2020年9月12日土曜日

緊急投稿!球磨川沿いの肥薩線の復旧を考える。その11.  Consider restoration of the Hisatsu Line along the Kuma River. Vol 11.

  昨日のこのブログで熊日の朝刊記事から、九大の河川工学専門家の教授の述べる「ダムや堤防つくりだけで治水を考える時代ではない」と言う主張が素晴らしい・・・と投稿したら、真剣に今回の球磨川豪雨災害に関して考えておられる方々(専門家もいらっしゃる)から、いろいろご意見連絡を頂いた。感謝に耐えない。

 筆者は簡単な事から思うのだ。例えば、がけ崩れや地盤の緩い危険地帯を国交省は「土砂災害のおそれのある地区として「土砂災害警戒区域」や「土砂災害危険箇所」と指定している。普段から自分の家がこれらの土砂災害のおそれのある地区にあるかどうか、都道府県や国交省砂防部のホームページでチェックすべきと言う警鐘システムが完備している。現実的に昨年の千葉県の台風災害でも住宅のすぐそばで崖崩れが起きたが、その起きた場所は危険指定場所で、住宅のある場所は危険指定場所ではなかった。国交省は非常にきちんと専門的見地から現場をチェックしていたのだ。

 しかし、洪水の可能性があるエリアに関しては何故こういった「洪水警戒区域」あるいは「洪水災害危険地区」と言うような指定が無いのだろうか?筆者が知らないだけで実際にはあるのだろうか?しかしもし在るのであれば今回の人吉球磨の洪水被害地域と、そういった洪水危険地域指定区域の地図を重ねた報道が在ると思うが無いので、やはり無いのだろう。

 唯一、人吉市ハザードマップがあるが、これがきちんと徹底されていればマップ上で見る限り人吉市の中心部の洪水・水深予測が2~5mも在る場所もあり、今回の洪水も報道写真を見るとほぼその通りの状況に成っているので、ある程度は事前に準備し避けられることもあったのではないだろうか。

 特に建設業関係者には、ハザードマップで洪水時2~5mもの浸水が予測される場所に2階建て以上の垂直避難可能な建造物以外建ててはいけないなどの規約・条例はなかったのだろうか?建築依頼主ではなく建設責任者がこの手の危機回避を率先して行わねば洪水被害はなくなるまいと思う。

 本当に危機感を感じていたのであれば、事前にそれを前提とした上への避難可能な建て方や改築、あるいはハザードマップ通りの洪水が発生した場合の各自防災対策をしたと思うのだが、このあたりがどうしてそうしなかったのだろう?実際被害状況を見てみると何故だろう?と不思議でならない。

 国交省なり人吉市が「洪水ハザードマップ」を発表し、実際の洪水もほぼその通りの水位で浸水しているのに「被害甚大!降ってわいた災難」というのはイマイチしっくりこないのだが・・。

 ある意味、人吉市中心部を含めて洪水の危険が相当あると示しているハザードマップがどの程度まともに受け取られていたのか、詳しく検証する必要があるのではないだろうか?

 もう、人吉市民は球磨川が氾濫するのは止められない既成の事実として覚悟して住んでいるのだろうか?洪水被害を受けぬよう自助努力で別の場所に移り住む、垂直避難可能な建物にするなど何故行わなかったのだろうか?非常に気に成る所ではある。

人吉市災害避難地図(洪水ハザードマップ)参照。

 もし上記のようなハザードマップに加えて、そのような強い警告や指定がなされれば「土地の価格」が下がるとクレームが出るとでも言うのだろうか? 自分の土地の価格と自分の命、家族の命と一体どちらが大切なのだろう?

繰り返して引用掲載させていただく、熊日新聞9月10日朝刊より。

 特に、地球温暖化などと言う今や素人さんでも「そうなんだから仕方がない」と思っている最近の異常気象(一部はメディアが事実以上に煽っている節もある)が、今後もっと頻繁になおかつ大きくなる可能性が非常に高いという話も頂いた。

 特に今年の日本に南側、つまり太平洋側の海水温は異常に高く30℃を長い事保っている。これは近年なかったことで、日本のすぐ南側で熱低が幾つも台風に変るという可能性を示唆しているという。梅雨末期の豪雨も今後毎年日本中のどこかで必ず起きるだろうという予測もあり得るとの事。

 こうなれば、昭和時代に立てた治水・防災計画など今や何の役にも立たないという事に成る訳で、その実地・実証ケースが今回の球磨川豪雨災害として起きた訳だ。このような状況が今後も続くと考えれば、TVの避難呼びかけのアナウンスでも既に耳慣れた言葉に成ってしまった「過去に例がない、100年に一度の・・・」などと言っている訳にはいかない。「今やいつでも起こり得る・・・。」今後の起きる大災害の連続の始まりに過ぎないと思っていなければいけないのではないだろうか?

 その様な危機的現状の中で速く球磨川に関する専門家と県の治水検証・分析と今後への展望策を11月くらいまでに出すよう議会が動いているとの報道があった。

今日、9月12日の熊日新聞朝刊より。

 同時に球磨川の歴史を生涯かけて見守っている八代の出水 晃さん(我が恩人でもある)が、瀬戸石ダム撤去の要望書を球磨川関係の諸団体の頭として提出した記事も載っていた。 

 老舗珈琲店を経営しながらの出水 晃氏の精力的な社会活動には本当に頭が下がる思いだ。

 県が出す「今後の方針・施策」を万が一控えめに作成したりして、今後今回を越えるさらなる豪雨災害が起きれば、知事は元より専門家含めて関係者はもちろん責任を取らねばならないだろう。メディアでも個人名まで上げて叩かれることに成ろう。

 しかし地域住民からは、豪雨防災に関して自分たちの住む場所を安全な場所に移動する事を含めた具体案はとても出るとも思えない。

 もし流域住民の要望ばかりでまとめられた意見寄りの方法で事が進んだとして、さらに今年と同等、もしくはそれ以上の豪雨災害が起きた場合、流域住民は責任など取れる訳もなく、また流域住民から多くの犠牲者・被害が出るだけだろう。

 このあたり、流域住民への世論調査に向けた地元メディアの報道は非常に責任が重いと思う。単純に白か黒か、AかBかではなく、複合型の「住民もリスクを負った自己防衛行動を取り、国をはじめ県・市町村など自治体も『治水』という従来の考え方ではない自然の猛威を受け流しながら共存する・・。」方策を考えねばならないのではないだろうか?

 メディアの論調も公平性を保つことはもちろん、専門的なデータ、証拠を一般人でも判り易く箇条書きで、メリット、デメリットを報道していく必要があろう。更には責任のとれない憶測意見・判断などは、メディアとして言いっぱなしに出来ないはずだ。

 良くある話でメディアも意図しない方向へ世論を誘導してしまいかねないからだ。

 一般の人は地元新聞を含めメディアの報道する事はまず疑わない。テレビでお笑い系から即席で壇上に並んでいる素人キャスターのいう事ですら頭から鵜呑みにしがちなのだ。

 その良き実例はコロナ禍報道で良くお解りだろう?

 特に新聞の見出しの訴求力・刷り込み力はメディア関係者自身の想像を超えたパワー・方向性を持つ。是非とも世論調査の答えに影響力の大きいメディアの皆さんの努力・工夫をお願いしたい。

 明日は、流域の自治体が全然気が付いていないソフト面から球磨川の持つ観光資源としての役割について述べてみたい。