2016年3月31日木曜日

全国のノスリを見直す!Part2. You can see Buzzard in all over Japan. Part2.

 何だか判らないが、いきなりノスリのアップをした途端、アクセス数が増え始め、1日前の倍の勢いでこのブログを見て頂いている方が増えたようで驚いている。昨日は本州中部までの画像をご紹介だったが、今日は九州中心の画像。

 九州では阿蘇山の外輪山、天草の下島、人吉市内、人吉盆地のあさぎり町での撮影。

 特に人吉市内の球磨川畔で見かけたノスリにはすぐ傍に小鳥のシジュウカラが写っているので驚くがノスリはあまり他の野鳥を襲わないようだ。昔からほとんどノスリの獲物はネズミやカエルなど小動物が多いらしい。もっぱら他の野鳥を獲る事を目的とした武士の好む鷹狩りに使えない鷹として「馬糞鳶」などと呼ばれ、オオタカなどより下等な鷹とされたとの記述もあるらしい。

 その狩りの様子は明日ご紹介するとして、今日は九州エリアのノスリの画像。

球磨川本流と万江川の合流附近11月、後ろにシジュウカラが居てしばらく付きまとっていた。

11月後半、あさぎり町の球磨川河原上空でホバリング中のノスリ。ミサゴと此のノスリは球磨川流域では非常に多く見かける。その次に多いホバリングはヤマセミだろうか?

この直後、200m以上離れた球磨川対岸へ急降下して何かを獲った。

天草下島、お万が池奥の畑附近でノスリ、3月中旬。

飛び立ったノスリ、意外に早い飛翔速度。

加速も力強いものを感じた。

サーマルに乗って輪を描いて上昇していった。



2016年3月30日水曜日

全国のノスリを見直す! You can see Buzzard in all over Japan.

 ノスリはあまり野鳥を気にしていない普通の人が見ると、白っぽいトンビだと思うらしい。ずいぶんあちこちでそういう声を聞いた経験がある。言われてみれば、そう思えなくもない程日本中どこでも見かける猛禽類かもしれない。しかし、なかなか孤独な猛禽類らしく1羽で居る所しか見た事が無い。2羽以上同時に観てみたいものだ。

 一番北は、昨年1月厳冬期の春国岱傍の雪の国道沿いで視かけた。やたら白い個体だった。一番南は冬季11月~2月の人吉界隈、3月の天草南部だろうか。その他信州・霧ヶ峰などでは初夏~晩夏にかけての撮影記録がある。

 昨年11月には人吉盆地あさぎり町の球磨川沿いで、ホバリングから300m離れた崖へ急降下し何かを捕獲した場面を追跡撮影できた。今日明日と、ケアシノスリなどと違いあまり野鳥観察者も記録に残すことが少ないノスリをレポートしてみたい。

2015年1月暴風雪の翌日北海道東部野付街道で非常に白い綺麗な個体だった。

2007年11月兵庫県豊岡市コウノトリの里傍の円山川沿いで。

上と同じ個体。

2012年10月武蔵野の野川沿いで。

2014年2月渡良瀬遊水地で。

2013年9月信州霧ヶ峰踊場湿原で。

同上の個体が飛翔した画像。

2012年4月後半、八ヶ岳山麓で完全な枝被り画像だが尾羽の先端が黒い個体。


2016年3月29日火曜日

春近くのヤマセミは高高度を飛ぶらしい。 Crested kingfisher is flying high together In a spring!

 桜が咲きはじめの東京都心・上野不忍池から球磨川流域のヤマセミに目を移すと、繁殖期が始まったヤマセミが2羽で飛ぶ姿が幾度も目撃される頃だろう。基本的にヤマセミは水面ぎりぎりを飛び、主翼の翼端が水面を叩く様がよく見られるのに、なぜ繁殖期には揃って上空を飛ぶのだろう?この理由は未だに判っていない。殆どの場合つがいが多い様だがたまにオス2羽という場合もある。その場合は縄張り争いの結果延長戦という事も考えられる。繁殖期で気が立っていてテンションが高いからかもしれない。人間と同じでヤマセミの若鳥なのかもしれない。

 ヤマセミを観察する際は、当然水面を探すのだが、突然上空から舞い降りてきたりすることが在って驚かされるケースを幾度か経験している。この春はその理由をよく観察してみようと思う。

 
この2羽は明らかにオスとメスのつがいだった。

この2羽はオス同士の争いに見えた。

此処からの3カットはオス同士のチェイス。

偶然通りかかった方にはこの2羽がヤマセミだとはまず思えないだろう。


こちらもオスとメスのつがい。高圧線の上。

人吉市内を飛ぶ春先のヤマセミつがい。




2016年3月28日月曜日

まだ二分咲きの桜と東京都心・上野不忍池コンパク・デジカメ散策

 桜が開花したと思ったら、花冷えの東京都心。夏の間は綺麗な蓮とカワセミなどが飛び交う上野不忍池をコンパクトデジカメを持ってレポートしてみた。

 それなりの野鳥はいたが、やはり目につくのは東京都の鳥ユリカモメ。これをミヤコドリとした浮世絵も沢山あるが、その蓮が綺麗に刈り取られて江戸時代の浮世絵のままの風景が今の姿だ。

 本来、この不忍池では野鳥に餌をやってはいけないのだが、江戸時代から手乗り雀の伝統が受け継がれているようで、誰も守っていないのが実情だ。特に最近は海外からの観光客が喜んでユリカモメにパンくずを投げていたりする。京都嵐山や福岡の大濠公園などと全く同じような状況だ。

 昨日のレポート通り、桜はまだ二分咲きなのに花見の宴会客はすでに満開だった。

上野公園内は花の数より人の数の方がまだ多い感じ。

不忍池湖畔もまだまだ一分咲きといったところ。

八角形をした不忍弁天堂を背景にかろうじて咲き始めのソメイヨシノ。

外人観光客が大喜びで餌を投げるとユリカモメが乱舞する。

看板も出ているのだが・・・・。池に落ちたパンくずはそのまま鯉の餌。この池の鯉は超デカイ!

パンくずばかりでは生きていけない、下を向き向き飛ぶユリカモメ。

この時期蓮はすべて刈り取られ、広い水面が見える。

明治時代の不忍池、桜の季節はやはり水面に蓮は無い!いつの時代も同じらしい。


初夏になればこの通り、水面は見えない。

早朝、綺麗な蓮の花がたくさん!飛び交うのはカワセミが殆どとなる。

これは昨年の蓮の花。やはりコンデジで季節を切り取るのは面白い。


2016年3月27日日曜日

団塊世代が考える観光活性化「八代市の場合・その2」

  ソメイヨシノ開花の直後寒気が入り、冬に逆戻りしたような気温で、ここ数日全国の桜の開花が足踏み状態のようだ。しかし、明日以降暖気の到来で一気に開花は促進されるだろうと気象庁が言っている。来週末は今二分咲き程度のエリアに関して言えば次週末はたぶん見頃になるだろう。

 アルコール分解酵素の無い筆者は、残念ながら生まれてこの方桜の樹の下にシートを敷いて酒を飲んで騒いだ事は一度もない。お花見とは江戸時代の浮世絵を見る限り、本来静かに酒を酌み交わし「歌を詠む」行事だったのだろう。しかし、いつの間にか花見は口実で徒党を組んで大酒を飲んで酔い、騒ぎまくり、日頃の憂さを晴らすような低俗な行事になってしまったようだ。

昨日3月26日午後2時ころの上野公園の情況。まだ桜は蕾が殆ど。

 たまたま昨日上野公園を通過する事があり、ちらほら蕾もほころぶ程度の寒空の下、まだ2分咲きにもなっていない桜の並木の下でブルーシートを敷いて陣取った大勢のグループが宴会を開いていた。まさに宴もたけなわといった状態で盛り上がっているのを見て、やはり花見など口実に過ぎないのだという事を確信した。クリスマスもハロウィーンも一緒なのだろう。皆と一緒に騒ぐ口実になっているだけ。
いつの間にか人が集まる所は何処も似たような雰囲気になってしまっている。

 大義名分の無いこれら季節の「騒ぐ口実」と、全国各地の伝統文化「お祭り」は大勢が集まって盛り上がる意味では外見上似ているが、根本は全然違う。

 八代市が存在する熊本県は同じ九州の隣接県と同じく寺より神社の数が多いようだ。神社数1394、に対しお寺は1188個所。神社も寺も年間いくつかの祭事を行うが、大きなものはやはり神社の方が大きい。しかし京都や江戸の伝統的な大きなお祭りとは違い、各地方におけるお祭りは本来地元の生活に根差した「土着・地元」の氏子さんや檀家さんによる身内の行事であり、よそ者は見物したり参加することができないモノが多かった。

 しかし、京都祇園祭や江戸元禄期に七夕から発展した弘前ねぷたや青森ねぶたのように外部からの見物客の増加により雪だるま式の大きな祭事になったものが刺激になり、地元の観光活性化に一番即効性が有るだろうと、此処10年程前から全国各地でローカルなお祭りが積極的にPRを行う事で大きく育つケースが目立つようになってきた。

京都祇園祭は1か月以上続く長丁場。ある意味日本最大の祭りかもしれない。

 その一つ、赤丸急上昇なのが八代市の八代妙見祭だ。最近は博多祇園山笠・長崎くんちに並び、九州三大祭りと称され急速に人出も増え大きな祭りに成りつつある。単純に人出だけを見れば基本的に人口の多い都市=博多・長崎の祭りの方が多いだろうが、中心部の人口が10万人程度の八代市にあってその人口の倍以上が見物に集まるというのは最近では珍しい祭事だろう。

八代妙見祭のパンフレット。

 この八代妙見祭の話は、同級生含めておいおいその地元の努力に関して述べて行こうと思う。

 今日は八代市のタイアップ記事第2弾。今は無くなってしまったが、東京有楽町駅前の有楽町ビル1階に地域総合整備財団(ふるさと財団)傘下の全国の各県観光PR情報センターがあった。
 其処で八代市観光PR活動を行ったいきさつが第2弾の内容。

 この観光PR活動の後・平成16年度、八代市とふるさと財団からの要請で八代市においてセミナー・ミーティングを開催した。
           http://www.furusato-zaidan.or.jp/shinbunya/ad_sya_jisseki.html


東京有楽町にて九州新幹線開通直前に八代市PRキャンペーン開催
 無事開業した九州新幹線だが開業の直前先週一週、東京有楽町にある「ふるさと情報プラザ」において新幹線新八代駅開業および肥薩おれんじ鉄道開業のPRと八代市の観光PRキャンペーンを行った。
これはマスメディアの編集部が集中する首都圏東京エリアで新八代駅開業当日現場八代市まで取材にこられないメディア・マスコミの方々にも九州新幹線および八代市そのものを十分理解認識して貰おうと八代観光協会・八代市商政観光課が二ヶ月前から企画準備してきたもの。
実施は九州新幹線開業日前3月8日~12日の5日間で特別企画タイアップを実施した雑誌九州じゃらんの新幹線特集別冊抜き刷り、初めて八代市商政観光課と八代観光協会で作成した「八代市デジタル写真集パンフレット」などを一般の方々に配布し喜ばれた。
9日火曜日に設定されたプレスデーには八代観光協会和田会長,JR九州東京支店の綿島支店長などが出席、約40社を超えるメディア・マスコミに対応し九州新幹線と八代市のPRに努めた。
今まで首都圏では誰も知らなかった八代の風景の写真絵葉書も配布、肥薩おれんじ鉄道のネーミングにもなっている柑橘系各種などを展示、ウインドウにも菜の花を敷き詰め新幹線開業の、ムードを盛り上げた。
旅行雑誌、カメラ雑誌、中高年齢層雑誌を中心としたマスコミにプレスキットを配布、八代市の魅力を全国メディアで発信してもらえるようにプロモートした。

2016年3月26日土曜日

団塊世代が考える観光活性化「八代市の場合・その1」

 いよいよ桜のシーズン到来だ!近所の桜では飽き足らず「京都に行こう!」のキャンペーンに尻を押されて京都観光に行く方も多いだろう。団塊の世代で時間と資金に多少の余裕がある方々であればなおさらの事だろう。これにこの世代特有の「優越感競争」がさらに火に油を注ぐが如く後押しをして、季節毎の広告CFがテレビに出る度に思わず腰が浮くのも良く判る。

 しかし、1000年もの昔から観光地だった「都・京都」と違って、全国の地方都市は未だに観光活性化に苦労しているところが多い事は、長い広告代理店勤務で、嫌というほど実感している。大手広告代理店勤務中25年間の間に全国各地6か所で、この観光活性化に関して携わる機会があったが「うまくいった、大成功だ・・・・。」と胸を張って言える所は残念ながら殆ど無い。


 九州圏内3か所(熊本県・長崎県)、本州で3か所観光活性化に携った。残念ながら北海道と四国では機会が無かった。この中で一番詳細にわたって行えたのが、筆者が幼少期数年間(太田郷小学校⇒八代二中)住んでいた熊本県八代市の観光活性化だ。

 2004年3月13日JR九州新幹線部分開通の1年前、八代市役所・商政観光課からの依頼で参画したプロジェクトだった。同じ団塊世代・同学年の課長(八代一中)が居て、同じ年代ならではの意思疎通の良さと、スムーズな進行で思いのほか大きな効果と、幅広い活動が出来たのを記憶している。

 これからしばらくは、週末土日に限って「団塊世代の考える観光活性化」シリーズを掲載しようと思う。一般的に、ただ消費者として気に入った場所に旅に行くだけではなく、自分が昔育った、あるいは自分に縁のある、思い入れのある地域に関する観光活性化について、「アイディア提供」など行えば、少しは「我が故郷」の役に立つのではないだろうか?

 基本的にその場にずーっと住んでいる者は、その場所の魅力は意外にに判らないものだ。外側から見るからこそ、初めて行くからこそ他との比較で長所短所が判るのだ。

 例えば、憧れのハワイに初めて行ったとしよう。ほとんどの方はダイアモンドヘッドを見て感動し、ハイビスカスの赤い花を見て感動するだろう?アメリカのTVドラマ「ハワイアン・アイ」やエルビス・プレスリーのレコード「ブルーハワイ」を想い出すかもしれない。あるいはハイビスカスの花を見て日野てる子を想い出すかもしれない。さっそくダイアモンドヘッドをバックに記念撮影するだろう、もちろん首に花で造ったレイを掛け、手にはハイビスカスの赤い花をもって・・・。

シェラトン・ワイキキの部屋からの眺め 2012年撮影。ダイアモンドヘッドの先端右端に建つコロニー・サーフホテルがTVシリーズ・ハワイアン・アイの舞台。1Fミッシェルズは超有名レストラン。

ハワイと言えば「レイ」とコバルトブルーの海 2012年撮影

エルビス・プレスリー「映画ブルー・ハワイ・サウンドトラック盤」 中学時代購入。

しかし、ホノルルに住んでいる人は、ほぼ間違いなくそういうことはしない。なぜなら外から来た観光客が感動するモノは、そこに住んでいる者にとって「当たり前、ごく普段の景色、日常の風景」だからだ。

 熊本市内に住んでいる方が、毎日見て通勤する熊本城にいちいち感動して記念写真を撮ろうとしないのと一緒だ。だから、そこで生活している者には観光活性化の根本「旅行者の感動は何か?」を同次元で感じられないのだ。従って観光活性化を地元の人間オンリーで、組織や「おもてなし隊」のようなボランティア集団をいくら作っても、その行為は新聞には載るものの、観光活性化自体成功しないのは、中身が伴わないのとこの原点が忘れられているからだろうと思う。

 少し厳しい言い方になるが、その意味からすれば、その土地に育ち、県外での生活経験の無い者が役人になって観光活性化を携る役付きになっても、効果的な活動は出来ないという事だ。外から己の故郷を見てこそ、地元では気が付かない活性化策が立案できるのだ。

 此処に2004年の2月~3月にかけて筆者が八代市役所の依頼で執筆(画像含む)し、熊本日日新聞に20回連載した「八代市観光活性化」に関する新聞記事がある。これを順を追って掲載しながら、なぜ当時このような内容を掲載したのか、その後八代市がどうなったか等を検証してみたい。当時、この記事には大きな反響があったと後から聞かされ大変納得した覚えがある。

まずは連載第1号から・・・。


 横長の連載タイアップ記事は基本的に熊日新聞の最下段に掲載された。八代市の表記と市の鳥カワセミをあしらった題字は結構評判が良かったと記憶している。まだ筆者自身野鳥には興味がなかった頃だが、心のどこかで意識していたのかもしれない。

 この第1弾で、八代市の方々は相当なショックを受けることになる。何故なら地元で全国区で名が通っているとばかり思っていた「我が郷土の名物・名産」が殆ど認知されていないことを知るのだ。

 更に、とてもこの連載記事には書けなかった怖い事実が在ったのだ。それは東京・大阪・広島・北九州・福岡の5都市で対面式の本格的な街頭アンケートを行った結果、「八代市」と紙に大きく書いて読んでもらったところ「やつしろし」と読めた人の割合が異様に低かったのだ。どこのエリアにおいても30%前後しか正確に読めず、残りの60%以上ほとんどが「やしろし」と読んだのだった。八代亜紀さんのイメージなのだろう。

 決して寒河江市(さがえ)だの姶良市(あいら)といった難読の市名ではないが、地元でないとまず判らないのかもしれない。考えてみれば、関東では天草にしても「テングサ」と読む人は多い。平成の大合併でできた茨城県の我が本籍地も「行方市」と書いて「なめがたし」と読むが、そう読む人は少ない。「ゆくえし」と読んでしまうのが普通らしい。

 この事実は当時の八代市長・中島隆利さんも相当ショックだったようで、これは市にとっても由々しき事なれば、新聞への公表掲載は見合わせようという事になった。全国各地における自分の市の名前の認知度があまりに低いという事は、市のPR活動不足の証明になってしまうからだろう。
 逆の意味でこの事により市のPR活動に力を入れなければ大変な事になるという事を、当時の商政観光課のスタッフ全員が実感したのだろうと推察する。1,300名のアンケートデータがそのまま手元にあったので一つの「嘘」も「やらせ」もない事は全員が認識していた。

以下は#1初日の掲載記事原稿(原文まま)

 #1.八代市は九州新幹線開業(部分開通)を機に新しい観光活性化活動を開始する。
 
 昨年十一月八代市は東京・大阪・広島・北九州・福岡の各都市で1300人に及ぶ観光マーケティング・アンケート調査を行った。
これは九州新幹線新八代駅開業に伴い今後八代市を訪れるだろうと思われる観光旅行客が八代市に対し現在どのようなイメージと期待を持っているのかを把握し、より効果的な観光客誘致活動を行おうと実施したものであった。
 
 その結果の一つの例が右の表であった。1300人中の300名以上が上げた八代亜紀さんは別格として第2位の「公害・水俣病」、第3位の「鶴」はどのように理解して良いのか結果を目の前にしたとき正直呆然とせざるを得なかった。
 当然ある程度知られていると思っていた「鮎」「トマト」「くま川祭り」「山頭火」を上げた者が1300人中一人もいなかった事もショックであった。
 
 この調査は八代市が観光活性化するためには相当な知恵を絞り官民一体になって努力しなければならない事を示している。
 現在、全国の各自治体は如何に観光旅行客を地元に誘致しようか必死になって知恵を絞っている、勿論熊本県内も例外ではない。
 
 八代市が新幹線開通・新八代駅開業で具体的にどのような恩恵を得る事が出来るのか、何もしないで事の成り行きを見守っているだけでは決して何も起こらない事だけは確か。
 
 そこで現在八代市が観光活性化に関して進めようとしている事、官民一体になって旅行者を我が八代市に誘致する為のヒントとは、そして観光活性化の良い影響を関連産業がより活性化するために連動させるにはどのようにしたら良いか等、今日から20回のシリーズで連載を行う事になった






2016年3月25日金曜日

ヤマセミの一番の天敵は青大将! The first natural enemy of the crested kingfisher is a Japanese rat snake !

 3月も後半になると、多くのヤマセミは既に巣穴で抱卵中だと思われる。この時期普段見かけるはずのヤマセミの姿がいつもの半分程度になると思われる。片方が卵を抱いているから当然の事だ。決して何処かへ行ったわけではない。これが4月中旬にもなれば、巣の中で雛がかえり、育雛の時期になるので、急に採餌行動で忙しい親2羽を頻繁に観る事になるだろう。

 しかし、この繁殖期こそヤマセミにとっての天敵青大将への注意が肝心なのだ。昨年まで数年間ヤマセミの繁殖を観察してきたが、毎年3~5個は卵を産むはずのヤマセミの全体数が思いのほか増えない理由の一つが此の青大将の影響である事が最近判ってきた。

 全国の平均は知らないが、筆者が観察を続けてきた人吉・球磨地方では特にこの青大将による影響が激しいようだ。以前、ヤマセミの巣に入り込む青大将のレポートを報告したが、今日は夜のうちに巣穴の中に入り込んで、雛を一羽呑んだ青大将が、翌朝雛への給餌に来た親がそれに気が付いて大騒動が起きた。巣穴の青大将が追い払いに来た親を威嚇する場面の貴重な画像を2014年の記録からご紹介したい。

 実はその決定的瞬間は動画で撮影してあるため、そのストップモーションカットを連続でアップした。まだまだ最新の4K動画ではないため、ヤマセミの親鳥の姿自体は動いてしまっているが、巣の中から鎌首を出している青大将の大きな口は認識できると思う。

 
既に巣穴に青大将が入り込んでいる事を知った親鳥が、けたたましく鳴きながら何度も巣穴に入ったり、入り口付近でホバリングして青大将を巣穴入り口まで誘導した。中には5羽の雛が居たのだが、既にこのとき青大将がそのうちの一羽を呑んでお腹に入っている。残った雛はこの段階で4羽。(※後で判明した事実)

そうして、入り口に再び近づこうとした瞬間!

中から青大将が「シャーッ!」とばかりに大口を開けて鎌首を突き出してきた。

瞬間、寸での所で身を翻したヤマセミの親鳥が反転した瞬間。

そのまま一旦逃れる親だが、実はこの後、此の親鳥は捨て身の物凄い行動に出るのだ!

 動画からの切り出しなので視難いがご容赦願いたい。大学の理工学術院研究所へ提出する論文レポートには別テイクの鮮明な画像を掲載予定。提出後このブログ上で動画と共に鮮明画像の掲載を予定している。なおこの巣穴画像は3年前のもので、この巣穴はこの壁面自体が全面的崩落により3m程後退しているので現存しない。翌年は別の場所に巣穴が掘られている。



2016年3月24日木曜日

今年もまたヤツガシラに出遭いたい!その2. I would like to meet Eurasian Hoopoe this year again !

 昨日は緊急レポートでハシビロガモのぐるぐる採餌の生態レポートだったが、今日は本来昨日投稿予定だったヤツガシラの第2弾をお届け。
 昨年4月に4日連続でヤツガシラ研究を投稿したので、覚えておられる方も居よう。相当な反響を頂いて恐縮した。芝生で地中の虫を放り上げてパックンする場面ばかり見ていると、4月初旬に芝生を通るとどうしてもこのヤツガシラのパックンを思い浮かべながら観てしまう。

 しかし、やはり航空機と野鳥は飛んでいる時こそ美しいと思わざるを得ないのが、ヤツガシラを観察・撮影していての感想だった。今年は出逢えるか否か判らないが、ぜひなんとか最近覚えた動画で記録してみたいと思う。

 
一番オーソドックスな画像だろうか。

放り投げた餌をパックンするお約束のシーン。

しかし、こんなジャングルのような場所でもヤツガシラには出逢えるのだ。

採餌直後のミサゴのように全身をブルブルさせているヤツガシラ。

薄暗くてもそのゴージャスな姿は見事というほかない。

力が入った時に冠羽が開くらしい。ヤマセミが瞬膜を閉じるようなものだろうか?

別に警戒した時に限って冠羽が開く訳ではなさそうだ。これは十分リラックスしているもの。

一見華奢(きゃしゃ)のようで、以外にも速く力強いフライトだった。

どことなく主翼の形状もタゲリに似ているだろうか。野鳥としてもトップクラスの綺麗な飛翔。

こうやって視ると、どことなくガの一種オオスカシバの様なイメージも感じられる。