2018年5月31日木曜日

九州からの長距離ドライブ帰りに寄った霧ヶ峰・八島湿原でカッコウ! I encountered common cuckoo at Yashima-wetland in Kirigamine high-land.

 朝5時半に滋賀県琵琶湖湖畔の彦根市ホテルルートインを出発、名神高速~中央高速経由で伊那谷を北上、岡谷ジャンクションで東京方面に分岐した際、一瞬諏訪湖が見え対岸の霧ヶ峰の山々が見えた。

 まだ時間は午前8時前だ、霧ヶ峰の八島湿原へ寄って1時間くらい野鳥観察・撮影をしても充分休日の帰京ラッシュ前には調布インターへたどり着くな・・・と思い、諏訪インターで一般道へ降りた。

 昨年セーターを忘れた際、自宅まで宅急便で届けて下さった「みさやま(=御射山)ヒュッテ」の若い経営者に御礼を言いたいとも思いつづら折りの山道を登った。八島湿原駐車場に着いたのは朝8時20分だった。晴れた日曜日なのにまだ10台程度の車しか来ておらず、意外な事だと思った。
みさやまヒュッテのお二人と・・・。

 駐車場へ入る手前の道で車の上の樹木に鳩らしき野鳥が留まったので超逆光の中撮影して置いたが、戻って画像を見たらやはりカッコウだった。 
 幾度も来慣れている八島湿原はこの5月という時期にだけは来た事が無かった。しかし来て驚いた!平地とは季節が一カ月半は違い、エゾノコリンゴや普通のコリンゴ、つまりズミの花が三分~五分咲きで今まさに春爛漫なのだ。路地にはサクラスミレ等のスミレ系が咲き、レンゲツツジが花開いていた。湿地帯はまだ草の新芽は出ておらず褐色だったがすぐに緑の新芽で覆われるだろう。

 その中、早くもノビタキが囀り、あちこちでカッコウが鳴いていた。未だ九州に居た1週間ほど前、野鳥観察の大先輩がカッコウやホトトギスを撮影に探鳥行だと言っていて羨ましい事だと思ったのだが、まさか帰途の途中で自分がカッコウに出遭えるとは思わなかった。

 木道を歩いていて、色々な野鳥の声が聴こえるが、間近でカッコウの声を聴いても、我が家の柱時計の定時の声とあまりに似ていて、ついつい2~3度聞きのがしてしまいそうに成ってしまった。
遠くから飛んでくる尾の長い中型野鳥を見つけ、瞬時にカッコウだと思った。すぐさま露出その他を確認しレンズを向けて初めて撮れたカッコウの飛翔画像。




相当遠い樹木のてっぺんで鳴いていた。


70m程の距離の樹木に来た際の一連の画像がこれ以降。カッコウやホトトギスがやる独特の格好だ。



盛んに自己主張するがごとく♪カッコウ、カッコウと鳴いていた。

番外編#団塊世代が日大アメフト事件を視て思う事、徒然なるままに。 Baby-boomer think about recent Japanese sports club and association's bad traditional & culture.

 此処2週間、どの一般メディアを見ても「日大アメフト事件」だらけだ。更にSNSは裏も取らない噂話っぽいネタを拡散し続けている。

 勿論、基本は日大の経営陣でもありながら、恥ずかしくもアメフト学連組織から除名され事実上の永久追放に成った内田元監督や井上元コーチの見え透いた大ウソ、関係者・メディアを見下した尊大な態度、追及されると逃げ廻り雲隠れする卑怯な態度が世の中の総スカンを買ったのだ。でもこの一件がスポーツ界の地雷を踏んでしまい、日本のスポーツ界が抱えてきた悪しき習慣・価値観・常識の火薬庫全体の大爆発に繋がるのだろうと思っている。
https://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20180530-00000072-jnn-soci
JNNニュースより抜粋

うがった見方をすれば非体育会系出身者が、今まで心の底で少なからず引け目を感じ、コンプレックスを持っていた体育会系全体を袋叩きにしているように感じたりもする。

 筆者は中学生以来今日に至るまで、決して文学青年ではなく、ましてや秀才・ガリ勉タイプでもなく、どちらかというとわんぱく坊主がそのままスポーツ系に育ったような体を常に動かす生き方をしてきた。大学生までは常に体のどこかにアザや擦り傷を作っていた。ともするともうすぐ70歳に成らんとするのに、その辺りは変わらないかもしれない。

 筆者のスポーツ歴は長く多岐にわたる。高校で陸上競技(ハイジャンプ)、都立学校でのクラブ活動はバレーボール部(あの大松監督のワンポイント・レッスンを受けた事が有る)、横浜国立大学で体育会系サッカー部(1971年和歌山国体・神奈川県代表権獲得)、社会人になってVANアイスホッケー部(東京都実業団1部リーグ)ではモントリオールオリンピック日本代表鈴木選手とフォワードのセットを組んだ事もある。更には30歳を越えてウインドサーフィンにはまり、南関東予選を経て全日本選手権大会にも出場。スノーボードにおいては大きな大会の前走を務め、長野オリンピックスノーボード競技役員も務めた。クロスカントリー・スキーレースにも、標高3000mからの山岳ダウンヒルスキーレースにも出場している。

 間違わないで欲しい、これらを列記したのは決してスポーツ歴の自慢しているのではない。これからこのブログで述べるコメント、論評を行うに充分な資格があるか否かを知って欲しいからだ。ろくに体育会系のスポーツを経験もしていないのに、ああだこうだとコメント・批評する無責任なケースとは違うという事を知って欲しいからだとご理解頂ければ嬉しい。

 筆者は音符も読めず楽器の一つも弾けない者が、コンサートや演奏家の批評をするのは大嫌いだし、アーティストに失礼だと思っている。サッカーをやった事もないものがワールドカップ日本代表や監督に対して好き勝手批評するのも大嫌いだ。そういう出来もしない自分の事を棚に上げて他人を批評するタイプは嫌いだし、とやかく言う資格が無いと思っている。この辺りは北野武が「バカ論」に書いている事に同じだ。

 ここで本題だ!

 今回の一連の報道や事情通の解説(SNSやTVワイドショー)で見えてきたことは、次の様な事ではないだろうかと推察している。

世の中の体育会系に属する者、あるいは出身者は一般的に・・・
① 平気で嘘をつく、しかも直ぐバレる様な見え透いた嘘をつく。
② まずい事は隠す、揉み消す、シラを切る、逃げる、隠れる。
③ 言葉での説明・解説が下手なので態度で威圧する、脅す、腕力で制裁する。
④ 同僚・仲間に内緒で抜け駆けをする、コネを使う、裏工作をする。
⑤ 過去の成績で身分や上下関係を決める、派閥を造る。
⑥ 成功者(自分より記録・成績上位者)を妬む、恨む、正々堂々としていない。
⑦ 非体育会系の者たちを馬鹿にする、見下す、差別する。

そうして、これらの事をコントロールできなかった巨大教育企業「日本大学」のだらしなさ、いい加減さ、構成人間達のレベルの低さもバレてしまった点が「オマケ」として出てきた訳だ。

これらは、今回の日大アメフト事件のみならず、女子レスリング伊調馨選手パワハラ事件、大相撲一連の暴力傷害事件、高校野球に関する昔からの諸問題。全日本スキー連盟の諸事件(セクハラ・パワハラ・派閥問題)色々なジャンルで証明・立証されている。

 30年近く広告代理店のスポーツ事業部で長い事業務を担当し、スポーツ領域で諸団体やメディアとの接触が多かったので、余計今回の問題が引き起こす世の中の動きには目が離せないでいる。

 今回の問題に関して海外のメディアが色々なコメントを送ってきているが、もっともだと思う事が多い。日本のスポーツ業界は報道するメディアを含めて間違いなく井の中の蛙で、ガラパゴス化してしまっている。
 上意下達のスパルタ教育はパワハラと紙一重なのだ。脅し・悪意のプレッシャー・パワハラによる恐怖克服指導法と選手本人の心の「奮起」を生み出すスパルタ方式(実際は古いが)の違いも判らない指導者は指導者たる資格は無いだろう。
 残念だがこの辺りはスポーツのクラブなどで泥にまみれて辛い練習・下積みを実際にした事のある人間にしか判らない。断言できる。何故1軍に成れないのか?何故試合に出してもらえないのか?何故スタメンに成れないのか?筆者には痛い程そういう状態に居る選手たちの心情が判る。理由は筆者が決して優れた「トップ選手」ではなかったからだ。

 今までスポーツ界で起こってきた色々な理不尽な事象に対しその団体やメディアは如何なる報道をしてきたろう?思い起こして分析をしてみると今回の日大アメフト事件の本質が見えてくるに違いない。

〇星稜高校時代の松井選手5打席連続敬遠に対し「高野連」は当時一体何をした?正々堂々試合をしろだの守備に着いたり戻る際は全力ダッシュをしないと高校生らしくない・・・と偉そうに言いながら、勝つためには連続敬遠をしても良いのか?
 彼、松井秀喜選手がMLBへ行ってそんな事が有ったろうか?絶好調だったワールドシリーズでMVPを取った際、松井は敬遠されたか?正々堂々としているのはスポーツの本場USAだからだろう?
 日本のスポーツ界はスポーツマンシップや最低限のスポーツマナー・ルールは、事実上まだ学べていないって事だろうか?高野連の中枢の頭の中は今回日大トップ陣と何ら変わらないと思う。
 勝つためには何でもアリは、この事件から正当化されたのでは?海外ではこういう卑怯で狡い方法は滅茶苦茶に攻撃される。MLBで後半大きな点差が開いているのに盗塁すると咎められるのと一緒だ。

 例えば熊本県代表に何度も選出されている秀岳館高校の野球選手に地元出身者が一人も居ない・・・って、他にも野球強豪校は皆そうなりつつあるが、高野連はどう考えているのだろう?高校野球当初の理念は何処へ行ったのだ?

 今回の日大アメフト事件が明らかにした日本のスポーツ界における根本的な悪のスパイラルは何処かで大改革しなければ…と思う。

 全てのスポーツジャンルで全国的にトップクラスになる学校・団体スポーツ(=大学・高校のスポーツビジネス)においての常識(使命)は次の通りだろうと推察する。

①トップ(=優勝)に成らねばメディアに扱われないので後援者・スポンサーからサポート・資金を得られなくなる。
②勝たねば(=優勝)監督・コーチの地位向上・名誉・ギャラ向上に繋がらない。
③勝たねば(=優勝)団体所属の選手たちの「就活」「出世」に良い効果が出ない。
④勝たねば(=優勝)入学希望者たちが減ってしまう。

これらを無理なく、ストレスなく、犠牲者なく達成する為には、やはりアメリカなどの大学スポーツ組織の運営方法、最先端の現場の状況をもっともっと学ぶべきだろう。この先の新たな動向を注視して行こうと思う。

2018年5月30日水曜日

団塊世代は再び車で九州を目指した。その2. Baby-Boomer went to Kyushu again by car. vol.2

 色々、想い出深い小倉で一泊し、小学校時代のクラスメートと人気の資(すけ)さんでゴボ天うどん(鶏肉トッピング付き)のディナーパーティ開催。ぼた餅が正式メニューで話題になった福岡県北部地域限定チェーン店(一部下関)の資さん。
 当然それだけでは足らず、夜食として揚子江の豚まん(ミニ)を2個購入。ホテルで頂いた、相変わらず美味かった。

 その他、食文化が素晴らしい小倉のご紹介を1日分のブログで行ってみようと思う。これらを5月5日子供の日、新門司のフェリー乗り場に到着してからの一日で行ったお店などを画像でご紹介!

フェリーが到着した朝6時半、前にも行った白野江植物園、開園は9時!時間がもったいないので今回は諦め、プランBの小倉・足立山森林公園を目指した。

門司港のレトロ地区は以前のままだった。日本で最初にバナナの叩き売りをした所として有名なエリアだ。

遊覧船も「海峡ドラマシップ」と呼べば何か違うモノのように聴こえる。あの手。この手で観光客をその気にさせる・・・凄い事だ。

小倉の湖月堂、さすが門司港の観光客も狙っているらしい。

福岡学芸大学附属小倉小学校時代のクラスメート(歯科医師)と合流して連れて行ってもらった黒崎の鰻屋田舎庵。此処の鰻丼は関西風に生から焼く様だ。いつも行く小倉の田舎庵より美味しいという事だが、そんな微妙な差はクラスメートほど判らない筆者だ、ゴメンなさい。
確かに美味しかった!東京と鰻そのものの載せ方が違うのも風流。

このお店のお品書き

このお店に飾られていた珍しいオオヤマレンゲ(大山蓮華)朴、泰山木、モクレンなどと同じ仲間。初めて知った花だった。何故か2週間後八代駅前のミック珈琲店に行ったら其処にも在って「あー大山蓮華だ!」と言ったら出水マスターに「シンジョー君よう知っとんな!」と驚かれた。しかしこんな珍しい花が行くところにやたらある方が驚きだった。

クラスメートのポルシェで足立山へ向かう途中、気の利いたcafeが在ったので是非寄ろうとリクエスト。入ってみて驚いた。なかなか東京にもないこじんまりとしたセンスの良いカフェで「桜亭」という名だった。結構地元でも有名らしく、本物のプリンが非常に美味しかった。

資さんの店内、北九州へ行ったらお約束の一店。

ミニクラス会、メニューは各自注文で!左は博多駅から新幹線で駆け付けたクラスメート、農学博士。

筆者の好みはゴボ天うどんに鶏肉のトッピング付き!

小学生の頃には無かった揚子江の豚まん、広告代理店の出張時に知って病みつきに成った地方の名品!

中身の充実と皮の美味しさは長崎駅の豚まん桃太呂に匹敵する。

九州第1日目は少々食べ過ぎであっという間の爆睡だった!

2018年5月29日火曜日

団塊世代は北九州の小倉に特別の想いが在るのだ。 Baby-Boomer has special memories in Kokura in City of Kitakyushu.

 さすが5月のゴールデンウイーク、多客・多忙な河内長野市の岩湧山四季彩館スタッフの邪魔をしてはいけないと、早々に山を下りた。慣れない大阪の街で食事を摂るのも嫌だったので、阪九フェリー乗り場にレストランくらいあるだろうと直行したのが間違いだった。

 基本的にフェリー乗り場には何もないのだ。売店が一軒在っただけ。そこでカップラーメンを購入。お湯を貰って4分待って昼食にした。実はこれが今回23日間の貧相な食生活の第一歩だった。

 この泉大津~新門司間の阪九フェリーに関するレポートはリアルタイムで5月5日~6日の2回に分けてリアルタイムで投稿したのでご参照願いたい。
5月5日(土)=「団塊世代がフェリーの上から見た太陽と海。」
http://yamasemiweb.blogspot.jp/2018/05/the-baby-boomer-watched-sun-ocean-from.html
5月6日(日)=「団塊世代はフェリーの設備が不満だった。」
http://yamasemiweb.blogspot.jp/2018/05/the-baby-boomer-generation-was.html

 今日は筆者が小学校1年生の夏から6年生の夏まで過ごした、北九州市小倉北区(当時は北九州5市の一つ小倉市)のレポート。筆者は「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」の中でもこの小倉市に関しては詳しく触れている。

団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #16. 「旦過市場は日本一の市場。」
 http://yamasemiweb.blogspot.jp/2014/02/i-think-tanga-market-which-located-in.html

 昭和30年代がそのまま残っている小倉の銀天街の南に続く「旦過市場」。父親に連れられて何度歩いた事だろう。当時は今よりはるかに賑わい混雑していた。今でもそのイメージや匂いはそのままだ。
 
 広告代理店勤めに成って、なおかつ会社勤めを卒業した後に意外な身近にこの小倉出身者が居る事が判明、ことのほか小倉への想いが募る今日この頃だが、実に不思議な街なのだこの小倉は。
イラストレーターの真鍋博さんの描く未来がそのまま現実になったような立体的な姿を見せる小倉だ。

何と言っても中心の盛り場はこの魚町銀天街。非常に天井の高いアーケードなので心地良い。全国的に見てもシャッター店舗がこれほど少ないアーケードは無いだろうと思う。

途中から横道に入ると鳥町食道街があり、我が父が通い詰めた中華屋の「耕治」がある。東京から転勤して来た我が父は豚骨ラーメンを食べられなかったので、東京風の澄んだスープの「耕治」へ毎回家族を連れて行ったのだ。今回も半チャン・半ラーメンセットを食べたが、スープも炒飯も非常に美味しかった。

同じ銀天街から横方向の筋に子供の頃から在る栗饅頭で有名な「湖月堂」。人吉の皆さんへのお土産を此処で調達した。いつも羽田空港のお店ばかりだったので・・・。此処の二階はレストランに成っている。幾度か入ったが広くて気持ちが良い。

栗饅頭に加えて、季節ものの「ちまき」と「かしわ餅」を調達。人吉でも「湖月堂」は名が通っていたようで好評だった。

そうしてその南に在るのが通称「旦過市場」本当は旦過中央市場という。

団塊世代が終活に入ったから出来たと見えるお店も・・・。

この旦過市場はモノクロ写真で観るのが当たり前、昭和30年代が蘇る。

子供の頃、お腹に出刃包丁が刺さったままの男の人が雨戸に乗せられて運ばれて行くのに二度ほど遭遇した。父親は肩車して「俊郎!よく見ておくんだぞ。」と言った。何故包丁を抜かないのか訊いたら「抜いたら死んじゃうんだぞ。」と教わった。江田島海軍兵学校の教官上がりの我が父は普通の優しいパパではなかった。

旦過市場の横丁は今でも昭和時代の映画をそのまま撮れる場所だ。

ぬか炊きは人気のお土産食材だ。非常に賑わってる。

2018年5月28日月曜日

団塊世代は再び車で九州を目指した。その1 Baby-Boomer went to Kyushu again by car. vol.1

  幾度もこのブログでご紹介した通り、昨年の5月に引き続き、今年も5月の連休のど真ん中5月4日(祝)から自分の車で陸路+海路九州を目指した。今日から不定期に数回そのレポートをアップする予定だ。

 筆者は車に対しての特別な想いはない。外国車が好きだの、自分をカッコよく見せたいステータスシンボルとしての存在としての位置づけもない。まず安全に運行し燃費が良ければ充分。荷物は沢山積める方が良いとは思う。後は雪道でも凍結道路でも安全に一定の速度で走れればそれで良いと思っている。だからクルマは基本的にモノを運ぶ為の動く道具だと思っている。

 その観点から言えば、理想はダブルキャブのピックアップ・トラックが良いが、走行性能・居住性で長距離運転に適した車種は未だに出遭った事が無い。
 要は形が良くて綺麗な車に乗っている自分を想像したりはしない。車の色など運転席に乗ってみれば見えないので殆ど気にしない。品の無い色は嫌だが・・・。

 広告代理店時代から仕事の関係で最近社名をスバルに統一した富士重工・スバルの車を乗り継いできている。1960年代からスノースポーツが大好きだったのでレオーネの時代から四駆を好んで乗り継いできた。
 故障しない、壊れない、万一トラブルがあっても国内ですぐ修理可能という意味からも外車には乗らない、ましてや左ハンドルなど絶対に乗らない。
 最近の国産車もトランスホーマーのロボット?の壊れた部品のようなオモチャ的デザインばっかりで品が無く好きになれない。その中でスバルだけは車の持つ色気を十分に継承してくれているので好ましい。スバルに乗って早や30年以上。今まで一度も故障した事が無かった。

 去年も今年も車はスバル・アウトバック・L.L.Bean仕様モデルだ。ここ数年九州へ幾度も行くが全て現地でのレンタカーだったので自分の車にはあまり乗っていなかった。しかし自分のスバル・アウトバックで昨年は九州往復で2,850km、今年は3,220km走破した。

 事前にファンベルト交換、オイル・オイルエレメント交換など長距離ドライブの準備は念入りに、完璧に行った。昨年もタイヤを新しくして世話になり仲良くなっている三鷹スーパーオートバックスにチューンナップをお願いした。
 オートバックスよりはるかに近い所にスバルの研究所やディーラーが在るのだが、一度2度目の車検更新の際に重要な部分を修理(高額見積もりだった)しておかないと・・・と言われ、セカンドオピニオンでオートバックスに訊いたら「大丈夫です!」と太鼓判を押されて以来2度と行かなくなった。

 天下のスバルの車がたかが6~7年普通の乗り方をしていてそんな重要な修理が必要な訳ないだろう?もしそうなら欠陥車だという疑念が湧き、それが正しかった訳だ、要は足元を視られたのだと思う。現に昨年・今年と2度東京~九州を往復して何の問題も無いのはどうしてだ?論より証拠だろ。

 で、いつ出発するか?これが問題だった。無駄の嫌いな筆者は勿論ETC料金が割引になる土日・休日の運転を基本にJHの渋滞マップを研究し5月4日、連休上り下りのピークの真ん中の日の午前零時に東京インターを出発すれば渋滞に一切遭遇せず目的地の大阪・河内長野市の岩湧山四季彩館へ到着するだろうと踏んだ。

 見事に功を奏し、到着予定時刻午前7時20分(連休5月4日の想定時間)より早く午前6時30分に四季彩館第一駐車場に到着できた。今日のレポートはまずそこに着くまでの様子。
瀬田の東京インターに入ったのがちょうど午前0時4分だった。予定より4分ほど遅れてしまった。

新東名に入ってしばらくして気が付いたら135km/hで走っていて驚いた。スピード感が無いのだ、車線幅が広いのだろう。スキー場で幅広いコースを飛ばしているとスピード感があまり無いのと同じ理屈だ。

豊田JCTは3時間半足らずで通過。

伊勢自動車道と名阪国道25号線分岐点で午前4時19分。

道の駅「伊賀」で休憩、赤福が如何にも伊勢近いSAだった。

名阪国道25号線の奈良の一本松付近で夜が明けた。ノールック撮影!

奈良盆地で法隆寺インターなどを通過。初めて知った法隆寺インター。

6時頃には既に高速を降りていて、ひたすら一般道を南へ下った。

途中で、いかにも関西っぽいランドマークに遭遇。宗教団体の塔。

岩湧山の頂上に一番近い無料駐車場に着いたのは午前6時30分。写真撮影が10分後に成った理由はすぐ傍の樹のてっぺんで囀るオオルリの撮影でドタバタしていたからだった。

四季彩館が開く午前10時まで3時間強、テラスから思う存分目の前のオオルリを撮影できる至福の時間だった。その際強風の中録画してみた四季彩館のオオルリの囀りがこれ。

10時きっかりに開いた四季彩館前で記念撮影。FBでしか繋がっていなかった瀬沢氏と生で逢えた瞬間だった。真ん中が瀬沢さん、右は河内長野市産業経済部農林課の小西館長。