2016年11月29日火曜日

晩秋の明治神宮でアトリの群れなど。 Brambling at Meiji-jingu Shrine in a deep autumn.

 都心へ出たついでに毎時神宮内苑へ野鳥探しに行ってみたが、まだまだヒヨドリの声ばかりがいつも通りうるさくて、アオジ、その他の野鳥はなかなか姿を見せてくれなかった。

 毎年少し遅れて年賀の初詣に行くのだが、内苑の池附近でオオタカ、ルリビタキ、アオジ、ヤマガラ、カシラダカ、その他多くの野鳥を観ることが出来る。11月末の今の時期は昼を過ぎると野鳥の数は減るようだ。

 いつもスズメに手渡しで餌を与えていたオジサンは今日はいなかった。たぶんオオタカ狙いだろうと思われるバーダーが1~2名居たが手持ち無沙汰の様だった。

 そんな中、時折上空を数十羽の群れが何度も高速で旋回していたので、レンズで追ってみたら、アトリの群れだった。
 来年の初詣も望遠レンズを持って明治神宮へ行こうと思う。
上空をまとまって旋回するアトリ。

上空の角度で、鋭い西陽によって空の色が極端に変わる。

アップは難しいが、なぜか皆同じような羽根の開き方をするのが不思議。

カワウやサギ類もそうだが、シンクロする不思議を今回も感じた。

明治神宮はヒヨドリが非常に多い事で有名だ。


赤い実は野鳥は最後まで食べないというが本当だろうか?

内苑の池は午後3時にはすっかり陽が翳る為、急激に気温が下がる。

もう紅葉も終わりだが・・・。

それなりにモミジは逆光でカラフルに存在感を主張していた。


2016年11月28日月曜日

ミヤコドリの飛翔シーンを追っかけ! I observed Eurasian Oystercatcher flying alone.

 球磨川河口部に棲む単独行のミヤコドリ!その唯我独尊的行動には自然界を生き抜くための図々しさや厚顔無恥の様な振る舞いが、時として筆者自身の姿を見ているようでファインダーを通して笑ってしまう事が多かった。

 しかしやはり野鳥は飛んでナンボ!さすがに優雅に飛んでくれた。満潮に向かって水没を続け、どんどん狭くなる砂洲から岸に近い別の砂洲へ移動する際の飛翔だ。どこか遠くへ飛んで行ってしまう訳では無いので、結構枚数を掛けて連写できた。

 野鳥が飛ぶ姿に説明はいらないだろう。しかし飛ぶ途中で空中で脱糞までしてくれた。サービス精神旺盛のようだ。




らせん状に出る脱糞が面白い。

結構な量が出た模様、ひょっとして便秘気味?





更に満潮までの時間が在ったが、観察はミヤコドリが腰を下ろしたところで幕。




2016年11月27日日曜日

団塊世代はAIだのVRだのAR等をどう感じているのだろう? How will the baby-boom generation feel AI, VR and AR, etc.?

 最近のニュース報道やNHKなどの特集で自動車の自動運転やAI(Artificial Intelligence=人工知能)、VR(Virtual Reality=仮想現実),更にはAR(Augmented Reality=拡張現実)などと、ドンドン今までの通常生活には無かった訳の判らない略語が氾濫し始めている。
 思わず「えっ?何それ」とでも言おうものなら、普段仲の良い友達からですら「エーッ!お前まだ知らないのぉ?」と言われ馬鹿にされる事を最大の屈辱と感ずる我々団塊世代は、最近のこの動向に戦線恐慌ではないだろうか?

 しかし、団塊世代の諸君よ!ソニーのウォークマンが爆発的ヒットをした1981年頃を思い出してほしい。あの頃新しいものに直ぐ飛びつく30歳に成ったばかりの我々団塊世代全員がウォークマンを腰に街を闊歩しただろうか?まだ大型の高級オードディオの前で「音楽」の「音」の方に軸足を置いて楽しんでいた人々は「ウォークマンは一過性のブーム、その内消える・・。」と悠然としていたものだ、そうしてその通りに成った。

 カセットテープの全盛期はほんの数年で、あっという間に世の中はCDの時代へ移り、それも長続きせずDVDになり、更にはUSBチップなどのフラッシュメモリーなどのデジタルデータ・メディアに成り、今やそれを失くしたり取られれば人生が終わってしまうというスマホ型の情報端末に音源も入れ、Suica、銀行カードも入れ街を闊歩するように成った。正直ついて行くのがやっとという状況だが、これすべてそれらを作って売って儲けているメーカーやそこから金を貰って情報拡散しているメディア・報道に踊らされている訳だ。

 だから筆者は今先端技術と騒いで、そのほんの一部に関わる事で「今はこれよ!俺はこれに関わってんだぞ!」と仲間や知人に優越感を感じている若者、特に広告代理店社員、情報技術関連で事情通ブッている者たちの数年先の姿も容易に想像できるのだ。
https://www.panoplaza.com/basic/vr-basicknowledge/about_vr/vr_and_ar/

 考えて欲しい、1969年に映画になったアーサー・C・クラークとスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」のコンピュータ・HAL9000は既にコンピュータのレベルではなく人工知能に近かったとみて良い。それが証拠に作為的にミッションを捻じ曲げたではないか。クラークとキューブリックは人工知能がその内に人間を騙すと警告していたのだ。


 自動運転する自動車にしてもしかり、人間の造った機械であれば、たとえどんなに便利であろうと、故障する。アポロ13号の危機、それ以外のスペースシャトルの事故と犠牲者達、原因は天災にもあるが福島第1原発の大事故、チェルノブイリ原発事故。挙げれば限が無い、人間が人間の発明制作した機械で死ぬ事に成るのだ。

 スマホを見ながら車にはねられ死んだり、そのままホームから落ちて電車に轢かれて死んだりする余りに無知で不用心な者から始まって、高度な次元で人工ナントかにより、命を落とす者は今後もどんどん増えるだろう。便利が生み出す本末転倒の現象だ。
典型的なスマホの例 Google画像より

 VRなどに関しては特殊なヘッドセットを着用して360℃3D仮想空間の中に自分が居るように成り、仮想現実を音声含めて味わえるように成るのだが、これが一体、生身の人間にどういう影響を与える事に成るか?進めている人達は細かい所まで影響を想定しているだろうか?
 ニート、引きこもりは更に引きこもり没頭し、バーチャルとリアルの境が判らなくなって程度・際限の無くなった最近の子供の喧嘩・いじめは更に進むだろう。

 そもそもバーチャル・リアリティなんて、我々団塊世代は子供の時から年中体験しているだろう?寝ている時に観る「夢」がそれだ。我々のVR「夢」は、今どきのVRなどより遥かに高度で、時にはリアルすら伴うのだぞ!オネショや夢精がそれだよ。団塊世代の読者にも覚えが在ろうもん?

ARに関して言えば、人に先駆けてARだぞ!ARは新らしいんだぞ、俺はそれに関わっている、最新の技術を担当しているのだという優越感、それに関わっていることを示すことで知人や仲間とは違う何か高尚な事に携わっているのだという満足感、充実感を持つ若者が多い様だが、まだまだ遊びの域、ゲームの域、エンターテインメントの域を出ていない。実はこの先も此の域を出ないだろう。
 携帯電話が固定電話に取って代わり、街中の公衆電話が消える!だとか宅配便が発達し、モノの流通が早まり、ネットで頼んだものがその日のうちに自宅に届いてしまう様な生活の具体的変化は、VR、ARがいくらこの先発展しても起きないだろう。どうやってもリアルの感動には追い付けっこない仮の姿なのだ。例えば標高3000mの山の頂上に実際に登った際の達成感と感動をVRなんかで味わえるか?いずれにせよ、こういうまがい物には死ぬまで関わらずに済みそうだ。

 この先宅配便に使用を試みようとしているドローン(ヘリコプター型)もニュースには成るが、一切知らぬ・関わらぬでも生きて行くに問題はない。
 むしろ、数か国で不審なドローンを野生の鷹を訓練して、叩き落としたり、捕獲したりする訓練が始まっているほどだ。

 オランダ警察のドローン捕獲訓練(YouTube)
= https://www.youtube.com/watch?v=ERgNoVrRGeA

 現実的に携帯電話など持たずに、TVすら不要だと関わらず充分現代生活を営んでいる仲良しだって居る。車だってそうだ、ましてやパソコンなどもいらぬと一切触らずに普通に生活している御仁を何人も友に持っている。

 ポケモンGOを見るが良い。すでに普及したスマホという端末を利用して、あっという間に世界を席巻してしまった。ポケモンGOはARゲームの一番身近な典型だ。しかし、ARを進めて新しいハード、新しいソフトを開発生産する事で新ビジネス、ビジネススタイルの開発を手掛けようとしていた広告代理店の開発部門や民間のゲームメーカーは慌てて、ポケモンGOはARなんかではない!と主張しているようだが、一般市民はそんな細かい定義などどうでもいいのだ。既にポケモンGOこそ具体的なARの一例だという事になっている。

ポケモンGO これに関わり命を落としたり、危険性を世界が規制し始めた。

 
ポケモンGOは位置情報ゲームだと言い張るAR、あるいはVR関係者があちこちでコメントを述べているが、彼らがどんなに違うと言い張っても一般的にはARというものを理解するに良い一番具体的なものだとされている。

 新しい、新しいという先端技術が本当に我々の生活に役に立っているのか?今後は報道やネット情報を鵜呑みにするのではなく、各人が自分の判断でその新技術を活用するか否か、メリット・デメリットを理解して行かねばエライ事に成ってしまうだろう。

一羽で生き抜く球磨川河口のミヤコドリ! I observed Eurasian Oystercatcher survives alone at estuary of Kuma-river.

 昨日は人吉からの戻り旅程で蓄積疲労が出たのか、自宅に戻ったのが22時を過ぎており、ブログアップをサボってしまった。熊本空港のANAラウンジでアップしようと思えばできたのだが、疲労から来る睡魔には勝てず不覚にもパソコンデスクで寝てしまった。

 人吉の多くの打ち合わせで食べ過ぎたらしく、体重計の上で深呼吸してl空気をあと少し吸い込めば70kg台に戻りそうな所まで体重が戻っていた。またランニングを再開することにしよう。

 で、今日のネタは今回球磨川河口部で上げ潮の時に観察したカモの群れに一羽だけ混じって生き延びているミヤコドリ。
 19日に入った福岡市の和白干潟で遭遇した7~8羽のミヤコドリに引き続き、今回はヤマセミよりミヤコドリの方がご縁があったようだ。

 上げ潮だったので、球磨川河口の砂洲の面積がどんどん少なくなり、色々なカモが場所取りでせめぎあい、最終的には団子状態、オシクラまんじゅう状態に成ったが、結局岸の堤防に近い砂洲に順次移動していく様を観察した。
 
 そんな中、たった一羽のミヤコドリがどうやって他のカモ類の中で生き抜くか非常に興味があったが、意外にもデカい面で生き延びているのに驚かされた。

 狭くなりつつある砂洲の上で、寝ているカモ類を赤いくちばしで突き退かせ、時には声を上げて威嚇し、道を開けさせる。何度望遠レンズを笑いでゆすってしまったか判らない。

 まずは、団体生活の中のミヤコドリの生態をご報告。
上げ潮で、どんどん砂洲が狭くなっていく。くちばしで寝ているカモをツツいて退かせてみたり、追い立てたりして結構素行はよろしくないようだ。

間隔が狭くなってくるカモ同士の距離に嫌気がさし、鳴いて威嚇する。

周りは色々なカモが同居!やたらと威嚇しまくるミヤコドリ。

岸に近い砂洲へ逃れても周りを威嚇していた。

そうして、最後には一等席らしき場所に陣取って座り込んだ。


2016年11月25日金曜日

ヤマセミと鮎刺し網漁師の親密な関係!Close relation between a Crested kingfisher and sweetfish gill net fisherman!

 今日の人吉の朝の最低気温は2℃!いきなり寒波が入って雪が積もった関東に匹敵する寒さだった。大気に比べ比熱が高い球磨川の水は気温の影響をすぐには反映しないため、寒気と水温との差により発生する朝霧、川霧は最終的には朝10時まで消え去らなかった。

 しかし、朝霧も少なかった昨日の目の前の漁師の刺し網干し竿に関しては距離も近いため、比較的クリヤなヤマセミ画像を撮影できていた。

 このポイントは数年前偶然発見したヤマセミの羽根休めにお気に入りの場所。同時に厳冬期の渇水時には魚を餌とする野鳥が集まっているちょっとした穴場ポイントだ。

 時には、早朝から午前11時までこの干し竿周辺でパフォーマンスしてくれたケースもあった。唯一の難点は、ヤマセミが必ず球磨川の本流側を向いて留まり、なかなかこちらを向いて留まってくれないことだ。したがってヤマセミの後姿など何枚撮ってもしょうがないので、横向きや真後ろにカラスや猛禽類が迫った時の警戒時だけが貴重なシャッターチャンスなのだ。

 もちろんハイドに成り得る車の中から迷彩メッシュネット越しに撮影するので、警戒されることはあまりないが、犬の散歩やウォーキングのついでに話しかけて来る御仁が在ったりすると、あっという間に飛び去ってしまう。霧で刺し網漁の終了が遅くなった場合など、漁師さんがバイクで立ち去るのを心待ちにしているヤマセミの「まだか、まだか?」の鳴き声だけが続くことに成る。昨日と違って霧の濃かった今日は竿留まりのヤマセミ画像は撮れなかった。今日のブログは昨日のデータ。

球磨川ならではのヤマセミ風物詩。

飛び去っても何度も何度も竿に来る。


時折、こちらに目を配るヤマセミ君。

上空にある危機に警戒を怠らないヤマセミ。

球磨川対岸の民家群をバックにホバリング(=空中静止)。

遠くの景色に遅めの紅葉を配し、高さ7~10mでホバリングするヤマセミ。


2016年11月24日木曜日

球磨川本流、強烈な西陽の中で猛禽2種遭遇! I encountered two kinds of Raptor at Kuma river .

 今日の人吉盆地は冷え込んだ。午後から風も出てきて、錦町の球磨川本流では木々の枯葉が空を舞いながら長い距離を飛ぶ様が対岸から良く見えた。
 早朝、定番ヤマセミと久々のご対面の後、山間部の焼酎蒸留所で打ち合わせの後、昼から強烈な太陽の元、球磨川本流沿いに遡上した。

 ゆっくり車を動かしながら、対岸の木々などを注視したところ、樹木の中ほどに大型の野鳥を発見!100m以上離れてはいるが、明らかにトビではない事が瞬時に判った。双眼鏡で観る限りオオタカもしくはハイタカのようだった。

 一度樹林帯の奥へ消えたが、2分ほどでいきなり飛び出てきた!諦めずに500mm×2で狙っていて良かったと思った。一瞬フワッと反転して姿を見せたまま奥へ消えて行った。なんだか特別サービスをされたような気がした。

 その後、200m程移動してヤマセミの採餌失敗ダイブを撮影して後、対岸ではなくこちら側左岸の樹木の上にノスリが居るのを発見!猛烈な西陽で撮影的には酷いものだが、間近で見られる猛禽類らしきたたずまいをご紹介してみたい。猛禽類専門の方々には「こんな画像出すなよ、」と言われそうだがご容赦願いたい。

 
対岸の樹木に佇む姿は遠目にもトビなどではないとすぐに判別できた。

一旦樹林帯に消えた姿が再び現れた際は一瞬反転しただけだったが豪快だった。

鷹班模様がきれいだった。

尾羽の効果が相当大きいのが鷹の特徴なのだろう。

勿論、向こうからは充分こちらの存在が気になっているようだった。

あくまで白っぽさが強く感じられたノスリだった。

肉厚な主翼、太ももなどいかにも猛禽類らしい佇まいだ。


強い西陽に向かって悠々と飛んで行った。


2016年11月23日水曜日

タゲリの色は純日本風で好きだ!I like the color of Northern lapwing at an authentic Japanese style!

 葛飾北斎の美術館(すみだ北斎美術館)が墨田区に出来たと聞く。彼は江戸時代の日本の絵師としては、早くから西洋技法の絵の描き方を会得していたようだ。大阪市立美術館蔵の「潮干狩りの図」などでは遠くに描かれた半島というか岬が、印象派の描くようなブルー系で描かれ、遠近法に加えて色による遠方感を出し切っていて大好きな絵だ。

 その北斎が生きていれば、きっとこの野鳥の色が好きだと言ったに違いない。その名をタゲリという。センスや団扇のようなヒラヒラした感じの主翼なのだが、優雅・・・という言葉が似あう数少ない日本的だと思う。

 特にたたんだ時の主翼の一見メタリックで、なおかつ日本画の顔料で着色したような微妙な色は角度によって違って見えるので、一言でタゲリは何色?と訊かれると困ってしまう。

 今回は区画整理された農耕地に飛来しているのだが、例年とほぼ同じエリアだ。必ず見張り番が居て、危険が迫るとピーッ!と長く鳴いて皆一斉に飛び立つような感じだ。

 今回は今までと少し違い、非常に近距離まで逃げないので、アップの画像が珍しく撮れた。いわゆる筆者があまり好きではない止まった野鳥の画像なのだが、タゲリの採餌時の動きなども子供の頃よくやった缶蹴りの要領で、2~3歩だけ鬼に近づくようなぎこちない動きをする。

 農耕地に佇むと保護色になってしまい、なかなか見つけにくい。

こうして、草のない場所でも羽田土を穿って餌を探す。

アップにしてみると、くちばしがシャベルになっているのが判る。

戦いに出る化粧のような顔をしているが、決して好戦的な野鳥には見えない。

向きによって色が出たり出なかったりする。玉虫色?


団扇というか、ヤツガシラのようなヒラヒラした感じで飛ぶ。

今日の夕焼けは非常に綺麗だった。写真の川は球磨川。