人生100歳時代とは言うものの、実際は20年前とあまり変わっちゃいないのが実情だろう。ごく少数の超人的な長生きさんが平均数値を引き上げているだけで、自分もそうなれると本気で思っている人間はそう多くないはずだ。単純でおめでたい人間達は除いて・・・。
筆者は昨年、同い年の親友をそれぞれ70歳で二人亡くし、自分の寿命に関して、健康に関して少しじっくりと考える時間を持った事が在った。いわゆる終活だの、身辺整理だの、いわゆる断捨離の一環として無駄な不動産処理など書き出したら結構な項目になってしまった。逆にどれから手を付けて良いのか判らず現在思案中、情けない話だ。
そんな中、南九州の永年の友から長いメールが来て、最近怒りまくって数名の友人達との繋がりを絶った・・・という。
そのうち2名は同性で、1名は異性だという。それぞれと、どの程度の繋がりだったのか興味はあったが深くは訊かなかった。そのうち異性という相手の事だけは、こちらも以前からのろけ話を聞かされて知っていたので、少ない情報量なりに断絶に至った様子が良く判った。
男2名との喧嘩の理由は簡単だった。単純な「勝った負けた」「俺の方が上だ・・。」の類。いわば自尊心の闘いの末の結末だそうだ。要は諦めを知らない、体は爺なのに脳だけが血気盛んな団塊世代によくありがちな結末だった。彼に言わせれば、単にクラスメートだったというだけの間柄だったので、もうこの先死ぬまで二度と逢わずにも何の問題も無いという。古い言い方で言えば「絶交」しても何の問題も後悔も無いという。
一方、女性に関してはちょっと深く難しいケースだったようだ。彼は筆者と同じ程度、21世紀に入った頃から電脳化しPCを駆使する人間だ。 しかし彼は筆者と違い、スマホを常用しLineだの各種アプリを駆使して、完璧なスマホ・ジャンキーに成っていると自分で言っている。 一度は歩きスマホをしていて、福岡の繁華街でチンピラにぶつかり、双方スマホを落としてしまい、殴られた事があったという。
此の彼が言うに、相手の女性は決して貧乏ではないのだが、家の固定電話だけで携帯を持たない主義の女性だという。いわゆるメディア情報はラジオだけ、新聞もとらずテレビも置かない石器時代の様な生活の人らしい。40年以上会っていなかったようだが、数年前再会しここ数年いわばパートナー的存在だったという。
相手もかろうじてパソコンだけは使うのでEメールのやり取りはしたらしいが、彼のように毎日数時間PC作業し、常時メールチェックするタイプではなく、日に一度PCを開けてメールチェックをするだけらしい。
だから、Eメールと言っても1日一度だけの確認で、毎日郵便受けに手紙が来ているかどうか覗くのとあまり変わらないコミュニケーション頻度だという。全くEメールの機能を理解していないのだという。
何か話をして、質問をメールしても返事が返ってくるのは翌日まで待たねばならないのだという。とにかくその彼女とのコミュニケーションにおいてはイラつきが日常で、ストレスが溜まってしょうがない…と言っていた。
彼が言うにはコミュニケーション・スピードと頻度の差は、個々の人間同士の生活基盤になっているため、これがあまりに違うと誤解や会話の行き違いが多発し、ストレスの発生度合いに大きく影響するのだという。
己に置き換えて考えてみれば良く判ろう?現代においては携帯端末にショートメールが着信すれば、数分内、よしんば忙しくて手が離せなくても気が付いたときに即リアクションするのがいまや現代社会の「マナーやルール」だ。
筆者はスマホではないので使わないが、ラインなどにおいては数秒で返事が無いと、レス(レスポンシビリティ=反応)が悪いとか言って相手をなじったりする時代だ。Facebook などでも相手もFacebookを観ていると判れば、チャットなり、投稿でリアルタイムのコミュニケートが出来る。
それに加え、近い関係で在れば在るほど「間」が空くのを嫌う傾向になるようだ。一人住まいの彼女を思いやる彼は、実際病気がちの彼女がいつ発作や怪我をして動けなくなるか毎日気が気ではなかったというのだ。
以前ある同級生の話で、離婚同様別れて住んでいる伴侶を放って置いたら、死んで一人住まいの家で半分融けかかっているのを子供が発見し大騒ぎになったという実例を知っているから余計なのだという。
この現代の携帯端末を毎日使うスピードに脳と体が慣れ切った人間にとって、メールを打っても翌日まで返事が来ないなどと言うコミュニケーション頻度では、関係も上手く行かなくなって当然だろう。アメリカの西部開拓時代の駅馬車では無いんだから・・・。昔のルート50号線を走ったポニー・エクスプレスだって日に数度の便が在ったと言うではないか?全く同情してしまった。
こういった、頑なに自分のスタイルを押し通す団塊世代、それも特に女性の場合、余程深い関係でもない限り、いや深い関係であったとしても縁が切れたらもう其れきりだろう。彼もストレスが溜まると幾度も言い合いをした様だが、此の先相手が少しもコミュニケーション頻度を上げる努力をしないので、もう諦めたと言っていた。
相手の事を本当に必要とし大切だと思っていれば、普通は自らミス・コミニュケーションを改善する努力をし、相手に少しは歩み寄ろうとするのが一般的だが、この彼女はそういう努力を絶対にしようとしないのだという。
本当に大事で自分に必要な相手であれば一時的にであはっても、喧嘩状態を何とか収めようと努力するのが普通の常識なのだが、自分にとって大切な相手と切れてしまっても良いから我を通そうとする・・・これってやはり団塊世代特有の生き方なのかもしれない。これでは彼に「嫌気」や「諦め」が生じても仕方が無かろうと思う。
こうして、団塊世代の一人暮らしが増え「孤独死」が今後増えていくのが目に見えて少し怖い気がする。
一方で筆者はスマホへの依存症で現代人の「脳」の退化が始まっているという学者・研究者たちの説を信じている。何から何までスマホに入れ込み、Suicaも銀行口座も何もかもスマホ一つで済まそうという生き方に潜む「今そこにある危機」をどうしても気にせずにはいられない。
ネットでそういうスマホ依存症の人間を揶揄した漫画が在ったのでご紹介。
スマホが全ててさまよう人々を表現している。
スマホに夢中で危険が迫っているのに気が付かず・・・。
顔が見えなくなってしまう程スマホが寄生してしまっている人類。
もう手放せない、体の一部化したスマホ。
相手が目の前に居るのに、目の前の相手を無視してスマホの方に対応する、筆者もモロこうされた経験あり。怒り狂ってさっさと交流を断った。
スマホに顔がひっついて離れなくななってしまった人類。
絞首刑に成る間際までスマホで自撮りに勤しむスマホジャンキー。