筆者の場合は1970年頃、全国中を巻き込んだ大学の全共闘騒ぎで散々革命だ権力・体制打倒だ!とやった女史が、今やその権力・体制側のある程度の地位を得て壇上から時と場所と場合を無視した自分の意見主張演説を「祝辞演説」の機会を利用して行った・・、と疑問を呈した。
同時に、筆者は「女性の幸せって何なのか?、男性の幸せって何だと認識しているのか?」一般に問うて返ってくる多くの答え・考え方と、この上野千鶴子女史の昔からの思い込みの間には相当の開きがあると思っている。彼女自身は其れに気が付いていない…というより、気が付きたくないような気もしている。実際にリサーチして調べてみたい。
今回、「デイリー新潮」では、今回の上野千鶴子女史の「祝辞」に対しての賛否双方の意見を取り上げ紹介している。
その中で、一時「賛辞」ばかりだったメディアの中で「アレはおかしい!」という反対・批判意見も取り上げ始める流れが大きくなりつつある中、デイリー新潮は著名人の考え、同性の女性側の意見などを掲載。 演説直後に「アレはおかしい!」と主張・投稿した筆者と同じ考えもあるのだと非常に安心した次第。是非ご紹介したい。
以下デイリー新潮の主要部分。
偏り過ぎ
小宮山元東大総長の3代前の吉川弘之元総長の話。
「大学受験というのは、本来、一人でがんばってきた人の方が多いはずです。でも、上野さんは、がんばったら報われると思えるのは環境に恵まれているおかげだと主張しています。この論理だと、東大に入れなかった人たちは、“周囲に恵まれていなかったからダメだったんだ”と考えるようになってしまいます。上野さんは、東大受験に努力する人たちに対して悪いメッセージを与えたことにならないでしょうか」
「上野さんが祝辞で述べたことは、エリートにおいての小さな格差でしかありません。Cランク以下の大多数の学生からしてみれば、男女格差の前に学歴格差が立ちはだかっているわけです。ですから、東大生以外の人間には、所詮、エリートの世界での話で、現実的ではない建前論にしか聞こえないのではないか」
最後に、差別を受ける立場とされる女性の側から話を聞いてみよう。
「私、その祝辞を聞いて、ちょっと偏り過ぎていると思うし、女性をバカにしているとも思いました。ちゃんと妻の務めも果たし、仕事をしている人もいる。そんな心配してもらわなくても大丈夫です。そもそも、私は女性が社会に出て働くことが必ずしも良いことだとは考えていないの。家庭で亭主や子供の面倒も見られない人が外に出て働いて、社会のためになりますか」
男性と女性は根本的に違い、男性には男性の、女性には女性の生き方があるという。
「やはり、結婚をしたら家庭を優先するのが、女性の運命です。もちろん、平等であることは大事よ。でも、男と女は生き方が違うから、価値観も違うわけです。それを一括りにして、“男女差別に苦しみながら、これからやっていきなさい”と言う上野さんの気持ちが本当にわからないのよね」(同)
かつて、かのマザー・テレサは、
〈なぜ、男性と女性がまったく同じであると考え、男女の素晴らしい違いを否定する人たちがいるのか理解できません〉との言葉を残した。
※筆者の考えで生物学的・動物学的、あるいは本能的にオスとメス、男と女は違うのだから・・・と言いたい事と全く同じ。
※筆者の考えで生物学的・動物学的、あるいは本能的にオスとメス、男と女は違うのだから・・・と言いたい事と全く同じ。
男性と女性との間に違いがあるのは紛れもない事実。
それを踏まえたうえで、この祝辞をどう受け止めるべきなのだろうか。
「週刊新潮」2019年4月25日号 掲載
※下線部分筆者強調。