昨日も夕方、台風余波の雨が降る前に中二日のラン二ングに出て、ランナーさんがいつもよりはるかに多い事に気が付く程度だった。曼珠沙華の花がいつもの年より遅く咲き始めた中、三鷹の野川土手を走るのは気持ちよかった。
昨日の投稿を見た昔の鉄道ファンの友達(喜多方在住)から、2年以上振りにルール通りブログの「お問い合わせコーナー」経由でメールが来た。
「良くぞ言ってくれた!うちの敷地が撮り鉄たちのお陰で酷い事に成ったんだわ」とSLばんえつ物語運転に伴う「撮り鉄」被害を嘆いて来た。法的処理が進んでいるので此処ではその被害詳細は省く。
SLばんえつ物語 wikipediaより
彼は未だに鉄道ファンの名残だろう、撮り鉄被害の話もそこそこに「どうしてC57が牽引する客車がスハ32系とかじゃないんだろう?新しい車両を造るなら、当時のスハ32系を復元した方が昔からの筋金入りの鉄道ファンはもっと喜ぶのに・・。」とボヤくことしきり。此れには筆者も、もろ手を挙げて賛意を示し返信した。
日本中でSLが牽引する客車たちが、妙に今風なクラシック造りで気に入らない。SLだけアナログ・レトロで客車がデジタルという感じでどうしてもしっくりこない。
しかしこの「鉄道ファン」と「撮り鉄」は全然人種が違う。前者には「哲学・品位」があるが、後者には「名誉欲、優越感、競争心」しかない。
この辺りは今年の6月22日付のこのヤマセミブログに掲載した
「団塊世代は人吉で、かって1960年代SLブームのど真ん中に居たのを想い出した!」をご覧頂きたい。
http://yamasemiweb.blogspot.com/2019/06/1960sli-remembered-at-hitoyoshi-about.html
つい先月、あるメディアからこのブログに掲載したSL人吉の画像から2点使わせて欲しいというオファーが来て驚いた。SLの写真ならいくらでも世の中に腕自慢の愛好者が居るだろうに・・と思いつつ、少し嬉しかった。
今年の6月に撮影した画像。石造りの機関庫と一緒に。
2004年、SL人吉の前身「あそBOY」の頃の画像。八代市内球磨川沿いで撮影した。いまどき架線が無い環境でのSLは珍しいと汽笛を聴いて接近に気が付いて偶然撮れたもの。
SLや撮り鉄の話は単なる一例なのだが、団塊世代も70歳台に突入すると、仲間が集まる都度それぞれが一生の間にやってきた事、集めたもの(切手や絵画や骨董品、レコードなどなど)の話になる。
ここで問題になるのが、これら物理的に集めたモノ(集まったもの=人脈やお金も含む)やその身についた経験値・体験談をどうするかという事だ。そのままにして良いのか?後輩たちに伝えるべきなのか?
お金を集め過ぎたものは、財産の処分・税対策・相続分配トラブルに困るだろうし、切手やテレホンカードなど今や価値が二束三文に成ってしまったもの、ましてや盆栽や絵画・骨とう品の類に至っては、その管理方法や価値が判らず、後に残された者たち(家人や社員、価値をまったく感じない者たち)に多大な迷惑を掛ける事に成りかねない。
此処で思うのだ、骨董・絵画・切手・レコードなどの物理的アナログ物体は、その保有者が生きている間にお金を払って、自分の身の回りに置いて所有していただけなのだ。下手をすれば保有者の死後は単なるゴミになってしまいかねない。
先日観た映画「アートのお値段」に良く表現されていた。せっかくの人気名画もオークションで落札したコレクターが、温度湿度管理された保管倉庫に高い利用料を払って保管するだけなのだという。何のこっちゃ?だった。
4~50歳代の若い頃は夢中になって競って資金投資し、欲しいものを自分の傍に置く努力をするのだが、70歳に成ってみるとその虚しさに気が付く。先日、中村メイコさん親娘3人がご出演になった「サワコの朝」でメイコさんが何でもかんでも引っ越しの際に捨ててしまうというのを聴いてハッとした。
お二人の娘さん(神津カンナさん・葉月さん)が自分の母であるメイコさんに「母は2歳でオシメしながら子役でデビューし、もうすぐまたオシメしながら新しい仕事するんです」だの「母は二歳の子供の頃の自分をしっかりと覚えているんですよ、昨日の事は覚えていないのに・・。」などと抱腹絶倒だったが、良い歳の取り方とは何だろうと考えさせられた。
次週末はこの辺りを深く掘り下げてみたいと思う。