昨年の7月4日の球磨川流域豪雨災害から16か月が過ぎた。16か月と言えば約500日だ。
この間、熊日新聞などの地方新聞、NHKなどメジャーなメディアでの復旧に向けた考え方を知るにつけ、色々な立場をベースとした色々な次元の異なる意見・要望が飛び交っているのが見えてきた。
地元の被災者の立場から見れば、「なんとか今までの場所で今まで通りの生活を取り戻したい、そのためには国や県、行政が何とか洪水を止めてくれなきゃ困る。」という考え方が多い様に見受けられる。
一方で、現地在住者ではないが、過去において似たような災害地での事後処置、防災対策を実地で行ってきた人々の考え方はこれとは大きく異なり、「同じ所に住み続ければ、また同じような災害に見舞われる、ダムや堤防で防げる次元ではないスケールに気象や気候が変化している。」と警鐘を鳴らす。
更に世界中の地球環境専門家、気象の専門家は「地球温暖化がすべて原因とは言い切れないが、ここ10年来、台風やハリケーンの規模、集中豪雨の頻度・規模がけた違いに成ってきているので、今までの治水策・土木防御では無理。物理的にも時間的にも間に合わない。」とはっきり示している。
そのことを昨日のNHKがオランダの洪水に関して事後具体策を例に報道していた。
ご存じの通りオランダは国土の大半が海抜ゼロメートル。堤防で囲まれた低地が多い。そんな中、昨今のヨーロッパ各地の大雨洪水で、ライン川(=ワール川)その他多くの主要河川が増水し氾濫した。
オランダではこの経験値から今後幾度もこの手の洪水が起こるだろうとあらゆる機関の分析解析で移住策がとられ、昔から住んでいるからとか、先祖代々の地だからという「精神的安心感」より「物理的に命を落とす事と精神的よりどころを尊重する事」の二者択一を行い、危険地域住居者のほとんどが高台その他河川より遠い所に移住を始めた。
これを昨年の球磨川災害に当てはめてみると、移住を余儀なくする方と、何とか今までの場所で生きて行きたい…と希望する人々が分かれている様だが、今まで通りの場所で今まで通りに生きたいという要望が、どれだけ他の多くの人々や行政に迷惑を掛ける事になるのか、考えねばならない時期に来ているのではないだろうかと筆者は思う。
穴あき流水型川辺川ダムなどいくら早急に造っても、そのダム上部の地域での大雨にしか対応できない事は誰もが考える事だし、多くの専門家も指摘する通りだ。
昨年も、実は人吉より下流の球磨村エリア、白髪岳など球磨川本流上部での降水量の多さが決定的な洪水の原因であることを言わずに、「もし川辺川ダムがあったなら流水量を減らせた・・」など国交省は大きな「ウソ」をついているような気がする。それも人吉市が大洪水に成った7月4日の翌々日には早くもコメントを出したのはダムを造りたくて仕方がない勢力の「待ってました!」という作為的目論見すら感ずる。
此のあたりを地元の危機感を強く持った方々以外の一般人が鵜呑みにして「ダムさえあれば・・。」と思っているとしたら、もうそれは悲劇以外の何物でもないだろう。
こういった海外の治水対策、今そこに在る危機への考え方は学ぶべきことが多いように思うが如何だろう。