2016年2月13日土曜日

絶滅危惧種の鳥コウノトリ復活をもう取り上げないメディア。 The endangered species white stork of a wild bird .

 5日前、2月8日付の読売新聞の環境ページに「絶滅危惧鳥を人工繁殖」と言う記事が載っていた。近年野猿が捕食していると大騒ぎになった雷鳥(ニホンライチョウ)を中心に、トキ、アホウドリ、シマフクロウなどの事が出ていた。しかし喉元過ぎればもう熱くない?のかコウノトリの事は何一つ触れていなかった。人間とは・・と言うよりメディア・マスコミはつくづく恐ろしいモノだと思う。

 アレだけ騒いで、コウノトリの自然繁殖を持ち上げたくせに、今回のような大きな扱い特集で一言もコウノトリの文字を載せないこの現実。多分担当した記者がコウノトリ復活までの苦労や努力を知らないのだろう。野次馬的記事ばかり追いかける、昨今のジャーナリストの無知と質の低下がこういう所まで影を落としているようだ。

5日前、2月8日付の読売新聞に掲載された特集記事。

 今から9年前、まだ大手広告代理店でプロデューサーをしていた時の事、日本デザイン会議(日本デザインフォーラム)という、ある種自称・他称文化人達のお祭りのようなイベントが在った。筆者の居た広告代理店が事務局を担当していた為、おのずと筆者もそれの一端を担う事になったのだった。その年2007年は兵庫県が会場で、北部の豊岡市にあるコウノトリ人工繁殖施設を中心に色々なシンポジウムが行われ、ほぼ1週間以上滞在し色々コウノトリに関して学ぶ機会が在った。

2007年日本文化デザイン会議兵庫のパンフレット。

 ちょうど2005年に皇族をお迎えして最初の放鳥がなされ、2007年まさにこのイベント開催の年に自然放鳥されたペアから自然孵化した雛第1号が育ったのだった。これも何かのめぐり合い、運命なのだと思い、地元のそれまでの苦労や、自然の環境整備に関する豊岡市の努力など隅から隅まで教わり、色々な施設を訪問、関係者の話を聞いた。
 
 勿論、コウノトリの画像は沢山撮影した。筆者の撮影した画像がその後豊岡市のホームページ等に多数使用されている。







ちなみに、このコウノトリが黒田長禮著・鳥類原色大図説ではどのように掲載されているかも御紹介。


画・文共に黒田長禮著・鳥類原色大図説(香柏社版)より(筆者所有)



この2007年の時のシンポジウムで出た質問に、少し詳しい鳥類生物学上の質問があったので御紹介。そのなかで、眼からウロコの色々な話を思い出した。今回の読売新聞の記事では触れて居ない絶滅危惧種の色々な話だった。

『質問.※インターネット上でも似たような質問が在ったと記憶している。

豊岡市の田園に放たれた個体は旧ソ連産の子孫だそうですが、これは絶滅した日本の在来種と同種なのですか、それとも多少は異なるのですか。

回答.

 種という概念では同種です。日本のコウノトリはロシアのアムール河流域から飛来したコウノトリが留鳥化したものと言われています。ロシアのコウノトリは,ロシアで繁殖し朝鮮・日本・台湾等で越冬していました。
 コウノトリは越冬地の条件がよければそこで繁殖し,越冬地に留まり留鳥化が起こりやすい鳥です。留鳥群に迷った渡り個体が時々加わりますから,留鳥群は遺伝的に隔離された群れではありません。
コウノトリは渡り鳥ですが、なぜ日本のコウノトリはロシアに渡らない?なぜロシアのコウノトリは日本に渡らないのだ?という疑問が生まれますが、渡りという行為は「学習」によるものです。
 親に渡りの経路を教わらないと渡ることは出来ません。何世代か渡らなければ,もはやその経路の渡りが復活することはありません。

 日本生まれのコウノトリもロシア生まれのコウノトリも、Ciconia boycianaという学名で呼ばれる同種です。種によっては同種のものでも、その下位の分類階級である亜種というものに分けられるものもいますが、コウノトリは亜種がなく、分類学上同一という扱いです。

 また、分類学上は区別できなくても、DNAが少しだけ違うということもありますが、先日放送されたNHK教育テレビのサイエンスZEROによりますと、日本、ロシア、中国等のコウノトリのDNAを、日本のものについては昔の剥製の羽毛なども使って調べたところ、ハプロタイプ(遺伝子の型)は共通のものなので、遺伝的にも共通という事です。

 大陸生まれの個体が日本に飛んで来る事は現在でもあり(数年前、豊岡市に数年間滞在していたハチゴロウという個体が典型です)、ハプロタイプが共通だったということは、以前から遺伝的な交流があったと考えられるわけです。

 サイエンスZEROでは、鳥類専門家が、これはロシア生まれの個体を飼育して野外に増やすことは異質なものを導入しようとしているのではなく、自然界では以前から起こっていたことを手助けしているのだ、という解説をされていました。』