実務派の総理大臣が誕生する。自分のプランも考えられず持てず人の案を非難・否定する事しか知らない人、あるいは右の話を左へ振るだけで、自分では実質何も造れず、、何も専門的な決断ができない人間が多い中で、実績をきちんと積み上げる事を重視するタイプの人間がトップに座るのは面白いと思う。じっくりと注視してみたい。
団塊世代の筆者と誕生日2日違いの菅さん(71歳)が総理大臣に成り、ほぼ時を同じくして同じく71歳のグループサウンズで名を上げた元タイガイースの岸部シロー氏が亡くなった事を知った。まさに団塊世代の両極端の人生を見たような気がする。京都生まれで中卒後いろんな仕事をして1969年筆者が横浜の大学に入った頃、加橋克己が抜けた後タイガースに参加、脚光を浴びた岸部シロー。筆者も1965~6年の2年間高校でビートルズのコピーバンドでグループサウンズの前身のような事をやったので、好き嫌いは別としてGSの各バンドは未だに同志的な気分でいる。
一方で紆余曲折の末、筆者と同じ1973年に大学を卒業し、其の年まで筆者が四年間通った横浜国大のあった京浜急行の南太田駅へ行く途中、黄金町附近の川縁の大きな屋根に大きな文字で小此木彦三郎と書いてあった国会議員の秘書に成ったという菅義偉氏。
筆者はそれぞれに何か非常に不思議な繋がりを勝手に感じている。
で、昨日までの鮎話の続きはとりあえず今日のこのブログでおしまいにしようと思う。次へ進めねば・・。
昨日までは「鮎料理は串刺しされてWダブリュの形になった塩の塊りの塩焼き」だけでは無いのだから…という話だった。つまりアユの塩焼きは「それしか出せない」地域での鮎料理の典型なのだから、人吉球磨でそれしか出せないというのは恥ずかしいと思わなければいけない。
人吉球磨へわざわざおいでくださったお客様達には「さすが!これこそ本場の鮎料理だ!」と思わせる比類なき「此処へ来なければ食せない」アイテムを出すべきではないかと言いたいのだ。それが「本当のおもてなし」と言うものだろうと思う。
これだけ日本一の良い食材が獲れる球磨川流域で、食材の良さに甘んじて料理研究、独自の「鮎料理の強み」を生かさない今の人吉球磨の不勉強・怠慢を諫めたいのだ。
どれだけ日本のあちこちでアユの塩焼きが出されているかご存じだろうか?例えば京都の話。琵琶湖の小鮎に始まり、京都付近の清流で獲れた鮎を殆どの料亭が夏の時期、コース料理にアユの塩焼きを入れている。