人吉の球磨川流域でヤマセミの生態を観察していて、一番目の前を横切る事が多いのがこのセグロセキレイ。一度など繁殖期のヤマセミのつがいを対岸の目の前に観察、撮影準備していて、いきなり足もとの河原でセグロセキレイのつがいが交尾を始めた。
思わずカメラのレンズを向けてシャッターを押している時に、対岸のヤマセミ達も交尾を始めたではないか、もうどうしようかと焦りまくったのを覚えている。野鳥の動きは非常に何か人間には無い第6感、第7感のようなモノが有るような気がする。
ヤマセミにしてもモズにしても、眼が合ってこちらが相手を注視している状態の場合は相手はあまり動かないでいる。木の枝に留まっていたり、岩の上に動かずに居たりする。その場合は撮影もしやすいし、逆に「少し動いてくれよ」と願う事すらある。しかし、こちらがちょっと何かに気を取られたり、別の被写体にレンズをゆっくり移動させてたりすると、あっという間に何処かへ移動してしまう事が多い。
これは一体何だろう?こちらが注視し、意識している事がテレパシーのようなモノで判っているのだろうか?その緊張感を感じているうちは下手な動きをしない方が良いと判断していて、注意が逸れて自分以外に人間の注意力が移った途端「緊張感」が解けてその場を離れるような気がする。所謂、ミサイルの照準ロックオン状態のような何かが野生の本能の中にあるのではないだろうか?撮影者が被写体を注視している状態がロックオン状態で、相手がロックオンされている事を判っているような気がする。これは相手が自分に危害を与えるか否かという危機感とは別の何かで有るような気がしている。
今回のセグロセキレイの場合はあまり感じなかったが、ヤマセミやカワセミの場合は在るように感じた。
Frying this way-1.
こちらへ向かって飛んでくるセグロセキレイ。
Frying this way-2.
こちらの存在を発見!
Watching me.
通り越して水辺の岩に乗ってこちらを観察。
Watching again.
左右に移動しながらさらに監視。
And go away.
危ないと見たのかさっさと去って行った。