この経緯に関してはこのブログでも、10年以上前2006年頃から地元のヤマセミ観察者、研究者、更には日本野鳥の会支部長でもある高野茂樹理学博士のヤマセミ保護の観点から長い間の念願であったことを述べて来た。
昨年6月、地元人吉ならびに熊本県内の文化人・野鳥研究者22名の連名で松岡隼人・人吉市長へ要望書が提出された。その思いが通じて、2016年末には議会での採択も成り、晴れてヤマセミは「人吉市の鳥」に成ったのだった。紆余曲折11年の年月が掛った訳だ。
今日のブログは一連の「ヤマセミ関連」に関する総括をしてみた。
一方で今から約1年前2016年初頭からJR九州で、熊本~人吉間の新特急運行計画が進んでいた。約55年前、昭和35年頃熊本~人吉間には準急くまがわ、準急第1えびの、第2えびのという準急(今はないが急行よりは遅い快速列車)が日に3本上下していた。これにほぼ準じた形で熊本~人吉間の観光活性化を計る目論みでJR九州が計画したのだろう、狙いは大正解だと思う。
この新特急の名称が「かわせみやませみ」と新聞紙上で発表になったのが2016年4月だ。勿論人吉市の鳥にヤマセミを・・・と勧めて来た研修者・愛鳥家・文化人たちの運動の後押しに成ったのは間違いない。
3月4日人吉新聞
3月5日朝日新聞
3月5日西日本新聞
3月5日熊日新聞
筆者は広告代理店勤務30年余の経験から、新列車運行の3月初旬より相当前に「ヤマセミを人吉市の鳥に制定しました!」という情報発信をすべきだ、記者発表を行うべきだと繰り返し人吉市の上層部の方々へ述べて来たが検討もされず、その意味も解らず結局・試運転招待列車運行の前日の発表としてしまった。
結果どうなったか。案の定大きな新特急「かわせみやませみ」のニュースに飲みこまれ、「JRの新特急かわせみやませみ」にちなんで人吉市の鳥をヤマセミに制定した・・・と一部のメディアに書かれてしまった。
だが、ここでハッキリとさせて置きたいのは、「JR九州の特急の名前にやませみが有るから人吉市の鳥に『山翡翠=ヤマセミ』を制定したのではない!」という事だ。
もし、そうであるなら新特急の名前が特急「くまたか」だったら人吉市の鳥は「くまたか」に成らねばならないという事だろう?
しかし、これは決してそう掲載した記者を責めるべきではないだろう、詳しい正しい情報発信をしなかった市の対応が不十分だったから、プロのジャーナリストにそう取られてしまったという事だ。そういう懸念は筆者も早くから感じていたし、誤解を回避できるチャンスがいくらでも在ったのに先を読んで対応しようとしなかった行政の先見性の無さと怠慢を責めるべきだろうと思う。
何よりも長年努力を重ねて来た地元人吉市の野鳥研究者・文化人の方々の想いと純粋な誠意が誤解される報道で捻じ曲げられてしまった事を非常に残念に思う。大体失礼極まりない話だ。
筆者もヤマセミの生態研究でお世話に在っている人吉市へのささやかな恩返しのつもりで写真集「人吉市の山翡翠(ヤマセミ)」800冊及び写真小冊子「肥薩線に沿った球磨川流域のヤマセミ・カワセミ」を5000冊自費出版、人吉市役所に半数以上進呈したが、3月1日のヤマセミを市の鳥に制定した事と合わせて記者発表はついぞされたという話を聴かない。
左:28p写真集(5000冊)、右:132ページ写真集(800冊)
写真集に関しては個人的に付き合いのある一部のジャーナリストから詳しい取材申し込みがあったが、確認しても市役所からのメディアへの情報は3月4日時点でまだ無いという。市役所にこれら写真集が届いたのは2月25日だ、3月2日のプレスが沢山招待され乗車している試運転特別列車車内で人吉市としてプレスリリースを配る事も充分可能だったろう、写真集自体も十分余裕を持って届けたのだから当然そういう対応を取れると思っていたが何のアクションもなかった。
筆者自身がJR九州の担当者にその内容を理解して頂き、招待列車車内で薄い方の写真小冊子を配って頂いたのが精一杯だった。JR九州さんの評価は非常に高かった。実際招待列車の中で多くのJR関係者の方と名刺交換し感謝された事でも良く判る。
JR九州の方が招待乗客全員に配って下さった。
車内の招待乗客の方々、特に旅行業界関係者の皆さんが喜んで読んで下さり、ヤマセミとカワセミの大きさの違いに驚いておられたのが印象的だった。こういう方々に受け入れられ、悦ばれてこそ人吉市の観光活性化・情報発進が出来るのではないだろうか?如何だろう?
新特急運行を記念して駅の鉄道ミュージアムで地元の古江之人氏・辻正彦氏の作品による「写真展」を行っているが、これも民間のパワーにおんぶにだっこに肩車ではないか?写真展の準備当日病み上がりの高齢者古江さん頼りに作業を進める市役所スタッフを見かねて手伝ったが、あまりの人数の少なさに呆れてしまった。
人吉鉄道ミュージアムでの写真展準備(市の職員は左の2名のみ)右から筆者、古江之人さん(以上2名ボランティア)
市内のスペースでは別途民間の力でヤマセミの写真展を実施。これも古江さんご夫妻、他民間のボランティアの方の運営で成り立っている。
口では観光活性化、人吉の観光PRと唱えても、実態は民間に頼り切っている今の状態では何を期待しても今後成就しまいと視ている。今回の事で随分勉強したし判った事も多かった。自分の今後のスタンスに反映させようと思う。