2014年12月21日日曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #87.」 最初の大仕事はVANMINIの七五三キャンペーンだった。 その2.

 軽部CAPは新米社員の報告を受けてしばらくして、デスクからVANMINI、VANBOYSの両課長に電話したようだった。VANMINI山田課長の方は直ぐに終わったが、VANBOYSの大隅課長の方は、離れたこちらの席までガンガン怒鳴りたてている声が受話器を通して聴こえてきた。VANBOYSはキャンペーンを行わないという事を聞いて怒り狂っているのだろう。電話を切った軽部CAPはこういった。「うるさいのが此処へ来るから新庄、お前レオンにでも行って珈琲飲んでろ!下のアゼリアは俺達が行くと思うから。」既にこの2つの珈琲店は存在しないがヴァン ヂャケットの社員は何度入っただろうか?

  VANMINIの店舗展開は子供服と云う確固たる領域の中で、リーダー的子供服ブランドとして業界でも既にその地位を確立していた。その中でも特に七五三という子供服にとっての年間一番の書き入れ時に合わせたキャンペーンを実施する意義は、費用対効果つまり実施のコストパフォーマンスにおいて、取引先からの高緯度向上に関しても高い成果を上げられると推察されていた。
今までには無い新しいタイプの子供服専門店もどんどんオープンしていった。

地方の百貨店のVANMINIコーナーも顧客管理は徹底していた。

 一方でVANBOYSブランドは小学生高学年・中学生のみを対象としたターゲット領域の狭さから、採算上独立店舗としては成り立たず、百貨店においてもその年齢領域だけのコーナーは存在していなかった。良くてVANの売り場の一部にサイズ展開としてVANBOYSの小さなコーナーがあるのみだった。要は販促キャンペーンを実施するだけのマーケティング実体がまだ無かったのだ。後で訊いた話だが、筆者の「VANMINIは実施できるが、VANBOYSはまだキャンペーンを実施するに能わず・・・」と報告した事は、発想理由は多少異なっていたが、結果として概ね間違っていなかったようだ。それが軽部CAPの「ほう?」と言う反応だったのだろう。

 しかし、軽部CAPは当の昔にそのような事は判っていて、新入社員が両方のキャンペーンをやろうと企画書を作って提出しても、実は当初からVANBOYSブランドはやるつもりなどこれっぽっちも無かったのだと思う。要はテストされたに違いない。

本場ニューヨークのブルーミング・デールズ(有名な百貨店・池袋西武百貨店などが手本にして売り場の大改装した)などに、やっとBOYSコーナーが出現し始めていた頃だから、日本国内において、制服で過ごす時間の長い小学校高学年・中学校生相手のVANBOYSのような育ち盛りで体格上個人差が激しい年齢層の売り場充実は、まだまだだったのだろう。
VANブランドの「サブ扱い」的存在は致し方なかったようだ。

  結局、VANBOYSは年末の繁忙期に購入者に対するノベルティを提供するだけで、特別のキャンペーンは張らないことになった。軽部CAPの理路整然とした説明に反論できる者は当時のヴァン ヂャケットには誰もいなかったと思う。残念ながら自分では着られないVANBOYSに関しては、その後もマーケティング調査などを行っては見たものの、やはり市場としては明確なジャンルが無いまま‘70年代は過ぎていった。しかし社会人になって、後輩達にVANに在籍していた事を明かすと、幾人もが「VANBOYS着ていました!」と言う声を良く聴いた。意外にVANBOYSも結構着られていたのだとつくづく思った。

 一方でキャンペーンを実施する事になったVANMINIの七五三、全国展開なのでVH北海道の近藤氏、VS仙台の木村勝広氏、VC静岡の吉川均氏、VO大阪の古橋氏等に各地の七五三の状況を訊いてみて驚いた。これはキャンペーン実施の時期や期間を設定しようと企画書を作成する段階で確認の意味で電話で聞いたのだ。そうしたら驚いた事にそもそも沖縄地方では七五三のお祝いをしないというではないか。一方北海道や東北の雪の多い地方では11月15日は寒いので10月15日に七五三を祝うところが多いため、キャンペーンは他のエリアより早くスタートしないと意味が無いと知らされた。同時に四国エリアの百貨店では店頭で大々的に七五三のフェアーや売出しをやらないのでVANMINIだけキャンペーンをやってもピンと来ない・・そうだ。

  そのほか、七五三の購買行動の特徴として、着るのは当の子供だが何を買うか商品を決めるのは親、そうしてお財布からお金を出すのは祖父。祖母と言う事で、この三世代の内の誰を対象としたキャンペーンなのか良く考えないと失敗すると言うのだ。しかし、やはり訊いてみるものだ。企画立案に事前の情報収集がこれほど大切だとは初めて知った。

 これだけの情報を得た後、さあどういう展開をしようか?まずはVANMINI子供服を展開している百貨店の売り場と、成城学園前のVANKiKiという専門店を観に行った。日本橋高島屋の子供服売り場ではフロアの責任者の石原部長(=石原一子さん、後の常務取締役)というおばさん部長がいて凄い迫力だった。新人ですと言って売り場を見学に来た旨を説明すると、VANMINI担当営業のいる前でムギューッッとハグされてしまった。キャンペーンの話をすると、「あのね?子供は色に反応するのよ!特に黄色と赤は直ぐ飛びつくのよ!色は大切よ!」

 これが、売り場を装飾するポスターやPOP、ノベルティ、プレミアムを造る大変なヒントになった。なんと!この石原さんとはVAN倒産後入った女性インナーのトリンプ(=当時日本IFGトリンプ)の宣伝課長時代にも売り場で再開し、色々商品販売ノウハウをご教授頂く事に成る。
2014年現在の日本橋高島屋

ロンドンの百貨店セルフリッジズに行ったとき、あまりに高島屋に似ていて驚いた。

 もう一つ、成城学園前にあったVANKiKiは20坪ほどのお店で、オーナーが石津社長の妹さん石津スミ子さんだった。経営においては顧客管理を非常に正確にされていて、DMの力を最大限に活用した顧客サービスに努めていた。したがって顧客相手のサービスが充分なお店に、どのような全国共通キャンペーンの展開が可能か、じっくり考えねばならない所だった。


 キャンペーンのデザイン面・展開ツールなどは、全て新米の筆者に任され切っていたので宣伝部意匠室(=デザイナーの工房のような所)の人達などと雑談をしながらアイディアをまとめていった。宣伝販促の業界誌としての雑誌「アイディア」「ブレーン」「宣伝会議」などは毎号くまなく読み漁った。後にこの宣伝会議に記事を連載したご縁で博報堂に入る事に。

  そんな中で、プレミアムは24色のクレヨン、売り場を飾るテーマはウエスタン・・と言う事でなんとなく展開の骨子が固まっていった。和服に千歳飴をさげた七五三ではない、新しいスタイルを子供服売り場に展開しようとするものだった。なんでウエスタンなのかは良く判らなかったがヴァン ヂャケットらしい独自性を演出するには当時はこれが手っ取り早かったのだろう。