2023年9月29日金曜日

今年もブッポウソウは繁殖を終えて無事に南へ帰っただろうか? I wonder if the Dollarbird have finished breeding and returned safely to the south again this year?

  今朝は昨日の灼熱の昼間に比べ、高原のような爽やかさだったが昼間はやはり30℃超えの暑い1日になるのだろうか?

 ラグビーのサモア戦を観て寝不足の方も居ようが、1次リーグを突破できるか否か予断を許せない展開だ。

 今日のこのブログは、このところ観察ができていない南洋のカラフルな野鳥ブッポウソウの話だ。筆者が2010年から2020年まで毎年通ってヤマセミを観察してきた熊本県の人吉市をベースに50㎞四方を探鳥した際遭遇したのがこのブッポウソウだった。

 場所は宮崎県や鹿児島県との県境付近だから、一番奥まったところだ。アカショウビンやヤマショウビン、ヤイロチョウやヤツガシラなどにも遭遇できる希少種天国のエリア。

 よくある探鳥マップには絶対に載っていないエリアだ。ジモティ(=ロコ)でも知る人ぞ知るといった自然保護に関しては極地に近い神聖な場所だ。

 一度だけ、熊本市内からお越しになったグループを案内したことがある。びっくりされていたのが非常に印象的だった。ブッポウソウは熊本県北部でも有名な場所があると聞くが、その野鳥との距離と数において群を抜いていたようだ。

 このブッポウソウ、色・形・姿は南洋の鳥なので非常い印象的だが、その鳴き声を聴くと幻滅するかもしれない。ゲッ、ゲッ♪という声なのだ。オナガがギャーギャー鳴いて幻滅するのに似ている。元が恐竜なので仕方がないとは思うが・・。

 筆者が観察したのは6月~8月上旬。中旬にはもういなかった記憶がある。

生息密度は非常に高いが、年によって増減が激しい。

背景が日陰部分になるので印象的な絵になる。



親子、向こう側が親、手前が幼鳥。


出入りを観察すると面白い。

2023年9月28日木曜日

冬の九州で出遭うことが多いキクイタダキ、今年はどうだろう? How about the Goldcrest, which is often encountered in winter at Kyushu, this year?

  キクイタダキは基本的に北海道や本州中部以北で繁殖するようだ。だから夏季に九州で見かけることはあまりないらしい。

 筆者は九州で三度ほどこのキクイタダキに遭遇したが、いずれも11月の南阿蘇休暇村、11月の人吉市球磨川土手、それに10月の北九州小倉北区の足立山森林公園だった。

 それ以外で遭遇した場所は、京都御所、広島の厳島神社、奥日光戦場ヶ原、こちらは夏。

 今日ご紹介は南阿蘇の休暇村で出遭った個体。 

針葉樹を好んで飛び回ると聞いていたが・・。





これが本来の姿なのだろうか?

2023年9月27日水曜日

超逆光で明治神宮のカイツブリを撮影してみた。 I took a picture of a grebe at Meiji Shrine in super backlight.

  1日8時間以上パソコンに向かって何かをしている筆者は、11年間使い続けているパソコンの調子が最近おかしいので、機械的限界と考え新しいものを購入、データをすべて外付けHDにバックアップし、我がパソコンの師に使い続けたPCのOS入れ替えその他メンテを依頼した。

 まだ、新しいPCの調子その他調整で、旧PCの現役復帰はTwinモニターとの結線や2台のPCを1個のマウスと1個のキーボードで操作するリンク・コードをセッティングする為、少し先になるだろう。

 野鳥関連の画像データが50万カット以上になるので、不要データを1/3は消去したにもかかわらず相当数が残っている。塵も積もって今や押しつぶされそうだ・・。

 そんな中、明治神宮で撮影したカイツブリの画像が出てきた。超逆光下での撮影。

 野鳥撮影は生態の瞬間を撮りたい・・とこのブログで幾度も申し上げているが、こういった光とのコラボの瞬間も面白い。










野鳥だから羽が生えてエンジェルっぽいのは当たり前なのだが・・。

2023年9月26日火曜日

ササゴイが採餌に失敗した瞬間! The moment when the Striated heron failed to forage!

  筆者は野鳥撮影に毎日勤しんでいるが、やはりその生態のある瞬間を収録するのが一番うれしい。ただ枝に留まっている野鳥はなんか鳥類図鑑の様で味気ない気がする。

 やはり採餌の瞬間、繁殖活動の瞬間、縄張り争いの瞬間など必死の行動の一瞬が切り取れたらどれだけ嬉しいだろう?

 今日のブログはササゴイが石積みの土手からダイブしてオイカワをゲットしようとして逃げられ、追いかけて二度目のアタックをしたにもかかわらず失敗した起承転結。

 最後の悔しそうな「くそーっ!」という瞬間の顔つき!筆者的には野鳥撮影をしていて最高のカットの一つだと思っている。

足が滑ったのか、思う通りのダイブができなかったようだ。

水中を逃げるオイカワが見えている。

必死でジャンプしたオイカワ

宙を飛んで

水に落ちたのをササゴイはしっかりと見て

羽ばたきながら追いかけた!

しかし、オイカワは水中深く逃げ込んでしまった。

ササゴイは口惜しまぎれに、「くそーっ!」

2023年9月25日月曜日

オオヨシキリは鳴いていないときに採餌する。 The great reed warbler forages when it is not singing.

  写真には撮れなかったが、今年三鷹の野川でオオヨシキリの声を聴いた。9月の初めころ三日間同じ野川土手の薮でギョシギョシ♪と聞こえたので間違いないと思う。

 実は数年前も少し離れたため池のそばの葦原で鳴き声だけ聴いていたので、野川流域で夏を過ごしているのは間違いのない所だろう。繁殖しているか否かは不明。

 オオヨシキリを撮影する方はたいていその大きな鳴き声を目当てに目視して撮影すると思われる。したがってオオヨシキリの写真の多くは真っ赤な口を開けて頭の毛を逆立てて鳴いている場面が多い。せっかくだから黙っている画像より大口を開けて天に向かって鳴いている場面のほうが良い写真だから・・と、そうなるのは良く判る。

 しかし縄張りを主張している際よりも、羽虫をフライングキャッチしたり採餌しているときのオオヨシキリも良いものだと筆者は思う。今日はそんなオオヨシキリが蝶を見つけて採餌するシークエンス。

鳴いていないときは冠羽は逆立っていない。

・・・と、シロチョウが飛んできた。もう採餌体制!



ほぼゲット成功

以外に野鳥は鳥類を食すようだ。

2023年9月24日日曜日

団塊世代は、便利なモノがどんどん人間を退化させていると思う。 In this world, convenient things are increasingly humans degeneracy.

 最近読んだ本に北欧の精神科医師・研究者アンディシュ・ハンセンが出した「運動脳」というのがある。以前「スマホ脳」という本を出して大当たりした今や時の人だ。
http://yamasemiweb.blogspot.com/2023/01/baby-boomers-were-astonished-by.html
今年の頭に読んで、ニヤニヤしながら超納得した本。お勧め!

 この運動脳という本、日本の自称脳科学者・茂木健一郎氏がすぐさま要約本を出しているが、圧倒的にオリジナルを読んだ方が良い。中身が100倍違う。

 茂木氏の「運動脳の鍛え方」はいわばコピペ本と言ってもいいほどオリジナルをパクって、話題性のありそうなタイトルを付けベストセラー化を狙った本だ。

 これは出版界お得意、一種の後追い商法・パクリ商法だと思う。平凡出版がアンアンを1970年に出して、集英社がしばらくしてノンノを出したに似ている。同じく平凡出版POPEYEの後追いでHot Dog Pressを集英社が出したに似る。

 写真週刊誌フォーカスが出れば、すぐさまフライデーが出た。出版界は嫌らしいのだ、節操のない恥ずかしい世界なのだ。「生成系AIが版権やプライバシーを踏みにじる・・」とことさら大げさにメディアが騒いでいるが、メディア・出版業界ははるか昔から自分たちでやってきているのをお忘れか?

 茂木氏のこの本は中身が薄っぺらいし、ネットがこれだけ普及していなかったら、例えば1960年代の日本だったら、茂木氏自身誰にも知られない存在だったろう。

 ネットで、SNSで情報発信するからこそその存在を認知さえている「ネット人種」の一人だろう。ガーシー元議員にしろ、ひろゆき氏だの、ホリエモンだの、ネットで「おいらはこう思う・・。」的な発信をやたら中身を吟味せず公開することによって意見が広がる(=バズる?)「ネット人種」なのだと思う。

 今や若者中心に街中でスマホ歩きをして他人に多大な迷惑をかけ続けている「スマホジャンキー」それらが情報収集して自分の「意見」を構築していく源がこれら「ネット人種」なのだと筆者は思っている。

 今日のこのブログで言いたいのは実はそういう出版界云々の話ではない。

 石器で他部族の脳天をかち割ったあのスタンリーキューブリック監督「2001年宇宙の旅」の冒頭シーンの人類祖先から、今に至るまでいろいろ人間が生きていく上でいろいろ便利なモノが発明され、売られ産業として発展して来た。団塊世代は特にそのど真ん中で育ったから一番よく知っている。

 生まれた時から身の回りにパソコン、ネット、SNS、TV、VR、新幹線、ドローン、自販機、カード決済がある現代の子供たちと違い、我々団塊世代は、育つと共にこの世に出現した三種の神器(テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫)だの3C(クーラー、自動車、カラーテレビ)だのに日々驚異の声を上げ続けてきた。

 同時にそう言った新しいモノ・機械・製品は人間をより快適に生活させ長生きさせるものとして歓迎され喜ばれた。こういった新しいものが人類に悪い影響を与えるなど思いもしなかった。せいぜい教育面で一部TV番組がやり玉に挙がった程度だろう?

 それがここ最近出来てきたものは、確実に人間・人類を退化させていると筆者は憂えている。その3大アイテムが、自動車、スマホ、生成系AI(Chat GPTなど)

 ① まず自動車。
 自由に好きな所へ移動できるし、車特にコンテナなど輸送車がなければ人類はこんなに発展しなかったろうとそれは確信している。
 しかし、便利で安くなってだれにでも買えることになって、猫も杓子も若者も高齢者も、特に地方で公共交通機関インフラが十分でないエリアでは一人1台の時代になって久しい。

 しかしこの便利さは人間を歩かなくさせた。これで高齢者の足腰が全滅。寝たきり老人の比率はいまや日本が世界一だという。車で便利して、足腰が弱り、健康のためにウォーキング?何かどこか根本がおかしくないだろうか?

 ② 次にスマホ。
 幾度もこのブログでスマホの弊害を筆者は指摘してきた。ガラパゴス系と馬鹿にされながら筆者がスマホに替えたのはほんの2年前。相手の都合や状態を察することなく返答・返信を強制されるLineは入れず、支払いアプリやポイントがたまるアプリも一切入れない。だから月の通信費は2000円前後。
 
 しかしこの便利さは、人間に先を予測しない行動癖を生み出した。盗撮、乗っ取り、これ見よがしの高いスマホ自慢ごっこ(iPhon15)、スマホでしか撮れない写真の自慢サイトの反乱⇒人間の写真撮影のスキル退化。

 渋谷スクランブル交差点の人込みや道路の真ん中、あるいはデパ地下の混雑した通路で仁王立ちになって自分が行く先をGPSマップで調べている若者たち。
デパ地下の雑踏のど真ん中で仁王立ちしてスマホ操作!いけない。

 基本的に自分の脳に東西南北の概念が入っていないから、スマホで地図を見て解ったつもりでも実際がわからなくてキョロキョロしている。筆者も道端で「北ってどっちっすかねぇ?」と訊かれたことが幾度かあった。

 あらかじめ、自分の行く先の情報、そこまでのルート・時間、これらを調べて行動をしないからすぐに現場でパニくる。半分は自業自得なのだが、首都圏直下大地震に富士山爆発が起こった時にスマホ命で、スマホに頼って日常を生きている者共のパニックと混乱、そう遠い日の事ではないような気がするが如何?

 ③ 三つめが生成系AI(=ChatGPTの類)
 最近、地方自治体がこの生成系AIを業務に取り入れましたと、「話題の新技術を使ってんだを我々は!」アピールが目立つが先行きは相当怪しげだ。

 PRのつもりで導入をアピールしているのだろうが、マイナンバーカードの実例を見るがいい。いくらAIだのコンピューターだの言っても、それを使う人間が起こすミスはAIやコンピュータは修正してくれない。

 例えばオフィスで係員が一生懸命打ち込んでいる最中にスタッフや来場者がコンセントに物をぶつけてPCがダウン、あるいは突然の雷雨・落雷で全館停電!

 こうなったらどうする?電気に頼る人類は電気不足で生活自体まったく機能しなくなる恐れは十分あるだろう。

 富士山に限らず大きな噴火で全天が雲に覆われ太陽光発電ができず、しかも火山灰ショートで電気が送電できず都市機能が止まった場合、どうなると思う?
 もちろんスマホは電池切れで通じない。AI頼りの都市機能も全部止まる。この時人間は石器時代に戻るのだ、空を眺め観天望気で変化を察知し生きていかねばならない。

 さらに、人間は基本的な脳力を今まで教育を経て苦労しながら獲得してきた。この脳力があればこそ生成系AIの使える範囲・限界・問題点・弱点を知っている・・はずだ。
 
 しかし、こないだTVでどこかの学生に「ChatGPT」どう思いますか?とマイクを向けた街頭インタビュー(もちろん全てがヤラセであることは言うまでもないが)があった。

 その答えは「助かりましたよぉ!昨年課題に2日掛かっていたのに、ChatGPT使ったら15分で出来ました、超便利ですね?」メディアはこうやってその威力を報じていた。

 しかし、ちょっと待ってほしい。昨年2日掛かって苦労して学んだことを生成系AIを使って15分で出来たのなら、2日間の学習ー15分(ChatGPT)の部分自分の脳が進化し、ノリッジ(米語ではナレッジ)になっていないという事に気が付いているだろうか?

 この先、生成系AIを駆使する「無知で脳が退化した人類」が大量に生まれてくるような気がしてならない。

2023年9月23日土曜日

団塊世代は毎年この時期の「おせち料理・広告」に疑問を感ずる。 The baby boomer generation has doubts about ``Osechi cuisine and advertising'' around this time of year.

  先日の読売新聞の15段全面広告の「おせち料理」を見て、またか!と思った。

おせち料理と門松だけになってしまった日本のお正月行事。

 基本的におせち料理の普及データって、どうなっているのだろう?

 祝い事の食事ものがいわゆるおせち料理だろうと思う。

 詳しく言えば、おせち料理の由来は季節の変わり目にお祝いする節句、節日からきていると習った。1月1日元旦や7日の七草、三月三日の桃の節句などを祝い、神に奉じたお供え物の食物をいただくのが「おせち料理」だと習った。 

 ところが、昭和から時が過ぎて令和の時代になり、ハロウィーンやクリスマスは祝い騒ぐものの、日本古来の節句、正月・七草、桃の節句、端午の節句、七夕、重陽の節句は、すっかり忘れ去られ、祝日に国旗すら掲揚しない国民になってしまった日本人。

 そんな中、正月のおせち料理だけ出来合いの豪華なものを競い合って購入し、「正月気分」を味わう日本人。大都会の住民は自分で作ろうなどとは夢にも思わない情けない時代になってしまった。

 企業や商店は門松くらいは立てるようだが、首都圏住宅街の一般民家においては最近は紙に印刷したものを貼るだけで、むしろ枯れ枝などで手作りしたリースのほうが幅を利かしているようだ。和洋折衷ここに極まれりといった感じだ。

 日本古来の伝統を、根本精神を忘れ雰囲気の良いスタイルだけ踏襲するという中身のないものにしてしまったのが現代の日本人なのだ。

 そんな中で、豪華さを競いながら全てが「冷凍」という。味そのものより見てくれを重視した「見せかけ豪華」なおせちのお重。嘆かわしいことだ。

 解凍したおせち料理をほんとに美味しいと思うのだろうか?それは手作りの本物を知らないからだろうと察する。

 筆者は以前からこのブログでも述べてきた。

 今や正月をじっくりと伝統スタイルで過ごすのは高齢者だけだということ。

 子供も育って独立て家を出、家には老夫婦しか残っていないケースが非常に多い日本の家族。一人住まいになってしまった高齢者も多いことだろう。

塩分軽減、無添加・・高齢者を意識はしているが・・・。

 そんな消費者に競い合って豪華な大ぶりのおせち料理を、これでもかと売り込む日本の商売、どこかおかしくないだろうか?

 果たして老夫婦が豪華な伊勢海老の鬼瓦焼のようなお重を欲しているだろうか?

 以前から筆者は言っている。お重は小さな三段で一番上が生もの中心に日持ちのしない新鮮な料理食材。二段目が三日は持つもの。三段目が1週間は日持ちする保存食糧中心。

 こうすれば1日、一段を完食しつつ三が日を過ごせるではないか?三段目は冷蔵庫に入れれば1週間以上は持つ・・・、これが合理的なおせち料理の様な気がするが如何ろう?

 さらに器は小さな漆塗りの上物で何度も使えるきちんとしたもの。初年度だけは器代が入るため高価だが、二年目からのリピートは食材だけだから半額以下になろう。

 もう少しおせち料理を販売するビジネス、考えた方が良いと思う。