In 1965, I started to playing The Beatles copy band with high-school friends. We play songs of The Beatles, The DAve Clark Five, The Hollies, Gerry & The Pacemakers.
In 1972, I have been in Bournemouth England 40days in home stay. The Beatles was already dissolved. Today's photo is Abbey Road in 1972, and Bournemouth.
ビートルズの曲に接したのは1963年9月のある日、枕元のスタンダードというメーカーのトランジスタラジオから流れてくる「カモン、カモン、カモン、カモン、プリーズプリーズ ミー オウ イエ―♪」というものすごく歯切れの良いビートソングだった。
何故かビートという英単語がその瞬間浮かんで、それまで一番ビートが効いていると感じていたシャドウズのアパッチやヴェンチャーズのウオーク・ドント・ラン、ジョニー&ハリケーンズのレッドリバー・ロックなどだったが、問題にならないほどのインパクトの強さを感じた。そのビートという単語を軸にしたビートルズというバンド名を聞いた瞬間、ポピュラー音楽の何かが変わったと思った。当時中学3年の受験生。
その後、高校に入り文化祭で演奏しようとクラスの仲間でビートルズバンドを結成、自分で作った真空管のギターアンプにアルバイトで買い入れたヤマハのエレキを繋ぎ、高校の1年2年はバレーボールクラブとバンドの両立で常に時間との戦いだった。
勉強?何それ?大学?黙っていても人間が多い団塊世代なのだから焦って現役合格など目指さず、浪人してやればそれでいいじゃないか、の考えで至ってのんびり構えていた時代。勉強で成績が良い事で目立つより、他の人にはできない事をやって目立ちたい!これが高校生時代の自分の価値観だった。基本的には今もあまり変わらなかったりして。
この辺りを書き始めると、2日や3日は書き続けてしまいそうだから1972年大学3年と4年の間の春休みにホームステイで40日間過ごした英国の画像をアップする事にしよう。ボーンマスというロンドンのウォータールー駅から2時間ほどのドーバー海峡沿いの保養地が滞在した場所。毎週末はロンドンに出てサッカーの試合やポートベロー市場を物色して歩いた。
その時に一度だけあのアビーロードに行こうとえらい距離を歩いて現場に到着、レコードジャケットと同じ格好で4人で横断歩道を渡る写真を撮った。どこかへ行ってしまったが、ポールの真似をして裸足で歩いた親友が数年前突然死でこの世を去った。裸足で歩いたポールの死亡デマが流れた事が有ったのを思いだしたがちょっと不気味。
The Abbey Road London in 1972.
今から約40年前のロンドン・アビーロード。レコードジャケットとあまり変わらない。
Same as above in 1972.
上の画面の左の道路脇にあった道路標示版、世界中からファンが来て削り取って記念に持ち帰ったらしい。もうボロボロ!今はどうなっているだろう?
Morning run at Elmes rd. Bournemouth England in April 1972.
ホームステイしたボーンマスの家の前で、朝早く遅刻しそうな女の子が走っていく様を撮影。どこかのコンテストで賞を貰ったのを覚えている。
After 28years same place in afternoon May 2000.
それから28年後、ものすごく変わったボーンマスだったが、ホームステイ先のエルムズ・ロード41番地には別の人が住んでいた。しかし佇まいは殆ど昔と変わらなかった。