先週土曜日放送の「球磨川スピリッツも聴けたと歓びのメールが届いて安心した。意外に「ラジコ」の存在が知られていないので、今一度ご紹介しよう。
ラジコのサイトの「プレミアム会員登録はこちら」から案内入り手続きをするだけ。便利な世の中に成ったものだ。例えば毎朝沖縄の天気情報を聴きながら、取ろうと思えばその直後に札幌の情報も入るってことだ。
http://radiko.jp/#!/areafree
この「球磨川スピリッツ」が伝える球磨川流域の情報はあくまでそのエリアに縁のある、あるいはエリアを支えている「人材」を介して、その会話の中から伝えるものなので、映像中心のテレビ媒体とは異なった情報伝達だ。
この「球磨川スピリッツ」が伝える球磨川流域の情報はあくまでそのエリアに縁のある、あるいはエリアを支えている「人材」を介して、その会話の中から伝えるものなので、映像中心のテレビ媒体とは異なった情報伝達だ。
新聞・雑誌は読む事により眼から入る情報が主だ。テレビは動く映像が主で、音声もあるが映像でほぼ情報の8割以上が伝わる・・・という事は液晶画面から眼をそらす訳に行かず、何か他の事を行いながらという訳には行かない。
それに比べてラジオは耳だけを使う為、何か他の作業をしながらでも情報として脳に伝達される。特に団塊世代の我々はその昔深夜放送というAMラジオの音楽や情報を聴きながら受験勉強をして大人になった。ながら族という言葉も生み出した由緒ある世代なのだ。
今時の「歩きスマホ」等という人間を退化させるバカな行動とは全然違う前向きな、ながら・・・の先駆者だったのだ。
同時に白石冬美と野沢那智のちょっとエッチな掛け合いを聴きながら、平凡パンチの折り込みを視ながら団塊世代はいろんな意味で大人に成ったのだ。
今時の「歩きスマホ」等という人間を退化させるバカな行動とは全然違う前向きな、ながら・・・の先駆者だったのだ。
同時に白石冬美と野沢那智のちょっとエッチな掛け合いを聴きながら、平凡パンチの折り込みを視ながら団塊世代はいろんな意味で大人に成ったのだ。
頭の良い東大生達だって同じ事をして合格したのだから、ラジオを聴きながら何かをすると能率が落ちるだとか、中途半端になってしまうという事は無いと断言できる。
筆者が東大へ行けなかったのは決してパック・イン・ミュージックやオールナイト・ニッポンを聴きながら受験勉強をしたからではなく、単に頭が良くなかっただけの話だ。勿論受けてもいないが・・・。
どうしても話が団塊世代の世間話になってしまうのはご容赦願いたい。たった今、このブログをアップするのにキーボード打ちながら津川雅彦さんの訃報を聴いた。これもこの内容にオーバーラップしてくるのはしょうがない事だ。昭和がどんどん遠くなっていく。
・・・と言いつつ、このブログをご覧頂いている方々は必ずしも球磨川をご存じではないと思うので、昨日の球磨川の水の原流画像から、今日は流域の関連する画像を幾つかご紹介しようと思う。球磨川スピリッツという番組を画像面でイメージして頂けると嬉しい。