2023年9月23日土曜日

団塊世代は毎年この時期の「おせち料理・広告」に疑問を感ずる。 The baby boomer generation has doubts about ``Osechi cuisine and advertising'' around this time of year.

  先日の読売新聞の15段全面広告の「おせち料理」を見て、またか!と思った。

おせち料理と門松だけになってしまった日本のお正月行事。

 基本的におせち料理の普及データって、どうなっているのだろう?

 祝い事の食事ものがいわゆるおせち料理だろうと思う。

 詳しく言えば、おせち料理の由来は季節の変わり目にお祝いする節句、節日からきていると習った。1月1日元旦や7日の七草、三月三日の桃の節句などを祝い、神に奉じたお供え物の食物をいただくのが「おせち料理」だと習った。 

 ところが、昭和から時が過ぎて令和の時代になり、ハロウィーンやクリスマスは祝い騒ぐものの、日本古来の節句、正月・七草、桃の節句、端午の節句、七夕、重陽の節句は、すっかり忘れ去られ、祝日に国旗すら掲揚しない国民になってしまった日本人。

 そんな中、正月のおせち料理だけ出来合いの豪華なものを競い合って購入し、「正月気分」を味わう日本人。大都会の住民は自分で作ろうなどとは夢にも思わない情けない時代になってしまった。

 企業や商店は門松くらいは立てるようだが、首都圏住宅街の一般民家においては最近は紙に印刷したものを貼るだけで、むしろ枯れ枝などで手作りしたリースのほうが幅を利かしているようだ。和洋折衷ここに極まれりといった感じだ。

 日本古来の伝統を、根本精神を忘れ雰囲気の良いスタイルだけ踏襲するという中身のないものにしてしまったのが現代の日本人なのだ。

 そんな中で、豪華さを競いながら全てが「冷凍」という。味そのものより見てくれを重視した「見せかけ豪華」なおせちのお重。嘆かわしいことだ。

 解凍したおせち料理をほんとに美味しいと思うのだろうか?それは手作りの本物を知らないからだろうと察する。

 筆者は以前からこのブログでも述べてきた。

 今や正月をじっくりと伝統スタイルで過ごすのは高齢者だけだということ。

 子供も育って独立て家を出、家には老夫婦しか残っていないケースが非常に多い日本の家族。一人住まいになってしまった高齢者も多いことだろう。

塩分軽減、無添加・・高齢者を意識はしているが・・・。

 そんな消費者に競い合って豪華な大ぶりのおせち料理を、これでもかと売り込む日本の商売、どこかおかしくないだろうか?

 果たして老夫婦が豪華な伊勢海老の鬼瓦焼のようなお重を欲しているだろうか?

 以前から筆者は言っている。お重は小さな三段で一番上が生もの中心に日持ちのしない新鮮な料理食材。二段目が三日は持つもの。三段目が1週間は日持ちする保存食糧中心。

 こうすれば1日、一段を完食しつつ三が日を過ごせるではないか?三段目は冷蔵庫に入れれば1週間以上は持つ・・・、これが合理的なおせち料理の様な気がするが如何ろう?

 さらに器は小さな漆塗りの上物で何度も使えるきちんとしたもの。初年度だけは器代が入るため高価だが、二年目からのリピートは食材だけだから半額以下になろう。

 もう少しおせち料理を販売するビジネス、考えた方が良いと思う。