2020年9月1日火曜日

緊急投稿!球磨川沿いの肥薩線の復旧を考える。その5.  Consider restoration of the Hisatsu Line along the Kuma River. Vol 5.

  今朝の散歩で蝉の声が全く聴こえない事に気が付いた。昨夜雨が降った形跡もある。思い返せば8月1日に梅雨が明け晴天が広がり、夏日(最高気温30度以上)で始まり、一昨日の山梨県に出来た巨大な積乱雲(かなとこ雲)で夏が終わった感じだ、ちょうど8月1か月だけの真夏だったような気がする。


 その8月最後、昨日の朝の熊本県地元の地方新聞の記事に今回の球磨川豪雨災害に関しての色々な記事が出ていた。これは東京では読むことが出来ない毎日地元の新聞クリッピングをEメールに添付で送って下さるヤマセミの観察研究者・大先輩(人吉在住)のお陰で知ることが出来ている。したがって筆者のヤマセミや球磨川流域に関するブログはこの方が居なかったら殆ど全く投稿できていない、感謝しっぱなしだ。今のネット通信の世だからこそ出来る事。ある意味テレワークと同等以上のコミュニケーションだと思う。

 メディアはコロナウイルス禍の現在、リアルタイムで自宅からの液晶画面テレワークを盛んに進めるが、ただ相手の顔見てしゃべるだけで終わる仕事などそう沢山あるとは思えない。

 TVのワイドショーなどでは「顔とおしゃべり」がメインなので良いかもしれないが、資料やデータをやり取りし事実を確認しながら進める内容の場合は、Eメールの方がはるかに中身が濃い場合もあるのだ。


 昨日の新聞記事の中で、有識者と言われているお偉いさんたちが集まって、蒲島知事さんを囲んで色々述べていたようだが、何一つ具体的な提案が無いので驚いた。まあ一種のヒヤリング・ショーなのだろうが、現場も知らない、球磨川沿線の産業・文化・日常生活もろくに詳しくない人たちばかりだ。

 著名なのだろうし経歴だけは立派だが、人吉市~八代市に至るまでの球磨川流域の事はほとんど知らない人に米国のテネシー川の話と並べて何か言われても、我々はテネシー川のことなど全く何も知らない、何処を流れているのかさえも知らない。その上、米国の川と気象と立地条件において球磨川がそっくりの訳なかろう?

 言っている事は日本中の洪水災害を起こした河川全てに共通で言えばよい話。球磨川だけに適用すべき話ではないと思うが如何だろう?球磨川の実情を知らないからこそ、そういうその場を繕う大雑把な事しか言えないのだろう。皆さんそれなりの有識者達なのだろうけれど、言っていることが今一つ心に響かない。皆さんは如何だろう?感心しただろうか?

 もっと実のある現場に即した専門家の方々の会合を持って欲しい。河川学者や気候学者や国交省・九電・JR九州を入れて・・・。



 今必要なのは、この先数年の間に国なり、県なり、人吉市・八代市など球磨川流域の自治体が出来る事を具体的に提案する事、それとその内容をどのように日本全国に発信するかだろう?

 早急に人吉市中心の球磨川流域の安全と経済復興に繋がる実務レベルのアイディア会議を開くなり、有識者だろうが老若男女・学生・一般人・各界研究者含めて「提案白書」を江戸時代の目安箱のようなシステムで集める事も必要だと思う。提案者には郷土の産物の提供や提案参加費(謝礼=プリントアウト費用・パソコン消耗品費程度で可)を出すのも手だろう。

 「提案白書」は「単なる要望書・お願い要請」ではいけない。「目的・目標(数値必須)・手段方法・費用概算・スケジュール」が記されていなければいけない。自分では何もしないで「あーして欲しい、こうして欲しい・・」という要望は誰でも言える。新聞によくありがちな「読者の声」だ。今大事なのは「具体的内容・実現性のある提案」だと思う。


 で、今日のこのブログは9月1日、月が替わって初日だ。筆者が今まで見て来た人吉と球磨川流域の画像を幾つかアップしてみたい。ずーっとこのブログをご覧になって頂いている方には「あれ?この写真前も観たぞ」というものも多いがその時は今回の災害はまるで考えていなかった。




今はもうない九州横断特急、肥薩線内途中駅

かっての「あそボーイ」時代のSL


今回の災害前の一勝地駅

坂本駅

かっての急行くまがわ、昭和36年頃は準急くまがわだった。2004年八代駅で。

今回流れてしまった球磨川第二橋梁


今回流れてしまった球磨川第一橋梁

2005年も今も人吉駅弁!立売りの菖蒲さんもお若いまま、変わったのは値段だけ・・。

味も変わらず筆者は大好物。