NHK総合テレビも大晦日には未だに「紅白歌合戦」を放送しているようだが、平成時代になった頃、つまり1988年より前には既に観なくなっていた。民放TVでザ・ベストテンなどの音楽番組をまだやっていた時代であればまだ良かった。
それが、古希を迎えた団塊世代にとっては孫のような歌手たちが徒党を組んで歌わなければ聴くに堪えない(ソロだとNHKの「のど自慢」出演者より酷い場合が多い)素人に毛の生えた程度のレベルで「芸能人」を張っている今の歌番組は、とてもでは無いが聴くにも観るにも辛いものがある。
古希を越えて認識を新たにした事がある。それは「年賀状」に関する真実。年賀状と言えば沢山出し、沢山来る事を自慢したり、生き甲斐にしている御仁もおられよう。
筆者は大手広告代理店を卒業して、自分の好きなヤマセミの生態研究や撮影に勤しむ様になってから、何故か年々増える年賀状の束を視ながら考えた。「何故だろう?何故かしら?」その昔、子役の上原ゆかりさんが司会をしていたNHKの物知り博士=ケペル先生に何でも訊いてみよう・・という番組の気分だった。
FacebookやこのYAMASEMIブログを通じてEメールや携帯ショートメール、あるいは自分は使わないがLINE(ライン)などSNS系の通信手段で繋がれる団塊世代が少ないからかもしれない。
これは、決して団塊世代がSNSを使えないという事ではなく、SNSのような直接的な繋がるほどの近い存在で居るつもりは毛頭ないが、年賀状程度の年に一度のコミュニケ―ションであれば当たり障りも無いので「出しておくか?」という義理の儀礼的要素が多分に在ると思っている。
印刷された年賀状に手書きで欄外に一言「まだまだ頑張ります」だの「今年はお逢いしたいですね?」などと御愛想を書く程度のコミュニケーション相手なんだよ!アンタは・・、が見え見えの様な気がする。
こういう状態が一体いつまでこの先続くのだろうと思っていた今回の年末年始。たまたま久しぶりに年越しを信州でのグループ研修参加で迎えたため、年末年始の三日間東京に居なかった。その準備に大わらわで年賀状書きも投函も普段の30%程度で「もういいや、勘弁!」とばかりに出かけてしまった。
偶然というのは妙なもので、同じ団塊世代の友人たちも似たような境遇だったのか、たまたま同じような心境になったのか、郵便局の締切など無視したり、年明けに賀状を書いて出す人が多いようだった。
西暦2001年、まだパソコンで画像処理をし始めて間もない頃、ウインドサーフィンに明け暮れていた頃の葉山森戸海岸がモチーフの年賀状。野鳥や写真撮影に興味などまるでなかった頃。
一般企業勤務現役最後の年の年賀状。
広告代理店現役退職年の年賀状。
大手広告代理店退職の翌年の野鳥生態観察に集中し始めた年の年賀状。
退職後10年が経つというのに未だに重要な名刺はKeep している。
今年はイノシシ年、たまたまヤマセミを追っていて対岸に居た巨大なイノシシが映り込んだ画像を使用した。
で、正月NHKを観ていたら、そもそも年賀状というものは、その昔武士の時代に上役・親類上位者に必ず年始廻りで挨拶をする中(それが当たり前だった)で、遠くに住んでいるため年始廻りに伺えない相手に対して、年が明けてから「年始のご挨拶に伺えないが書状での新年の御挨拶をお許しください」…として送るモノが本来年賀状のルーツなのだそうだ。従ってハガキ1枚ペラを郵便局の期限までに投函し元旦に届きさえすれば済む!なおかつ知人全員に送り満足するという明治・大正・昭和時代からの年賀状習慣は大きな間違いらしいのだ。
目からウロコ、は久しぶりだった。もうこれでアリバイ成立のようなものだ、鬼の首を獲ったような気分で今年の年賀状はのんびりと対処しよう。
時代と共に、年賀の挨拶は年賀はがき~Eメール~携帯メール~LINEもしくはFacebookで「アケオメコトヨロ」とまでは行かずとも、費用と手間のかかるコミュニケーションはどんどん衰退していく運命なのだろう。
この先、時代と共にネット経由のバーチャル友達が増え「ネット上の友達数(カウント)は多い筈なのに、寂しい人間」が増える中、リアルな友達の存在がどれだけ重要か、人類は今その分岐点に居る様な気がするが如何だろう?