1964年の12月、高校時代の学校行事・スキー教室以来、自分のスノースポーツ歴も既に50年が過ぎた。この間、アルペンスキー、(基礎も競技も)、クロスカントリースキー(福島県で指導員の資格を取った)、スノーボード(40歳を過ぎてアルペン系にはまる)。
自分でも散々楽しみながら、1997年白馬での長野オリンピック・プレ大会のアルペン男子滑降競技に大手スポンサーを付けたり、長野オリンピックで初めて種目として採用されたスノーボードに関して裏方で散々色々な活動をしたのはまだ記憶に新しい。戦後1948年生まれの団塊世代としてはこのスノースポーツ、特にアルペンスキーと常に一緒に歳を取った気がしている。
散々狂ったスキー道具の数々。(1970~80年代?)
この辺りは今後週末のみにアップしている「団塊世代のウインドサーフィン狂い外伝」にその詳細をアップしていく予定だ。タイトルはウインドサーフィンだが、実は中味に関してはスノースポーツの方が多かったりする。特に団塊世代の方々にとっては、ご自分の経験と平行して時系列的に進む話に思わず頷いて頂けるものと確信している。
前置きが長くなったが、東京へ戻って翌日、新宿のアパレルメーカーのギャラリーで行われた新しいスキー関連雑誌の発表プロモーションとしてのトークショウに参加してきた。理由は散々お世話になった日本のスキー界のレジェンド杉山進さんがトークショウにゲストで参加されるからだ。
この情報はFacebookで長い事ウインドサーフィンやスノーボードで1981年以来一緒に仕事したSMITH JAPANの中嶋一男氏のシェア投稿から得たものだった。
新しいスノー・マガジン「Stuben」 本体価格¥2,130(税別)
杉山さんとは1995年野沢温泉村で開催されたISIAインタースキーの裏方を大手広告代理店のスタッフとして、同時に残念ながら数年前亡くなった「髭の殿下」の愛称で国民に親しまれた皇族様の子分末席としてお手伝いしたのがきっかけだった。
杉山進さん、80歳を超えて現役という素晴らしいアスリートだ。
その後長野オリンピックに向けて、八木祐四郎氏(当時JOC専務理事)の要請で全国から日本のスノーボード代表選手発掘競技イベント(バドワイザー・スノーボード・サーカス全13戦)を企画運営した際、杉山さんが主宰される奥志賀高原のスキー・スノーボード・スクールに大変ご協力を頂いた経緯などもあり、大変尊敬している恩人なのだ。
そのトークショウは、まったく新しいコンセプトのスノースポーツ・マガジンのPRプロモーションで、その中味・体裁とも筆者が最も好きな「匂い」を持つ素晴らしいものだった。会場がBEAMSのギャラリーというのも、自分がその昔在籍した青山のヴァン ヂャケットの99Hallで行うのに似て、何か懐かしい雰囲気を感じてしまった。
雑誌の中身も、自分の長年の友人が関係しているディナフィット(飯塚さん)の紹介やサングラス・ゴーグルのSMITH(中嶋さん) がサポートしていたりして非常に自分に近いものだった。更には杉山さんと同じく散々お世話になった白馬の丸山庄司さんまで「対岳館」の記事と共に掲載されており嬉しくなってしまった。
文字量も写真も非常に洗練されていて、すべてが保存版という感じ。
1995年インタースキー野沢温泉大会の準備で前年野沢温泉日陰ゲレンデで。筆者の向かって左が杉山進さん、右の山側が白馬の丸山庄司さん。一番山側が野沢温泉村役場の平田さん。
スキーの持つ「忘れられてしまった心に響く雪山の魅力」を久しぶりに感じられる良き印刷物として今後全部読み込もうと思っている。勿論仲間にもPRしようと思う、団塊世代にとっては長い間忘れてしまった「あの感覚」が間違いなく再び戻ってくる良いマガジンだ。
当日の杉山さんの様子をほんの少しご紹介。= https://youtu.be/ah5G9tR7K9U