かれこれ正月元旦から3週間以上が経った令和6年能登半島地震。1970年、横浜の大学に在学中教育学部美術科のメンバーと連れ立って能登半島を回った。
新宿ー松本ー名古屋ー高山ー金沢と周り、金沢市内に一泊し、七尾線で穴水経由で輪島へ入った。その際輪島で宿泊した先の宿に同い年のオーナーの息子が働いていた。
輪島塗の工房へ連れて行ってもらったり、漁港を案内してくれたりでほんの数日だったが印象深い時間を共にした同じ21歳だった。
どうやらその彼が、今回の地震で被災し亡くなられたという情報が入った。2日前の事だ。同い年だから75歳だ、団塊世代だ。
それを知るまでTVやネットのニュースで得た情報だけでどこか遠い感じがしていた今回の大震災だったが、これを機に遠からず自分に関係する「災害」だという認識が芽生えた。
今朝の新聞でも未だ全容は掴めていないし、伝統工芸も絶滅の危機に在るという。
で、自分なりに「自由な楽しみ」を制限することにした。セルフ自粛だ。
少なくとも過去において輪島なり能登半島周辺を見聞し、何らかの「得る事、得るもの」があったり、そこに生きる人々に世話になった身であれば、レベルこそ天と地の差があるにしろ、辛さや悲しみを共有してあげるべきだと思ったのだ。
独りよがりであっても良い、自分自身で納得できれば気が済むのだ。
筆者の場合は今から54年前の話なのだが、宿に居た同い年が亡くなったと聞けば自然と笑顔が消えてしまう。自分もそういう歳になったんだと思わざるを得ない今日この頃だ。
とてもじゃないが、都心でメディア話題の人気レストランを予約し、高いコース料理など食べる気しないし、華やかなコンサートへなども行く気がしない。被災地を思うと、そこで衣食住全てに苦労している人々を思うと「贅沢な消費、余裕のある自由」は楽しめないから行う気がしない。
勿論、SNSで悪意に満ちた投稿をする者たちのように、他人に「アンタもそうすべきではないだろうか?」とは絶対に言わない、これはあくまで個人の問題。
人それぞれ価値観や常識は違う、人の行動は品格の問題、性格の問題、心の問題だから筆者的には自分の気が済むまでそうする。だから期限や決まりはない。
「絆」とか「寄り添う気持ち」とか「言葉」だけを掲げて何かアピールするだけでも良いが、筆者的には「思いを馳せて、自分なりに自粛する」という具体的行動が一番手っ取り早い「現地にエールを送る行動」だろうか?
これ以外、物理的な支援は募金しか今の所考えつかない。募金は、昨年のハワイ・マウイ島ラハイナの大火事同様、信用のおけるルートで募金は速攻で行った。
物理的支援として白無地Tシャツだのタオルや水を送りたくなるが、2016年熊本地震や2020年の球磨川エリア豪雨災害で物資を送ったら、混乱状態なので今送られても困ると送り返された経験があるからそういう事はしない。
キャンピングカーで駆け付け、時給自足可能なボランティアとして何かを手伝いたかったが、キャンピングカーを持っている友人が札幌在住なので断念した。
数日後、杉良太郎氏が行っているのを知って「エライ!」と思った。団塊世代よりはるかに年上なのに、筆者も気力と実行力で負けているではないか?この行為を「売名」と訝しむ輩が居るというが、あまりに酷いと4日前のこのブログで訴えたら、その日からアクセスランキング1位になった。そう思う方が多いのだろうか?少し嬉しい。
「元旦の能登地震から3週間メディアの酷い報道を憂える。」https://yamasemiweb.blogspot.com/2024/01/3for-three-weeks-after-noto-earthquake.html
現地ではボランティア受付が始まるようだ。その前にやたらニーズも訊かずに勝手に物を送り込んだり、駆け付けないよう石川県のTVが情報を発信している。
https://www.ishikawa-tv.com/news/itc/00001049