2018年9月30日日曜日

ヤマセミ採餌から岩着地までのシークエンス。 Crested kingfisher sequence of after catching fish at Kuma river.

 非常に強い台風24号の接近を報ずるTV情報を横目で観ながら、いつも通っている人吉市や球磨川に被害が出なければ良いと祈りつつブログ更新のデスクに向かっている。
 50年に一度の~という表現を今年はずいぶん頻繁に聴いた様な気がするが、いささか「狼少年」状態になってしまった感もする。

 昨日のブログ、ボランティア論へのアクセスが普段の倍近くもあり驚くと共に、同じ様な思いの方からのメールで少し安心した。特に実際ボランティアに参加した方からの体験実話には考えさせられることが多かった。

 中でも、熊本地震の際、ある登山家の応援グループに同行したメンバーが、競技場のようなところに簡易テントを200個無償提供し、100以上立てている際、昼に成りメンバーが順番に持参した昼食を摂っていたら、同じ競技場に停めた車の被災者らしき地元の方から「なんば休みよるとか、早よせんか!」と大声で急かされトラブったという。

 その被災者らしき男性は自分の車の中に寝泊りしているらしく、自分ではテント設営の手伝いも何もせず、早くテントに入りたかったのか判らないが・・・。しかし、何で東京から駆け付けたボランティアの我々がそんな事怒鳴られなきゃいけないんだ!と皆が怒って未開梱のテントを半分残したまま引き上げた、というメールを読んで考えさせられた。

 筆者も毎日更新しているYAMASEMI WEB BLOGのその日のテーマを熊本県内のある野鳥好きサークル専用メール網に告知していたが、熊本地震を被災された一人から「人が難儀している時に楽しそうな野鳥ブログの告知などしやがって、遠慮しろ!」と叩かれてしまった。毎日同じような内容だし中身は判っているのだから、見たくなければ開けねば良いだけの話なのだが「心の余裕・ゆとり」がこういう際には無くなるのだろう。

 そこでその御仁に詫びてそのメーリングリスト上での投稿告知を止めたら、翌日別の方多数から「何でヤメタ?被害は被害で仕方が無いが、辛い時期だからこそ好きな野鳥の画像を見て少しでも心が和むのに・・・。」と再開を要望された。
 応援して下さる皆さんには、このブログへの直接アクセスをお願いしてそのサークルを脱退することにした。2年前の話だ。

 まあ、個人の資質や品位、未だ一部に残る排他的な人間性の問題なのだが、ボランティアに行く場所の地域性には非常に気を付けなければいけないという体験をさせて頂いた。

 阪神淡路や東日本の際には聞いた事のない事だけに、熊本という地域性、被災者の絶望感と余裕のなさが成せる技だったかもしれないが、現場では色々な事が起こる。
 この事件はボランティアに行った彼らが怒り狂って即Twitterに投稿したため、一時全国的に話題に成ったようだが、現場での人間同士のトラブルに関してもボランティア活動に関する一般常識の情報発信が大切だと思う次第。奥が深いと感じた。

 そういう被害が生じない様、台風の情報を気にしながらも、今日のブログは球磨川本流で魚をゲットしたヤマセミが、水中からこちらに向かって餌を咥えて飛んで来ていつもの岩に留まるまでのシークエンス。この日3匹目の採餌行動だった。










このメスは人吉へ通い始めて2年間ほぼ毎回顔を合わせる個体なので、筆者の事を完全に認識していると思われる。従って警戒心は殆ど無く60分くらい観察撮影していても平気で目の前でパフォーマンスをしてくれた。筆者は車のすぐ脇で土手に腰を下ろしながら撮影している。

2018年9月29日土曜日

団塊世代は東京オリンピックのボランティア計画を訝しいと思う。 The baby-boomer generation thinks the volunteer plan of the Tokyo Olympics is doubtful.

 最近は、「ボランティア」という定義には非常に幅広い意味が生じてきているが、相変わらず不勉強極まりないメディア・マスコミは全てをごちゃごちゃにして報道している。

 昔は「ボランティア」と言えば軍隊の志願兵としての意味が一番として大きかった。英国のスーパードラマ「刑事フォイル」でも、会話の中にほぼ毎回この言葉が出て来る。

 つい最近の日本では山口県で行方不明になった2歳の男児を大分県から駆けつけて発見した、尾畠春夫さん(78歳)の実績とその考え方、人柄・信念に心打たれ、一般国民がいい加減な気持ちでボランティアをしてはいけないという認識を新たにしたばかりだ。
http://blogos.com/article/320153/?p=1

 3.11の東日本大震災や熊本地震の際にはビートたけし(=北野武)が、ボランティア行動に関するまっとうな意見を発信している。
https://www.news-postseven.com/archives/20170311_500488.html

 災害時のボランティアは困っている人、途方に暮れている人の役に少しでも役に立ちたいという「善意の自発性」によって自己犠牲(食事・移動手段・宿泊寝床を自前で準備)を伴いながら行うものだ。
 大分県から子供探しに駆けつけて発見した、尾畠春夫さん(78歳)の行動そのものだ。
 
 一方戦時の志願兵は、自国を守る、自国民を守るという意志から自発的に国の為の自己犠牲精神で参加するものだ。

此処で、同じ「ボランティア」という言葉で報道されている2020年東京オリンピックの応募ボランティアたち、そしてそのオリンピック・ボランティアというものが如何に「異質」で本来の「ボランティア」からかけ離れている、いい加減なものかを述べたいと思う。

 1964年の東京オリンピックでも今でいうボランティアに近い形の運営スタッフが臨時的に用意されたが、「大会の運営にかかわった臨時スタッフは7,298名の体育大の学生、競技団体の関係者が採用された。
 その他に14,400名余りのボーイスカウトや少年団員が毎日会場にある参加国の国旗の管理を任されていた。その他、消防署が会場管理、警察署が交通整備、自衛隊が警備と緊急事件対応を担当していた。」との記述がある。今回2020年の様に延べ11万人もの民間ボランティアを1日1000円の交通費支給のみで募集し、応募者の善意のみでこき使おうと言うようなイージーで無責任な運営体制ではなかった。

 しかし、東日本大震災の原発事故隠しという目論見も見え隠れする中開催が決定した今回2020年東京オリンピックのボランティアは、これら大災害時の「自発的善意によるボランティア」とは全然違う「ある種の欲と優越感欲しさの関係者面(ヅラ)したい者」の集団だろうと推察する。
 ビートたけしが言うような、黙って本当に困っている人達の支援をするだけ・・・、というスタイルではない、ボランティア参加する事で自分が得られる「特典・経験」が非常に希少価値的なものだから…という動機が多い様な気がする。

 数週間前のこのブログでも述べた通り、筆者は1994年のリレハンメルオリンピックの故三笠宮寛仁親王殿下主催の日本ナショナルチーム・レセプションへ招待され、リレハンメルの丘の上に立つ王宮へ赴いたのだ。

 そこで殿下からノルウェーのボランティア総責任者ノーメさんを紹介され、ひとしきりレクチャーを受けた後、現場のボランティア教育専任担当のユルゲン・スカッグさんを紹介された。1998年の長野オリンピックに向けそのユルゲンさんから詳しいリレハンメルオリンピック時のボランティア選抜試験(なんと試験があるのだ)や応募資格に関しての実際を学んだのが昨日の事のように思い出される。
ユルゲンさんとIOCメンバーの方の名刺、デザインにも品格があった。

ユルゲンさんの話だと、次のような感じだった。

① 応募条件は基本的に日常英語の会話・読み書き(試験必須)が出来る事。
② 宿舎は自分で手当てするか、運営委員会で用意する民宿・男女の体育館内ベッドを利用する事。(無償)
③ 最低ボランティア期間は全期間勤められる事。良い所取りは不可。
④ ユニフォームは使用後受け取れるが、施設への寄付を望む。
⑤ 人工呼吸、救命措置、怪我手当が出来るものは特別優遇。

 ⑤に関しては現地でなければその理由は判らなかった。氷点下25度を軽く超える過去最高の高緯度都市で行われた冬期オリンピックなので、低体温症、凍った道路での転倒、寒さ故の各種傷病対応が必須だった。


 開閉会式が行われたスキージャンプ場では、待つ間に観客が各自のウレタン敷マット(これが無ければとてもじゃないが長く立っていられなかった)の上で「ホッホッ・ホッホッ」と大合唱しながらジャンプしなければ頭痛がして倒れてしまうというもの凄い大会だった。

 実は2020年の東京オリンピックはこれの真逆で、その暑さに対する介護資格保有者の分配、ボランティアメンバーへの教育・指導などが必須だと思うが、今のところボランティアに対する対応は不透明だ。

 同時に、このボランティアに志願するもの達の覚悟と心構え、如いてはそれを束ねる者の危うさ情報が日に日に漏れて来ている。
 前出の通り、2020オリンピックのボランティアたちの殆どは、担当者(=運営側)としての名誉(=優越感)と特権意識(競技を生で観られそう、有名選手に近づけそう、あわよくば一緒に写真?、特定エリアに行けそう、売っていない記念品を手に入れられそう)を目指して応募してくる精神構造だと思っていて間違いないと思う。

 長野オリンピックでは、スキー、スノーボード競技のコースフェンスに張り巡らせたオリンピックのバナーを、まだ最終走者がゴールする前の競技中から奪い合うようにして我が物にしようとするスタッフユニフォームを着た競技係員やボランティアの姿を見て呆れかえってしまったのを覚えている。
 海外メディアがこれらをどのように自国で報道したか考えると寒気がする。日本のイベント・ボランティアなんてこんなもんだと思い悲しくなった。

 これに対して、前出の無給覚悟で全て持ち出しで困っている人助けを続けてきている尾畠春夫さん(78歳)を手本にしたような災害救援ボランティア達を同じ「ボランティア」という言葉で一緒にして良いモノだろうか?

 オリンピックと言えば今や世界最大のスポーツ商業ビジネスの権化だ。放映権料、スポンサー独占エンブレム使用権、会場内での排他的独占権(AD,PR,ロゴ露出・販売など)で巨大なマネーが動く。
 そんな世界のスポーツ貴族(汚職や不正の塊)や巨大企業の宣伝の場、あるいは大きな放送権料をせしめるメディア・・・。其の海外大陸メディアの要請を理由にIOCから競技開催日程や時間帯まで指示されるJOC。

 スポンサーからの莫大な協賛金、放映権料が開催都市に一体いくら来るのだ?ハナから日本のオリンピック連盟JOCは運営の末端をすべて日に1000円程度の交通費を払うだけで11万人以上動員するつもりで計画を立てていたのか?一体2020東京オリンピック開催は誰が一番喜ぶのだ?森喜朗か?小池百合子か?それとも福島原発事故のその後の収拾不備や汚染水垂れ流しをカモフラージュしたい政府・東電なのだろうか?
 これはこれでボランティア酷使問題とは別の話になるのだが・・・。

 話を戻そう。

 そのしわ寄せが1日1000円、後はすべて自前という過酷な条件で、軽薄な気持ちと覚悟で参加しようとするオリンピックボランティア。どこか非常におかしく無いだろうか?其れだけ多くの金が動いて誰の懐へ入るのだ?一部の企業や組織が潤う為に何で1日1000円で開催国の国民がこき使われなきゃいけないのだ?

 もう少し、この不合理の実状が判ったらこの続きをアップしてみたい。
 街中案内のボランティアにしてもこんなデザインで大群衆に紛れたら判る訳なかろう?
 JOCならびに東京都の行政担当者たちは過去の大会のボランティアユニフォームをきちんと勉強したのだろうか?都知事の好き嫌いで決められたらたまったもんじゃない。舛添君にしても小池百合子にしてもそのセンスの酷さは誰もが承知している事だろうに。
https://matome.naver.jp/odai/2144232794068867701

 ボランティア・ユニフォームにしても余りに日本の関係者たちの感覚がおかしいという案件に関してはまた少しして週末投稿したい。

この時期の球磨川のヤマセミ達は昼は単独行動が多い。 In autumn Crested kingfishers of Hitoyoshi area often act alone in a daytime.

 しばらく前までは、ヤマセミは繁殖期が終わるとオスとメスは別れて生活する・・・という記述がヤマセミの生態を説明した文献や野鳥ブログ記述に多かった。

 しかし、人吉エリアの球磨川流域のヤマセミに関してのみかもしれないが、2010年からの8年間の観察データ、画像データが示す所によると、ヤマセミは必ず通年でつがい行動を行い、お互いの距離は繁殖期でピッタリ寄り添い、子育て期~真夏は10~50m、秋~初冬においては10~50m(早朝と夕方)100~800m以上(日中)が多い事が判っている。これも1つがいだけではなく、人吉界隈の少なくとも5カ所で行動するヤマセミファミリーの様子を観察しての結果だ。

 したがって、年間のある時期に成るとつがいの相手と別れ、関係を解消してバラバラに別居し、単独で生きる事は無い事が判っている。

 これは見通しの利く広い川幅を持つ球磨川流域での観察のお陰で判明した事だ。これが山奥で見通しの利かない場所での生態観察では、まず判らなかったろうと思う。
 広い場所で、なおかつ人間とその生活領域を共有している人吉・球磨エリアだからこそ通年で詳しく観察できたものと人吉でのヤマセミとの出遭いに感謝している。

 その人吉エリアのヤマセミも、子育て・幼鳥教育が終わって8月から10月後半までは球磨川流域に押し寄せるアユ釣りの太公望達を嫌い、支流部などに引っ込んでしまう。

 それが、10月の声を聴く頃に成ると、ポツポツと日常のエリアに戻って来る。早朝の採餌タイムには2羽で仲良く行動するものの、まだまだ日中は単独行動が多い様だ。今日はそういった画像をご紹介。
 




此処までは球磨川支流部のヤマセミ。これは朝11時を過ぎての画像なので一羽だが、早朝日の出から2時間は2羽で付かず離れず行動をしていた。

此処からは主に球磨川本流で行動するヤマセミ。特にこのメスは筆者を個別認識しているのであまり警戒しないで居てくれた。




 人吉エリアにおいて、その行動パターンを一番観察しやすかったメスのヤマセミ。この個体は本流が好きで、筆者の姿と毎回同じ色のレンタカー、フィットで訪れる事を認識している為、日中でもすぐ傍の土手まで降りて来て平然としていた。早朝はつがいで人吉市の公共施設のフェンスに仲良く現れるお馴染みさん。

2018年9月28日金曜日

久しぶりに目の前でヤマセミホバリング!産卵前の鮎狙いか? After long time, Crested kingfisher hovering for catch sweetfish.

 実は球磨川の鮎は人吉市内のど真ん中あたりでも産卵するという。手ごろな石が平坦に成っている場所が、市外と同じで市内ど真ん中にも多いというのだ。色々な意味で自然と共存している人吉市の素晴らしい所だろうと思う。

 例えばテレビ局の自然番組の撮影クルーが鮎の産卵を水中カメラで収録して、写す画面が水中から水上に上がると、正面の堤防の上にコンビニの看板が映ったりしかねないのだ。それはそれで凄い画像に成るとは思うが・・・。

 首都圏や京阪神に住んでいる多くの人間は、大自然と言える場所に行き着くまでに時間が掛かるので、大都市と大自然の間には今でも相当距離があると思っている。

 同時に「集落=里」と「山間部=奥山」の間にはかって多くの「山麓=里山」が存在したのだが、文明が発達し人間が畑作や草木採集・果樹育成・収穫で「里山」を活用しなくなり、足を踏み入れない様に成ってしまった。

 その結果、人間と獣との生活緩衝帯、つまり調整場所だった「里山」が消滅し、獣が「奥山」に加えかって在った「里山=実質今は奥山になってしまった」の領域まで徘徊する様になった結果、獣が里まで顔を出すようになってしまった。クマ、サル、イノシシ、シカなどの出没が多発しているのがこれだ。

 今日のヤマセミのホバリングは球磨川の人吉市内の土手から撮影したもので、逆の方向から撮影するとヤマセミの後ろに自動車工場の看板がしっかりと映ったはずだ。勿論その場合ヤマセミは後ろ向きなので絵には成らないのだが。 
珍しい夕方のホバリング!






結局ダイブする事無く、こちらへ向かって

移動を始め・・・・・。

結局筆者の頭の上を越えて行った。一種のサービスだったのだろうか?

2018年9月27日木曜日

急に気温が下がった山間部の野鳥達。 The wild birds ecology of mountain area in suddenly lower temperature.

 北海道の大雪山系や富士山の初冠雪が例年より早いと報じられている。今年は夏が暑くて長かった分、気温の下がり方があまりに急で体調を壊す方が増えているそうだ。早くもインフルエンザが猛威を振るい始め、学級閉鎖が起きている所が在ると聞く。

 一般の都会暮らしの人間でさえこれだもの、自然界の野鳥は環境の変化に戸惑っているのだろう。しかしそこはそれ、自然体で気象の変化は人間よりはるかに速く感じ取り、カマキリが泡のような卵を産み付ける場所が、毎年計ったようにその冬の積雪より高い位置にあるという予知能力と同じ「何か」を持っているのだろう。

 人間の様に暖房機で対処できない野生動物の生き抜く様を観察するのは非常に面白い。
ヤマガラやシジュウカラが好む有毒サポニンを含んだエゴの木の実らしいものを採餌中のヤマガラ。この毒は彼らには影響がない様だ。


頬張って飛んで行った。


コガラは黒っぽい木の実を咥えているが、樹の穴にいた蜘蛛か虫かもしれない。
小さなキノコが張り付いた樹木から木屑が噴出しているのに遭遇!

正面へ回ってみたら、穴の奥にコゲラが居た。

レンズを向けると、「目障りだ、あっち行け!」と睨まれた。大自然では野生生物の方が人間より気が強い。

2018年9月26日水曜日

草紅葉の戦場ヶ原は野鳥たちも食欲の秋! Many kind of Wild birds are taking foods everywhere at Senjogahara of Oku-Nikko.

  秋の長雨が、台風24号で更に長引きそうな気配。落ち着かないのが9月の天気らしい。武蔵野でも雨が続くので中二日でランニングを心がけているのが途絶えてしまっている。

 夏が暑く長かった分、急に気温が下がると自然体の野鳥たち、特に夏鳥たちは南へ戻る準備でたらふく食べこんでいるようだ。
 一方、ヤマガラなど留鳥は実りの秋に餌を保存するので、その場で食べるのではなく、貯蔵所までの往復で忙しい様だ。

 肉食系のノビタキはこの時期盛んにフライングキャッチを繰り返すのでチャッターチャンスは多いと言えよう。勿論三脚など使用していては撮れないが・・・。大体奥日光の木道に三脚を持ち込む事自体、行楽の秋を楽しむ一般の方々の迷惑に成るのでやめるべきなのだが・・・。
 
 野鳥撮影者も一人だと三脚など持ち込まず、静かな撮影者なのに、お仲間・グループと一緒だと、いきなり競って三脚を持ち込み木道を占領し高飛車な物言い、上から目線での横柄な口調に成るのが日本のバーダー。こんな標語もそのうち出て来そう。「気を付けよう、デカい態度に邪魔な三脚」
 




パックンで採餌完了!




草紅葉バックにフライングキャッチするノビタキを観ていると、飽きる事が無い。