2024年11月10日日曜日

団塊世代は最近特に急速な価値観とカメラの変化を感じている。 Boomers are feeling a particularly rapid change in values and photo shootings these days.

  70年以上生きてきた団塊世代は、生き方に関する価値観や、持ち物に関する価値観が随分変わってきたのを身をもって実体験している。

 生き方で言えば、男女関係、婚姻関係、持ち家か借家住まいか、子供は3人か1人か、車を保有するか否か。最近で言えばテレビを観るか観ないか、スマホを持つか持たないか?

 持ち物で言えば多少ダブってくるが、車を持つか持たないか、これは地方生活者のほとんどが必要に応じて一人一台の時代になった現在。かっての高級車ベンツやアメ車ブランドの車種が、多機能搭載の日本車にそっくりなスタイル・装備・機能で特徴が無くなり「個性的なブランド車を持つことでの優越感」が消えてしまったなど、随分変わってしまった。

 逆の意味で印象的なEVテスラに似た感じの白黒デザイン車がはびこる様になり、トヨタ他日本メーカーも後追いする始末、ちょっと情けない。

 昔、反社会勢力が白いベンツやリンカーンコンチネンタルを乗り回して粋がっていた頃と時代も価値観も大きく変わってしまった。

 一方で日本の車メーカーは世界の潮流に乗り遅れたのか、ほとんどの企業で売り上げにも勢いがなくなっている様だ。為替のせいでもあろうが、一時の勢いがない理由は根本部分での企業戦略・マーケティング戦略の失敗があるのでは?と色々メディアで報じているが、素人の筆者にはまるで判らない。

 一方で筆者は昔の日本人なので、壊れなければ何年でも乗るのが当たり前・・の時代の人間だ。大半の人々が車を持つことで優越感を感ずる時代に青春時代を送ったが、「車はあくまで荷物を積んで移動するための道具」という自分のコンセプトは当時も今も変わらない。

 話題の車に乗って女の子を引っかけても、彼女はアンタ自身じゃなくてアンナのクルマに惹かれてんだからねっ!という事。

 同時に荷物も無いのに一人だけ乗って混みあう首都圏を車で移動するのは「人に迷惑をかけている意味(=混雑・地球環境弊害)で良くない事」という倫理感は今でも持っている。

 車に似たような「持つこと」への価値観が大きく変わったものに「腕時計」がある。時計は一時持つことで優越感を感じたブランドがかって沢山あった。ロレックスに始まり、カルティエ、ロンジン、オメガ、オーディマ・ピゲ・・それがブライトリング、タグ・ホイヤーなどに替わりつつも、実用面でセイコーやカシオが信頼されアナログからデジタルへ変わりつつもある。ほとんどの人が持ち歩くスマホにも時計は有るので、ますます腕時計市場は先細りだろう。今や高いブランド時計をしていても、逆に苦笑されてしまうのでは?

焦る市場はメディア戦略を進めるが、富裕層激減、価値観の変化には敵うまい。

 同様に数日前のこのブログでも述べたが、カメラ・古く言えば写真機の世界がスマホにとって代わられ業界人がメディアで述べるようにはいかないのが現状。
 この記事ではカメラメーカーの回し者のようなコメンテーターが、スマホからミラーレスなど取り扱いが複雑なデジタルカメラへ参入者もいる・・・と言うがそれはとても怪しい。

 業界の為のアピールでしかないと思う。カメラの価格はパソコンと同様そのスペックに準じた価格ラインナップがあって良いはずだが交換レンズを含めて決してそうなっていない。

 …と同時に、インスタ映えしたい写真を撮る基本はスマホで充分なのだ。これも写真そのものやカメラに対する価値観が「良い悪い」ではなく、随分変わってしまったのだと筆者は思う。

 プロが撮影する写真もすべてフラッグシップの最高機種の作品ではなく、入門タイプのカメラやミドルクラスのカメラで撮った写真で充分腕を披露すれば、消費者も無理せず中級機種を買うだろうと思う。最高機種じゃなきゃこういうプロ並みの写真が撮れない・・とアピールしてきたカメラメーカーは販売戦略を失敗しているような気がする。

 100万円を超えるようなミラーレスをこれ見よがしに宣伝するCanonだが、時代に逆行している気がしてならない。20年前ならいざ知らず・・・。

 百貨店の一階の一番良い場所からネクタイ売り場が消え去ったように、カメラに対する「優越感戦争」に乗じた各メーカーも急激に変化していくだろう。ゼンザブロニカが消え、アサヒペンタックスがHOYAに買われリコーに移ったように、どんどん企業として変化していく現在、医療機器へジャンルを広げたOLYMPUSのようにCanonやNikonがやって行けるだろうか?カメラや写真に対する日本人の価値観を良く精査して根本戦略を立て直さないと難しいと思う。

 写真撮影(スマホを含め)の普及で「誰もが写真家」の時代、大宅壮一風に言えば「一億総カメラマン時代」の今、メーカーの社員などより、余程実撮影の経験を持った消費者に対応できないと下剋上が起きるだろう、いやもう始まっている気もする。カメラメーカーのショールームで消費者にやり込まれている係員を何度見た事か。

 今スマホで撮ってSNSに投稿し、いいね!のやり取りをしている人達の多くは、15年前までレンズ付きフィルムだとか馬鹿チョンカメラ(=バカでもチョンと押せば奇麗に撮れるの意)と言われた紙パッケージの簡易カメラを使っていた人々だ。
 スマホの維持費(通信費含め)に年収の大部分を食われる現代の若者たち、ミラーレスカメラの高級機種に目を向けることなどないと思うが如何だろう?

 一眼デジタルだろうがミラーレスだろうが、デジタル時代のカメラはPCスキルが無ければ、なおかつ画像処理ソフト操作スキルが無ければ意味がない。
 その意味からすれば、ミラーレスだろうが一眼デジだろうが数十万円もするモデルを次々に出すかっての「カメラ優越感市場」を踏襲していてはカメラメーカーも先が無いと思うが如何?

 各メーカーのフラッグシップを次々に買える世代も高齢化し、ほとんどが年金生活に入った今、かっての高級カメラ消費者(=富裕層)の比率が激減している事をメーカーは知っているのだろうか?