2020年7月31日金曜日

梅雨明け前の野川自然観察園で「いきものたち」観察。  Observe the "living creatures" at the Nogawa Nature Observation Park before the rainy season.

 空振りで安心した今朝の緊急地震情報!思わず腰が浮いたが、揺れが来ないので瞬時に「ミス」だと判断した。だからこそTV画面の「緊急地震速報」などチャンネルを換えて画面を撮影出来たのだ。

いきなりキンコンというあの音と共にNHKの画面に出た「緊急地震速報」次が民放テレ朝。

 しばらくして気象庁の「釈明記者会見」が始まったが、いつもの豪雨や雷雨の注意情報の際は上の方の人というかオジサン的な人が出て来て、小学生でも言えるような初歩的な事を偉そうに喋るのだが、気象庁のミスを詫びる今日の記者会見には新卒のような若手が大きなマスクをして喋っていた。気象庁も可哀そうな事しやがると思った‥のは筆者だけではないのでは?こういう時こそ気象庁のトップが出て来て詫びるのが世の常識なのでは?

 地上の空気すら読めなきゃ、大気の天気予報などとても出来ないのではとおもうが?

 夕方に成って、関東地方の梅雨明けが今度の日曜日に成りそうだとの事。4日頃と言っていたのが少し早まったようだ。九州北部から中国・四国地方が梅雨明けしたとの報道に引き続き関東も週末に明けそうだとの事で少し安心した。しかし明けた途端30度以上が続くので、体がもたないかもしれない。団塊世代は要注意だ。

 今日は曇天の中、1万5千歩歩きながら野川の自然観察園へ久しぶりに入ってみた。夕方4時頃の園内はヒグラシの大合唱で、100匹以上いるのではないかと思うほど。映画館のサラウンドシステムのように360度から音が暴力的に突っ込んでくる感じだった。

 コロナの影響で、オープンエアーの野川自然観察園などは散歩をする高齢者が結構多かったようにも思う。

モンキアゲハ 元々は南洋産のアゲハだが温暖化で関東でも見かけるように成った。

モンキアゲハ

ルリタテハ。縄張り意識が強いので同じところに必ず戻ってきて留まる。

オオシオカラトンボ。

何故か今年は個体数が多い様だ。

ジャコウアゲハ。

小さいながら尻尾が長いアゲハ。

ヒグラシ。

これもヒグラシ。

珍しく苔むした樹に留まっていたニイニイゼミ。

2020年7月29日水曜日

あの最上川でも球磨川同様の氾濫が起きた! A flood similar to the Kuma River occurred in that famous the Mogami River !

 梅雨末期の豪雨帯が東方地方に北上し、先日の球磨川同様日本三大急流である最上川でもに多様な洪水が起きた。

それも、海に近い河口部ではなく球磨川同様、中流域の尾花沢市隣の大石田町・大蔵村付近という場所で溢れた点で非常によく似ている。
 
西の日本海へ中流の盆地部から峡谷部を通って流れ込む最上川。

同じく西の八代海へ中流の人吉盆地から峡谷部を通って流れ込む球磨川。

 この氾濫した大石田町などはちょうど球磨川における人吉市のような中流域の盆地に当たる。そうしてその後峡谷部を流れる最上川はある意味非常に球磨川に似ていると言って良いのではないだろうか?
残念ながら芭蕉は球磨川では詠んでくれなかったが峡谷部の流れの速さは同様だ。

 なおかつ日本三大急流のうちの二本で、大規模な河川氾濫が同じ月に起きたのはなかなか無い事。地球環境の変化が急流部を持つ大型河川に起きた点で記憶に残る事だろう。

 いずれも豪雨が線状降雨帯の集中に近い状態で起きており、上流部にダムがあったなら・・・などという昔気質の河川治水方法では防げない新しい水害の様相を表しているように思う。
 球磨川と最上川はともに日本三大急流で一見似たように思われるが、例えばその支流の数を見ると、最上川428本、ダムの数40以上(現在2基建設中)に対し、球磨川の支流130本、ダムの数4(市房ダム・瀬戸石ダム・油谷ダム・内谷ダム)で規模が違うことが判ろう。流域の人口を考えてもその差は歴然。

 これで観る限り、立地条件や環境が異なるので一概には言えないが、ダムの一つや二つ作っても今の洪水は防げないものという良い実例なのではないだろうか?流域に400本以上の支流を持つ最上川に40以上の発電・治水ダムがありながら今回の洪水だもの、球磨川の治水にダムがあったれば‥などと簡単に論ずる者達(メディア・政治家など)の気が知れない。何も実情・実態・自然を知らないのだろう。

 此処で、このブログを投稿するのに、球磨川と最上川の基本データを調べまくった所、あまりに球磨川のデータが少ない事に驚かされた。過去の水害の記録やラフティングの案内、釣り(アユなど)の案内は在るのだが、河川そのものの物理的あるいは自然環境数値データ、支流の数、ダムの数、掛かっている橋の数、流域の人口、これらを一堂に記したサイトがなかなか見当たらない。
 Wikipedeia(=ウィキペディア)にすら、長さなど基本データはあるモノの水源の標高や支流・橋の数ダムの数など重要なデータが無いのだ。

 日本の代表的な河川の一つとしてこれほどデータ開示の少ない河川は無いのではないだろうか?日本三大急流などという有名な河川の割には情けなさすぎる事だ。しかも他の都道府県にまたがって流れている訳でもないのに・・・。
 あれだけ川辺川(球磨川支流)ダムの論争が長い事続いてきた一級河川なのにその基本データが無い事の恥ずかしさと言ったら呆れかえる心地だ。一体何故だろう?

 多分、球磨川の恩恵を受けているのに、各自治体は「多分どこかがやっているだろう、重複するのであれば意味ないから、うちでは出さないで良いだろう・・。」という感じで出さないのだろうか?その辺りきちんと出してくれている最上川との「差」が感じられて情けない。
http://www.thr.mlit.go.jp/yamagata/river/enc/index.html 

国土交通省 東北地方整備局 山形河川国道事務所のサイト「最上川電子大事典」より

 このサイトに在った、日本三大急流がいかに傾斜がきつく川の流れが強いかを示す良いグラフがあったのでご紹介。縦軸が川の原点から海までの高低差、左右軸が川の総延長=長さを示す。日本の河川がいかに急流か良く判る。

 今朝の情報を視ていたら、最上川流域では1967年(=昭和42年)羽越豪雨で大きな被害を出してきたので流域の多くの家屋がかさ上げして住居を2階~3階へ移したところが多いという。今のところ今回の洪水での被害者(死者)は出ていない。
 もちろん球磨川の洪水とは基本的に規模も条件も違うのだが、100年の歴史を思う時に幾度も水害に在っている両河川の流域住民の予防・工夫が気に成る所だ。

 今後も有り得るだろう球磨川の洪水、少なくとも右岸側の人吉中心部は生活空間を皆かさ上げするなどの改善努力が必要なのではないだろうか?

 球磨川の堤防を高くしても、バックウオーター現象で支流部が氾濫するパターンが増えると思われるので、別の視点の防衛努力が急務ではないだろうか?

大雨、洪水、泥流でも生き延びるヤマセミ。 The Crested kingfishers survive heavy rains, floods, and mud flows.

 鹿児島県が梅雨明けしたという。人吉球磨、球磨川流域も数日内に明けるだろう。首都圏は来週以降に成るだろうと言われている。
 別に今年は早く明けても何処へ行ける訳ではないので全然かまわないが、泥流続きの球磨川でいつものヤマセミがどうしているか気に成っている。

 過去の撮影データで見てみると、2012年の九州北部豪雨時の洪水・泥流時でも球磨川・川辺川流域ではヤマセミはそういつもと変わらず平気で生きていた。今回の集中豪雨での災害時、人間は大変な事に成っているが、自然界の生き物は誰に教わった訳でもなく、旨い事生き延びているはずだ。

 茶色いカフェオレのような色をした河川でどうやって採餌するのか?大きな疑問が湧くと思うが、人間の世界と違って地震や洪水でいつもの食堂が閉店だの休業だの言う事が無い。獲物の魚がいる場所をちゃんと知っているヤマセミは食うに困ることはない。台風や洪水でヤマセミやサギ類が食糧不足で大量に餓死したなどというニュースは聞いた事が無い。

 むしろ、平時より採餌は簡単なのではないだろうかと思われるほどだ。理由は泥流・洪水時に獲物の魚が何処にいるか考えてみれば、非常に納得できることだ。

 下図は平常時と増水時に球磨川のどこに魚が潜んでいるか大まかに表した断面図だ。この増水時に堤防にへばりつくアユなどの魚を濁り掬いと言って特殊な漁があるが非常に危険なので漁業関係者くらいしか行わない。
 護岸堤防に囲まれた球磨川の水位が上のように平常時だとせいぜい水深は人吉市内であれば50㎝~深くても2m程度、それが梅雨時増水時には4~8mを越える。増水時は水の勢いが強いので堤防のヘリなど水流の勢いが弱まっている場所に魚がへばりつく。樋門などの淀みには魚が集中する。

 こうした増水時、泥流ではヤマセミが球磨川や川辺川から消えると思うだろうが、ちゃんと居る。その証拠画像がこれからご紹介する数カット。これは2012年の7月、九州北部豪雨時に球磨川水系も相当な増水で10日間ほど濁りが消えず、上流から流木その他が大量に流れて来た時のもの。





この巨木もこの増水で上流から流れて来たもの。3日間降り続いて4日目朝に撮影した。

2020年7月28日火曜日

神田神保町で人気の老舗寿司「六法」がコロナ禍で店をたたむかも知れない。The long-established sushi "Roppoh" in Kanda Jimbocho may close the store by Coronavirus damage.

 このところ、梅雨の豪雨で熊本県の球磨川流域が大災害、それも熊本地震を凌ぐ大災害となり、深く関係のある筆者のこのブログも残念ながらそれに関する内容ばかりが続いてしまった。

 ところがここへ来て、もう半年も慣れっこになって「仕方がない避けられない環境」と思い込み始めている「新型コロナウイルス禍」の影響が自分の生活環境に深く影響を与え始めている事実を昨日知った。

 神田神保町の一本裏路地に1971年(=昭和46)創業の人気老舗寿司屋「六法」が在る。カウンター13席しかない極めて小さなお寿司屋さんだ。かって新型コロナウイルスがはびこる前、今年の1月頃までは店の入り口には価格表もなければ営業時間表示などもなかった。お昼は十二時きっかりにしか暖簾を出さないし、握りはお箸を出さず、白木の一枚板のカウンターに並べられた握りを手でつまんで食べるという極めて江戸寿司の伝統を守り続けているお店だ。
レトロ喫茶「さぼうる」の左隣だ。六法寿司を食べて隣で珈琲が神田のお決まり。

 筆者がこの店の存在を知ったのは1984年2月の事。銀座の広告代理店から神田錦町の大手広告代理店へ転職して2か月が経つかどうかという頃、ある会議でお昼に店屋物のちらし寿司が届いた。出席者に対し多めに注文したのだろう、4個余った。

 で、余ったものを若手で食べて欲しいという話になり、寿司に目の無い筆者が余計に2個頂いた。つまり計3個のちらし寿司を平らげた訳だ。当時ウインドサーフィンにはまって週末は海でカッ飛んでいた35歳、それくらいは普通だった。

 当時の食欲はビョーキに近く、神田満留賀の釜飯は2個、銀座ひょうたん屋の鰻重は超大盛が当たり前という大食漢だった。エンゲル係数は極限まで達していた頃だ。今でも1.5人前を食べる。71歳の爺には多すぎると思うが美味しいものは死んでも食べたい。
一番好きな席がカウンターの中を見渡せる此処。包丁さばきなどを随分学んだ。今日は時間の関係で光物が無いが、大将は必ず好みの小肌中心に黙って光物や貝を入れてくれる。三十六年通っている特権だろうか?

 で、その3杯のちらし寿司(バラチラシ)の美味しさの衝撃が、今まで36年間筆者がこの「六法寿司」のファンであり続ける理由だ。理由は当たり前のことながら毎朝築地から直仕入れのネタの素晴らしさ、赤酢を使ったしゃりの美味しさに尽きる。

 大好物の小肌は有明海、赤貝は何処、塩いくらはカナダのそこそこに居る日本人の誰誰さんの仕込み品、サバは館山の根付き黄金サバ・・など、いちいち説明をくれる。15年ほど前から、食べ終わり頃三種類ほど築地で仕入れてきた漬物を出してくれる。女性陣に贔屓が多い理由だろうか?大将に言わせると女性陣の方が圧倒的に「味覚」が発達しているから、女性を大好きなこの私も、それが客となると気を抜けないという。

 ’80年代、行き始めの頃はカウンターに三人並んでご兄弟で握っていたが、一人は何と画家になってそちらを極めるようになったという。今はご兄弟二人でカウンターに立っているがだいぶ腰が曲がってきた。来年、今の代が五十周年を迎えるというのだから当たり前だろう。それぞれご兄弟には二代目が立派に育って居て、毎日後ろで仕込みやサポートをやっているが、彼らが当の昔に一人前に成っている事はなじみの客全員がよーく知っている。
13席のカウンターのみの寿司屋で4名がフル稼働という本来は大人気店なのだ。

 今回のコロナ禍で6月一杯まで「何とか宣言」を守って長い事昼の持ち帰り営業のみで、店を閉めていたが、6月28日から店営業を再開した。この間二度ほど持ち帰りを利用したが飲食店におけるコロナの影響をまざまざと見た気がした。メディアも酒中心の飲み屋の嘆きばかり報道するが、こういった老舗の方が実際は影響が強いのだ。メディアもいい加減だ。

 7月も終盤に入って昨日やっと九段下で打ち合わせがあったので、久々にお昼の一番客で行ってみたら、店内がもの凄い素晴らしい事になっていた。

 入り口で消毒するのは何処とも一緒だが、十三名のカウンター席をすべて大きな綺麗な布カーテンで仕切ってあるのだ。思わず「これは凄い!」と声を上げてしまった。「一体誰のアイディア?これは外人さん喜ぶわ!」といつもの大将に訊いたら顎でしゃくって「これ」というだけだったが、相棒のご兄弟かもしれないし息子さんの一人かも知れない。しかし、その滝のように流れる布の仕切りには圧倒されてしまった。



 夫婦など二人で来た客は、その仕切りを上にはね上げれば済むのだから簡単だ。

 感心して色々話を聞いたら、新型コロナウイルス禍による客の激減は信じられない程だという。小さな声で「いつまでやれるか判らない」という。三十六年通っているので筆者も古株の方だそうだ。名刺をくれという、いざとなったら連絡するからというではないか。これは軽い話ではない。

 筆者が年中人吉へ行っている事は10年前から大将も良く知っているので、今は人吉も東京も一大事だよ、年貢の納め時かなぁ?などと遠い目をするので、「ちょっと待て!早まるな!」とは言ってみたものの、出来る事といえばもっと頻繁にいくことと、この窮状をSNSで拡散する事くらいなのだ、贔屓の客としては。
https://tabelog.com/tokyo/A1310/A131003/13000608/

 ・・・という事で、今日のブログに成っている。もしよかったら今日にでも行ってあげて欲しい、いつものより一ランク上のランチを注文してあげると喜ぶと思う。

2020年7月27日月曜日

今回の球磨川災害では支援活動で色々考えさせられた。 In this Kuma River disaster, I was made to think variously by the support activities.

 早くも3週間が経とうとしている球磨川水害。人吉球磨全域の大災害だ。死者・行方不明者数を見ても熊本地震を上回る。熊本地震では直接的死者数は50名(事後の関連死者数が何故か異常に多い)だが、今回の災害は直接死者・行方不明数は67名。熊本地震同様関連死者数が今後更に増えることが予想される。

 この令和2年7月豪雨(気象庁命名)の熊本県内、特に人吉市中心の球磨川流域は知り合いやお世話に成った方が非常に多く、その数は個人的に50名を超える。

 全員の安否が心配だったが、とりあえず皆さん命だけはご無事だったようで安心した。

 そうして数名の方に支援物資を送らせていただいた。その中で人吉市在住の方へ、宅急便で物資を送ったとメールでお知らせした所「モノは足りているのでもうお控えください」という返信を頂いてしまった。
 事前に危機を予知して車で高台へ逃げた為、床上浸水に成ったとはいえ被害は比較的軽い(とはいっても相当大変だった事は想像に難くない)との事だし、届いても逆に手間が増えてしまい「小さな親切大きな迷惑」になりかねないと思ったので、すぐさまメールで「一緒に送った人の気持ちを汲んで頂きたいので、そのまま着払いで発送者宛ではなく、筆者宛てにご返送ください」とお願いした。
 しかし宅配便屋の担当者が発送者(親友)事務所に「配達先が受け取り拒否の為、返送する」と電話してしまったという。
受取辞退と受取拒否では意味が随分違うだろう?

 当惑する我が友に事情を説明したが「受取辞退」と記入してある伝票を「受取り拒否」と伝える宅急便屋の何と無粋な奴と腹が立った。災害支援物資には人の心がこもっている事を知らないらしい。
 災害地での配送作業が大変なことは重々判っているのだが、全国から災害地を思いやる気持ちを先方都合で返送される物を「受け取り拒否」という言葉で連絡するのはやめて欲しい。なんだかとても悪い事をしたような気分になってしまい、後味が非常に悪かった。

 そこで中身を整理して個人的な支援物を取り除き、改めて人吉市役所の支援物資受付所へ送ろうと思ったら、市役所では支援物資は受け付けていないとの事だった。多分救援物資の仕分けや、災害者への引き渡し作業すら手が回らない状態なのだろうと察した。今回の規模の災害では致し方ないと思う。

 ‥という事で同じように、同級生や知人もいる坂本駅付近が大変な事になっている八代市へ送ることにした。

 最初の発送段ボール箱はいつもお世話になっている個人宛てだったので、ご近所の誰に分けて使えそうな物資(広い未使用のTシャツやタオル)に加え、必要物を手に入れられるようAmazonのお見舞いギフト券や、災害を心配している孫の気持ちの入った貯金箱なども内緒で忍ばせたが、すべて取り除き新たに泥かき出しの際に必要な物資などに入れ替えて改めて発送した。
戻ってきた最初の救援物資。一般の支援物資とは違う身内的な内容だった。

水害と言えば、筆者にも決して他人ごととは思えないきつい経験がある。

 1965年にちょうど夏休みで帰省中八代の十条製紙社宅で2度の床上浸水を経験したので、今回の水害はとても他人事とは思えないのだ。八代市で床上40㎝くらいまで浸水、ピアノがダメになり、部屋という部屋の畳が浮いて家の中をさまよっていたのを覚えている。これらのシーンを思い出しながら早く球磨川流域全体で復帰してほしいと願っている。

 今週はお願いだから梅雨明けで雨振りをもう控えて欲しい。

2020年7月26日日曜日

続・団塊世代は終の棲家・部屋を大切にしたい。 The baby boom generation wants to cherish the last house and room again.

 男の隠れ家かよ?と仲の良い友に言われてしまった昨日の団塊世代・終の棲家・部屋ご紹介、今日は日曜日、その部屋でくつろぐための演出・雰囲気づくりの話。

 これはもう千差万別、個人の好みで全然変わる。良い悪いの問題ではなく、好き嫌いの問題だ。だから人の部屋のスタイルをあれこれ批評。評論するのはお門違いって訳だ。人の部屋をやいのやいのいう御仁は、まず「自分はこういう理念、こういう考え方、こういう好みなのでこういう部屋に住んでいるんだけれど・・・。」と言ってから他人を論じたり評したりしてほしい。

 テレビを観ていても自分の事を棚に上げて、人の事をあれこれ非難する人が最近多すぎる。評論家だから許されるって事もなかろう。このあたりの話はまた特集してみたい、映画製作に携わったこともない人が「映画評論」したり、楽器を何も演奏できないのに音楽アーティストの出来・不出来を論じたり、治水・河川の自然を知りもしないでダムが必要だのダムに寄らない治水が必要だの論じたりしすぎではないだろうか?好き嫌いを言うのはまだ良いが、技術や出来栄えを上から目線で評する御仁は大嫌いだ。
 
 で、昨日の続き。欲張りな筆者、最近は一日7~8時間以上デスクトップのパソコンの前で何かしら作業している。音楽もイヤホンではなく40㎝のウーファーとツウィ―ターから出てくるドスンという音を聴きながら時を過ごしたりする。デスクトップパソコンですら3Dステレオでズズーン♪と結構しっかりとして音でYoutubeも演じてくれている。

 エレキ(古いなぁ!)もリッケンバッカーにグレッチにモズライトを所有し、一時は素人ながらバンドのメンバーでもあった。

 レコードコレクションもオールディス中心に輸入盤LP3,000枚以上棚に並べている。あまりにモノが溢れているので、この部屋に来る人間からは「おいおい、倉庫の中みたいじゃん?」と良く言われる。ヤマセミ撮影が主なカメラ群は階下のカメラバッグ3個に分散しているし、保湿器(=乾燥器)の中にレンズを入れて保管している。

 こういった部屋なのでいくらSimple homeなどという憧れのインテリア デザインを紹介する洋書に憧れて参考にしても、絶対にそうならない。倉庫用の別宅でもあれば話は別だが・・・。
で、そういう事に成る事を予想して部屋の間取り、窓の作り方を工夫してこの部屋の演出をしたつもりだ、もっとも今から20年前の話なのだが、未だにこのスタイルで行けているのは良かったという事だろう?

 横浜の大学時代からVANの宣伝部に入社したころの自分の部屋。この頃はインテリアデザインの関係へ進もうと思っていた。壁面の上の2枚は自分の絵(水彩画)

 自然光と緑が好きなので、出窓の外にはクスノキが植えてある。楠である理由は思い入れの深い熊本県に多い樹であるとともに、樟脳を作る樹なので毒虫が付かない利点がある。楠にはせいぜいアオスジアゲハの幼虫が付く程度だ。窓に接して窓を開けておいても虫が部屋の中まで這って伝わってくる恐れが無いのだ。

 同時にロフトには天窓(開閉可能)をつけて流星群を観察できるようにした。しかし夏の夜の武蔵野は都心の明かりが雲に反射して一晩中明るく、セミやカラスが夜じゅう鳴き止まず、意外に心地よくなかった。おまけに昨年はデンマーク製の天窓ユニットから雨漏りが発生!自分で修繕するのに大変だった。あまりに開閉頻度が高かったせいだろうか? その道のプロの友人(同僚)のアドバイスに従い、しっかりコーキング材で漏れ止めを施し、外から葦簀を張って遮光・防水をしたため最近の長雨にもビクともしない。

 うたた寝をしたり、読書をするに最高と思って英国ローラ・アシュレイのカウチ(オットマン付)を注文しもう20年以上リラックスコーナーとして活躍している。そのローラ・アシュレイも2018年に日本から撤退後再上陸の予定だったが、コロナウイルスの影響で英国本国で破綻だという。しかし名門だけに復活するだろう。

 仕事で貰ったバドワイザーのネオンサインも時々点けて雰囲気だけ楽しんでいる。アルコール分解酵素がゼロで筆者はビールも飲みゃしないのに・・・。

インテリア コーディネィト系の洋書がどんどん増えていった時期がある。

 展覧会の図録と洋書はいつの間にか段ボール8箱にもなり、重くて今や別の部屋に積み上がっている。これが極限に達したので「断捨離・終活」に成ったという訳。過去1年間に読まない本は二度と読まないし、過去1年間一度も袖を通さない服はこの先二度と着ないのだ。これが断捨離の判断基準。捨てるかあげるか、レコードと共にこれから考えよう。

 

2020年7月25日土曜日

団塊世代は終の棲家・部屋を大切にしたい。 The baby boom generation wants to cherish the last house and room.

 Facebookのチャットの自分の名前にバースデーケーキのマークが付く度、あと何年命があるだろうと思うのが70歳を超えた団塊世代共通の思いではないだろうか?

 新型コロナでは「外へ出ちゃダメ!」「この暑さでランニングなんて気でも狂ったの?」・・・いろいろ言われながら極めてマイペースで毎日健康に居られるのも有難い事だ。一人欠け、二人欠け逝く仲の良い友を想う日々「浦島太郎」に段々近づいている自分に気が付く今日この頃。

 すこし、新型コロナウイルス禍、も球磨川水害も頭から一時的に離して、自分の終の棲家・部屋の話。断捨離・終活で残すべき物の判断話などをしてみたい。

 外へ出ちゃダメというが、コロナウイルスに感染しているほとんどが室内だという事実をどう考えるのだ?一般メディアのいう事は嘘ばかり。このネット記事は目からうろこだった。必読だと思うので此処でご紹介しておきたい。
https://www.jiji.com/jc/v4?id=202007skkm30001 

 コロナの話は今日は此処まで。

 このブログを始めたのが筆者65歳の誕生日を迎える前、2013年5月だから64歳だった・・・と思う。わが父が56歳で病死した際、子はほぼ親の歳で死ぬ確率が高いと言われていたので、当時28歳だった筆者は「自分の人生はあと半分だろう」と覚悟したのを良く覚えている。それが、もし今年の12月まで生きていれば72歳になるので、親より16歳も長生きする事になる。

 ヤマセミ中心に観察を始めて野鳥ブログとしてこれを始めたのだが、今や何というか公開日記のような感じになってしまっている。「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」と称して、1948年(=昭和23年)の生い立ちから、青山のVANに就職し社会人になるまでの経緯やドジ話をまとめられたのもこのブログを始めた「おまけ」だ。小中学校時代「国語」の成績が芳しくなかった筆者にしては良く書けたと思う。筆記用具を使用しないで済んだのが良かったに違いない。未だに漢字の書き取りは苦手だ。あと10年もすれば少しは良くなると期待はしているが・・。

 「終(つい)の棲家」とは良く言ったもので、今更ワーケーション(work+Vacation造語)などといういい加減な事も出来ない団塊世代にはマイホーム=マイ・ワークスペースしかない。余談だが随分前数人とワーケーションの話をしたら全員の答えが「無理っ!」
 理由は簡単、そんなバケーションエリアに行ったら朝から晩まで遊び呆けてしまうに決まっていると全員が自覚しているからだった。

 で、70歳も越えると身の回りに自分の年輪に合わせて色々な記録物、記念物が積み上がっているものだ。そんなもの一切ないとモノに執着しないと威張る輩は大した生き方をしてきていないんだと思う。「全部パソコンの中にデータで入っている!」と豪語する者もいるが、そんなの人生そのものがヴァーチャルな奴だから「今そのモノもヴァーチャルなんだろう?」とバカにされている。やはり過去の記録は「リアル」で残るものも多いはずだ。写真や動画くらいはスキャンしてデータとして残しているが・・・。

 何を言いたいかというと、70歳を超える団塊世代にとってはマイスペースのほとんどが収納スペースに成らざるを得ないと言いたいのだ。
 ゴミ屋敷のほとんどの住人が高齢者であることはこれを裏付けている。つまり、終の棲家も手狭になると、泣く泣く「モノを手放す」羽目に成る。

 そこで、自分の空間を如何に整理整頓するかを筆者の例でご紹介してみたい。部屋は10畳間ほどの広さに出窓、梯子で上がるロフト(=天窓付きの屋根裏寝床+収納スペースにしている)だが、パソコン空間だけ出っ張りを設計して有効利用している。これが注文住宅の強みだったろうか。

 今日のご紹介は基本的な収納に関する部分のご紹介。


このBOXは洋雑誌「Home Office Planner」でヒントを得たもの。



収納に関してはこれ以外、息子(独立して国分寺在住)が居た部屋を倉庫代わりにしている。これ以外物置(自作)に段ボール箱などに大物が収納中。


左手前のジュラルミンケースは出張でハワイを40往復したツワモノ。

これは18年前のパソコンコーナーで、今は液晶24インチ2面マルチで駆動中。椅子は18世紀のスコットランド貴族のダイニングテーブルの椅子。硬いので長時間の作業に最適。椅子と自転車のサドルは硬い方が良い。
普通の人の家に無いのがこれらのレコードコレクションと大きなスピーカーボックス。床が抜けないかと心配している。

パソコンコーナーの上部はロフトにしてベッド代わりの寝床にしている。70歳を越えて毎晩寝る際に梯子段を乗降する者もあまりいないとは思うが・・。