2023年9月10日日曜日

団塊世代はそろそろ広げ過ぎた自分の領域を整理する時期を感じた。 The baby boomer generation me felt that it was about time for myself to reorganize my over-expanded territory.

  1948年、つまり一番人口の多い昭和23年12月生まれの筆者は、父親の数多い転勤(注:サーカス団員とかではない)に合わせて小学校4か所、中学校2か所に通い、都立高校を出て早稲田大学教育学部に現役で入ったものの、大教室の駿台予備校より多い学生を見て失望し3週間で自主退学、阿佐ヶ谷美術学園という専門学校に入った。

 しかし、専門学校の先輩(当時学園きっての天才と言われた伝説のゴローさん)に卒業後の仕事を紹介してもらいに行った時、青山のデザインスタジオでダイエーのチラシ用にタラコの写真をカッターで切りながら、上目遣いで言った一言で固まってしまった。「お前らなぁ、大学だけは出ておいた方がいいぞぅ?」

 この一言で、その日駿河台下の三省堂(当時はまだ一部瓦屋根の2階建て)で高校の教科書を買い込み勉強し、機動隊に守られながら入りなおした横浜国立大学教育学部の美術専攻科。

 人より2年遅れで人生が始まったようなものだ。しかし、大学入ったは良いが、三鷹⇔京急南太田間:往復4時間という長距離通学で4年間サッカーに明け暮れ、成果といえば1971年和歌山国体のサッカー神奈川県代表権を得たくらいなモノ。

 ロクに本来やるべき絵画制作も行わず写真学も学べず、ゲバゲバ世代はどさくさに紛れて卒業し、入った企業が当時文系男子大学生の人気ナンバーワン企業、青山のVAN JACKET INC.そう、あの石津謙介社長のヴァン ヂャケットだ。

 思わずオイラ勝ち組?(当時はこういう表現はなかった)かもと思ったものだ。

 ところが、入ってたったの5年で会社が2年連続の冷夏(今年の夏がビョーキに思える)とマーチャンダイジング・ミス+過剰生産で倒産し、乳飲み子を抱えた筆者路頭に迷う、実は人生負け組からのスタートだった。

 だが、時は高度成長の絶頂期、世の中就職活動は完全な売り手市場。新聞の就職欄を切り取って行った最初の会社、当時西ドイツ本社の女性アンダーウエア会社トリンプの宣伝課長(VANのファンだった!)に合格をもらい、なんとその日に就任、その日からデスクで仕事をした。

 なんとか勝ち組に戻ったかと思いきや、時は冷戦時代!西ドイツ本社と宣伝方法・宣伝クリエイティブ内容(駅張B倍ポスターでソ連を笑いものにする内容)で大喧嘩。せっかく入ったトリンプをプイと退社、たった1年2か月の在職だった。

 実はトリンプ退社届を出す前にアートディレクター福田毅氏に勧められ、内々に転職を決めていたところが銀座一丁目の中堅広告代理店。ここで出遭ったのがその後の人生の半分の時間を費やすウインドサーフィンというマリンスポーツ。

 時は1980年。あのマドンナが全米デビューしたころだ。音楽端末はSONYのウォークマンが世の中を席巻し始めたころ。レコード屋の店頭のレコードがほとんどカセットテープに代わってしまった頃。

 1984年開催つくば博覧会で広告代理店の人数が不足する中、施工図面を読めて描けて、VAN時代店舗内装実務などの実績があるという事で、大手広告代理店から声が掛かり最後の転職(3度目)をしたのが1984年1月1日。

 それ以降、自分的には浮き沈みはあるものの、仕事(主にヨコ乗り系のスポーツ大会企画運営実施)では成果は上げつつ大きなミスもせず、東京本社から地方へ、あるいは所属部署から他の閑職へ飛ばされることもなかった。※引き取り手が無かっただけ。

 むしろ社内スポーツビジネス部門の限界(スポーツジャンルは電通天下の時代)と、大酒飲み上司のいい加減さと資質に見切りを付け、内々に上司には内緒で行える社内FA制度を使い1(筆者)対3という変則トレードでコンベンション局(国家レベルの文化催事担当)へ希望通り異動できたのが21世紀目前の1999年。

 こうして現役時代はその仕事の性格上、国内は高知県・秋田県以外はすべて出張で行ったし、海外もドイツ、英国、フランス、スイス、オーストリア、米国、中国(新疆ウイグル自治区含む)などへ幾度も出張した。行っていない大陸はアフリカと南米、南極だけ。

 60歳の還暦過ぎて広告代理店を卒業し、会社の退職後推薦職を遠慮し、かってのスポンサーの要請で政府・国交省系の航空宇宙産業機関で4年間特別プロデューサーを務めたのち、企業業務は完全にリタイヤした。

 2008年~2018年の10年間、早稲田大学理工学術院の招聘研究員を務め理工系の研究を進めたが2018年4月をもって退所、完全無所属無職となった。

 こうして団塊の世代は今、昨日のこのブログでご紹介した通り、この夏大きな思考的・価値観的転機を迎えたわけだ。


 で、この団塊世代も残りどれだけの活動時間(=寿命)があるかわからぬものの、断捨離だの終活だのいろいろな言い方もある中で、筆者自身もこのブログを毎日更新しながら、そろそろ自分に関わる色々なモノの店仕舞いをする覚悟が必要な時期になったなぁ・・と自覚し始めたのだ。

 墓とか葬式とかの事ではなく、自分が今まで生きて生きた中で使ってきたモノなどの始末、メンテナンスの類の話。

 たとえば順番に挙げていくと・・・。

①車の事(免許更新・保険・運転など)、

②衣類の事、ジャケット・パンツ(=ズボン)、ネクタイ、その他膨大な重衣料、防寒衣類、シューズ類。RED WINGだのGrensonsだの・・。

’60年代のトラッド系(ロンドンのポートベローで買ったマドラス・ジャケット、ハリスツイードなど)は今でも着ている。死ぬまで着ると思う。元アパレル会社VANの社員だもの、世の中の男子平均の10倍以上衣装持ち。

今はもうないOLD NAVYや昔(1990年まで)のBanana Republicのファンだ。

基本的に夏の柄シャツはアロハ系かシブカジ系が多い。この手もバナリパが多い。

③スノーボード系などスポーツウエア、靴、

④ウインドサーフィン、スキー板、スノボ板などの道具・ギヤ類。

⑤カメラ類、ボディ10台、交換レンズ15本、三脚4個、など

⑥パソコン、デスクトップ2台、ノート4台、外付けHD6台計30TB

 新たに購入せずに、今のマシーンが壊れたらPC活動ともおさらばと覚悟を決めようかと。ただし、デスクトップ型PCの寿命はストレージがSSDの場合10年、今まで通りHDだと5年が良い所とネットのあちこちに出ている。

Windowsの起動に時間がかかるようになったら、買い替えを検討していいでしょう。ストレージがHDDの場合起動には1分ほど、SSDであればもっと早く起動するはずです。それなのにWindowsが起動するのに何分もかかるのは、ストレージなどの調子が悪くなっている可能性があります。特に購入から5年以上経っている場合は、ストレージなどのパーツの性能が落ちて寿命を迎えつつあるのかもしれません。」

 ネットで4か所ほど調べたらほぼ同じような答えだった。

⑦レコード、輸入盤オールディス系LP3,000枚、日本版シングル300枚など

今後このレコードをどのように世の中に活用すべきか、これが課題。
所謂、リバプールサウンドはほぼ全部オリジナルの米国輸入盤でそろっている。

コレクターズアイテムも数多い。

⑧写真集などの本 300冊以上

ヤマセミ・野鳥中心に自費出版した写真集は全部で25種類に及ぶ

 気が付くだけでこれだけのものを整理し断捨離するのは相当な時間と労力が必要。

 そんな中、2000年あたりから頻繁に使用し始めたPC、今のデスクトップもすでに10年以上使用し続けている老朽品だ。

 電源その他、耐久性がどの程度あるか不明な「物理的人工物」だけに、ソフトと違って個体差が激しく、部品の当たり外れもあっていつ突然停止状態になるか分かったものではない。ある朝真っ暗なモニターの前で「あーあすべてが終わってしまったぁ」だけは何としても避けたい。

 ソフトやデータはバックアップを取って保存さえしておけば、ほかのPCでいくらも使用し続けられようが、アナログで動く機械そのものは経年劣化するに決まっている。

 朝7時ころから夜寝る前の11時ころまで点けっぱなしの筆者は、画像処理を毎日やっているわけで使用頻度でも普通の人よりはるかに多いだろうと思う。

 CPUがCore(TM) i7、メモリーRAM16.0GBで今まで普通に稼働してきたものは、そのままのスペックレベルで十分なのだ。できれば今使用中の愛機と生涯を共にしたいのだ機械的・物理的劣化が原因で故障さえなければ・・・。

 別に最新の速いCPU、Core(TM) i9、だのメモリーを32GBあるいは64GBにする必要はないのだ。今後やる事は今までと何も変わらないし、自分のパソコンスキルをこれ以上高める余地も時間もないのは良く分かっているのだから。

 壊れなきゃいいのだ。

 双発のパイパーアパッチで充分飛行を楽しめているのに、用は足りているのにF35の垂直離着陸機は要らないのだ。

 この辺りを考え考え、後今年の残りで考えなきゃいけないと思い始めた9月なのだ。