昨日は熊本の八代駅前にあるミックという珈琲店と筆者とのご縁について書いた。
今日はこのブログ「YAMASEMI WEB BLOG」がなぜ生まれたか?の話になる。
此のミックという喫茶店が無ければ、出水晃さんというマスターがいなければ、そうして球磨川にヤマセミは居るか?と質問しなければ今日という日は存在しなかった。
筆者が野鳥の撮影を始めたきっかけは2005年熊本市で開催された「世界女性スポーツ会議」という国際会議を担当し、東京ー熊本間を2003年から10往復以上した頃。熊本市にある江津湖で飛び回るカワセミを観て、夏目漱石の住居附近の坪井川のコンクリの土手に二羽留まったカワセミを観て撮り始めたのだった。
そうして、NHKの「ダーウィンが来た!」で嶋田忠さんの千歳川のヤマセミ番組を観て、「ぜひヤマセミに遇いたい!」と思い、実際に千歳川へ行く計画を立てていた。まだこの頃の「ダーウィンが来た!」はゲスト司会者にチャラチャラした元アイドルタレントを起用しバラエティ化したりせず(=アマミノクロウサギは酷かった)、国内でも一二を争う純粋な自然派科学番組だった。
で、世界女性スポーツ会議が終わって5年後、2010年になったある日、八代の金剛干拓でいつもの様に早朝から野鳥撮影をしてランチタイムにミックに寄って大好物のビーフカレーを食べながら何気なくマスターに訊いたのだ。
「マスター?球磨川にはヤマセミなおらんと?」この問いに、一瞬手を止めて振り返ったマスター。「シンジョー君!よー訊いてくれた、ヤマセミな球磨川んどこでんおるバイ!」
これで、北海道は即やめて真剣に球磨川沿いを攻めることにしたのだ。そこから先は2017年に自費出版し、熊本県内の図書館その他公共施設や同好の人々に無償配布した「人吉市の山翡翠」の冒頭に続く。
全くこの店とマスター無くして筆者の活動は始まらなかった。
同時にヤマセミのみならず球磨川流域の情報はこの珈琲店ミックにさえ来れば、最新情報を得る事が出来たのだ。寄らない訳がない。
あわせて昨日のブログにも書いたが、八代および熊本市~人吉市に至るエリアの文化人・クリエーターで常時賑わう点でも楽しみなお店なのだ。「球磨川物語」その他文筆活動で著名な前山光則さん、小川の女流意匠家さんなどクリエータの方々。
球磨川漁協の幹部の方々、太田郷小学校や二中の同窓生。時には行政の方々、ラジオRKK熊本放送のスタッフなど。此のミックを中心にどれだけ人の輪が広がったか?
自分にとっての初めての外国語・八代弁(もちろん下手糞だが)で話すのが楽しい。
ネットが発達し、FacebookやLINEで人と繋がっていると錯覚している現代人。やはり逢って顔を観て表情を読み取って、深いコミュニケーションをしなければ人間、どんどん孤独になっていくと言ったのはスエーデンの脳科学者。
そういう点で、八代駅前のミック珈琲店の持つ重要性は今後も変わらないだろう。