筆者、昨日は三か月に一度の定期検診に都心の病院へ行った。今年亡くなった従弟が副院長を長年務めていた病院(大学病院ではない)。薬害(古い抗生物質薬を摂取した為の急性肝臓障害)処置だの、山奥で猪に追われて身を躱したはいいが、両膝から地面に落ち傷口から感染した感染症のステロイド治療など、過去においてさんざんお世話になっている病院だ。
たまたま尿検査の採取をする場所(専用トイレ)の近くで座って順番を待っていて、目の前を通り過ぎる患者さんや付き添いの人々の「人間観察」をしていて今まで(三か月前)と随分違う事に気が付いた。
まあ、この病院も他病院同様高齢者が多いのだが、杖を突いて歩いている人の数が3か月前に比べ急に増えたように感じたのだ。まるで今まで草原だった所に突然樹が生い茂る森になったような・・・。杖を突く高齢者が多いのは、街中でもバスの中でも最近そう思う。
それに加え、昨日だけのことかもしれないが、車椅子の患者さんが異常に多かったのだ。今までは車椅子の患者が目の前を通過しても、毎回1時間ほどの滞在中1台あるかないかの程度だったのに、昨日は4台も目の前を通過したのだ。
なおかつ昨日はその車椅子を押す付き添いの人が杖を突いているのだ。4台のうち3台の付添人が杖を突くというこの異常。これって普通の事だろうか?
しかも、今まで以上に検尿の紙コップを持ってうろつく高齢者が昨日は大変気に成った。
ヨロヨロとした足取りで、紙コップを前に差し出しながら何度も筆者の前を行ったり来たりする患者さん(同じ人)。ボケが少し入っているのだろうか?看護師さんが血相変えて探し回っていた。
とにかく病院の中を歩く患者さんたちのスピードは一般的な人々の30%くらいの感じだ。新幹線と在来線列車の差より酷い。中には歩行中時々ストップ!吹雪の中のバイソンのように立ち尽くす方もいる。
こういう人もいた、「水を飲みたいんだが、飲み水は?・・」と言って看護師さんに検尿コップを差し出すご高齢の患者さん。
筆者の亡き母は、最期の入院中とんでもない悪戯をしたがん患者だった。検尿コップにワザと一度口で咥えて口紅を付けてから尿を採取し、窓口に置いてきたのだ。しばらくして「キャー!」という看護師さんの叫び声を聴いてほくそ笑んだという。とんでもない母だった。
ちなみにその我が母の父親(つまり筆者の祖父)は戦時中相模原陸軍第三病院の院長を務めた陸軍軍医少将・吉植精一だから、なんのこっちゃだ。
父親が医者だとろくな事にならないと母親から聞かされた記憶がある。我が母は気管支拡張症で気管支・肺が弱かった。若い時、病院で聴診器を胸に当てられ「ラッセル音は如何ですか?肺から気管支が痛いんですが」と訴えて「医者の娘さんですか?肺が痛いとか臓器名を言うものではありません、それが肺かどうかは私が診察するのです。患者様は単に胸から喉のこの辺が痛い‥とおっしゃい!」と叱られたと・・・。
30分待合室に座っていると、いろいろな人間ウォッチングが出来る。昨日の待ち時間はあっという間に過ぎた。
今はまだ健康(本人が思っているだけかもしれないが)状態でいられるからこそ書けるブログだが、団塊世代も全員間違いなく古希を過ぎ、メディアが言う「75歳の壁」に直面しているのだ。古人曰く、「古希を越えて初めて見えてくる世界がある・・・。」全くだと思う今日この頃。
もちろん天寿を全うするまで病院へなど行かないで済むなら、それに越したことはない。何かあって病院に関わること(診察・治療・入院・薬)にお金を払うか、病院の世話にならないように普段から自分の健康保持にお金を掛けるか?
筆者は圧倒的に後者の方法を遂行することに努力しているつもりだ。少なくとも1個500円もする高級ケーキを貪り食うより、1個100円しないリンゴや自分で丹精込めた干し柿で健康を保持したいと思っている。これは今後も続けたい。