2020年9月21日月曜日

緊急投稿!球磨川沿いの肥薩線の復旧を考える。その16.(人吉・球磨の独自性を生み出す) Consider restoration of the Hisatsu Line along the Kuma River.Vol16. (Create the uniqueness of Hitoyoshi Kuma) 

  鮎の話で終わった前回までの「肥薩線の復旧」に関する提案もろもろ。もう少しマクロ的な目線(=視野を広くして)で人吉球磨にしかない独自性を探し出す、あるいは創造する方法を考えてみた。

 平成15年に発行された「週刊 鉄道の旅#37」が肥薩線とくまがわ鉄道だった。もう廃刊で神田の古本屋でしか手に入らないだろう。人吉・球磨の観光関係者はきちんとこういう資料を保存してあるだろうか?非常に良い事が書いてある。2冊保存しておいてよかった。


前半、肥薩線、後半くまがわ鉄道が掲載されている。

 少し前で言えば、広告代理店時代筆者も良く唱えていた「ナンバーワンよりオンリーワンを目指そう」に近い考え方だ。例えば人吉温泉は周りを取り巻く競争相手(霧島温泉、阿蘇温泉、黒川湯布院温泉、大分別府温泉、天草温泉・・など)には、その規模でも話題性でも今のままではとても敵わない事くらい関係者の殆どが自覚している所だろう。

 じゃ、どうすれば良いか?・・ここからが知恵の働かせ所だ。温泉の質と量は変わらない、建物もそう簡単に建て替えられないし、建て替えたところでそれを目的に観光客が来るわけでもない。それに、またいつ豪雨洪水に見舞われるか判らない。

 こうなってくると、温泉や温泉宿だけの個々の魅力では人は来てくれない。どんなに割引キャンペーンをやった所で、旅に出る人々の行き先決定理由に「費用が安いから・・。」などと言うのは、もう昭和からずいぶん時が経った令和時代にはない話だ。コスト面の優劣は甲乙つけがたい同レベルの旅の比較の際にのみ、多少の影響がある程度だろう。

 Go to Travelの時期だけ盛り上がっても10年先を考えたら、一時しのぎの補助金成果はそう長く続くものではない。

 そこで、具体的に、何をどうすればいいかのアイディアに入る前に、何故若者たちは都会を目指し地元で就職し地元を盛り上げようとしないのだ?なぜ人吉・球磨に定住しないのだという、日本の高度成長以来の「永遠のテーマ」について触れておきたいと思う。何故、若者たちは地元人吉・球磨で活躍しようと思わないのだろう?

 皆、華やかで魅力いっぱいで働き口が沢山ある・・・・首都圏東京が悪いのだ!と大都会のせいにするが、筆者はそうは思わない。今日はその件に関してまず最初に述べておきたい。これが今後の『肥薩線を何故普及させる必要があるか?』に深く繋がるのだ。

東京集中の現状を憂える新聞記事。

 例えば筆者と誕生日が2日違いの今度の菅総理大臣だって、親とけんかして秋田から東京へ出て来て神奈川の衆議院議員の秘書になって、今日までに成ったという事だ。首相がこれだもの、人吉球磨エリアで同じような動きをする人々を誰も責められないだろう。

 最近、新型コロナウイルス禍でテレワーク授業ばかりが続き、学園キャンパスの雰囲気を楽しめないと「休学届」を出してせっせとバイトをする者が増えているという。そうなのだ、一部の将来エリート職業を目指す学業・研究集中組の学生以外は「都会の学園ライフ」を楽しみたいがために大学進学をする傾向が1980年代から増大していると筆者は考えている。

 華やかで楽しいキャンパスライフを送り、大学を出て、華やかな大都会でTVのトレンディドラマ(’80年代に全盛だったが今も続いている)のような生活をしてみたい。雑誌やネットに載り、TVの店紹介に出てくるお店で食事をしてみたい・・・。新しい事を生み出したり、新しいビジネススタイルを生み出す会社で仕事してみたい・・・。希望に燃えた若者たちの目指す「夢」は、アイドルに成りたいと夢見る若者たちとあまり差は無いのだと思う。

 これは決して筆者がそういった華やかで楽し気なキャンパスライフを送れなかったから・・と、ひがんで居る訳ではない。確かに4年間有刺鉄線の柵に囲まれたプレハブ教室で「アウシュビッツ」とまで言われた校舎で過ごした残念感は強いものが在るのだが・・。

 そもそも1970年頃はそんな華やかなキャンパスライフはごくごく限られた私立大学だけで、国公立などはまだ一部学生服を着て構内を歩き回り、単位を取るのに精いっぱいな時代。それに追い打ちをかけて大学闘争などと言うキャンパスライフを破壊する動きの真っ最中で、今とは天と地の差があったのだ。

 人吉球磨から若者が首都圏へ出てしまう理由は、首都圏にだけ責任がある訳ではない。地元人吉球磨で若者たちが生きていくだけの魅力を先達、年配者が造り、教育しなかったからと言う一面もあるという事に気が付かなければならないだろう。これは人吉球磨だけに限った事ではなく、日本全国の地方都市において同じことが言える。

  筆者が大学時代を送った1970年頃と現在2020年の大学の数、大学生の数を比較してみれば何がどうなっているのか良く判ろう?1970年当時、苦労して大学を出てコンビニ(当時はまだ無いが・・。)の店員に就職したり、飲み屋の店員に成ったり、運送会社に就職して肉体労働の配達員を永遠にすることはまず無かった。


 それが今では、大学を出ても首都圏東京では外国人の労働者と職を争わなければならない時代なのだ。大学を出る、わざわざ高い授業料を払って大学に行って学ぶ必要のない職の方が世の中には多いのだ。都会の多くの一見カッコいい第三次産業(サービス業)従事者の生涯獲得賃金は昔と異なって非常に低いはずだ。

 今や人不足、人材不足の一次産業(農林水産・鉱業など)・二次産業(製造業)の方が実は会社の大小にかかわらず、現在・生涯賃金は高いはずだ。

 このあたりは筆者の「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」でも数年前書いてこのブログで紹介している。ご参考。

http://yamasemiweb.blogspot.com/2014/01/blog-post.html

http://yamasemiweb.blogspot.com/2014/01/this-is-real-story-of-japanese-baby.html

http://yamasemiweb.blogspot.com/2014/01/blog-post.html