2022年9月22日木曜日

団塊世代は写真展もよく内容を吟味して観に行かないと、失敗する!  In recently, Baby boomer have to check out the photo exhibition contents carefully and go see it! ・・I felt disappointed.. .

  東京都写真美術館へ「メメント・モリと写真」展、二度目を観に行った。いろいろな意味で考えさせられた。今回はちょっと重いし長くなるので、興味の無い方には大変申し訳ない。


 「メメント・モリ」という言葉は知らない人が多いと思う。外国語だ、筆者も知らなかった。別に知らなくても日常生活を送るに問題ない「言葉」だと思う。知ってたからと言って別に勝ち誇るほど偉い訳でも何でもない。こんな写真展でも無ければ、世の中になどそう出てくる言葉では無い。

 皆が知らない、あまり流通していない横文字を掲げて人の気を引こうとするのは以前からよくある傾向だ。

 森さんの息子が外国人と結婚して生まれた姪っ子がメメント・モリ・・、と言う訳では決してない。

 ネットで検索すると「人間いずれ死ぬのだが、今際の際(いまわのきわ)にじたばたしないよう常日頃から覚悟しとけよ!」程度の意味だと筆者は解釈している。ほかにも受け取り方はいろいろあろうが、こういう事を細かく言う奴や人の解釈に難癖付ける奴は、決して自分自身メメント・モリじゃないんだろう。

 こんな内容は別に気取った写真展で「メメント・モリ・・・」何それ?などと首を傾げさせられた上で偉そうに説明されずとも、筆者は三十年以上前日本の地方の有名な寺の門前で「生は偶然、死は必然。」と書いてあるのを見てとっくの昔に悟っていた。

 要は写真美術館の企画展のプランナーが、「死」にまつわる色々有名な写真家の版権・使用権を買った写真を集めて「メメント・モリ」というテーマでまとめたのが今回の写真展なのだと思う。

 アパレルのショップで言えば、シャネルもディオールもルイ・ビトンも全部まとめて「店の好みで集めました」的、BEAMS的なセレクトSHOPって事だろうか。

 澤田教一のベトナム戦争や、ロバート・キャパの戦争の写真であれば、死と紙一重を感ずるだろう。耳元を銃弾が抜けていく有名なノルマンディ作戦のオマハビーチの画像などは非常に良く判る。これらの写真を観て「死」を意識しない訳がない。

 しかし、いくら芸術は判り難い物で、表現した者の真意が一般に伝わらないとはいえ、金を取って見せる展示会で、荒木経惟のビニールベットで上半身裸の女性が日光浴しているような写真を何で「メメント・モリ」なんだと思わなきゃいけないのだ?

 大体個人的に彼の写真自体好きではないし、今回のテーマとは何の関連も感じない。※あくまで筆者の目線での話。

 自分で普段真剣に写真を撮っていればこそ、こういった事を感ずるのかもしれない。

 で、今回のやたら「死」「死後の世界に備える」だの「死を意識せよ」みたいな「死の洪水状態」は一般の人には「自分はまだ関係ない」程度の感覚でしかないかも知れない。

 ましてやいずれ来る「死」を意識して今の「生」を喜べ・・とは、あまりに物理的な「死」を見ずして精神的な「死」を論じるだけで空しく思える。筆者的には・・。

 でも、特に都会生活が中心で、「死」と言えば親類縁者が亡くなって棺の中で化粧された顔を見るくらいしか経験のない者への訴えとしてはこの写真展は意味があるかも知れない。

 しかし団塊世代、既に古希を超えた我々は決して「死を意識せよ」などと言われなくても、もう死んでしまった奴も周りにたくさんいるから、身近どころか今まだ自分が生きている方が不思議な気がすることも多くなっているのが日常だ。

 お棺の中の顔など、高貴な皇族様からクラスメート、親類縁者まで30名以上接してきた。

 団塊世代中心の同年配で言えば、ここ5年間に非常に仲良かった人物が8名も亡くなっている。病で逝ったのが4名、突然死が2名、その他が2名だ。全て同い年もしくは年下だった。

 日本の人口分布のグラフ通り、70を超えると人口は急に減っていく。なんと我々団塊世代の「塊」がまだ人口の最大値をキープしているのだ。この先はばたばたと死んでいくという事だろう、まさかこのまま最大値が80歳代、90歳代までグラフを引っ張って行ったら不気味過ぎる。

 一方で筆者個人的に言えば「ワー、死ぬかと思った!」的な瞬間は70歳まで生きている一般人の中でも比較的多い方だと思う。ただしこれは決して自慢などしている訳ではないので断っておきたい。

 臨死体験もしたし、意識不明になった事は数度ある。

 30歳代に感染症で高熱を発した時は、寝ていて幽体分離的な状態を体験した。自分の寝ている姿を下に観ながら体が浮いて上昇したが、何故か天井の板にぶつかって、それ以上上に登れず戻った~などという体験をはっきり覚えている。

 我が父親が大病院で亡くなったのを看取った際、突然集中治療室の全窓が開き、部屋に突風が入ってきてモノが乱れ飛んだのを覚えている。普通の科学では考えられない事だ。「死」の間際の異常をしっかりと感じた。

 また高熱で寝込んだある時は、夢の中で空飛ぶ自転車に乗って、三鷹の自宅から宙を飛んで中央線の線路に沿って都心へ向かう。新宿の住友三角高層ビルにぶつかり、一生懸命漕ぐと窓の中のオフィスの様子が見えてビルの外壁を上へ上へと上がる。すると屋上から「お~い、シンジョー!頑張れよぉ、もうすぐだぞー」と知った顔に言われ頑張るのだが、どうしても力尽きてズズズーッと下がってしまった。

 悔しかったが、起きて汗びっしょり。屋上でこちらを呼んで手を差し伸べていた奴ら、皆既に死んだ奴らだったのだ。

 誰しも「死」に関して怖いと思い、生きている間に悩む時期が必ずあるという。70歳になってまだそういう経験がない奴は余程ノーテンキかビョーキだと思って良い。

 筆者は早熟だったのか、小学校6年生で三日三晩悩んだ。食欲がなくなった。別に死ぬのが痛そうで怖かったわけではない。自分が死んだら、その日は教室の自分の居た机の上に白い花が飾られ皆が悲しんでくれるだろうと思う、その日だけは・・。

 しかし2日目ともなると、いつも仲良く一緒に連れ立って登校していた彼女は、別の子と一緒に何事もなかったように学校へ行くんじゃないだろうか?・・・とこれがたまらなかったのだ。今考えると漫画みたいな話だが、その時は真剣に悩んだ。親は知らない。

 でも今回、エリザベス女王の国葬の翌日、葬儀の飾り付けが街から一切取り払われ、何事もなかった様に、ロンドンの二階建てバスが渋滞しているのを観て、幼い時の自分の悩みは間違ってなかったと思った次第。

 一方で・・。

 車を運転していて「冷やっ!」とした事は5~6回では効かないと思う。自分の車は一度も事故(自損含めて)っていないし、免許取った1987年から35年間ずーっと無事故無違反でゴールド免許だ。

 広告代理店時代、スキー関連、スノボ関連、ウインドサーフィン関連の仕事が多く、年間3万kmを走る事も多く、1990年~2005年の間年間は毎年走行距離3万㎞が続いた。

 こういった過去の中で、関越高速道の石打合流地点で前の2台(本線と側道からの合流車)が双方譲らず、互いにぶつかって左と右に傾斜して双方ガードレールに激突してバラバラに! 我が車は開いていく2台の真ん中をスピード上げて抜けたことがあった。その後関越は2時間通行止めだったと後で知った。

 またある時は蓼科ピラタススキー場から下りの凍った山道で、すぐ前を行く戦車のような4輪駆動車が2台もつれ合う様に崖を転がっていくのを観たこともある。

 自分が運転していなかったが、戸隠へ真冬3台の車でツアーした際、下りの凍結道路で停まった搭乗車に同行の後続車が止まれず突っ込んできた。後ろの車屋根に積んだスキーのテールが後ろの窓を突き破って筆者の顔の横10㎝を抜けていったことがあった。

 アイスホッケーでは試合中突然意識が無くなり、気が付いたのが北品川病院の手術室のランプの下だった。これは二回ある。

 またある時、昔処方された抗生物資の古い(5年前の薬)のを飲んで肝臓が異様に腫れ、全身蕁麻疹で猛烈な倦怠感で病院まで息も絶え絶えで行った事があった。色々検査したら肝臓の各種数値が通常の数倍~20倍に成って、このままじゃ死ぬかもしれないと医者に言われたことがあった。

 原因が判らず(=後に薬害という判断)処置も出来ず、かといって即入院でもなく、自分で歩いて三鷹から恵比寿まで電車で来られたのだからそのまま様子を見るしかない・・と言われ、その日は病院に8時間も居たのに何の手当てもされず、注射一本も打たれず3日後にすべてがケロっと元に戻ったことがあった。62歳の時の話。

 こうして「死」とは常に背中合わせで生きてきたので、今回の写真展で「死を意識せよ」と特集されても、そう「ドキッ!」とする腑に落ちるような感触は無かった。

 所蔵する写真を「死」に無理やり結び付けて「説得」されなくても、長く生きた団塊世代は生の「リアルな死」を嫌という程見てきた。

 横浜駅での飛込から急停車した車両の台車の間で真っ二つに成った中年女性の轢死体。

 立ち入り禁止の堤防で釣りをしてテトラの間に挟まれた釣り人の死体。

 台風で垂れ下がった電線で感電死した遺体。

 笹塚の交差点で交通事故直後、飛ばされたバイクのライダーが路上で暫くビクビクした後、ピタッと動きが止まった瞬間。

 自転車ツアーしていた東京・神奈川県境一般道の大垂水峠、峠道の下りでもつれながら崖下に落ちて行った二台の大型バイクと二人のライダー。

 だから写真や版画で「これが死」とか言われても、何かピンと来なかった。

 TOP MUSEUM=東京都写真美術館も客が減っているのか、経営が厳しいのか、一生懸命企画展をやっているようだが、もっと質の良い写真そのものへの注目度を上げた「展」をやって欲しいと思う。

 聞き売りで頭でっかちの理屈っぽい都会人が好みそうな難しいテーマで、観る人に色々考えさせるのは良いが、純粋に自分で写真を撮っている人がもっと腑に落ちるような催事が欲しいと思った。




 死というのはいつ訪れるか分からない。これは物理的に当たりまえだ。だから筆者は死の床で、「もうすぐ自分は死ぬなぁ?」と思った時に「いけねぇ、あれまだやってなかった!アレもしとくんだった!クソォ」と思うのが嫌だから、恥ずかしくても生きているうちに何でもやって置くことにして来たのだ。「いつやるの?今でしょ?」の林修が有名になる遥かに昔から筆者は実践してきたのだ。

 そういう意味からすれば、今回の写真展「メメント・モリと写真」、もう少し突っ込んで写真を選んで欲しかった。世界報道写真展のリアルな死の瞬間写真の方がはるかにテーマに沿った「事実・本物」だと思うが如何だろう?

 ただ、写真そのものの大きさは非常に見易かった。写真って大きく伸ばした壁紙みたいな写真は何処か「誇張とウソ」を感じて好きではない。その点だけは良いと思った。