはいささか残念な気もした。しかし、その運動会で一番驚いたのは校庭にいる全員が裸足という事実だった!

もっと驚いたのは、通学するようになった翌々火曜日(月曜日は振替休日)の初登校日。なんと校庭では皆裸足なのに教室に上がる時は上履きのズックを履くのだ。それまで屋内では裸足でも外では靴を履くものという常識で生きてきた小学生にはこのカルチャーショックは相当なモノだった。この習慣は中学校に入っても同等だった。いつ頃この習慣が廃止されたかは判らないが八代に移っての最初のショックがこれだったのは今でも明快に覚えている。
1961年10月9日の太田郷小学校の運動会

ブラスバンドの指揮者も団員も裸足!

縦笛リコーダー?の奏者たちも裸足、曲はクワイ河マーチだったと思う。
 

十条製紙(=今の日本製紙)の社宅は福正町の中社宅・東社宅と水無川(日置川ともヘキ川とも呼んだ)を隔てた日置社宅に別れていた。

我が父が十条製紙工場の蒸留塔の上から360℃全方向の画像を残してくれていたのは今回のブログ執筆に非常に役に立った。息子にとっては土地や山林田畑よりはるかに意味のある遺産だ。同時に十条製紙にとっても貴重な画像だろう。2005年に当時の八代工場の工場長にこれらの画像を数枚プリントアウトして進呈した。

 今は工場拡張で取り壊された当時の社宅や工場長社宅などが写っているし、工場越しの八代市内の景色も一部写っている。大洋デパートが唯一の高いビルだったようだ。写真記録というものは貴重なモノだ。早くからそれに気づかれて八代の文化風俗・日常を撮影された写真家の麦島勝さんには本当に頭が下がる。
古麓神社から観た十条製紙と八代市方面。球磨川土手は桜の並木だった。

2003年に撮影した同じ場所。ただし5枚の写真を合成している。50年経って大きな樹木が視界を遮ってしまい実際にはこういう景色は今は見る事が出来ない。遠くに雲仙普賢岳が見える。 

 当時の社宅には風呂が付いていなかった。ユニットバスなどはまだ発明されておらず、各家とも共同風呂に通ったものだ。
福正町の中社宅・東社宅。中社宅は工場になってしまい今は無い。

日置社宅と竜峰山、この写真に写っている田畑には現在ほとんど家が建っている。
この日置社宅は2年前訪れた時にはまだ在った。

蒸留塔から球磨川遥拝瀬の方向を撮影したモノ。当時の球磨川河原は非常に広くポプラが沢山有った。野球場も有り春先には土筆が山ほど採れた。

 夏は夕方6時だとまだ明るい中、洗面器に石鹸その他とタオルを入れて社宅を抜けてはずれに在る共同風呂に行ったし、冬は同じ時間でも街灯の無い真っ暗な社宅の中を通った。しかし、いつの時も大きな音で稼働する工場の音を聴きながらのお風呂通いだった。この工場稼働音は直ぐに慣れて、そのなかで八代駅操車場の入れ替え作業の蒸気機関車の行き来する音が聴こえてきた。特に空気が澄んで音が通る真冬の夜は、この操車場の蒸気機関車の入れ替えの音が良く聞こえた。勿論、夜鳴きソバのチャルメラの音も聞こえたが食べさせてもらった記憶はない、いまだに残念至極。

これが、1965年から始まるSLブームの5年前蒸気機関車や鉄道に興味を持ったきっかけに成った。鉄道友の会に入り、蒸気機関車やディーゼルカーの列車写真を撮り、切符を集め、駅弁の折掛けを集め、鉄道模型HOゲージの模型を手作りで作成した。夢はジオラマ(=レイアウトと呼んでいた)制作。鉄道模型趣味という雑誌を毎月隅から隅まで読みまくり、台車や部品を熊本の繁華街の専門店まで一人で買いに行ったのも一度や2度の事ではなかった。

最近団塊の世代が現役からリタイヤして、鉄道模型に凝るというのがよく雑誌やテレビ番組に取り上げられているが、非常に良く判る。しかし今は出来合いのものが多いしサイズも当時の線路幅16mmのHOゲージの更に半分の8mmゲージになっているので遥かに簡単になっているだろう。ちなみに鉄道模型のベースは0ゲージと呼ばれ模型の線路幅は32mmが最初、HOゲージは多分その半分16mmなのでHalf of ZeroでHOゲージなのだと思う。夏休みに東京に出た時は真っ先に銀座の天賞堂、カツミ模型などに飛んで行ったのは言うまでもない、鉄道模型趣味の雑誌に出ている広告のお店にはほとんど行った。
  

ヤマセミや野鳥とはまだ全然関係のない時代の話だ。今日はここまで。


2013年12月28日土曜日

団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #1. 熊本と自分の縁 My private history Vol-1. The relationships of Me and Kumamoto Pref.


 このヤマセミ中心の野鳥ブログの筆者つまり私だが、熊本・肥後の国には浅からぬ縁があったことが、ここ2~3年の間に判ってきた。十条製紙勤務でエンジニアだった我が父が、八代工場拡張の為新しいプラントを整備するために小倉工場(=今の北九州市)から転勤になったのが1960年の秋。おのずから息子の私も一緒にくっついて小倉から八代に転校してきた。だから私が卒業した小学校は八代市立太田郷小学校だ。
当時の十条製紙(現・日本製紙)のシンボル的存在、蒸留塔は戦艦の司令塔の様に見えた。当然、蒸気機関車全盛の頃。
1990年頃まで使用していた太田郷小学校の木造校舎。

自分にとって転校4校目の太田郷小学校の卒業証書。


 父親系の熊本との縁はこのような仕事の上での関係でしかないが、母親系の縁はそう簡単なものではなかった。我が母親は旧姓を吉植といって、祖父には北海道新聞の原型「北海新報」を始祖し、北竜町開拓・印旛沼開拓を行った衆議院代議士の吉植庄一郎がいる。   
 叔父には歌人で同じく衆議院議員の吉植庄亮がいる。我が母の実父(私の祖父)は東京人なのに何故か熊本の五高に入り、我が父と同じく京都大学を出て官費留学生でドイツへ留学後、陸軍軍医(終戦時陸軍軍医少将)になった吉植精一。ほとんど国内勤務だったが南方の歩兵の背囊(=自分の賄い物資)の重量を軽くするためと、栄養補給の為に食料の内、野菜と果物を乾燥させ保存食料として全軍に配給したというユニークな事を行ったと聞く。
2011年熊本大学で研究中の八代二中同期生中川君を訪ねた折、五高記念館へ。

話が飛んで我が父の事に少し触れると、当然時代は異なるが我が母の実父と同じ京都大学の理学部を出て海軍に入り、江田島の海軍兵学校で教官をやったというから、NHKで一昨年まで放映した「坂の上の雲」の秋山真之中将の後輩に当たる訳だ。しかし生前、我が父は一言もその当時のことを息子である私に詳しく話さなかった。むしろ、水中照明弾というものを発明し、敵潜水艦の下側で破裂させ、上空の友軍飛行機から敵潜水艦がくっきりとシルエットで水中に見えるような事をしたらしい。基本的に地位だとか名誉だとか勲章だとか他人の評価ではなく、自分が実際にやったことの自慢しかしない父親だった。


 話を熊本と私の縁に戻そう。我が母の長姉は女子学院卒業後菊池家に嫁いだが、その菊池家こそ熊本の菊池一族の直系に近い末裔だという事をつい4年前に長姉(=私の伯母)本人から知らされた。だから人吉に来たときに二度ほど菊池神社に詣でておいたが、まだご利益は無いようだ。もちろん今後に期待はしている。
2009年菊池渓谷にてヤマセミ探鳥時(出遭えなかったが)、菊池神社にお参り。

 こういった当時の人間にしては波乱万丈で前向きなDNAを受け継いで出来上がった割には何故か出来損ないの私だが、自我に目覚め自分の理念と考えを持てたのはつい最近(~と言っても10年前だが)、55歳を超えたあたりの様な気がする。


 太田郷小学校を卒業した後、私は隣の八代第二中学校に進み、1年11組に成ったのだが、団塊世代の我々新入生は人数が多く1学年650名以上も居て二中始まって以来の11クラスが編成された。この我が11組は教室が足らず、1学期は家庭科実習室で深いステンレスのシンク越しに黒板を見て授業を受けた。2学期に成ると家庭科実習室を追い出され、理科実験室の分厚い机のグループ座りの教室に移った。やっと自分たちの普通の教室に成ったのは1年生の3学期の事だった。で、その教室の真下を鹿児島本線が走っていた事が、後の自分の運命を大きく変えようとは思いもしなかった。
左の木造校舎が太田郷小学校、右の白いモルタル校舎が八代二中。1960年

 とりあえず、最初は熊本と私を結ぶ「ご縁」がどんな所に在るかの解説で終わりたい。

2013年12月27日金曜日

ヤマセミ♂がホバリングからダイブして戻るまでの一連画像。 The continuous photos of Cested kingfisher performing a dive from hovering, and coming back.

 今日の画像はヤマセミのオスがホバリングの後真下にダイブしたが採餌に失敗して岩に戻ってくる場面の連続画像。川辺川で今年の晩秋以降の画像。ほんの数時間しか射さない横からの強烈な陽射しに画像がオーバー目だがディテールまで描写できた。直線距離で言うと30mも離れて居ないが、逆に動きをファインダーで追いかけるには近すぎてダイブの途中画像はまだチェックできていない。

 この個体はこちらの事を既に認知している数羽のうちの一羽なので、レンズを向けているのが判っていてもこちらに向かって飛んできて岩に留まる。この日の撮影ではこれ以外に3度のパフォーマンスを見せてくれた。つがいの相方のメスは更に慣れているのだろうか、驚くほどのパフォーマンスを見せてくれた。続々とこのブログでその様子を公開予定、乞うご期待。私がヤマセミにハマる理由はこれらの画像を観て頂ければ理解して頂けよう。

閉じて
 
開いて
 
一気に視ていた方向と違う角度へ体をよじって急降下
 
残念口には餌物は無し!平均採餌成功率50%
 
波紋を残してこちらへ向かって飛翔
 
7年連続日本一の綺麗な川辺川ならではの透明感のある水流。
 
最後の決めポーズはやはりランディングの主翼全開シーンでしょう?
 
土日は皆様アウトドアへ探鳥に行かれる模様で、ブログへのアクセス数も減少気味なので、これからしばらく昭和23年生まれ団塊世代の筆者がどのような生い立ちで、熊本で育った頃の経験や冒険を書いてみようと思う。当時の八代や熊本の画像もこのブログにアップしてみたい。
 
 
 
 
 
 

採餌後お気に入りの岩まで餌を咥えて飛ぶヤマセミ♀ The female crested kingfisher which flies with bait in its mouth to the favorite rock after catch the fish.

 川辺川中流域のヤマセミつがいは、2年前の春から観察を続けているので、こちらの事を認識してくれているようだ。それは数々の行動やカメラ目線で色々パフォーマンスを見せてくれる事などからも推察できる。彼らが一番警戒心を解いている相手は刺し網漁をされる川魚漁師の方々、6月のアユ解禁直後に川に入るアングラー達。

 これは、観察を続けての判断だが、3日間同じ時間に同じ色柄の服装で同じ場所に現れ、ヤマセミの方に目線をくれずに一定の作業をして見せれば、4日目にはこちらの存在を「危険ではない生き物」として警戒心を半分以下にしてくれる。半分以下~というのがポイントで、最低限の警戒心は持っているのは間違いない。これらを理解頂くために、今後幾つかの実例画像をアップしていく予定だ。

 今日の画像は、ヤマセミが一番天敵から襲われやすい、採餌直後の餌を横に咥えたまま長距離を飛翔する状態の連写だ。撮影場所と被写体の間を遮るものが無いため一部始終を撮影できているが、たとえば菊池渓谷の谷底でヤマセミに出遭えたとしても木々が邪魔してこう云う感じの連写は難しいと思う。以前菊池峡谷の遊歩道でヤマセミに出遭ったことが有ったが、あっという間に見送るのが精一杯だった。

 
 先月だったか、カラスに追われて水中にダイブして反転し、逆方向に逃げ去るヤマセミの様子を3方向からご紹介できたが、今日の画像の様に餌を咥えたままダイブは非常に難しい。水中抵抗も激しいだろうし、思わず「アッとかウッとか声を出してしまったらせっかくの餌を落としてしまうだろう。

警戒していたらこちらを見た途端反転して逆方向へ行ってしまう。
 
川辺川の深い部分は流れがゆるやか、其処に己の姿を写しながらターンに入る。
 
底が見えて浅そうだが、決してそうではなく2m以上の水深は間違いなく有る。
 
主翼が水中に入っても全然抵抗にはならず、波紋を残しながら飛んで行く。
 
この後、お気に入りの岩までランディング姿勢で移っていく。少しカーブしながら飛んでくれたのでピントもほぼ同じレベルで来ていて助かった。

2013年12月26日木曜日

ウグイスが囀り、ツバメが越冬する人吉という場所の冬の不思議。 HItoyosi city is the mysterious place about wild birds.

 一昨日の「12月にヤマセミの求愛給餌、ひょっとすると近々真冬の交尾か?」でも述べたが、人吉市という温泉が出る盆地都市エリアでは、氷点下と朝霧の厳冬期に他の地域ではなかなかお目に掛かれない野鳥たちの不思議な光景が繰り広げられている。これはもちろん自分で確認した事でもあるが、人吉在住の方々の小まめな観察情報を頂いての確認作業なので割に簡単にさせて頂いている。ウグイスの囀りなど最初は「気のせいだろう?空耳アワーだろきっと?」などと思ったものだが、人吉橋傍の堤防の傍にお住いの古江さんの録音を聴いて「やっぱり本当だったんだ!」と確認した次第。

 あるいは、定宿「鍋屋本館」の窓を開けて目の前を飛び交うイワツバメを見て「えっ?これって普通なの?真冬にツバメ?」と、何度思った事か。市内の食事処のご主人もそのツバメが夜は何処に固まっているかも詳しくご存じだった。そうしてそういうツバメを脅かさない様にいつも子供たちに言い聞かせるという。人吉の古江さん(日本野鳥の会熊本県支部)の話によるとこれらのイワツバメやツバメの中にヒメアマツバメが混じることが有るという。近年も12月や1月の観察記録がある。(古江氏自費出版の『球磨路の鳥たち』本文217Pによる)

 高速で飛ぶヤマセミの飛翔画像を撮影するために、何度もツバメの飛び交う球磨川でそのツバメたちを練習台にしていたのだが、気が付いてみれば「なんで真冬の今も居るの?」と気が付くようになった。今日はそういった人吉の不思議な野鳥たちの画像をアップしてみた。説明がなければ何でこんなが画像がアップされているんだ?とうとうネタ切れか?と思われるだろうがそうではない。可愛い野鳥が右を向いたり左に顔を振ったりするだけのバリエーション画像を何カットも掲載するのは気が引けるし、自分のブログに対する責任感と理念がこういった内容にしているのだろう。

 It is the mysterious place where a bush warbler sings in Hitoyoshi in the depth of winters, and swallows flyng in winters. Usually swallows are coming in spring to Japan from southern overseas area and goes back to south in autumn.

春先3月に人吉城址バックに飛び交うイワツバメ
 
 
この12月16日に球磨川上空を飛び交うイワツバメの群れ
 
低い真冬の陽の光に出て来たウグイス。目の前では囀らなかった。
 
アオサギが何故か球磨川の中州に大集合。毎日飛来するカワウとの縄張り防御方法でも相談しているのだろうか?まるで江戸時代・上州は利根川河原の任侠軍団出入りの前の様だ。今までこのようなアオサギだけの集会は見た事が無かった。