2020年9月8日火曜日

緊急投稿!球磨川沿いの肥薩線の復旧を考える。その10.  Consider restoration of the Hisatsu Line along the Kuma River. Vol 10.

  昨日の食品ロスの問題と共にプラゴミの問題が地球環境上話題になっている今、SDGs(=「SDGs」とは、Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)の略称。)の問題アイテムの一つとして、広告代理店などに多い「意識高い系」人間の間で盛んに取り上げられている。
 しかし、特にプラゴミの問題は矛盾だらけで、世間の知恵・知識のある人間には奇妙なムーブメントだと映っている様だ。メディア・マスコミはこの矛盾点を少しも報道しようとはせず今後徐々に問題になりそうな気配を感じている。

 地球上のプラスティックごみを少しでも減らそうと、レジ袋の有料化を始めたようなのだが、今世の中で進んでいるおかしい事、矛盾していることを、多くの既存メディアは何故か触れようとしていない。
ネットで無地のレジ袋を買う人が増えている。何故お店のロゴ入り袋をお金を払って買わされ、持ち歩きながらお店の宣伝をしなければいけないのだという素朴な不満もある。皆さんおかしいと思わないのだろうか?10円かかるレジ袋を3円で売ってもらっているのではなく、1円もしないレジ袋を3円5円で買わされているのに!随分お人好しな話だと思うが・・・。

いずれもマネーポストWEBの記事より引用。

 筆者が感じているおかしなことを列記してみた。

➀ 数多くのウミガメがレジ袋やビニール袋を誤って食べて死んでいる・・と、盛んに主張する環境団体のレポートだが、実際神奈川県で数年間調査したウミガメの死体でビニール袋・レジ袋を食べていたウミガメは一頭もいなかった。数年前の国際報道写真展で観た漁網に引っかかっているウミガメの子供の写真はヤラセだったという話も聞こえて来た。話題になる報道写真展ではよくある事らしい。

② 少しでもレジ袋を有料にすることで消費者の意識を喚起し、プラゴミを減らそうとするならば、何故紙袋までも有料にするのだ?

③ そのレジ袋の費用を何故消費者に対して有料にするのだ?なぜ販売者・売る側が負担しないのだ?しかも、原価1枚1円もかからないレジ袋に1枚5~6円も乗せて利益にするのは何故なのだ?
 消費者側は別にプラスティック製のレジ袋を指定している訳では無いだろう?紙袋でも構わないし、昔は紙袋が普通だったではないか?販売者が勝手にプラ系のレジ袋にして今日まで来たのに何故消費者にその付けを払わせるのだ?

④ レジ袋を有料化して少なくする努力をしようとするくせに、何故コンビニなどの弁当の器のプラスティックはそのままで良いのだ?余程プラスティックの量が多いではないか
 スタバなどの珈琲店のストローが紙に成ったりしているのに、コンビニ弁当や電子レンジ加熱用のレトルト食品の器が、プラスティックのままであること、またその辺りをメディア・マスコミが追及しない矛盾はどう説明するのだ?

これらの問題に関してはまた次の団塊世代の疑問シリーズにしようと思う。

で、肥薩線の復旧を考える・・シリーズの「人吉温泉に関しての考え方」の続き。

➀ 人吉温泉に関しての考え方(その3.)

 旅行業関係者や宿泊施設経営者は「宿、特に温泉旅館の役割って一体何なのだ?」‥に関して考えたことが在るだろうか?一般的には寝床の提供と夕食・朝食の提供だろう。古くから日本における宿泊業界のベースがこれだったので、赤塚不二夫ではないが「これでいーのだ!ニャロメ!」で今まで来てしまっているのだろう。

 どうやら海外ではB&B(決して島田洋七の漫才コンビの事ではない)という朝食だけサービスの宿泊システムが在るらしいと聞いてはいるが、夕食を出さねば利益機会が半減するとばかりにB&D/B(=夕朝食付きの宿泊)で通してきてしまったのだろう。実際筆者も1980年代から頻繁にヨーロッパへ出張して泊る宿は殆どB&Bだった。

 この日本古来のベースは今の時代に一番即しているとはとても言えない。全くゼロとは言わぬが、今までの「決めごと」通りに事が行かなくなっていることを宿泊業界は知るべきだろうと思う。

 京都を例に研究するが良い。仕出し屋さんが在って、老舗旅館の多くは板前さんなど賄い方を持たないスタイルで今日まで来た。長逗留する常連客の我儘を食事面でも受け、今日は鱧を食したい、明日はすき焼きを食したい、はたまた三日目は客を呼んでもてなしたい・・など、ケースバイケースで客の我儘を受け付ける臨機応変の守備態勢で営業を続けてきたのだ。これがおもてなしの原点なのだ。優しい言葉対応をしたり、おまけ品を提供するのは決して「おもてなし」ではない。それらは「おもてなし」以前の「当たり前」なのだ。

 ホテルの宿泊スタイルはこの夕食を自由に街中の好きなお店で摂れるので、昭和以降は一旦入ったら翌朝まで出ない「旅館」より、出入り自由な「ホテル」の方が主流に成って来たのだ。「旅館とホテル」の違いは木造と鉄筋コンクリートの差ではなく、その客の宿泊スタイルの変化なのだ。

 同時に宿泊客の行動パターンそのものが非常に変わった。一度客が「宿」へ入ったら翌朝のチェックアウトまで「宿」から出ない、出さない様に、遊戯施設、卓球台だのゲームだのを館内に置いた一夜のアミューズメントパーク化させた宿が一時増えた。ジャングル風呂や露天風呂、はたまた芸能ショーなど。カラオケなどもこの延長線上にあると言って良い。
 自分で自分の楽しみを持っていない、持とうとしないお仕着せの「歓び」で充分だった時代の遺物と言って良い。

 せいぜい球磨川の土手を浴衣着てそぞろ歩く程度の温泉街的な佇まいが、全国の温泉地同様、人吉温泉郷のかってのスタイルだったのだろう。昭和30年代はストリップショーや射的場、スマートボールなども温泉街には付き物だった。時代は変わったのだ。
            https://co-trip.jp/article/29680/ ご参考

 今の客は違う!宿に入って部屋に案内されて、いきなりテレビのスイッチを入れるような観光客はリゾートの過ごし方を知らぬとバカにされ非常に少なくなった。「非日常」を楽しむために高いお金を払い、時間をかけて遠い所まで来たのに「宿」に閉じこもるなど、考えられないという客が増えたのだ。

 したがって「宿」をベースに今日は何、明日は何をするか、事前にWEBで調べて来る客が圧倒的に多くなった。事前に何の予備調査もせず着いた宿のフロントでいきなり「人吉は何処が面白いの?」「なんか珍しい所ってないの?」などと問う客が激減したという事だ。

 老舗旅館、著名処であればあるほど、無計画に来る客が少ないという。事前にきちんと宿と客がコミュニケーションしているからだろう。これから先は個々の旅館業を営む経営者の判断の世界なので、人吉の温泉旅館組合が一堂に会して一斉に横並びで行う事ではない。此処の経営努力・アイディアの差がこの先に出てくるのだろうと思う。知恵比べと言っても良い。
 万が一、「抜け駆けは許さない・・」などと言う締め付けが在るのであれば、何処へ行っても同じサービスになるため、客は二度と人吉には来ず、人吉温泉へのリピーターにはならず周りの競合温泉地に行ってしまうだろう。結果として温泉街全体がどんどん地盤沈下していくだけだ。

 それぞれの宿が独自に、自分の宿を起点にお客が何処へ行って何を出来るかの行動マップなどを作成し、事前にWEBサイトなどでどんどんアピールするなどの工夫も良いのではないだろうか?北海道・信州長野エリアや他の地域ではずいぶん昔から実施して成功している。

 筆者が2010年に初めて人吉市に泊まった際、さる宿のフロントのカウンターのビニールマットの下に球磨川流域の野鳥マップが敷いてあった。これを是非欲しい!と無理を言って頂いたのが、今まで人吉に10年以上通い続けているきっかけなのだ。
 偶然、2010年最初に手に入れた古江之人氏作成の野鳥マップ。感動ものだった。本来は地域の観光協会などが企画してつくり配布するものだ。これだけの球磨川・支流が豊富な人吉なのに宿に釣りガイドの一つも無いのが不思議でしょうがない。素人でも簡単に釣りが出来るシステムが無いのだ。何故だろう?

 きっかけは全て「知恵」から生まれると思って良い。この類のアイディアは山ほどあるし、国内の他地域で成功したモノ、失敗したが人吉であれば旨く行きそうなもの、色々存在するのに残念至極だ。