昭和40年~41年頃の東京は、勿論第2弾の映画「HELP」をヒットさせた、ビートルズを筆頭に当時はリバプール・サウンドと言われるマージービートを中心としたブリティッシュ・グループが全盛期だった。
自分のレコードをロフトから見下ろして一発で撮るのは難しかった。
一方国内の邦楽では、ここ数年リバイバルで話題になっている曲がヒットした重要な年だったようだ。特に美輪明宏が丸山明宏と言う名でヒットさせた「ヨイトマケの唄」は、2012年暮れのNHK紅白に再登場し、他を圧倒する迫力で大きな話題を呼んだものだ。この時は日本中がショックを受け、シーンと静寂に包まれた最近数少ない一瞬だったように思う。黄色い髪・鼻声で毒舌を吐いている彼(彼女?)の日常との、あまりの差にメディアを含めて完全に打ちのめされた。
NO
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曲名
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アーティスト
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1
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女心の唄
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バーブ佐竹
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2
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夏の日の想い出
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日野てる子
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3
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網走番外地
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高倉健
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4
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さよならはダンスの後に
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倍賞千恵子
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5
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愛しちゃったのよ
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田代美代子
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6
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帰ろかな
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北島三郎
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7
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ゴマスリ行進曲
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植木等
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8
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新聞少年
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山田太郎
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9
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二人の世界
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石原裕次郎
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10
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ヨイトマケの唄
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丸山明宏
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11
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星娘
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西郷輝彦
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12
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ごめんねジロー
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奥村チヨ
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13
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涙の連絡船
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都はるみ
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14
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君といつまでも
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加山雄三
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15
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知りたくないの
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菅原洋一
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16
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函館の女
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北島三郎
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洋楽に関してはこの頃全盛だったリクエスト番組系のランキングを見ると一目瞭然だが、ビルボード誌、キャッシュボックス誌など全米ヒットチャートを常時チェックしていた人も多く、そちらの方が頭の中に残っている。
全米トップを取った曲
曲名
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アーティスト
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アイ・フィール・ファイン
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(ビートルズ)
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恋のダウン・タウン
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(ペチュラ・クラーク)
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ふられた気持ち
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(ライチャス・ブラザーズ)
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恋のダイアモンド・リング
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(ゲイリー・ルイスとプレー・ボーイズ)
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エイト・デイズ・ア・ウィーク
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(ビートルズ)
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ストップ・イン・ザ・ネイム・オブ・ラブ
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(シュプリームズ)
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ハートがドキドキ
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(ハーマンズ・ハーミッツ)
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好きなんだ I'm telling you now
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(フレディーとドリーマーズ)
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ゲーム・オブ・ラブ
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(ウェイン・フォンタナとマインド・ベンダーズ)
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ミセス・ブラウンのお嬢さん
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(ハーマンズ・ハーミッツ)
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涙の乗車券
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(ビートルズ)
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涙のお願い
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(シュプリームズ)
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ヘルプ・ミー・ロンダ
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(ビーチ・ボーイズ)
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アイ・キャント・ヘルプ・マイ・セルフ
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(フォー・トップス)
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ミスター・タンブリン・マン
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(バーズ)
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サティスファクション
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(ローリング・ストーンズ)
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ヘンリー8世君
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(ハーマンズ・ハーミッツ)
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アイ・ゴット・ユー・ベイブ
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(ソニーとシェール)
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ヘルプ
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(ビートルズ)
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ライク・ア・ローリング・ストーン
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(ボブ・ディラン)
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明日なき世界
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(バリー・マクガイアー)
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ハング・オン・スルーピー
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(マッコイズ)
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イエスタデイ
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(ビートルズ)
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ラヴァーズ・コンチェルト
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(トイズ)
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ひとりぼっちの世界
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(ローリング・ストーンズ)
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ひとりぼっちのシンフォニー
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(シュプリームズ)
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1、2、3 ワン・ツー・スリー
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(レン・バリー)
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ターン・ターン・ターン
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(バーズ)
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レッツ・ハング・オン
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(フォー・シーズンズ)
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蜜の味
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(ティファナ・ブラス)
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オーヴァー・アンド・オーヴァー
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(デーブ・クラーク・ファイブ)
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米CashBox誌のデータによる、順位ではなく1月から12月にかけてのトップの推移
この頃のレコードは殆ど海外盤LPでコレクションしているのだが、幾つか日本版シングルがコレクションに入っていたので1965年NO1.ものを並べてみた。ちょうどテレビでJUN&ROPEのヨーロッパの古城を男女が昇って行くコマーシャルが流れ始めていた頃だ。
2年生の秋ごろだったか、皆で授業を抜けだして恵比寿の西側に在った映画館に3本立てを観に行った。ビートルズの「ヤアヤアヤアビートルズがやってくる!」シルビー・バルタンの 「アイドルを探せ」更にビートルズの最新作「HELP!」の3本だった。結局朝から夕方まで3本を観て学校に戻ったのは日が暮れかかっていたのを覚えている。パンや牛乳を買い込んでション便臭い映画館で良くも一日中居たものだ。恵比寿地球座だったか名前は記憶にないが、名画座だったような記憶。少なくとも渋谷パンテオンの様な封切映画館では無かったと思う。
シルビー・バルタンの「アイドルを探せ」を真ん中に入れて、ビートルズの2本を並べた豪華3本立てだった。このヤアヤアヤアは何と合計50回以上観ている。全音源が2枚組レコード(海賊版)になったモノや、全セリフが厚い本に成っているモノ(洋書)を持っている。「アイドルを探せ」にも夢中になり、1972年に英国語学留学した際、帰りのパリ・オランピア劇場でちょうどやっていた、シャルル・アズナブールとシルビー・バルタンのジョイント・コンサートを観る事が出来た。1曲ごとに幕が閉り場内が暗くなるフランス式のステージがとても新鮮だった。
この頃の高校生男女のデートの典型と言われた映画鑑賞など、自分では一度も行った事がなかった。基本的に映画はあまり好きではなかった。理由は、太陽が照っている昼間わざわざ暗くした密室で人が造った物語を手に汗握ったり、涙しながら観るというのがあまり男らしくないと思っていたらしい。未だにドラマやSFなどよりノンフィクションの記録物や自然界の驚異を映像収録したモノに気を引かれるので、本質はあまり変わっていないと思う。
一方で喫茶店で面と向かってお話しもした事も無い。只1回、面と向かって話をしたのは修学旅行の新幹線の2時間のデッキでだけだった。学校中を見渡すと、結構あちこちにカップルと呼ばれるステディな関係の男女が居たようだ。同級生同士が圧倒的に多かったが、上級生男子と下級生女子のカップルもごく少数だが居たようだ。
この中に我がクラスでその後結婚にまでこぎつけたカップルが、3組もあったのは驚くほかない。
50年経って、他のクラスに同じ高校の下級生女子と東京女学館の女子と、二股を掛けていた豪の者が居た事を知った。これは二股を掛けられた下級生本人から聴いたものだから間違いない。今でも相当怒っているようだから、たぶん相当プライドを傷つけられたのだろう?でも、正直ちょっと羨ましかった。基本的に高校生時代は美男美女のカップルと云うのは余り見掛けなかった。もっとも、これは高校生時代に限った事ではないかもしれないが・・・。
高校時代の男女交際は、平日授業がある日はまず目立たない。せいぜい昼休み校庭の何処かで一緒にい居て話をするか、学校帰りに一緒に待ち合わせて帰る程度だろうと思う。視力が良い筆者は、昼休みに校庭で遊ぶ男子学生を、ひそかに遠くの校舎の教室内から見つめている女子学生の姿なども、幾度か目撃・確認している。残念ながら一度もその相手は自分では無かったが・・・。
この頃のデートは、今のようにくだけたファッションと云うか、どうでも良いスタイルでベタベタくっついて街を歩くなどと云う事は無かった。Gパン、つまりジーンズですらまだ作業着の域を出ていなく街着としては市民権を得ていなかった時代なので、スカした(もう死語か?)男の子はコッパンと言われた木綿の白っぽいズボンにジャケットを着て、ネクタイをするのが普通だった。何せ、あのメンズクラブのファッション診断と云うアドバイス・コーナーに、まだ学生服が出てくる時代だもの、時の流れは恐ろしい。
メンズクラブがGパンをタウン・ファッションとして取り上げた最初の記事が1965年の号だった。ホワイトジーンズとブルージーンズの特集で、これ以降ジーンズが街着として市民権を得て行ったのだろうと思う。アダモが「ブルージーンと皮ジャンパー」をヒットさせたのもこの頃だが、トラッド・アイビーとしては少し領域が違っていた。むしろメジャー・デビュー前のビートルズが好んで着ていた不良系のファッションだった。
婦人画報社メンズクラブ1965年#42号より「オシャレ診断室」
冬であれば、クルーネックやチルデン・セーター(テニス・セーター)の上にダッフルコートかランチコートなどの厚手のコートを羽織るのが普通だった。個性と云うモノは一応服装・ファッションの最低限のルールの上に成り立っていて良識・常識をわきまえた品の良い時代だった。このファッション関連の話は6月8日付の当ブログから3連続でアップした「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」を参照されたい。
当時の平凡から、Googleフリー画像より
婦人画報社メンズクラブ1965年#42号より
婦人画報社メンズクラブ1965年#42号より
今のファッションをとやかく言うつもりは毛頭ないが、1980年代からはファッションに基本と云うモノ、品性と云うモノが無くなってしまったのだと諦めている。もう今は渋谷などを歩いていると何でもアリで、男子はまだしも女性は水着なのか下着なのか判らない格好で平気で歩いている。1960年代であれば一発で交番に引っ張られるか、周りの白い眼の注目を浴びた事だろう。女性が胸の谷間を平気で見せつけるファッションになったのもここ10年前からだと思うが、この先の日本のファッションにまるで興味を持てなくなってしまったのは、歳を取ったせいだけではないと思う。
渋谷の繁華街で剣玉に熱中する高校・大学位の若者。Googleフリー画像
女子はファッション系も増えて来たが、やはり関西中心なのは昔と変わらないか・・。
首都圏はコスプレ系が日増しに増えているようだ、秋葉原中心に一つのジャンルを形成し始め、世界へばい菌のように広がりつつある。アフリカ系がこれに同調した時、地球はどうなってしまうのだろう?このあたりは豹の毛皮コートが、豹の次に似合うと言われるファッションに詳しい女優の浅丘るり子さんに是非訊いてみたいと思っている。Googleフリー画像
話がファッションにシフトしてしまったが、この頃の男女の仲に関しては当時のテレビドラマを見てもあまりロマンチックなものが無いので日本中が低迷期だったのだろうか?「宇宙家族ロビンソン」「隠密剣士(大瀬康一)」「ザ・ガードマン(宇津井健)」「七人の孫(森繁久弥)」「青春とはなんだ(夏木陽介)」「青春をぶつけろ(黒沢年男)」「太閤記(NHK)」「竜馬が行く(民放)」いずれも硬派か時代劇だ。きっとそういう時代だったのだろう。