2018年10月18日木曜日

東京武蔵野の住宅街でも野鳥を観れば季節が判る。 Also in the residential area of Tokyo Musashino we can see the season by watching wild-birds.

 武蔵野の奥三鷹では此処1週間毎朝モズの高鳴きで眼が覚める。我が家の西に接しているミッション系の大学構内から聴こえてくる。5~6年前から皇族様の子女が学んでいるので、昔ほどは校内に入る事を遠慮している。守衛さんとは顔なじみなのだが大きなレンズを付けたカメラを提げて入っては怪しまれる事必定。

 しかし、大学の森に入らずとも其処に隣接している住宅街には色々な野鳥が飛来する。校内から仲間に追い出されたり、天敵に追われたりして周辺の地域に逃げて来たりする。

 毎朝、犬の散歩時にこれらの野鳥の動き、季節による入れ替わりを観察すると結構面白い。もちろん何処どこに珍鳥が飛来したなどという野鳥情報を聴いて、写真を撮理に出かけるのも良いが、ルーティンワークとして毎日どこかで野鳥の姿を追う事が基礎能力の育成に繋がると思っている。例え犬の散歩でもポケットにコンデジを入れておくことを勧めたい。


毎朝このモズの高鳴きで起こされる。

3軒隣のTVアンテナで鳴き続けるうるさいヒヨドリ。

朝陽を浴びて動かないオナガ。

犬の散歩で高圧線鉄塔に群がるムクドリの小群。

お目当ては大学構内のハナミズキの実だった。


木の実は色々な野鳥が啄ばみに来る。

2018年10月17日水曜日

ファインダー越しに観た人吉で街に溶け込んだヤマセミの佇まい。I observed Crested kingfisher through finder of my camera at central area of Hitoyoshi city.

 ヤマセミの写真を撮るというと、誰しもプロの野鳥写真家さんの迫力ある綺麗な画像を目指すだろうと思う。だからこそ最高級機種を手に入れ、丹念に取扱説明書で操作を学び、きちんと撮影される事と思う。

 筆者の場合はフィルム時代のまま、あまりに原始的でお粗末なので、どういう撮り方をするか恥ずかしくて、とても公表できない。勿論AFは絶対に使用するが、殆どシャッタースピードと絞りはマニュアルでその場の状況で設定する。撮影条件があまりに激しく変わるうえ、基本的に機械やシステムを信頼していないというか、自分をそのメカニズムに合わせる事が出来ない。要は不器用なのだ。

 ヤマセミの生態を観察し、画像データで残すためには「ある生態の一瞬!」を何らかの形で記録に納めなければならない。道具は高価なデジタル一眼レフでもコンデジでも何でも良いのだ。その状態さえ記録できて証拠画像が残れば良いのだ。

 だから、滅多に三脚にカメラを取り付ける事は無い。人吉へ行く際は必ず三脚を持ってはいくが、使用するのは極まれ。一度も使用しない事も結構ある。 
 そういう状況下で、2年前の10月のヤマセミを追った画像をご紹介。

朝、通学の小学生の真下で餌を狙うヤマセミ。

スマホを操作する運転手を背景に餌を狙うヤマセミ。

今は営業を終了した国民宿舎くまがわ荘の掃除に見入るヤマセミ。

これこそ最も人吉のヤマセミらしい風景かもしれない。

職員が何かに驚いて悲鳴を上げても全然動じないヤマセミ。

架線からダイブして獲れた獲物は30cm級?


獲物が大きすぎて飲み込むのに15分以上かかっていた。


大物をゲットして食べたばかりで、また小さな獲物を咥えていた。

2018年10月16日火曜日

カケスが飛び交う信州の八島高層湿原が素晴らしい! The Yashima High rise marsh where Eurasian jay flying is fantastic place in autumn.

 美術教育の話から高層湿原の秋の風情に野鳥と共に話は飛ぶのだ。この八島湿原は標高1,600m位の高層湿原で、戦場ヶ原の1/10程の広さ。標高は戦場ヶ原より200m程高い位置に存在する。

 戦場ヶ原の様に真ん中に通れる木道は無く、湿地内は立ち入り禁止。その代わり一周1時間ほどで回れる周回木道+地道の道路が存在する。

 12月から翌年春4月くらいまでは木道も雪に覆われ通れるが歩行はスノウシュウが不可欠となる。積雪は多くなく晴天率の非常に高い冬期だが、強風時は吹きっ晒しで体感温度は異常に低くなる。厳冬期は野鳥も少なく無音の世界が広がる。

 野鳥観察・撮影にベストの時期は春先雪融け時から秋の11月初旬までではないだろうか?勿論早朝が一番最適の時間だが、都心を午前2時3時に出発するのは辛い場合、湿地の奥にあるヒュッテ御射山がお勧めだ。

 若い夫婦が頑張って運営している、非常にアットホームな場所で、筆者もお気に入り。今年5月など九州まで車で行った帰りに諏訪湖越しに霧ヶ峰が見えて思わず立ち寄ってしまった。

 コリンゴの花真っ盛りで、思わぬ野鳥撮影が出来て嬉しかった。
http://yamasemiweb.blogspot.com/2018/06/i-think-that-wild-birds-of-yahsima-wet.html

 今回は、一泊で秋の野鳥たちの佇まいを観察・撮影したのだが、今日はその中からカケスをご紹介。

 日光東大植物園にもカケスは多い。しかし大きな図体の癖に意外に警戒心が強く、なかなか観察・撮影がし難い野鳥の一つだ。

いきなり後ろから恐竜の様な鳴き声を出しながらカケスが飛んで行った。




丘の上の樹に留まったカケス。

この時期高原の王様はこのマムシグサ


撮影が終わったらすすき野を下ってヒュッテ御射山へ戻る。

若き支配人さんは今一人、奥様は出産準備で山を下りているそうだ。

正統派のモーニングトーストに純正バターが嬉しい。

ずいぶん昔からヒュッテ御射山は有ったようだ。

2018年10月15日月曜日

団塊世代は「美術の授業ってなんだろう?」展で再び色々考えた。 The baby-boom generation made me think about again at the Art's exhibition  " What is the education of arts? "

 ヤマセミなど野鳥の内容のブログの時の数倍のコメントを頂いた昨日のブログ「団塊世代は「美術の授業ってなんだろう?」展で再び色々考えた。」に引き続き、「この項続・・」の通り先に進もうと思う。

 この展覧会というより展示会へ行った方はお気づきだろうが、前半が幼稚園から始まって高校・専門学校までの過程における全国のユニークな美術教育の一端を展示したものだ。

 後半は東京藝大の授業・講義内容を判り易く展示したもので、東京藝大に入りたかった者にとっては垂涎の展示だろうと思う。

 あの1969年の東京大学入試中止事件のあおりを食らって、同じく入試を中止した東京教育大学の芸術学部・工芸工業デザイン専攻科に入りそこなった者の一人としてはちゃんと入試を行った東京藝大はいささか羨ましい所ではあった。
 筆者は結局志望先を替えらざるを得ず、気が付けば同じような境遇で集まった横浜国大教育学部美術科(=中学校教員養成課程)の一員になったのだった。

 つい先日クラス会があったが、現在活動メンバーである学会と重なり欠席したが、特別に三次会を開催して頂き充実した時間を過ごしたばかりだ。その上、昨日は昨日で都立広尾高校15期F組の古希記念クラス会で大変有意義な時間を過ごしたばかりだ。
この高校時代のクラス会などクラス会で思う事は後日ブログアップ。

 前置きが長くなったが、いくつか小中学校のパートで思ったことを述べたいと思う。

 筆者は1979年以来、広告代理店業界で過ごしてきた為、海外を含め全国各地の小中学校を訪れている。授業中より休みの日の学校の方が多いのだが、教室内に入る事も多々有った。時には私立の学校で美術系の講義を行う事があったが、印象的な事を想い出した。

 それは沖縄の名護市の小学校へ行った時の事、休みの教室で後ろの壁に貼られた一連の絵を観て驚いたのだった。皆ヤシの木や白い雲など如何にも沖縄らしい佇まいの絵だったのだが、一様に海の水平線の手前に白いラインが入っているのだ。一瞬何故だろうと思ったら、サンゴ礁だったのだ。

沖縄など南の島の子供達にとってはこれが普通の海の情況。海には白い波の経つサンゴ礁が在って当たり前なのだ。

 要は沖縄の子供たちは、海を描けば沖のサンゴ礁が当たり前なのだ。京浜地域の子供が「海」の絵を描けば江の島や富士山や大きな沖の船が必ず入るのと一緒なのだ。この地域性を子供達自身は知らないだろう。これらを子供たちに教えるのも一つの教育だとその時思ったのを覚えている。

 もう一件は「エルメス」というフランスの馬具工房から発展したファッショングッズの有名ブランドの担当者に訊いた面白い話。

 エルメスは企業活動としてアフリカの子供たちに「絵を描く事」を教え、美術教育に力を入れつつ、そのユニークな色使い、描写力の元描かれた「作品」を人気のエルメス・スカーフの図案に採用したのだ。

 その際、何がユニークだったかというと、絵の具なり画材を混ぜ合わす事を知らない子供が「画材の原色」のまま動物や生活や自然を描く為、その描写・表現パワーが非常に強く、有名なプロの作画師顔負けだったというのだ。

 確かにその一部を見せてもらうと納得だった。

オリジナルか否かは不明だがあくまでイメージ Google画像より

歴代の人気スカーフ柄の中で非常にユニークだったので超人気だったらしい。

要は、子供達が画材の持つ発色力をそのまま生かし、自分のインスピレーションそのままに当てはめて活用する事で、元の色の持つパワー100%を活かしているのだろう。だから「絵」に迫力があり、大人顔負けの訴求力と新しい魅力に繋がっているのではないかと踏んでいる。

 それに対し、日本の色に対する教育は、いきなり色と色を混ぜ合わせる事を教えてしまうので、子供の純粋無垢な訴求力を殺してしまっているのではないだろうか?100%の色の力と別の色の100%の力を混ぜ合わせると70%の力になってしまうのではないだろうかと思うが如何?
色を混ぜ合わせる事は子供達自分自身が作画中に気が付くまで放って置く方が面白いのではないだろうか?先にそれを教えてしまっては・・・。

 こう言う事を会場を回りながら考えてしまったので2回とも2時間以上滞在してしまった。考え過ぎだろうか?

2018年10月14日日曜日

団塊世代は東京藝大の「美術の授業ってなんだろう?」展で色々考えさせられた。 The baby-boom generation made me think variously at the Tokyo National University of Art's exhibition " What is the lesson of arts?"

 上野の森の東京藝術大学で面白い展覧会をやっている。「美術の授業ってなんだろう?」2018.10.2.火-21.日開催がそれだ。

入り口を入ると、まず幼稚園の世界が広がる。

 筆者も中学校と高校の美術の教職免許を取得しているし、短い期間ではあったが教育実習や専門学校の講師を務めた経験があるので、「美術の教育」に関してはいささか興味があった。入場無料だったので既に2度ほど足を運んで結構じっくりと展示を観た。

 筆者は大学時代教育学部の美術専攻科に所属し、必須の油絵で「人物」を描かない理由を担当教授に問い詰められ「私は人間が美しいと思える瞬間を描写したい、人間が他人に感動を与える瞬間、例えば馬鹿笑いをしている瞬間、怒髪天を付く瞬間、号泣している瞬間など・・・。しかしそういう絵が歴代の名画に見当たらないのは何故か?」と答えた。
 続けて「そういう感動の瞬間は人間の感情がほとばしる一瞬であり、モデルに笑い続けたり、怒り続けたりはさせられないから描けないのだろう、そういう一瞬を描写するには『写真=静止画・動画』の方が適しているのだと思う、だから私は人物は描かない・と答え納得してもらい、技術棟に官費で暗室を造ってもらった経緯がある。良い時代だった。しかし、写真に関しての教授・講師、授業が無かったので今撮れている写真は全て素人の自己流だ。この項はまた別の機会に。

 こういうややこしい性格の筆者がこの「美術の授業ってなんだろう?」を観た印象と考えた事をご紹介しようと思う。
展示物の大きさを示すための筆者と展示物の比較画像。(芸大パート)

 で、この東京藝術大学(以降東京芸大)の展示方式はいわゆる色々な学会で良く行われている「発表方式」の口頭発表とインタラクティブ発表の後者の方法を取っている。展示と説明文貼り出し方式だ。

 入り口から幼稚園ー小学校ー中学校ー高等学校ー大学(主に東京芸大)の順に全国の代表的な授業内容が紹介されている。

 自分が感じた総論を先に言ってしまうと、普段普通にルーティン・ワークとして行われている美術の授業とは異なって、特別授業を行ったレポートを主宰者が抽出して展示したものだと思うが、美術の教師が受け持ちの生徒を実験台にして自分の美術教育の実験をしているように見える展示が思いのほか多く驚いてしまった。

 年中この手の授業だけだとすると、子供たちは美術の基本的な部分に触れないまま美術授業の実験台にされただけで、上へと進んでしまいかねないが、まさかそれは無いと思っている。




普段普通に行っている授業内容が判らないので、展示されている内容だけで意見を言うのも憚られるし、個々に意見や印象は述べない様にして置こうと思う。このブログをご覧の方で、実際にこの芸大の美術館へ行って観た方からの、筆者の意見・見解リクエストが多ければまた考えたい。

 しかし、子供達が実体験も無く、色々な意見や考え方のフィルターを通して報道され、伝聞された72年前の広島や長崎の原爆の事を、投下原因・理由、太平洋戦争の流れと、それまでの時代背景を一切知らないまま「原爆の悲惨さ」だけを部分的に切り取って教えられ、手法は何にせよ授業と称して描かされるのはどうかと思った。
何故マンガなのか?

 特に、展示にもあるように、その美術教育内容がメディアの恰好の「ネタ」として取り上げられることを予測しての「やらせ的」内容である事が誰の眼にも判り、長年広告代理店勤務の筆者からすると作為的な厭らしさを感じて仕方がなかった。
目立ちたがり屋の美術教師の目論見が見えて仕方がなかった。

 筆者も「広島原爆」で叔父を亡くし、自分自身投下翌日広島市内を歩き回った両親のDNA欠損が遺伝したおかげで左目先天性弱視(視力0.05)という影響を受けているので、余計気になってしまった。

 例えば、筆者が横国大の附属中学校(山手)の教育実習で行った日本の伝統色(海老茶色、黄金色、桜色、蜜柑色、枯草色など)の代表的な色を具体的にそれを使用した物を実際に生で見て触って覚える授業。
 あるいは太陽の位置が移動する事による影の出来方・変化で、物がどう立体的に見えるかを行った授業。部屋を暗くし、電球を棒の先に下げて皆で造った町の模型の影がどう動くか学び、それを描く試みの授業。 「美術領域」限らず「自然」「物理」「日本の伝統・歴史」などにまたがる幅広い美術教育がもっともっと有っても良いと思うのだが如何だろう?

 世の中にはもっといろいろな授業があると思うのだが、取り上げられている選抜内容はもう少し広い対象校からのモノが欲しい気がした。例えば雪国や北海道であればそれなりに雪や広い牧場を使った授業、南国鹿児島であれば広い白砂を使った砂の芸術だとか、教室や都会の学校だけの活動では子供達自身が夢を持たなくなるのでは?

 それに、こういう展覧会に子供達が来るのだろうか?あえて見せないのだろうか?国立科学博物館の「虫展」に来たついでに、こちらも見せてあげて欲しいと思った。
 ※(注)虫展は10月8日で既に終了。

 この項、まだまだ続く。

2018年10月13日土曜日

ヤマセミの滑空ターンを背中側から観察する。 Observe the glide turn of Crested kingfisher from the back side.

 二週に渡って豪快なヤマセミの滑空に近いターンをご紹介したが、全てお腹の側からのターンだった。
 これらの場合は、撮影している筆者を常に観察しながら、ターンしているのだが、こちらに背を見せてターンする場合は常時こちらを見ている訳ではないので、ある程度慣れて来てから出ないとしてくれない。

 したがってヤマセミが背を見せてロングターンをしている連続画像は実はあまり多くない。

 この場面では球磨川本流の筆者が立っている土手下道路に留まっていたヤマセミがつがいの相方を見つけて、その傍へ飛んで行ったシーンの連写。








最終的に川に向かって筆者の右位置から左位置へ移動しただけだったが、見通しが良いからこそこの手の追い写しが出来たのだろうと思う。狭い川幅で立木が多ければこうはいかない。