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1921年にノーベル物理学賞を取ったこの天才物理学者が1905年(26歳)からの数年間に出した「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関連する五つの重要な論文をもってしても大学で理解されず博士号を取れなかったという程、斬新で先駆的内容だったようだ。
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しかし、無知・ボンクラ・劣等生の総代のような筆者でも、宇宙モノの映画やドラマで、光速に近い超高速で火星などの遠い星を往復して戻って来ると、宇宙飛行士は地球で待っている人間より歳を取るのが遅い(=若いまま)事は知っている。つまり宇宙船で超高速で宇宙を往復して戻って来ると、地球に残っていた家族やコントロール室のスタッフが老けているって事で、このアインシュタインの「相対性理論」の一部を解釈したような気に成ったものだ。
中学生の頃、宇宙モノで感化され、フォン・ブラウン博士の出て来るウォルト・ディズニーの毎週金曜日の日テレ系番組「ディズニーランド・未来の国」で夢中になった筆者は、この相対性理論による現象を自分でも味わえないモノかと色々考えた。
それで「これがそうだ!」と、思ったのが、幾度も八代と東京の間を往復したブルートレイン・寝台特急はやぶさの車内から通過する幾つも踏切付近の景色を見ての印象だった。特急はやぶさの車内から観る踏切付近の人や車の動きがえらく遅く、スローモーションの様に見えたのだ。
「これだっ!」速く動く(光速ほど速くはないのだが・・・)特急から地上の普通の動きを観ると鈍く見えるのが相対性理論によるものではないかと・・・・。勿論大間違いなのだが、当時は凄い発見をしたような気になって勝手に喜んでいたものだ。
しかし、団塊世代も今や70歳!今年は古希だ。古希記念クラス会などという案内も届いている。それで思うのだが、最近時間の過ぎるスピードがやたら速くないか?
昔、特に1950年代はTVドラマも30分モノが当たり前だった。風小僧、月光仮面、少年ジェット、事件記者。アメリカモノでも名犬ラッシー、名犬リンチンチン、ビーバーちゃん・・・。これがアンタッチャブル、ローハイド、ララミー牧場、ダコタの男、シャイアン、などUSAものの1時間TVドラマが入って来てアメリカのドラマの何と長い事!と悦んだものだ。
しかし、今は英国の刑事フォイルやオックスフォード事件簿モース警部などを観るに至って映画と同じくらいの尺の100分の番組すらあっという間に終わるように思えるのだ。これって「相対性理論」によるものなのか?単なる老化現象なのか?
早く授業が終わらないかなぁ、と授業中何度も時計を視ていた学生時代と、エーッ?もうそんな時間かよ?と過ぎる時間の短さが気に成る70歳!この差は一体何なのだ。
アインシュタインを天才だ天才だと一生懸命もち上げて、世界中に散ったその脳の切れっ端を血眼になって探している世界中の学者たち。
どこか、Beatlesの熱狂的ファンが彼らが1966年の東京公演時に泊った東京ヒルトンホテルのシーツの一部を分け合って大切に持っているのに似てやしないか?
筆者には全くのよそ事で手に汗を握る事もなく、何故かもう一度観ようとも思わなかった。
何故なら、アインシュタインの相対性理論の効果のようなものは日本の昔話で、筆者を含めた団塊世代の皆さんはさんざん子供の頃から知っているからだと思う。
「浦島太郎」の話がそれだ。
助けたカメの背中に乗って竜宮城に行き、乙姫さんと飲めや唄えで大騒ぎし楽しく暮らして(実はおとぎ話には相応しくない深い仲だったという話も在るそうだ)浜に戻ってきたら、昔の知り合い誰一人いない、景色も相当変わって・・・。玉手箱さえ開けなきゃ若いままで居られた浦島太郎君。
住吉大社の浦島さん 住吉大社のHPより
これって光速で宇宙に行って戻ってきた宇宙飛行士と同じじゃん?
日本昔話に在ったこの浦島太郎話を国定教科書(『尋常小学読本』通称『ハタタコ読本』)に載せたのが、「ウラシマノハナシ」として登場している。 このいわゆる「国民童話」版は、明治政府が教科書向きに書き換えたものだが、童話作家の巖谷小波著『日本昔噺』所収の「浦島太郎」に若干の手を加えて短縮したものだそうだ。
この巖谷小波1870-1933(明治3年ー昭和8年)がアインシュタイン1879-1955(明治12年~昭和30年)と、ほぼ同時期に生きていたのも少し気にはなるが、日本昔話に在ったのだから偶然アインシュタインがこの話にヒントを得たとしてもおかしくない。それはそれで滅茶苦茶面白いと思う今日この頃だ。
ひょっとして、浦島太郎を書いた原作者って、アインシュタインよりはるか昔に似たような事を考えていたりして。