2018年7月31日火曜日

集中特集 ヤマセミの幼鳥教育に飛翔の美しさ観た!その1.  Special issue: I observed young bird’s beautiful flying educations of Crested kingfisher at Hitoyoshi-Kuma area. Vol.1

 スパルタ式のヤマセミ幼鳥教育レポートも今回で5回目。厳しさだけをレポートし続けてばかりいると、一体ヤマセミの幼鳥は何が楽しくて生きているのだろう?などという妙な方向へ関心が行きそうなので、叱るシーンは今日までで明日からは、親子で並走してなおかつ高速で飛ぶ姿の美しさ、素晴らしさをご紹介しようと思う。

 しかし、毎年ヤマセミを観察していて思う事だが、自然の脅威の前では親の子育てはスパルタ教育が絶対的に正しい。常に目の前に「死」が待っている野生動物の生息は本当に微妙な環境バランスの上に立っているからだ。

 まずは天敵の餌食になる脅威。同時に例年以上の大雨増水、あるいはその逆の雨量不足で渇水が続くことによる川苔不作、川虫の育成不良によりそれらを食料とするアユやヤマメなど川魚の減少、これらを獲物とするヤマセミ、カワセミ、サギ類の繁殖不良が連鎖反応として発生する。
 野生動物の保護!とメディアや自然保護団体が「良い子」になって声高に騒ぐが、自然淘汰を含めて野生動物の増減は殆ど人間の手の届かない所で微妙なバランスの上に成り立っていると確信している。

 人間と異なって、野生動物の子育てにおけるスパルタ方式には意味があるし効果も早く大きい。親が子供に辛く当たれ(そう見えるだけで)ば、細かい理由や事情も分からないくせに、廻りやメディアが鬼の首を取ったように「虐待だ!虐待だ!」と騒ぐ人間社会とは全然違うヤマセミの幼鳥教育。人間もその一部は見習うべきだと思う。

 まず、必ずオス・メス両親が必ず揃って協力して子育てを行う。時には前の年生まれた子供でつがいに成らなかった独身のヤマセミ(今年生まれの幼鳥の兄弟姉妹)が両親の子育てのサポートをする事まで判って来ている。

 ヤマセミは片親だけでは殆ど子育てをしない。オス、メスどちらかが何らかの理由(死亡・怪我)で居なくなっても数日で別の相手が出て来る。たとえ前年の子供でもつがいの相手(新しい親)になる可能性が在るのだ。何はさておき、繁殖子育ては野生動物に関しては絶対的第一位の優先事項なのだ。

 我慢する事をせず、己の感情のまま我が儘を通し、子育ての途中でつがいの相手と別れてしまう人間の何と無責任な事か!ヤマセミの振り視て我がふり直せ!と声を大きくして言いたい。

 子育て時期に1週間ほど連続で詳しく観察すると、メス親がメスの幼鳥を、オス親がオスの幼鳥を引率して教育する事が多いが、絶対とは言えない。今回もそうでないシーンを幾つかレポートした通り。
 流域の広い球磨川本流ではファミリー全部が同時に集まってワイワイやりながらの子育てはほんの10日間だけで、後は親子ごとのペアーに成って広い流域に分散(それでも、せいぜい1km四方)して個別指導に入る。

 偶然にそういう姿を観察出来た方は、実はヤマセミの子育ての「ある一部分」だけをたまたま観察できただけで、そのシーンだけからヤマセミ全体の生態を推し量ってはいけないという事になる。もっと奥は深いのだ。

で、今日は二日前までのスパルタ教育を行って見せてくれたオス親とメスの幼鳥のその後の様子。そのオス親が小突いて叱った娘(幼鳥メス)にさらにうるさく言って聞かせる場面。もう画面にマンガのような吹き出しを付けたくなるような場面だ。

 
あれだけ叱って躾をしたはずなのに幼鳥メスはまだぐずっている。

何かを言いたそうに親の方を向いた。

羽を広げて威嚇しながら、

耳元?に向かって再びどやしつけるヤマセミ父親。

これで、叱りつけるスパルタ教育のシーンはおしまいにしようと思う。


2018年7月30日月曜日

ヤマセミ親鳥が幼鳥の頭を足で小突くスパルタ式教育の凄さ! I saw young birds education by parent of crested kingfisher with spartan style on the Kama river.

 ややこしい団塊世代の断捨離の話から、台風一過の月曜日は再びヤマセミのハードな幼鳥教育の続編をご紹介したい。

 過去2回のレポートは、球磨川本流の岩に陣取ったヤマセミの親が、広い川幅を精一杯飛んで来た幼鳥に「こんな遠くまで来るんじゃない!」とばかりに叱りつけるシーンだった。

 今日は親鳥が叫んでも言う事を聞かない幼鳥に、ついに後ろから体当たりで頭を蹴りつけるという、8年間の観察中においても滅多に観られないシーンのご紹介。
 
 数年前自費出版した写真集「清流川辺川・球磨川流域の山翡翠」の106ページに掲載した巣穴掘り中のつがいの頭小突きシーンにも似ており、ヤマセミの気性の激しさを垣間見た思いだ。
http://www.yamasemi.org/report_chapter_5/ch4k.html

 このようなヤマセミの生態は過去において何処にも文献記録がないし、画像データもない。2010年から進めているヤマセミの生態観察の画像データの中でも貴重なものの一つになると思う。
戻るべき左岸を見つめる幼鳥の後ろから親が近づき・・。

気配を感じた幼鳥が飛び立とうとした瞬間!

後ろから後頭部にのしかかるようにして、その小さな足で幼鳥の頭を押さえつけ体重をかけたのだ!

思わず前につんのめりそうになりヨロめく幼鳥。これは撮影中もはっきりと判ったので、そのマンガのような展開にファインダー越しに笑ってしまった。

「だから言う事を聞けってんだろ!」と言ったかどうか?ヤマセミの会話が判る様な場面展開だった。もしこれ以外の解釈が出来ると思われる方はぜひお教え願いたい。

2018年7月29日日曜日

団塊世代のジジ放談! 終活・断捨離はまず人間関係から。その2. For the end of life and disposal, it is better to start disposing of human relations first. Vol.2

 前回のブログで筆者の終活の一環・コミュニケーション友人知人断捨離のキッカケ話をし始めたが、ちょっとアクセスして下さった方からの反応が早くてビビっている。

 確かに広告代理店業界にいて、営業職ではなくプロデューサー・ディレクター畑で30年以上過ごしてきた為、広いジャンルに知人友人の類が多いのは仕方がない事。一般的な製造業や物販業の方々とは違い、一種の職業病にも近い感覚で名刺の数が増えてしまった訳で、勤務環境、職種環境的なものだろうと思う。

 で、簡単に言えば、いわゆる団塊世代の誰もが直面している終活に向けての断捨離の一環としてまず知人・友人の身辺整理を行おうという訳だ。昨日のブログへのアクセスや反応が早いという背景は、ある意味で似たような考えをお持ちの方が多いという事の証明に成っていると思うのだ。

 この知人・友人というモノの定義が結構難しいのだ。前回も書いたが筆者は同じ広告代理店で一緒に仕事をした上司・同僚は決してそのまま知人・友人には入れない。例えデスクが隣同士だったり、長い事同じセクションで一緒に仕事をし、週に何日もランチを一緒にしてもだ。

 一般的に友達・知人を含めて自分を取り巻く人間関係は分類が難しいと言われているが、筆者は簡単に親密度中心に3種類のランクに分けている。

Aグループ
=相手からの見返りを一切期待せず、一方的にこちらからケアし、なんでもしてあげる存在。親兄弟親族を含め尊敬に値する先輩・恩師・親友がこれに当たる。

Bグループ
=とにかく対等の相手、何でも50/50(フィフティ・フィフティ)貸し借りを念頭に置き、何かをして貰ったら必ず恩返しをする存在。友達といえる存在は此処まで。

Cグループ
=たとえ一時期同じ釜の飯を食い、朝から晩まで隣にいて一緒に仕事をしたとしても、決して友達には成らない同僚・名刺交換の相手など。疎遠な幼馴染、クラスメートなどもこれに入る。

 それぞれの対象者がこのどれに当てはまるかを考えれば、すんなりと相手と自分の立ち位置が判る仕掛けに成っている。ただしお金の貸し借りはAとBのグループだけと決めている。

 例えば葉山森戸海岸の森戸神社裏の猫の額のような岩場のビーチで毎週末ウインドサーフィンを一緒に25年間続けた仲間(森戸ジンジャーズ)だって、約15年経った今、日常近い存在は2名でFacebookで繋がっているのはたった一人だ。

森戸のロコ・ウインド・ファンボーダー、森戸ジンジャーズ、筆者右端。1998年強風が吹くと会社に電話して、オフィスの出先表に「カゼでお休み」と書いて貰って沖合でかっ飛んでいた時代。当時50歳!


これを判り易い円グラフにするとこうなる。
 Aグループは全部合計しても30名居るかいないかだろうと思う。Bグループには80名くらいが入ると思うが、Facebookで繋がれているのは15名くらいだろうか。残りのCゾーンが何らかの関わりを今後も何処かで持つ可能性のある人々。いざという時に自分の消息を何らかの形で伝えるべきリストに掲載されている方々だと思って頂ければ理解しやすいかも知れない。これが300名ほど居る。Eメールアドレスの数もほぼこれに合致している。

 これを自分なりに判り易く具体的な事例で表すと、新しく写真集を出版したり、その試作品を作った際に、真っ先に贈呈するか否かでAゾーンか否かが決まると言っても良いかもしれない。

 友達の分類はそれぞれ人により考え方や理念が違って当たり前。あくまでこれは筆者の独断で決めた事。あくまで迷った際の自分の頭の中を整理するときの指標として考えているだけであって、勿論例外やその時の相手に対する気分で変動するのは致し方ない。これも筆者の勝手だろう?

 そこで、どうやってこの分類された知人・友人をまとめ上げたか?基準は簡単だ。まずここ3年間、郵便物も電話もEメールも交わしていない人をリストから削除する。これはアドレス含めて完全に消去。名刺も廃棄した。

 次に、此処1年間何のコミュニケーションもなかった人をCゾーンに入れリストアップする。一時名刺を読み取り、エクセルにそのままリスト化できるリーダーとソフトを使用したが、上手くいかなかったので、修正しながら現在のリストに成っている。

 アパレル業界にいた時の格言「過去1年間袖を通さなかった衣類は二度と着る事は無い」と同じで、「過去1年間連絡の無かった人は今後も連絡はしない」と決めたのだ。年賀状交換者はこれにギリギリ入る最後のラインだろうか。

 とりあえず、筆者はこういう方法で判り易く友人知人の断捨離を行っている。
 その一方で、どんどんヤマセミを介して球磨川流域の方々、野鳥撮影の世界の方々、野鳥研究者、メディア業界の方々と人の輪が広がっている。結局は一定数は入れ替わりつつ減らないのだな…という気がして来ている。

 RKKラジオ熊本の「球磨川スピリッツ」の昨日の放送をYoutubeにアップした。ヤマセミを介して人の輪がどんどん広がる「ヤマセミと人間の共創」を生で感じて頂けると嬉しい。
https://www.youtube.com/watch?v=aF1_eESAyPk&feature=youtu.be

次回来週末は少し微妙でややこしい「友達・知り合い」という定義と内容に入って行こうと思う。

2018年7月27日金曜日

団塊世代のジジ放談! 終活・断捨離はまず人間関係から。 For the end of life and disposal, it is better to start disposing of human relations first.

  台風12号が直ぐ接近しようとしている土曜日の朝、週末特集「団塊世代のジジ(時事&爺々)放談!」は今週からちょっと真剣な領域に入らせて頂こうと思う。

 団塊世代にも色々な方が居て、人間関係が幅広く常時数百名とのコミュニケーションしている(=出来ている)人もいるだろうし、逆に一桁の数で充分という方も居よう。十人十色、千差万別、これは決してどれが良い悪いという話ではない。

 SNSを駆使し、勢いに任せてFacebookで数千人の友達と繋がってしまい、誕生日のメッセージを送ったり、受けたり、返事をしたりで、自分の意に沿わぬまま、限りある残された時間をそれだけの為に過ごしてしまう人が居ると思えば、スマホどころかガラ系の携帯すら持たず、昭和時代の郵便と固定電話によるコュニケーションスピードで、少ない友達と共にマイペースな生き方をしている方も居る。

 筆者は広告代理店時代、本業の広告・各種イベント、行幸啓催事関係、ウインドサーフィン関係、スノーボード関係のお陰で2万枚を超える名刺が集まってしまった。2009年末に定年で広告業界の現役を引退した際にその70%は処分したものの、その後のビジネスで広がった航空業界、美術業界、野鳥業界、所属した早稲田大学理工学術院関連で新たな人間関係が増えているのが実情だ。
年代・ジャンル別の名刺BOOKは10冊にまで取捨選択した。

これに加えて、Facebookに加入したため、名刺交換は無いが大学時代、かって所属した企業同僚などとのSNS再会コミュニケションで、日常情報・意見交換したり実際にランチしたりで、ビジネス企業引退後の方が多忙になるという妙な具合に成っている。年賀状の数が現役時代の1.5倍になってしまうのも、単に歳を取ったからという理由だけでは無かろうと思う。

 しかし、最後に定年退職した大手広告代理店関係のFacebook友達は78名中9名しかいない。これは、あくまで仕事の場であった広告代理店の社内で友達になるだけの人物が居なかったことが最大の理由だろう。
 上司、共同部署の同僚などなどは、あくまでビジネスで繋がっているだけで、逆に言えば個人的に「こいつは面白い!」と思え尊敬できるような人間が殆ど居なかったという事に過ぎない。
 
 退職後、暫くしてアイツはどうしているだろう?その後どういう活躍をしているだろうとGoogleで繰ってみてもほとんど出てこない。業界の人事異動や関連公式会議のメンバー名簿程度に見受けられるだけで個人レベルでユニークな事をしている人間が殆どいないのだ。
 むしろゴシップネタや”2ちゃんねる”などという裏チャンネルで悪事が暴露される記事に名前が露出する方が多かったりして、大手広告代理店人間の意外な(勿論在職中から判ってはいたが)つまらない素性が垣間見えるのだった。

  逆に、その広告代理店の仕事で知り合い懇意になり、今だに年賀状やメールのやり取りをさせて頂いている全国各地の行政マン、つまりお役人さん、首長(くびちょう)と呼ばれる市長さん、議員さん、更にはご縁が出来た皇族の方々などなどの方が多い。

 筆者は営業担当ではなくスタッフ部門・プロデュース領域なので、仕事のメインは単に伝言ゲーム、売上勘定ではなく、クライアントの「本音・希望」を親身になって考える職種であったため、一つの仕事に携わる際も相当多くの方々と長い時間接する事になる。
 クライアントの本音を掴み、たとえ得意先担当者が大喜びしても、広告代理店の売り上げに繋がらない提案をすると、代理店に戻ると白い眼で見られるような摩訶不思議な職場環境には幾度も抵抗してケンカをした。

 例えば静岡国体業務の場合など、国体局準備室の室長(今でも年賀状のやり取りがある)以下のメンバーにスキー(構成員は主に静岡県内高校の体育専任教師が多い)に誘われ、それなりにスキー業界関連の人脈を生かして段取りをセッティングし非常に効果的な共有時間を過ごした。これが広告代理店の社内的「営業部門担当者のヤッカミ」に繋がり、営業のクレームを真に受けた無知無能の上司にやいのやいの言われ途中で外されてしまった事があった。直後に県庁のプロデューサーやトップに近い筋からその上司に物凄いクレームと罰が来たのは勿論だ。

 会議の途中で「別件が在りますので・・。」とかいう無責任な中抜けや会議への遅刻などは有り得ない上、本番の際の「立ち合い」などという広告代理店にしか有り得ないバカのような出張理由は筆者には存在しなかった。山ほどあるこの手の話はまたいずれ・・・。

 勿論、仕事を通じて広がった領域ウインドサーフィン、スノーボード、航空宇宙関連、植物・自然環境の人脈は相当数に上る。
 例えば、ウインドサーフィンで言えば、大会運営を行った各地、沖縄、鎌倉、三浦、ハワイ・オアフ島、マウイ島の地元関係者、更にはハワイ在住の世界のトッププロ・ウインドサーファー達。

 スノーボードで言えば、先日25年振りに再会した牛山基樹プロ、フィリップ・イモフ、ピーター・バウアーなどの時代を切り開いたパイオニアたち。長野オリンピックで一緒に競技役員を務め、今やドローンの日本における先駆者請川博一氏、ハーフパイプの魔術師・阿部幹博プロ、いずれもEメールやFacebookで繋がっている。


つい先日信州の富士見でのカンファレンスで尊敬する写真家の佐藤秀明さんと20年振りに再会した牛山基樹プロと3人が繋がって、またまた「友達の輪」が広がった。

1998年頃の牛山基樹選手の名刺と盟友世界のトップライダーフィリップ・イモフの名刺。

 筆者のFB友達79名というのもFacebookを活用している人間としては最も少ない部類に入るだろうが、基本的に一緒に仕事をしたり、実際に逢って相手がどんな人間か判っている場合しか友達に成る気が無い。ましてや何のコメントも無くFB友達申請する失礼な人にも一切反応しない事にしている。理由は以前からこのブログでも何度も主張してきたとおりだ。

 忘れてはいけない写真関係でも、ウインドサーフィンを通じて知り合いFacebookでも繋がっているわが師・スティーブ・ウイルキンスさん、佐藤秀明さんなど、我が人生でそれこそ半端でない影響をあたえられた方々が居る。

デスクのすぐ左にはその時々に一番関係の深い本(写真集など)しか置かない。いわゆるこれ見よがしの大きな本棚は置かない主義だ。それ以外は別室のBOOKストレージに保管。

 郵便局と固定電話しか無かった昭和の時代だったら、ここまで広く深い知り合い・友人関係が広がったとは思えない。PCインターネット・Eメール、携帯電話(ガラケー、スマホを問わず)の端末アプリ経由で良い意味でばい菌のように伝染・拡大したこれらの人脈・お友達関係をどうやって「終活」と結び付けて「断捨離」するのが良いのだろうと考えたのがこのシリーズの原点なのだ。

 間違わないでほしい、このブログは決して友達の多さやジャンルの広さを自慢しているのではない。いずれ遠くはないうち来る自分の「終焉」を予測して、今まで人生を豊かにしてくれているこれらの方々との「別れ」を念頭に、どうやって終えるかを模索したものなのだ。

 自分が死んでしまえば、後は残ったものが適当に処理するから、そんな余計な心配をする時間があったら別の事に使えよ・・・、と言われるかもしれないが。自分はそういういい加減で無責任な人間ではないと自負している。
 少なくとも最後くらいは、残った人に迷惑をかけず、きちんとしたいと思うのがまっとうな人間ではなかろうか?生前葬では無いが、江戸時代含めて日本人は礼節をきちんとして死に臨んだという。今年の師走に古希を迎える身としては是非古人の良い面に習いたいと思うのだが如何だろう。

 鉄道にだってちゃんと終着駅というものがある。行先表にはどこどこ行きと書いてあろう?行く先も告げずどっか途中の駅で運転打ち切りのような死にざまはみっともないと思うだけだ。

 この後は、じゃあ、どうやって友人関係を整理し断捨離を行うか!に関して述べて行きたいと思う。

集中特集 ヤマセミの幼鳥教育に自然の厳しさを視た!その2.  Special issue: I observed youg bird strict educations of Crested kingfisher at Hitoyoshi-Kuma area. Vol.2

 親鳥の留まる岩に自分も留まろうと思って飛んで来た幼鳥が、親の妨害・拒否に遭い失速して球磨川にドボン!・・・が、昨日の内容だった。結構反応があってメールなどを頂いている。

 「良くそんな場面を予測して撮れるものだ・・・。」という驚きのメールを頂いたが、勿論そんなもの撮っている最中には全く判らずただ記録を残そうと思って必死にヤマセミを追うだけだとご説明した。

 だからこそ、撮影終了後帰京して自宅の大きな液晶画面を凝視して「何が写っているのだろう?何か面白い生態は無いだろうか?」と精査するのだ。ピンが甘くても、画面の半分が草や岩で隠れていてもヤマセミ自体が「何か」をしていれば立派な生態画像なのだ。

 数年前、矢黒の淵で高速で飛ぶヤマセミ連写を大きくして観た際、カワセミが真横で全く同じ格好で併走して飛んでいるのを発見!腰を抜かしたことがあったが、それと似たようなものだ。撮影時には解らなかった事、モノが画像精査で浮き出てくるのだ。これだからヤマセミの生態観察を止められない。

 今日のシーンは昨日の連続で、何とか岩によじ登ったヤマセミ幼鳥を親がホバリングから急降下して威嚇するという、「ちょっと待てよ!それはやり過ぎではないか?」と、思わず中に割って入りたくなるような場面だ。

 画面の背景の明暗や色が画面ごとに替わるが、これは水面の反射が激しいので少しでもヤマセミの動きを観やすくしようとする修正なのでご容赦願いたい。
失速水没した幼鳥が水から上がって岩に留まろうとするのを・・。

親は諫めて、元の左岸へ戻りなさいっ!とでも言っているのだろうか?

厳しく諭す親に逆らって必死で岩に行こうとする幼鳥。

しょーがねーなぁ!と岩へ留まろうとする幼鳥の必死さに根負けした親鳥。

ホバリングして幼鳥の岩とまりを見守る親。


何とか岩にたどり着いた幼鳥。

岩に落ち着く暇もなく・・・。

親が急降下で幼鳥を威嚇攻撃!

いきなり真上からの親の攻撃に身構える幼鳥。

絶妙な間合いで身をひるがえし威嚇する親鳥!

避けたはずみで尻もちをつきそうになる幼鳥!野鳥の親がこんなスパルタ教育をしているなどと誰が想像しているだろう?人間の甘さを垣間見た一瞬だった。

2018年7月26日木曜日

集中特集 ヤマセミの幼鳥教育に自然の厳しさを視た!その1.  Special issue: I observed youg bird strict educations of Crested kingfisher at Hitoyoshi-Kuma area. Vol1.

 ヤマセミの性格や生態を良く知るには繁殖期の幼鳥教育(非常に短いが・・)をつぶさに観察する事が一番良いと気が付いたのは、ヤマセミに接し始めて4年目の事だった。

 年に1週間から10日間程しかない、まとまったファミリーの動向・生態を観察できれば、大体のヤマセミの親子の関係、教育の厳しさ、激しい気性、知恵などが良く判る。

 単に出遭い難いヤマセミの姿を求め、首尾よく撮影出来た、時には2羽同時に撮れた!と悦ぶ程度の接し方では、ヤマセミを深く理解するには程遠いと思う。
 さらに踏み込んだヤマセミの写真撮影に挑みたいと思うのであれば、被写体ヤマセミの生態や癖を学ぶ事だろう。

 筆者も、まだまだ8年間しか接してきていないので、ヤマセミに関しては知らない事だらけだと思っている。幾ら車という機動力を駆使してもたった2つの眼で観察をするには限界がある。

 人吉にお住いの古江さん、辻先生、刺網漁師の島津さん、塩見さんなどの情報を小まめに頂いても、まだ見落としている生態があるに違いないと思っている。どんなに熱心に観察しても限られたエリアの少数者の観察だけに頼っていては限界がある。

 例えば、北海道の千歳川に生息するヤマセミには球磨川で生きているヤマセミには無い特殊能力があるかもしれない。北海道に多いオジロワシやオオワシはヤマセミそのものを襲って食べているかもしれない。

 自然界は不思議な事ばかりだ。あのニューギニアの密林で生きているカラフルな極楽鳥を撮り続けているティム・レイマンに逢った際、極楽鳥(フウチョウ)はカラスの一族だと聞いて驚いた記憶がある。

 生息地域ごとに地域限定の特殊生態を会得したヤマセミが居てもおかしくないと思わなければ、とても自然を相手になど出来ないだろう。

 これらを前提に、今年6月いつもより遅い幼鳥教育の様子を5日間に渡って観察・撮影した中から内容を精査してご紹介してみたい。
 例によってあくまで生態研究の証拠画像としての写真なので、被写体は遠いし、周りの様子も入れて撮影することが必須なので画像は荒いし水面の反射などで見辛いがご容赦願いたい。

 まずは、広い川幅の球磨川左岸から人の多い右岸側に飛んで来た幼鳥を岩の上の親鳥がそれ以上行くな!と叱りつける場面。本当は親の居る岩に留まりたいのだが、親の剣幕で留まるにとまれず、といって飛翔力も無いので、ついには失速して球磨川に落ちてしまうシーン。
 
オスの親がいる岩めがけて100m以上飛んで来てみたものの、

こんな遠くまで、まだお前には早い!とでも言われているのだろうか?

縄張り争いの時のように羽を広げて威嚇する親!

羽根をいっぱいに広げた幼鳥だが既に揚力は失い、失速している。

遂には・・、

球磨川へ墜落!

元来水中にダイブする野鳥なので実は何の問題も無いのだが・・・。

ちなみにこの頃のヤマセミ幼鳥は何にでも興味を示す。

成鳥に成れば他の野鳥の飛翔になど目もくれないが・・・。

幼鳥のヤマセミは目の前を飛ぶアオサギをジーッと注視している。こんなものに気を取られていると、他の危険(=天敵など)に対する防備が出来ないので命を落とすことに繋がる。

2018年7月25日水曜日

ヤマセミの高速飛翔訓練を追ってみた。 I observed high speed flying training practice of crested kingfisher at Kuma-river of Hitoyoshi.

 ヤマセミの若鳥(幼鳥)訓練が相当なスパルタ式である事はこのブログで幾度も実例画像を示しながらレポートしてきたとおりだ。

 筆者の座右の銘の一つ「ヤマセミの振り視て我が振り直せ!」では無いが、最近の子供教育のいい加減さ、甘さ、緩さが気になって仕方がない。その厳しいヤマセミの我が子教育は、毎年観察していて幾度も目からうろこ状態に成るのだ。

 今日の画像はその中でも巣立ち後、ヤマセミの幼鳥・若鳥が高速で飛行する訓練をレポートしてみたい。

 ヤマセミの幼鳥は、まず採餌訓練(=水中にダイブし木の葉や木の枝を餌に見立てて採餌練習を行う)、天敵からの避難訓練(腹ばいで水面すれすれを飛翔後、ダイブした瞬間反転して180度逆方向へ飛び去る訓練)等を行うが、第3段階として親鳥と同じスピードで広い球磨川流域を飛び交う練習を行う。

 山奥の峡谷で生息する、あるいは北海道の千歳川のような周りを森林に囲まれた川幅の狭い環境下でどうやって高速飛行訓練を行うのか判らないが、球磨川においては視ていて驚くほど速い飛翔速度で親子の2羽が飛び回る。長い時は10分以上に亘り飛びまくる。

 そのスピードと変幻自在の方向転換は、お前本当にヤマセミなの?状態だ。

 幾度もお断りしているが、このブログの画像はあくまでヤマセミの生態観察のデータ画像なので、ピンは甘いし、トリミングだらかである事はご容赦願いたい。
最初にこの訓練に気が付いたのが此のカット。メスが二羽でチェイスしている理由は何だろう?と思ったのが始まり。

縄張り争いを見慣れている筆者は、最初は親子のじゃれ合いか、一方が鳴きながら追いかけているように見えたので単なる喧嘩だと思った。

しかし、時折後ろについた(実は親だった)一羽が時々妙な動きをしつつ追っているのを見て「教育か!」と思ったのだった。

しかもいつものヤマセミのスピードとは格段に違う速さだった。


広い球磨川の両岸、時には陸上の民家の軒先をかすめて住宅街を飛びぬける見境の無さだった。

もう完全に二羽とも興奮状態のように見えた。冠羽が立っている方が幼鳥。後ろが親鳥。

撮影者の方にも躊躇せず突っ込んでくる高速飛行訓練。

1ペアだけだと思ったら2ペアが展開していて、順番待ちの一羽が川中の岩で待っているという、年の数日、繁殖期後半でしか観られないシーンだった。



2018年7月24日火曜日

トビの採餌・食事シーンに遭遇。 I encountered Black Kite's meal scene.

 過去において、猛禽類の採餌シーンには幾度か遭遇した。NHKやBBCのように大掛かりで撮影したまさに弱肉強食の瞬間はなかなか捉えられていないが、捕獲した後の食事シーンは結構撮影も出来ている。

 ハヤブサがヒヨドリを、オオタカがオナガを、チョウゲンボウがヒヨドリを、フクロウが野ネズミを捕獲したシーン、並びにそれを食べるシーンを撮影出来ている。一人の人間、二つの眼、一本のレンズでは限界がある。ヤマセミの採餌・捕獲シーンとは訳が違う。

 今日のトビの食事シーンは、球磨川峡谷部の完全な野生個体だから、湘南海岸・江の島辺りで観光客が無防備に食べているハンバーガーを後ろからかっさらって行くあの名物トビ達とは全然違う。

 同じような猛禽類の食事シーンは、つい4か月前奥日光戦場ヶ原で
早朝、フクロウが野ネズミらしき獲物を低い樹上で目を細めて食べるシーンに遭遇して以来だ。これらを比較しつつ観て頂けると嬉しい。

獲物はヒヨドリらしい。球磨川流域のトビは水面近くのアユやイダ(=ウグイ)などの川魚をミサゴの真似をして捕獲することが多いが、他の野鳥を獲物とするシーンは初めて遭遇した。

やはり、鳥類を獲物とした際はその羽根毛をむしり取る事から始まるのだろう。ハヤブサがヒヨドリを獲った際も同じだった。



車の中からとはいえ、手持ちの大口径レンズが動けばその存在は判ってしまう。相手は自然界の動物だもの、せっかくの獲物を横取りされる危険を察知したのだろう。

獲物をぶら下げてトビ去った・・・って洒落ではない。


結構遠くへ行ってしまった。犬が骨を貰うと何処かへ隠すのと一緒か?

此処からは戦場ヶ原のフクロウの食事シーン、やはり行動は似ている。
目を細めてかぶりつく様が何とも言えなかった。

こちらの手持ちレンズの光の動きに気が付いたのだろう、目が合ってしまった。

しょうがねーな!とでも言いたげに獲物を持って飛び去った。