2014年12月20日土曜日

「団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #86.」 最初の大仕事は子供服VANMINIブランドの七五三キャンペーンだった。 その1.

 販促倉庫で「自分の気持ちと価値観の急速な変化」に驚き、憧れだったVANのノベルティ・プレミアムに対する見方が180度変わってしまった後、仕事の場としてのヴァン ヂャケット株式会社のデスクワークはやっと一人前の販促プランナーとして再スタートを切った様な感じだった。

 そうして6月も半ばになったある日、直上司の軽部CAPに呼ばれた。「おい、シンジョー仕事だ。」

 秋冬のVANキャンペーンのノベルティやプレミアムの配送サポートの話だと思ったら、そうではなかった。VANブランドの販促キャンペーンに引き続き、其の弟分のVANMINI、VANBOYSのキャンペーンをやるのだという。しかも、シンジョー一人でやれと言う。まだ入社して2ヵ月半しか経っていない新米だよ?7月にならないと正式社員として認められていない、まだ見習い試用期間なのだよ?何処の会社に大事なブランドのキャンペーンを新入社員に任せる会社があるというのだ?最初はまじめにからかわれていると思った。
4月入社から7月1日までは他の企業同様、見習い採用期間だった。

 しかし、具体的に予算は700万円だと金額まで提示されては、それ以上疑うわけには行かなかった。700万円と言っても1973年の700万円だから、2014年の今の価値に換算すれば2.500万円程度にはなる。
 2つのブランドだから半々で割れば350万円という事になるが、そんな簡単なものではないだろう。えらい事に成ったと思いつつ、其の責任の重さと同時に「任された」という名誉感でものすごいファイトが沸いたのを覚えている。
物価の上昇程度はジャンルにより40年間で10倍に成ったものもある。たとえばラーメン、当時1杯100円は高いほうだったが、今や一杯1000円のラーメンは珍しくない。

 さー、一体何から手を付ければ良いのだ?まずは企画書・骨子をまとめなければいけないとは思うのだが、勿論大学でそんな事は一度も教わった事はないし、入社以来、一度も教わった事も考えた事も無かった。其処で過去のVANブランドの販促キャンペーンの企画書を片っ端から見せてもらったというより、黙って書架からファイルを探し出して読みまくった。まだコピー機など存在しない時代だ。建築パースも企画書も皆手書きで青焼きの時代だ。
 キャンペーンのファイルは8冊ほどあったが、毎日夜遅くまで読みふけってメモを取った。この時期毎晩自宅に戻ったのは夜12時を回っていたかも知れない。

しかしファイルされた企画書はどれも非常に判りやすく、毎回のキャンペーンについて何をどうすれば良いのか理路整然と段取って書かれていた。皆筆跡は同じで非常に読みやすい字体で、立案者は全て軽部CAPのものだった。今でも軽部CAPはこの手の企画畑の天才だと思う。此処で学んだ事は其の後広告代理店の世界に入ってからも充分通用したし、いかにも広告代理店発行の「企画書の書き方」などというハウ・トゥー書物より、はるかに優れていると言って良い。何故かというと、要は5W1Hという企画書の大原則がシンプルに明記されていたからに他ならない。簡潔明瞭の企画書作成法は此処で覚えた。

1週間ほどこれらの企画書を読み込んで、思った事がある。キャンペーンを行うVANMINI、VANBOYSの営業実態・ビジネス規模、つまり両ブランドのマーケティング事情を知らなければ、何をどうすれば良いかまるで判らない。其処で軽部CAPに営業担当者に話を訊きたい・・・と申し出た。何処にお店が在って、其のお店がどれだけ売り上げていて、競合ブランドは何処で、其の競合はどのような販促キャンペーンをやっているのか?過去において販促に繋がる活動は何が効果あったのか・・。知っておきたい事だらけだった。

其処で、軽部CAPはVANMINIとVANBOYS双方の営業部署の課長に連絡を取ってくれたが一人で行ってこいと言う。営業部門は本館から250m程表参道の方向に行った356別館にあった。一人で見ず知らずの営業部門本部へ行く時はさすがに緊張した。そうして思ったとおり営業部門の一同は手ぐすね引いて待っていたのだった。
実質上のヴァン ヂャケットの心臓部は北青山3丁目5-6に在った356別館だった。

356別館の2階に上がると、だだっ広い営業部の隅の方にMINI BOYS営業部があった。VANMINIとVANBOYSは別々に課が存在しており、VANMINIが山田課長、VANBOYSが大隅課長で二人とも立派な髭を蓄えていた。その上に部長として月居さんという温厚な方がいたが、この課長二人は血の気も多いようで、上から目線でモノを喋る当時典型的なモーレツ社員だった。

 新入社員のシンジョー君は格好の弄り材料だったのだろう、それぞれ部員が周りを取り囲む中でガンガン言われてしまう。「どうなんだ?販促はMINI・BOYSをどう考えているんだ?」それまでキャンペーンなどという販促活動をやってもらえなかった鬱憤をこの新入社員にぶつけたのだろう。
356別館の熱気は宣伝や販売促進と違う次元だった。 VANSITEより

 特にBOYSの大隅課長の突っ込みはネチネチいつまでも続き、何か質問をしようとしたり、考えを言おうとすると言葉をさえぎり、重ねて畳み掛けるようにモノを言う。いわゆる古いタイプの熱血漢で最初に気合と恫喝で自分のペースに引き込もうとでも思ったのだろうか。勿論一人で営業部に乗り込む際にそれくらいのことは予想していたので、ただ黙って相手の目を見て喋るに任せておいた。
 しかし、いつまでも本題にも入れず、情報を得られないのではどうしようもないと、さっさとVANBOYSはまだ販促キャンペーンを実施するに能わずと判断した。営業部と販売促進部が協力し合わなければキャンペーンなど成功する訳も無いと思った。上から目線の命令調で「やらされる・・」と言うような意識では意欲などまるで湧かない。残念ながら大隅課長の目論見はスタートで大失敗した訳だ。
育ち盛りで体格的に個人差が激しい年代、学生服を着る時間の長い世代向けのブランドは、何処と無く全てが中途半端だった。


 一方でVANMINIの方は山田課長がアイスホッケー部に属していて、幾度もリンクで一緒に練習していたため、「この新人は切れたら大変な事になる、恨みを買ってあの殺人的なボディチェックを食らいたくない・・」とでも思ったのだろうか?VANBOYSの課長のような無理難題では押しては来なかった。それにVANMINIには同期の新入社員も配属されていたので、同じ囲まれるにしてもどこか仲間意識が感じられた。VANBOYS課の針のむしろ、敵に捕らえられたNCISのディノーゾのような状態ではなかった。(※NCIS=FOX・TVで全米NO1.人気のネイビー犯罪捜査班という番組、知らない人はごめんなさい)
子供服の領域はトドラーと言われる3~7歳児対象の上の年齢層が活性化し始めていた。ファミリア、BeBe、に引き続きミキハウスなどが出始めの頃だった。

  結局VANMINIの営業担当者からはある程度マーケティング・データをもらえたし、百貨店のコーナーでの競合の状況なども良く判ったので、キャンペーン企画へ向けて発想意欲が沸いてきた。青山三丁目のVAN本館へ戻り、即軽部CAPに事情を報告し、VANMINIブランドはある程度マーケティング状況が見えたので即企画に入りたいが、VANBOYSはまだ営業自体がキャンペーンなど実施する状況に無いため、全予算をVANMINIに注ぎ込むべきだと思う・・と説明・報告した。


 それを訊いた軽部キャップの反応はニヤニヤしながら「ほう?」と言っただけだった。