2017年3月24日金曜日

ハシビロガモのグルグル! I saw Northern shoveler’s motion spin around at central Tokyo !

 熊本の有名な郷土料理?に葱を湯がいてグルグルに縛り上げた「一文字のグルグル」というヌタ(酢味噌)で食べるものがある。
 このグルグルと言う表現そのものの動きをするカモが居る。ハシビロガモだ。ツクシガモの様にコントラストのはっきりとしたカラーリングで、くちばしがシャベルの様になっている事から英名ではシャベラーと呼ばれている。

 このハシビロガモが市ヶ谷のお堀でグルグルやっていた。2年前は市ヶ谷のホームから撮影だったが、今回は駅を降りた道路上から撮影出来た。 
YOUTUBEの動画で見ると更に良く判る。(最下部にURL)

駅のホームにあまりに近く、ホームからは見えない。



羽を広げると更にカラフルなようだ。

この模様は動画でも収録できたのでYOUTUBEにアップした。
ハシビロガモのグルグル https://youtu.be/eH_1iM3Lm7k







2017年3月23日木曜日

球磨川峡谷部のオシドリ達。 Mandarin ducks in the Kuma-gawa canyon part.

 オシドリはこの冬あちこちで観ることが出来た。勿論、東京都心の新宿御苑にも居るが、たぶん毎年越冬に来るDNAを持ったオシドリ達なのだろう。球磨川流域に展開するオシドリ達も毎年来ているものと思われる。
  今年はいつになく多く来ているように感ずるが、毎年同じ場所に、同じ程度の数が飛来しているようだ。其れだけ、人吉球磨エリアが冬鳥の越冬に向いている環境である証なのだろう。中には6月過ぎまで見かける事もあるほどだ。
肥薩線那良口駅で下車球磨川沿いに川を観ながら移動すると居る。
しかし、散歩の犬の鳴き声などが聴こえたりすると・・・・。
一斉にワーッと飛び立つ!
そのザーッという羽音は峡谷にこだまして増幅する。
この時の飛び立ちも、遠くの車のドアをバタンと閉める音で飛び立った。

飛翔中のオシドリの画像はそう簡単には撮影出来ない。

しかしこうして飛び立ったオシドリ達は結局元の場所に戻って来る。

2017年3月22日水曜日

カワセミのペリット吐き飛ばし技目撃! I vomit pellet of the kingfisher and spurt and witness the skill !

 ヤマセミのペリット排泄は幾度も観察し、画像にも収録している。基本的に白い卵型の場合が殆どだ。基本的に光沢のある場合が多く、思いのほか大きいサイズで驚くことが多い。

 このペリットは他の野鳥でも出すのを目撃している。画像で収録されているのは、ジョウビタキ、イソヒヨドリなどだが、意外に今までヤマセミと同族のカワセミの記録が今までなかった。

 それが今日偶然、武蔵野の野川流域で撮影出来た。撮影中は何度も大口を開けていたので、ひょっとしてと思い、それらしき時には連写して置いたがファインダーをのぞいた限りではペリットが下に落ちたのは判らなかった。

 家のデスクに戻って画像を見て驚いた!なんとカワセミはなかなか出てこないペリットを首を振って、吹き飛ばしていたのだ!
ヤマセミがペリットを出す際と同じ仕草で、喉の奥に在る丸い卵状のペリットを吐き出そうとしている。この個体の場合茶色っぽいペリットの様だ。餌が小魚よりモエビや水生昆虫の方が多い事を示している。

ペリットが落ちてこない、ゲーッとなったまま顔を上げて・・・。

やにわに首を振った!

そうしたら卵状の茶色いペリットは吹き飛ばされて、カワセミの頭の後ろに吹き飛んだのが見える。上の画像と比べればお判りだろう。

飛ばされたペリットは画像右下の署名のすぐ上に落ちて行っている。

2017年3月21日火曜日

今日の主役はコガモ! Today's leading role is a green-winged teal.

  何処にでも居そうで、人吉球磨エリアではなかなかまとまって群れでいるのを見かける事は多くないが、今年はコガモの群れを多く見かけた。不知火干拓地、球磨川本流錦町付近などで数十羽の小群を見かけた。

 このコガモの面白い所は、つがい、もしくは1羽で行動している時にはあまり人の姿を見かけても飛び去らないのに、群れに成るとやたら飛び立ち周回飛行をして同じ場所に戻って来る。群れに成ると警戒心が強くなるのか?群集心理が働くのか、不思議だ。

 その昔、源平盛衰記の富士川の戦いで、平家側が水鳥の羽音で敵襲と勘違いして逃げたという、情けない話が在るが、実はそうではなく水鳥の逃げる羽音で危険を察知する用心・準備をしていたという二通りの説があって面白い。それがコガモか否かは不明だが。
 
コガモは国内のカモ類でも最小サイズになる。

不知火干拓のコガモたち。

錦町のコガモの群れ、夕方日没前

猛禽類の巣と思われる真横を集団で飛び回っていた。

ちょうど、オオタカを撮影した直後で、すぐを場に居た様だ。

旋回中だったのでターンをしている群れを撮影出来た。


2017年3月20日月曜日

緋寒桜にメジロの群れ The group which is a white-eye in Taiwan cherry

 春、お彼岸の3連休3日間晴天温暖な気候!何処もかしこも混まない訳が無い。コブシが終わってハクモクレンが最盛期、立川の昭和記念公園は野鳥の数より人間の数の方が多かった。広告代理店時代のプロゴルフトーナメントの観客を観てきた経験から言うと2~3万人は下らなかったと思う。

 東中神駅から歩いて昭島口から入った今日は昼過ぎなので、碌な野鳥には出遭えないと思っていたが、面白い画像が幾つか撮れたのでご紹介。 
満員の昭和記念公園で存在感を一生懸命主張しているツグミ。



寄り添うのはつがいなのか?




定期的にすぐ傍の林に消えるメジロのつがい?


2017年3月19日日曜日

ヤマセミ(川辺川太郎)の胸の褐色が薄くなっている。 Brown of a chest of a Crested kingfisher called Kawabe river Taro, becomes light.

 ヤマセミの個体識別は写真を視ているだけではまず不可能だろう。この観察はヤマセミ自体縄張りがはっきりとしているので、日々の変化を小まめにチェックする必要がある。

 1か月前にそこに居たヤマセミは、たぶん前から居るヤマセミだと思って間違いはないが、その1箇月の間に抜けていた風切羽が急に生えそろったり、オスの胸の褐色部分が消えてしまったり、急に物凄く濃くなったりしたら、個体が変った!と思って良い。

 尾羽の観察で言えば、抜け落ちた尾羽はほぼ3週間で元通りに成るとデータが出ている。これもほぼ1日置きに撮影した証拠画像で推し量ったモノ。

 今日の画像は、球磨川支流の川辺川で地元の方々が散歩の際にいつも目にして、「川辺川太郎・花子」と名付けているヤマセミのつがい。オスの太郎は胸の褐色部分が近隣で一番濃かったので凛々しいヤマセミとして人気だ。しかし、ここ半年褐色部分が薄くなっているので抜け替わっているのだと思われる。筆者の事を認識してくれている素振りは今回の撮影でも確認できた。

 車のドアの外にしゃがんで(もちろんブラインドになど入ってはいない)手持ちで撮影中、つがい2羽でこちらへ飛んで来た。とっさに50-500mmズームのピントを合わせられず、単なる確認証拠画像でしかないが、雰囲気だけでも判って頂けると思う。ヤマセミは警戒する相手の傍になど絶対に向かってこない。 
霧雨が降りだしていたが車の中から撮影した。

川辺川と球磨川本流合流部付近で花子。


上の画像から500m上流部で川辺川太郎

続いて花子のつがい。

暫らくして筆者の方へ揃って2羽で飛んで来た。

急に向きを変えたのでピントを合わせられなかった。もちろんしょっちゅうこういう事が有る訳では無い。人吉ならではの遭遇ハプニングだとは思っている。


2017年3月18日土曜日

団塊番外編「団塊世代を揶揄する投稿・記事が多いのは何故か?」 Many articles by the mockery of the baby-boomer generation why?

 最近はさほどでもないが、一時期団塊世代を揶揄する記事があちこちに載ったのを記憶されている方も多いだろう。
 堺屋太一さんの「団塊の世代」に書かれていた話の続編ともいうべき、団塊世代が60歳還暦に成った時の話、65歳に成って全員リタイヤした時の世の中の混乱話、5年ごとに2007年問題だの、2012年問題だの大げさにメディアが騒ぐ都度、一端の評論家気取りのライター、投稿者がああでもない、こうでもない、このような脅威が来るぞ!などと騒ぎ立てたものだ。

 結局、泰山鳴動ネズミ一匹に近い結果であったことは皆さんご存知の通りだ。これらの記事を書いたり投稿した者は、たいがい大手広告代理店の「自称・意識高い系」だったり、人からの聞きかじり情報を自分で想像・推測を加えてまとめて記述する「ネタ作り屋」によるところが殆どだから、一見賢そうなことを話して目立とうとする者の、実は根も葉もない話に近いと思って良い。

 自分では何も実務が出来ないのに、左の噂、右の情報をまとめてさもオリジナリティがあるかのように合成して造り出す技術が、広告代理店の「事情通」と言われる人たちの常とう手段だ。2020東京オリンピックのエンブレム騒動を視れば似た様な事が有った。AとBを合成してCを造りだせばそれはオリジナルなのだ・・・という勝手な論理でモノを進める。世の中の事象に対する評論も批評も全く同じだ。当事者意識などみじんも感じられない。ネット上でマーケティング論を投稿している者たちも、多かれ少なかれ単に横文字を多用した野次馬と思っている。

 ちょうど今から10年前2007年、NHK総合テレビの「日本のこれから」第11回放送(2月10日団塊・大量退職へ」と言う視聴者参加型スタジオ形式の生番組が在り、これに要請されて出演した。テーマは団塊世代の大量退職で世の中はどうなるか?というものだった。スタジオの席を団塊世代のグループと非団塊世代のグループに分けて討論を目論んだものだった。
民放のキッチンスタジアムさながらの討論スタジアムだった。
 
 ゲストは丹羽宇一郎、奥谷禮子、堺屋太一、崔洋一、谷村新司、金子勝宮台真司といった面々で、団塊世代の名付け親堺屋太一さんを始め、団塊世代・非団塊世代の著名人が並んだ。
NHKの生放送に出演した際堺屋太一さんにサインを頂いた貴重本。

 この番組が始まって直ぐ、金子勝と言う慶大の二流タレント教授が「団塊世代は子育てに失敗して、酷いものだ・・・」と発言し、団塊世代側からモノを投げられるほどの抗議を受け、更には生番組が定時ニュースで中断・休憩の15分間にも、団塊世代側の一団からつるし上げを食っていた。「あれはテレビを盛り上げる意味で・・・」まで言ってしまい、更に「大学教授がいい加減な事を・・・ふざけるな!」と小突き回されていた。
 
 まあ、大学教授と言うよりは、昔も今も質の悪いワイドショウの常連コメンテーター・タレントだからしょうがないのだろうが、自分が決めつける事に何の根拠も数値データも示さず、「団塊世代は子育てに失敗した・・・。」等と平気で生番組で発言する。世の中にそんなデータが在ってたまるものか。子育ての失敗と成功の定義すら存在しないのに、よく言えたものだと思う。こんな教授の話を聞かされる、慶応大学の学生達が不憫でならない。
靖国問題の回は視聴率が高かっただろうと思う。

 出席した際、筆者はこう言ってやった。「自分の意志でもなく、戦後のたった3年間に生まれた団塊世代と、そうではない残りの時期に生まれた数倍の世代の者たちを闘わせてどうする?番組のプロデューサーは一体どういう答えをこのアンバランスな世代同士の討論に期待しているのだ?番組の意図自体おかしくはないか?」これには拍手が鳴りやまなかった…もちろん団塊世代側が殆どだったが。


 要は何が言いたいかと言えば、団塊世代に対するこういった偏見、悪口、揶揄する者たちの本質は「団塊世代に対するやっかみ・妬み」以外の何ものでもないという事だ。自分たちだってもっと「何とか世代」と言われてメディアに載ったり、話題にして欲しいのだ、悔しいのだろう。

 だからこそ大手広告代理店の訳知りのような肩書をベースに「団塊世代は何故嫌われるか?」等と、何の根拠もないのに団塊世代が嫌われている・・・と決めつけるような書き方をする。そんなデータ何処に在るのだろう?逆にそうする事でしか自分の立ち位置をアピール出来ないのだろう。自分が妬んでいる事を隠して第三者面をして、世の中の不特定多数が嫌っている・・・という他人のせいにするしかないのだ、ちょっと可哀想な気もする。大手広告代理店が情報発信する世相や流行りものがウソの塊である事くらい、もう誰もが知っている。
 むしろ、「団塊世代に隠れた我々は何故目立たないのだろう?」くらいの文章を書いた方が共感を得られるような気がするのだが・・・。

 しかし、そう云う似非・批評家が目の敵にする団塊の世代には今までのこの世の中を動かしてきた個性の強い人間が目白押しだ。ビートたけし(北野武)に始まって、武田鉄矢、西田敏行、久米宏、村上春樹、中村雅俊、星野仙一、弘兼憲史、小林稔侍、吉田拓郎、テリー伊藤、沢田研二、三宅裕司、志村けん、高田純次、小田和正、森進一、布施明、森山良子、赤川次郎、五木ひろし、泉谷しげる、由紀さおり、舛添要一、南こうせつ、大竹まこと、矢沢永吉、森田健作、鳩山由紀夫、鳩山邦夫、菅直人など、好き嫌いは別にしても、そうそうたるメンバーが名を連ねている。

 団塊直後の世代には、多少著名人も居るが残念ながら団塊世代を超えた個性というものがなかなか見当たらない。先に出た慶大の金子勝が言っていた、我々団塊直後の世代はいつも団塊世代がひっかきまわし、楽しんだパーティの後の終わった会場に乗り遅れた集団の様な気がする・・・・という気持ちが少し判る様な気がする。しかし、それは団塊世代の責任ではないだろう?


 自分たちでパーティを開けばいいだけだ、それをしないで乗り遅れただの仲間に入れて欲しいなど考えが甘いのだ。自分で実務を実行しないで目立つところだけさっとすくって知識を得、文句ばかり声高に叫ぶ。一部をかじっただけで、さも全部を知っているような態度で人と接する、自分を売り込む。団塊世代にも居ない訳では無かったが、最終的にはすぐに化けの皮が剥がれるから長くは生き残れまい。

聴くだけではなく演奏する側に回ればいいのだ、客席から文句を言うだけなら誰でも出来る事。団塊世代には自分達で実践する力が有るのだ。
 確かに団塊世代の人間はパワーがあるし、いつまでも気が若く強引な面も在ろう。しかしそれは数が多い中で生き残るために、必要に迫られて自然と身に付いた資質なのだ。悪い方より、良い方にその資質が出ていると思うのだが如何だろう?