2016年7月27日水曜日

何故、ヤマセミを人吉市のシンボルにしたいのか?その2. Why do we want to make a Crested kingfisher for symbol of Hitoyoshi-shi? Part2.

 2日続けてページビューが350前後で驚いている。「ヤマセミを人吉のシンボル野鳥に!」という動きが反響を呼んでいるとすれば、これ程嬉しい事は無い。連日300名の賛同を得ていると勝手に思い込ませて頂いている。
毎日更新したブログだけ読まれる訳では無いので、その日のぺージ閲覧数と閲覧総数は数値が違う。


国内1117、海外918という閲覧者数のバランスがこのサイトの特徴らしい。

この動きは、本来個体数が非常に少ない上に、山奥で生息し人間の姿など視ると150mの距離でサッと逃げてしまう警戒心の強い野鳥山翡翠(ヤマセミ)が人口3万を超える都市中心部で観られる事。その人吉市のど真ん中の清流球磨川を飛び交っているという稀有な存在で、非常に学術的にも貴重である事から始まった。今から遡る事10年前から地元の野鳥観察者の間で、是非「ヤマセミを人吉市の鳥に!」という思いが積み重なって来たというプロセスを事実・証拠を元にこの2日間述べてきた。
人吉城址角櫓(すみやぐら)からダイブのヤマセミ

朝霧の球磨川でホバリング中のヤマセミ

其処へ、JR九州の観光列車「かわせみやませみ号」の運行計画、更には4月の熊本地震の被害で人吉城址の人吉市役所使用禁止・・・など、思いもよらぬ色々な事象が発生し、観光客の激減を含め一体人吉市はどうなってしまうのだろう?という重い空気が市内の各関係者の間に広がったのだ。

 どうしても震源地に近い熊本市や益城町の直接的惨状がマスコミ・メディアに報道され、遠く離れた人吉の現状は地元紙すらあまり触れない、取材しない状況が続く中、何とか「キッカケ」を作って人吉市の再起動を計ろうというモガキにも似た機運が高まっていたのが実情だと思う。

 実際、7月16日に益城町~山都~高千穂辺りを車で走ってみたが、まだまだ地震の影響は生活道路にいくらでも残っており、インフラ系の完全復旧は時間が掛かるうえ、被災した方々の「やる気」がまだ戻っていないのも確かだ。
九州自動車道・益城町付近、自分で走って自分で撮ってみた。

しかしその一方で、洪水で命を落としたのではなく地震そのもので亡くなった数百名の方々、1か月もライフラインが復旧しなかった東日本大地震に比べ支援物資や応援部隊やボランティアの到着も早く、はるかに普及活動もスムーズなのに、東京で視ている限り熊本地震復旧に関するメディアの報道がピタッと消えたように感ずる。報道ネタが無くなったのではなく、意図的に触れないようにしている気配を感ずるのだ。
地震で屋根をブルーシートで補強している被災地、熊本中心部

 これは一般的に「熊本は大きな地震が来ないと思っていたのに!」といった間違った認識が多かった事(実際はそんなことは無く非常に危険なエリアで在ったのを自分で確認しなかっただけ)。ボランティアの女学生に「味噌汁が薄い!」等と文句を言ったり、芸能人のカンパ情報発信を「売名行為だろ!」等と叩いた事。あるいはアルピニストのN氏が無償でカンパしたテントをボランティアたちに張らせ、自分たちでは何もしようとしなかった為に半分が張られず無駄になっていた・・・などがSNSで瞬く間の間に広がり熊本なに様?といったネット上の叩きも影響して居る様だ。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14158959624

 最近はそういったマイナス要素が非常にネット上に飛び交い、熊本に縁のある自分も少し困っている。実際ボランティアに行った友人の生の話にもこの手はいくらでも在った。東日本大震災の時とは随分違うので2度と行く気にはならないと言われてしまった。

 そのような中で、自分が2010年以来毎年一番お世話になっている人吉市ではこのヤマセミの「人吉市シンボルの野鳥制定」の運動に併せて人吉市の活性化(観光・産業・将来への希望)が地元・官民一体の流れの中から生まれようとしている事に非常に感動を覚えるのだ。これはもうよそ者の立場を投げ捨てて裏方を手伝いたいと思うのは当然だろう。

 人吉市が再活性化するにはどうしたらいいのか?

 今までの観光行政の継続ではだめだろうと思う。今までの人吉市が何を「売り!」にして来たのか?その結果全国から観光客として来ようとしている人たちにどのようなイメージ・知識で捉えられているかを知る事から始めるべきだろうと思う。JRの人吉駅は「人吉駅」だがくまがわ鉄道の人吉は「人吉温泉駅」と言う名前にしている。しかしこれは両刃の刃なのだ。Googleマップでは人吉駅との表記だからまだ良いがこれが「人吉温泉駅」という表記になったら、「そうか人吉には温泉しかないのだ。」になってしまう。

 日本国内で町の名に温泉を付け、駅の名前にも温泉が付いているのは信州の戸狩野沢温泉駅が一番有名だ。その他、城崎温泉駅、黒部宇奈月温泉駅(新幹線)など46か所も在るが、大きな熱海や別府にはそういう名前は付けない。
国内のJR・私鉄・第3セクター鉄道で「温泉」が駅名に付く駅一覧。

この観点から見れば人吉市は温泉はあるが、決して温泉客だけで観光産業は成り立つまい。周りに指宿、霧島、黒川、湯布院、阿蘇、別府など著名で優秀な温泉競合が多すぎるからだ。したがって人口が3万人を超えた中堅都市においては温泉宿と土産物店、街中の飲食店だけが潤うような観光行政は遅かれ早かれ破綻する。温泉が枯れればもう一巻の終わりだ。これは箱根や東日本大震災で沢山見られた現象だ。火山国日本であれば日本中が此のリスクに怯えている。

 その点、人吉市には数多くの観光の魅力が存在する。しかし、それはそこに住んで生活している人には判らない。他地域をくまなく回っている人間にしか人吉の魅力は気が付かないのだ。全国の観光関係者がその土地で育し実力者になって役に付いているだろうから、これは全国どこでも同じ現象が起きていると見て良い。更に「よそ者の意見などに耳を貸すのは恥だ!」くらいに思っている人間がトップにいる間はその地の未来は無いと思って良い。

 多少きつい言い方かもしれないが、この地に来る観光客は他の場所を知り尽くして、比較をする能力を持って乗り込んでくるのだ。その地にしかない魅力をどれだけ見つけ出せるか?これが決め手だろう。

 何度も言う。ホノルルに住んで生活をしている人は絶対にダイアモンドヘッドやハイビスカスの花をバックに記念写真を撮らない。観光客が魅力と感ずる事やモノには不感症になってしまっているのだ。そこに住んでいてはそこの魅力に気が付かないという一番の真実が其処に在る。

 そのきっかけの一つが「ヤマセミ」なのだ。ヤマセミを街の中で観られるのは全国でどこを探しても人吉しかないのだ。