その昔、「私をスキーに連れて行って」が流行り、団塊世代の男女がこぞってスキー場に殺到した頃、書店の店頭に平積みされたスキー関連雑誌の凄さを覚えている方も多いだろう。
それが、今やカメラ雑誌のコーナーが同じような状態に成っている事をご存じだろうか?
今も昔と変わらず「優越感」を得ることに無上の喜びを感ずる団塊世代なのだ。スキーの腕前、テニス、ゴルフの腕前、カラオケの上手い下手、人より高い道具を持つ自慢、人より高級な車に乗る優越感など、昔と同じ競争心の対象が、今や所有カメラと写真撮影の腕前競い合いに移ったと言っても過言ではないだろう。
世界でも精密機械・カメラに関してはドイツと並んでトップクラスの我が国日本にはCanon,Nikon,Pentax,Olympus,Panasonic,Sonyをはじめリコー、カシオなど多くのメーカーが存在する。これに加え、シグマ、タムロンなどレンズ専門メーカーなどもあって世界でも有数のカメラ天国の環境にあると言って良い。
筆者が中学校2年生から使っている銀塩カメラ。ドイツ製のカールツァイス・スーパーイコンタ。ブロー二―フィルムを使用。未だドイツ製のカメラの方が優れているとされていた頃の名機。
しかし、カメラメーカーの広告や訳知りの友人・自称事情通の言葉を鵜呑みにして、この泥沼のようなカメラ、写真撮影の趣味世界に入る団塊世代の何と多い事だろうか?自分の周りにも沢山の同い年のカメラ好き、写真撮影愛好者が居る。
江戸時代の「女房を質に入れても初鰹」では無いが、大事な生活費を削って最新の最高級機種のカメラを手に入れたいという御仁の何と多い事か?昔のスキー道具、車やゴルフクラブと一緒だ。しかもこれが男女を問わずなのだ。
あの小学生時代偉人伝で読んだシュバイツヮー博士を撮影したユージン・スミスさんが米国発売のCanon一眼レフカメラの解説書に掲載されていた。余談だが、その昔亡き母に「ユージン・スミスは凄いんだ!」と言ったら「その友人のスミスさんって、どんな方なの?」と訊かれたという逸話がある。
今年最初の写真展がこのユージン・スミス展だった。
分析をしてみるとパソコンに対する接し方とある点で少し似ているという結果が出ていた。パソコンは使う人のニーズとスキルが伴わなければ、ある意味「只の集積回路の箱」。これに夢中になる人の半分はそのPCのハード性能に凝ってしまう。CPUは何?、グラフィックボードは?、メモリーはSSDか否か?等など。残りの半分に画像処理ソフトはアドビのPhotoshop Illustrator等を使っているか否かに妙味を持つソフト優先派も居る。つまりはハード派かソフト派に別れるそうだ。
これらとは全然別に、パソコンで一体何をするのか?を重要視する賢いグループも存在する。
その一方で高度なハードを備え高いソフトを入れ込んだデスクトップパソコンで、今や地球上の殆どの人間をコントロールしているとも言われているスマホで出来る事と同じ事しかしていない人もいる。
また一方では、新しいゲームソフトを開発したり、印刷物のDTP(=Desk Top Publishing)を行えるスキルを身に付けた人もいる。
何故ここでPCを引き合いに出したかというと、最近フジフィルムがモノクロフィルムの発売をこの秋終了するとの衝撃的な発表が在ったからだ。その理由が世の中に出ているカメラのそのほとんどがデジタルカメラに成ってしまい、その撮影した画像を観るにはパソコンで視るか、パソコンで画像処理してプリントアウトしなければ観られない時代になってしまいフィルムを造ってもペイしないからだとの事。
コンデジ(=コンパクトデジカメ)はファインダーが付いていない。スマホと同じで液晶画面で被写体を捕らえねばならないので晴れた日の撮影は外光反射で対象物が良く見えずに撮影が難しい。人込みでスマホやコンデジを掲げていつまでもシャッターを押さないでモタモタしているのはこれが理由だ。
ここで問題が起きる!
団塊世代の半分はパソコンで画像処理が出来ない。Eメールを打ったり、ネットで検索、旅の予約が出来たりはするが、自分が撮った写真の画像処理・プリントアウトが出来ない。
したがって、フィルムと印画紙がメディアとパソコンに成ったものの、それについていけない年金生活の団塊世代の半分は、デジタルメディア(SDカードとかマイクロSDカードの事)と写真屋さんという中途半端な状態で写真撮影を楽しまねばならず、お金ばかり出て行くのが現状だ。
一方で、「優越感」を得る為の向上心は年老いてますます盛んだから始末に負えない。あらゆるカメラメーカーの最新情報に詳しく、写真業界の見本市は欠かさず通い、写真仲間で得た情報にネット情報を加味し「私は写真に関してはセミプロ」を自称する団塊世代が沢山誕生したようなのだ。
だが、どれだけお金を使って色々なメーカーの高いカメラを所有し、パソコンを勉強して画像処理が出来るように成り、写真展に応募し、カメラ業界の事情に詳しく成っても、実際の写真撮影そのものに関してはその人のセンス、感受性が大きくものを言うと思っている。
自分(撮影者)が何をどう撮って、人に何を訴えたいのか?観る人にどのような感動を与える事を狙おうとしているのか?が判っていないと、どんなに高いカメラも優れた画像処理も意味を成さないのではないだろうか?
それを考えずに、自慢の高いカメラを持ち、それほど必要とも思えない重たい三脚を担いで、フラフラしながら群れを成す団塊世代の写真撮影愛好家の皆さん、ここいらで一旦立ち止まって良く考えてみては如何だろう?
一人がスマホ(カメラ)を向けると皆が同じ動作に入る!これ日本人の癖なのか民族性なのか?人とは違うアングルを狙おうというオリジナリティって無いのだろうか?
世田谷の野川。恒例の桜ライトアップもほとんどの人が同じ場所で同じアングルで桜だけにレンズを向ける。それって夜の桜の植物図鑑じゃないだろうか?ちなみにこれは我が娘の撮った写真。
例えば航空機ファン!入間基地の航空祭も皆さん同じアングル!
ご存じ奈良東大寺の南大門。運慶・快慶の仁王像で有名だが、皆さんまず正面からしか撮らない。これを高校生の時に真横から門前で土産物を売る女性達を主役に撮影した写真家が居る。筆者が尊敬し、勝手に学ばせて頂いている佐藤秀明さんだ。
先日、佐藤さんが入っている写真同人会の写真展に行ってお逢いしてきた。出品者それぞれのテリトリーで素晴らしい写真を観させて頂いた。
この項、続くかも。