2020年1月18日土曜日

団塊世代はブログを始めて早くも7年、塵も積もって今日で2452回目になった。 Today's YAMASEMI WEB BLOG is 2452th from started in 2013, 7 years ago.

 大臣になって話題になり、いきなり心無いメディアに足を引っ張られ叩かれ続けている小泉進次郎氏に長男が誕生した昨日、このYAMASEMI WEB BLOGも誕生以来2452回目を迎えた。
 2013年5月にスタートさせたこのブログは2440日目を迎えたのだが、更新・投稿数は12回上回っていて、1日に二度「緊急投稿」があったことを示している。

 あっという間の7年で我ながら信じられない感じで、不思議な感覚だ。7年というのはなんとなく判るが、2452回にもなっているという事実にはあまり実感を持てないという事だ。

 今日はこのご覧いただいているYAMASEMI WEB BLOGのデータ的部分の説明ではなく、このブログを続けることが団塊世代の健康・規則正しい生活に如何に役立っているかのお話。

 このブログはヤマセミを中心に野鳥の写真を羅列しながら、その生態観察から見えてきた事実をほんの少し述べるだけの内容を軸としている。しかし週末は最初の想定読者である団塊世代の野鳥愛好者、自然撮影愛好者の方々がご自分で早朝からフィールドに出るからご覧にならないだろうことを想定して、内容的に団塊世代の愚痴や戯言を投稿することにした。しかしそういった団塊世代の愚痴話の方がアクセスが多かったりして「えっ?」と思う時もある。

 こんな感じで続けてきたのだが、過去において一度たりとも日々の更新アップ作業が苦に成ったことはなかった。実はアップするネタが多すぎて5本も6本も溜まったことすらある。3年ほど過ぎた頃、日によっては1日に700 PV(=ページビュー)のアクセスがあったりして、ネットの向こう側でそれほど多くの見知らぬ方々がご覧に成っているという事実に、何度責任を感じビビったか判らない。

 手本は他の方々の野鳥ブログや一般的ブログではない。かの山本夏彦氏の「夏彦の写真コラム」が教科書。彼の週刊新潮のこの連続掲載こそが手本なのだ。当時は100%アナログ時代ではあったが、まさに彼の「夏彦の写真コラム」こそ現代デジタル時代のインターネット・ブログ原点だと思う。

 文章の切り方、強気の発言の理由、深いユーモア、これほど何度も見直した文庫本は他にない。堺屋太一さんの「団塊の世代」を除いては・・・。
ブロガーにとってはバイブルに近いのではないだろうかと思っている。

 確信をもって「良い悪い」を言い切る山本夏彦氏のコラムは非常に小気味良い。だがその言い回しなどを、上から目線で偉そうだからと嫌う読者も少なくないという。このYAMASEMI WEB BLOGも一生懸命その表現方法を真似をした部分もあるので、「貴方のブログは言い回しが偉そうで嫌いだ。」と、わざわざ読者からメールを頂いた時には逆にうれしかった。きちんと隅から隅まで読まなければ「言い回しが嫌いだ」とは言えまい?

 ブログを始めた頃の失敗談は今でも顔が赤くなる。意気込んであれやこれや欲張って言おうと思うので、どうしても文章が長くなりがちなのだ。英語で言えばセンテンスが長いという事。頭の中で考えている事を、忘れないうちに・・・と、そのまま打ってしまうので長くなったことに気が付かない。病気で早逝した東京女子大卒のクラスメートに鋭く指摘され、「はっ!」と気が付いて慌てて文章の長さを修正した。それ以降、アップする前に3度、アップ更新してからも3度、必ず読み返し、おかしい所を修正することにしている。それでも数年たって見返した時にミスに気が付き赤面する事少なからず(恥)。

 次に、英語、カタカナ文字を多用する癖も指摘され、それ以降極力意識した。カタカナ文字多用は広告代理店勤務の職業病だ。ソリューション(=問題解決)、ナレッジ(=知識)など一時飛び交った時代があった。
 日本語で言えば何でもない事を相手が知らない横文字を多用して煙に巻く、あるいは優位に立とうとする代理店人種や役人官僚の悪い癖がブログにおいては逆効果だという事をずいぶん学んだ。実際野鳥関係、写真撮影、カメラ関係にはフォーカス、トリミング、AF、フルサイズ、APS-C、ミラーレス、フォトショップなどアルファベットやカタカナ文字も多いので、業界人以外の方にも判りやすく書く努力も重ねた。

 そのほか、ものごとを説明するにあたって「例え」を使い理解しやすいように文章を続ける知恵も学んだ。例えば「靴が左右2個で一足というのは、鉄道の線路が二本でも単線と言うのと一緒で・・・。」などという具合に。

 ちなみに握り寿司は団塊世代が子供の頃は二個で一貫と呼んでいたのに、いつの間にか一個が一貫に成ってしまった。これも時代の流れだと諦めているが・・。1968年頃の御茶ノ水の立ち食い十円寿司「栃木屋」では必ず二個づつ一貫で注文がお約束だった。この頃が最後だったかもしれない。

 時として、こうやって話の軸がズレて行ってしまい、その日のタイトル見出しとは関係のない話で終えることもあったりした。筆者のいい加減な性格丸出しってところか?

 このブログを書き始めたことで、2013年以降1日の日課、横文字で言えばルーティン・ワークが決まってきた。筆者の性格からして今日更新アップするブログは昨日の深夜までに写真も選び終わって書き上げている。実はこれが規則正しい生活を続けるという意味で筆者にとっては一番良い効果を生み出しているような気もする。

 いろいろな成功者たちが「明日やれば済む事を今日するな!」などと馬鹿なことを言っているようだが、筆者は明日に備えて「今日出来る事は今日やって置け!」派だ。明日作業が出来るような状態ではなくなったらどうする?明日が来なかったら一体どうする?が頭に浮かぶのだ。重要なプレゼンの締め切りに、追いまくられた広告代理店時代の「明日なき生活」がトラウマに成っているのだろうか?

 勿論人は色々、千差万別どれが絶対に正しいという事はない。

 団塊世代も70を越してあと数年で後期高齢者の領域に入る。昔で言えば7割の人間は鬼籍に入る年齢だ。
 一般的には肉体的にもいたる所にガタが来て、団塊世代の半分近くは軽重レベルの差はあれど認知症に成る世代だ。

 少しでも「正気で元気」で居たいのであればと、筆者も自分なりに必死の努力をしている。実は毎日のブログ投稿作業はその幹に成る部分なのだ。

 毎朝働きに出る我が家の女性陣2名の為に、大学時代バイトで培った喫茶店のモーニングサービス・セットを作り始めたのもその一環。
犬の散歩から帰って、ほぼ20分の間にお湯を沸かし、7~8種の野菜を使ってサラダを作り、パンを焼いてハムエッグを作る。同時に愛犬の餌も作るため、並行して3~4種の作業を同時に進めるのだ。キッチンの前と後ろで行う作業は段取りがしっかりしていないと時間ばかりかかってしまう。これは認知症予防に相当効果があるようだ。

日の出時刻に愛犬の散歩をし、

週2日はコンデジを持って7~8㎞のサンセットランをする。

 元々、高校生の昔からサッカー、バレーボール、アイスホッケー、スノーボード、ウインドサーフィンなど激しいスポーツをしてきたので、心拍数が非常に低いスポーツ心臓に成ってはいる。しかし親のDNAのせいか血圧も上が100を越える事はめったにない体質。なんとかそれを保つ努力が今後も必要だろうと思っている。

野川沿いのサンセットランでは自然が豊富で野鳥以外にも色々な撮影が可能だ。

狙いを定めて時には都心にも出て意図的な撮影もする。

CanonのPHOTPRESSOで二冊ほど写真集を公開したら、一時的だが結構上位にランクされた。

体質的に受け付けない薬やサプリ類は飲まず、極力自然・薬膳食に心がけ、ファーストフーズや見てくれの美食は拒絶し、滋養強壮食材を進んで摂るようにしている。23時には寝て午前5時50分には目覚まし無くとも天窓からの自然光の明るさで起きる。
 大した努力ではないし、いつまで続くかわからないが、このブログと共に一日を過ごしたいと思う。

 日本国内より海外からのアクセスの方が多い日もあったりする変なブログだが、これからもお付き合いいただければ有難い。

2020年1月17日金曜日

武蔵野には人懐こいシロハラが多いようだ。 I observed the Pale Thrush so friendly in Musasino area.

  野鳥の観察や撮影をしていて、妙に人懐こい個体に遭遇したことは無いだろうか?人吉市のヤマセミにそういうタイプの個体が生息していることは、幾度かこのブログでもその証拠画像と共にレポートした。

 一般的に警戒心が非常に強い野鳥の中でも生息環境によって人間をあまり警戒しない個体が育つことが考えられる。
 勿論浅草寺のハトや上野不忍池の手乗りスズメやユリカモメの様にはいかないものの、なぜ逃げないのお前は?という感じの野鳥が居るものだ。

 昨年11月ころには野川で全然動かないダイサギを見つけ、すぐ傍まで行ってどうしたのか調べたら足が折れていたので保護して、野川自然観察園の事務所に運び込んだ。

 今日のレポートは、妙にフレンドリーなシロハラ。遊び相手が居なかったのだろうか?閉園直前の野川自然観察園で20分ほど同じ自然空間を共有した。

 基本的には園内の草地の地べたに降りて採餌していたようだが、飽きると木道の縁に上ってきてこちらを観たり、頭上の樹まで飛んできて繁々とこちらを観察しているようだった。
最初に見つけたのが此処、木道の先にちょこんと留まって居た。

そのうち、横を向いてくれた。

一旦は地面に降りて草の実などを食べていた。これが10分間ほど。

その直後、やにわに筆者めがけて飛んできて頭上の樹の枝に留まった。

2~3か所の樹を、筆者を中心に円を描くように飛び移り、その後やぶの方へ消えて行った。この間キョキョキョ・・、という飛び去る際に上げる特徴ある鳴き声は一切しなかった。藪へ消える際も無言のままだった。今までシロハラには相当数遭遇しているが、こんなフレンドリーな個体は初めてだった。最短距離で5m無かったと思う。


2020年1月16日木曜日

厳冬期の奥日光でウソ!嘘ではない。 Eurasian Bullfinch at Oku-Nikko in a deep winter. It is not lying.

 厳冬期の奥日光戦場ヶ原への林間でウソに遭遇。自然研究路の真上のズミの残った実などを啄んでいた。

 光の具合と撮影する際の太陽の角度で色が変わるので撮影しづらかった。八ヶ岳の南麓でも数年前同じころウソの小群に出遭ったが、やはり口一杯木の実を頬張っていた。

 八ヶ岳高原ロッジ辺りでは、冬季に木の実など小鳥用の餌を軒先に吊り下げる別荘も多いので集まってくるようだ。

 







3月に入ったら、再度戦場ヶ原で野鳥観察に勤しみたいと思う。今年は雪が少ないようなのでもっと早く行くかもしれない。

2020年1月15日水曜日

野川でカワセミのダイブ採餌の一部始終! All of the details of kingfisher's dive and catch fish in Nogawa !

 昨日までは東京の住宅街を流れる野川でのカワセミ撮影にチャレンジした成果をアップしたが、今日は最終回として実際に魚をゲットできたシーンの画像をご紹介。

 球磨川の様に広い川幅での綺麗な水面、岸辺の美しさは望むべくもない。昨年の台風や大雨のおかげで関東地方の河川は惨憺たる土手状況になってしまっている。
年を越しても多摩川の河川敷は根こそぎひっくり返った樹木などが累々と・・。

 そんな中でも自然の営み、野鳥の生息は例年通りの様で安心した次第。決して綺麗な背景ではないうえ、小さな獲物だったが、今までとは違う低い目線でのカワセミ採餌をご覧いただければと思う。
枝留まりでも、場所を考え様子を視ると明らかに獲物を狙っていることが判る。

必ず視ている方向に突っ込むとは限らないのが野生の被写体の難しさ。

この後、水しぶきだけのカットが4カット続く。






背景は増水した際のゴミが絡みついた植物だが、低い目線でカワセミを追うとどうしてもこのような画像に成ってしまう。

2020年1月14日火曜日

正月の野川でカワセミと対峙、の続き。 Confronting Kingfishers at Nogawa river in New Year, continued.

 野川の不安定な渡り岩の上で粘って観察したカワセミの画像の続きをご紹介。

 前回は通りすがりの人たちの目の前を、平気で飛び交う野川のカワセミの画像をアップしたが、今日は川の中に数か所設置されている対岸への渡り岩の上に陣取って、岸からのではない目線でカワセミを観察・撮影してみたものをご紹介。

 川の土手から撮るとたいてい対岸が背景になる事が多いが、川の真ん中から撮ると面白い背景が見えてくる。

 人吉の球磨川で撮るヤマセミもそうだが、野鳥にブラインドで近づいて、ただ撮るだけでは多少の生態画像は収録できるが、基本的には写真鳥類図鑑の画像とあまり違いがない。やはり生息している環境が背景に在ってこそ、その生き物の本来の姿を観る事が出来るような気がしている。

 そういう意味からすれば、野川は非常に面白い場所だと思う。

川の中の飛び石から撮ると、野川を縦方向に撮ることになる。


川に沿ってこちらへ向かっての採餌ロングダイブなども撮れる。

両岸の民家を背景の絵なども可能だ。


大部直後の水中からの飛翔も岸からとでは異なる絵が撮れる。



水面近くにしゃがんでの撮影は、今までとは違うアングルでも撮れる。

ただ、居た!撮れた!ではなく、プロの写真家さん達が1カットのためにどれだけ事前のリサーチ、準備をしているかを思い浮かべつつ「大切に沢山シャッターを押す!」ことを心掛けようと思う。


2020年1月12日日曜日

2020年正月出遭った野川の野鳥シリーズ モズ。 The New year wild-birds reports from the Nogawa, the Shrike. 

  過去数年間、正月休みは我が家の隣のミッション系大学構内での野鳥観察・撮影が多かった。しかし毎年殆ど変わり映えしない種類だし、休み中の大学構内をズームレンズ付きの大きなカメラを持ち歩くのもはばかるため、去年から正月には野川沿いをパトロールすることにした。
 正月連休の野川自然観察園などには意外な野鳥も飛来していて、目論見は一応成功している。うっそうとしたキャンパスの樹林帯ではなく、見通しの良い場所もある野川沿いでは猛禽類の姿もとらえやすい魅力もある。

 今日のモズは、まだ野川自然観察園が正月の休園日にフェンス越しに探鳥していて遭遇したもの。ちょうど採餌の為、幾度も地面へ降りていたのを発見し観察を続けていたら、フェンスを飛び越えて野川の水際へ飛んでいく様子を連写したもの。

 羽ばたく様子を連写で追って、主翼の上下を見たかったのだが、何故かシャッタータイミングとシンクロして、似たようなポーズ?が連続してしまった。しかし、飛翔中の様子が良く判る。







わざわざフェンスを乗り越えて来てくれた百舌鳥。ありがとねー!

普段から野鳥の飛翔シーンを追い写すことで、球磨川でのヤマセミの飛翔追い写しが出来るのだ。正月から良い練習になった。

2020年1月11日土曜日

団塊世代は常に新宿の桂花ラーメンと共に生きてきた。 The baby boomers have always lived with the Keika-Rarmen of Shinjuku.

 大ヒットした映画「ALWAYS三丁目の夕日」の昭和30年代から団塊世代の我々は独特の食文化で育ってきた。
 紙芝居屋の怪しい駄菓子やロバのパン屋の蒸しパン、スアマやバクダンと言われる米菓子など全国で底辺にちかい質素なお菓子で育った。イチゴのショートケーキなど映画やTVドラマでしか見たことが無かった。三宅邦子などが割烹着で出てくる上流階級のホームドラマでないとお目にかかれなかったが、「NHKのバス通り裏」などTVドラマはまだ白黒で、赤いイチゴに出逢うには映画館に行って日活や東宝の映画を観るしかなかった。

 そういった団塊世代も高校を卒業して大都会に出て、成人を迎えるか否かの「大食い時代」に差し掛かると、ラーメン、カレー、チャーハンなど大盛りが可能な食事を重ねる事に成る。洋食屋でハンバーグやメンチカツを注文しても「大盛り」は難しい。

 それこそ、育ち盛りに費用対効果(いわゆるコスパ)の良い食事を選んで生きていかなければならなかった時代、東京に在ってはラーメンはNO.1の需要で学生食事の王様だったろう。

 1969年当時、ラーメンの価格は一杯100円くらいだろうか。ところが、この1970年頃を境にサッポロ系のラーメンと九州とんこつ系ラーメンが東京に進出してきてラーメン戦争が始まった。

 そんな中、新宿末広町にオープンしたのが熊本で始まった「桂花ラーメン」だった。確か1968年12月13日にオープンし、筆者はその2日後12月15日に初めて行って食べた。当時阿佐ヶ谷美術学園と駿台予備校の両方に通っており、新宿は必ず通る盛り場だった。

 翌年、横浜の大学へ入りしばらく桂花ラーメンから遠ざかった時期はあったものの、その味と歯切れの良い麺の印象は、完全に脳に擦り込まれてしまった。

 新宿駅前に新宿東口店がオープンすると、とにかく新宿へ出たときには桂花ラーメンに入った。昼御飯とか晩御飯と言う区切りではなく、「ラーメン食いたい、桂花を食いたい!」だけの衝動で食べたものだ。
 世の中はヒッピー、フーテンの全盛期で、あの伝説的TV番組「ゲバゲバ90分」の中で「あーっと驚くタメゴロー!・・・ン?」のハナ肇もフーテンの恰好をしていたほどだ。

 そのフーテンが巣食っていた新宿二幸(現アルタ)前のグリーンハウスと言われた円形の芝生にも、シンナーの匂いがきつい中、時々阿佐美の同僚と同じ空気(注・決してシンナーなどではない)を吸っていた時もあった。
 
 その頃、一番安い桂花ラーメンで一杯170円、太肉麺が320円くらいだったと記憶している。当時のラーメンの価格としてはべらぼうに高かったが、美味しさを考えると不満はなかった。むしろ「桂花があの値段だからウチも・・」とたいして美味しくないのにそれまでの有名ラーメン屋がこぞって値段を上げたのには腹が立った。

 このところ毎週1回は通っている勘定だが、古くからいそうな店員さんに開店当時の値段を訊いたら確実な記憶が無いそうだ。筆者の記憶では太肉麺が桂花ラーメンの倍より少し安い値段だったと思うのだがと言ったら「そうだ、お客さん良い線いってる、そうかもしれない!」との事だった。

 この桂花ラーメンが凄かったのは、キャベツがものすごく高騰した時の話。ここの太肉麺(=ターロー麺)は生キャベツのぶつ切りが乗っている。キャベツ高騰の折は普通ならキャベツの量を減らして当然だ。理由ははっきりしているから客も文句は言わないだろう?しかし東口店は違った、わしづかみにしたキャベツを普段の時同様、下手をするといつもより多めに入れてくれた。この時カウンターで何人ものお客さんの感嘆の声と「ありがとう!」の声がまだ頭に残っている。

 高校卒業後の半分浪人・半分美術学校生の頃の桂花ラーメン。その後横浜の大学へ三鷹から通い、体育会系サッカー部に入り練習後腹が減りすぎて、新宿で途中下車して駆け込んだ頃の桂花ラーメン東口店。社会人になってVANの石津健介社長に美味しいラーメン屋を教えろと言われ桂花を紹介して褒められた事(昇進はしなかったが・・・)、VAN倒産後自転車ツーリング仲間と10人で入ってカウンターを占領した頃も筆者の脳裏にはそれぞれの時代の桂花ラーメンが確実に残っている。

 40歳代で郊外に一戸建ての我が家を立てる事に成り、家族全員で建築メーカーの新宿デザイン・オフィスへ行った帰りに入った事など・・・。あの1968年10月の「新宿騒乱事件」の時はまだ出来ていなかったが、まるで当時もあったような気になるほど新宿と言えば桂花ラーメンなのだ。
 今でも入るたびに流れている60年代~’70年代~’80年代それぞれの音楽を聴きながら、それぞれの時代に戻る不思議なラーメン屋タイムマシーンがこの桂花ラーメンなのだ。

 今も週一くらいのペースで行くが、来ている客は団塊世代が非常に多い。もちろん若い人も、昔は居なかった女性客もわんわんに来て繁盛している様だ。一時破綻しかかったが何とか持ちこたえてくれて、我々団塊世代は非常に助かった。

 桂花ラーメン新宿東口店は団塊世代にとっては今まで生きてきた人生の各時代ごとの想い出が詰まった一角。団塊世代はだれしも行きつけのなじみの古いお店が一軒や二軒はあろう?しばらく週末はそういうお店のシリーズを展開しようかと思う。
 
これが桂花ラーメン新宿東口店、50年以上通っている雑踏の中の贔屓のお店だ。

新宿東口の三越前通り。紀伊国屋書店やTakaQ、アメリカ屋靴店、伊勢屋、学生時代から良く通った街だが、今やほとんど変わってしまった。まだ残っているのは紀伊国屋書店と伊勢丹ぐらいなものか。
左が太肉麺、右は普通の桂花ラーメン。どのように美味しいかは、言葉で説明し難いのでここでは説明しない。自分で行って食べて欲しい。このブログは決して宣伝ではないので。

このお店はカウンターのみ。二階席もあるが二回しか上がった事はない。洒落じゃなく。

こうやって出されるときの充実感は何とも言えない、50年以上繰り返しているのだ。

白いとんこつスープが時折三階の調理室からパイプで大鍋にドドドドと落ちてくる。



 ポイントカードを集めるというのは、単に10回たまると太肉麺を1杯無料でもらえるという以上の効果がある。店員さんに顔を覚えてもらえるのだ。確実にサービスが良いし、時には太肉(ターロー)の半端な切れ端を後から追加してくれたりする。もちろん半年に20回以上通わねば覚えてもらえない。店員さんは交代制なのでいつも同じ人じゃないから。