同時に6通のお問合せメールも届いていた。いずれもご自分が遭われた野鳥観察、野鳥撮影時の嫌な経験を述べられていた。何と!筆者がお世話になっている熊本県内からの方がお二人も居たのには驚くと共に複雑な気持ちになってしまった。海寄りの干拓地や干潟エリアでの話だそうだ。お一人からは、是非このブログで紹介してほしいとのリクエストも頂いた。しかし具体的な内容にはここでは触れないで置きたい。暫くしたら詳細を公表するかもしれないが・・・。
しかし、探鳥や観察、写真撮影のルールやマナーといった堅い話であるにもかかわらず、これだけ全国でアクセスを頂くという事で驚かされた。同時に如何に見て頂いているのかを実感できた意味で、眠気が吹っ飛んでしまった。合わせて、今後もいい加減な事をアップしたり、中途半端な内容で更新してはいけないという責任感を非常に強く感じない訳にはいかなかった。
これは5月1日午後のデータ。既にこのブログ自体へのアクセス数が50カウントある事を示しており、2日前のアカゲラへのアクセスが109ある事を示している。連休中はアクセス数が少ないと思っていたが、意外なデータだと思う。
ブログ・アナリスト・データは毎朝9時に切り替わるので、ブログ更新後その日の最終アクセスデータは翌日に成らないと正確には出ない。
昨日も述べた通り、筆者は撮影した野鳥写真を写真コンテストへ出品したことは一度も無い。自然・環境・観光などを狙った写真展にも出した事が無い、今後も出さない。理由はハッキリとしている。作品の良し悪しを評価する審査員の方々が、撮影した野鳥写真の貴重さや、中の画像が示す野鳥生態の意味をとても理解出来る訳がないと思うからだ。単に綺麗だ!とか、ピンが来ている!で判断・評価されがちだし、あるいは審査員の好み、最終的にはコンテストの賞等というモノは、半分以上先生方の派閥の力関係で決まるという事を熟知しているから…というのも在る。
野鳥写真コンテストの審査員にしても、野鳥の名前は良く知っているが写っている生態の意味、貴重さを知って審査しているとはとても思えないのだ。例えば、桜の花をバックにカワセミが写っている見事で綺麗な作品が在っても、それが何処かの池の中に人工的に作られた止まり木にどこかからへし折って来た桜の枝を括り付け、ちょうどそこに飛んできたカワセミをバシャバシャ撮った画像だと見抜けるだろうか?
熊本市のど真ん中の江津湖でそういう事をしている集団に出遭って、非常な嫌悪感を覚えた事が有った。いわゆる綺麗な写真を撮るための演出。昨日ご紹介させて頂いたブログ主宰者の方の言われるとおりだ。
話を変えようと思う。
ちょうど今、東京都美術館で伊藤若冲・生誕300年展をやっていて、NHKなどで盛んに特番を放映している。野鳥を沢山描いた画師なので野鳥愛好家にもファンが多い。ヤマセミを集中的に研究している筆者にとっても非常に好きな画家の一人だ。
しかし、これだけ色々な野鳥を描いている「若冲」がヤマセミを描いていない。
出遭えなかったのだろうとは思うが、彼は想像上の鳥も描いているし、生で出遭ったこともなかろうキリンや象も描いている。ヤマセミの存在くらいは知っていたとは思うが、描いていないという事実が、余計筆者をヤマセミの深みに嵌める後押しに成っている。
ヤマセミの生態を詳しく解説した文献は非常に少ない。ついに「博物画の天才・小林重三展」を1年ほど前観てその図録に出ていた、日本三大野鳥図鑑を全部揃える羽目になってしまった。
ネットのオークションなどで買うと非常に高価なので、神田の古本屋街で気長に探し、1年かかってやっと手に入れた。在る所には在るものだ。特に山階芳麿侯爵著の「日本の野鳥と其生態」にはある程度詳しく出ていたが、「生息は本州・北海道で九州・沖縄では非常に稀である」などと記述されている。十分な調査がされていなかったりして、驚かされたりもする。要は出逢い難い野鳥に関しては昔も今もデータが少ないのだろう。
環境庁(省に格上げになる前)の鳥類分布調査では熊本県人吉市を中心とした球磨川水系において1988年版に1986年頃の繁殖がしっかり記されているが、2004年の鳥類繁殖分布調査報告書においては1997年以降ヤマセミの繁殖は何故か記録上殆ど無い。筆者は毎回6家族のファミリーを目の前にして、繁殖画像も山ほど撮影しているというのに・・。
神田の古本屋街で手に入れた貴重な資料を1969年から行きつけの神田神保町「喫茶さぼうる」で思わず見入ってしまった。
渡り鳥でも旅鳥でもない、留鳥のヤマセミの調査記録ですらこれだもの。如何に野鳥の生態・繁殖研究調査が必要であるか判ろうというもの。
ヤマセミ分布の1974~78年、1997年~2002年の環境省調査データ。しかし1988年版の同様の印刷物のデータと極端に違う。渡り鳥とか旅鳥でもない通年で其処にいる留鳥の調査データが此処までいい加減だという事は、鳥類調査そのものが非常にデタラメだという事の逆証明だろう。