2018年6月2日土曜日

週末新シリーズ・「団塊世代のジジ放談 #1.『懲りない権威者たち』」 Old baby-boomer's Current affair. #1. 「Authorities who do not discipline.」

 ここ半年以上前から腹の立つことが余りに多く、世の中一般市民は「怒る」という事を諦めてしまったように思う。
 連日のメディアによる、「人の上に立つ権威者たちに関するあまりのいい加減さ、横暴ぶり報道」に、もう怒る神経がマヒしてしまったのだろうか?それともSNSを含め報道のいい加減さに、情報への信用を失ってしまったのか?
 はたまた、怒っても仕方がないと諦めたのか、他にもっと自分自身への直接的諸問題を抱えているから、いちいち他人事にはかまってられないのか・・・。

 メディアの前に出てこない加計学園の加計理事長、日大の田中英寿理事長、いずれも人前でモノを喋れない相当な臆病者なのだろうか。いずれも大きな組織のトップだ。

 この学校経営、森友学園問題、加計学園問題、そうして今回の日大アメフト問題。学校経営ビジネスというものは余程儲かるのだろう。問題を起こす学校は必ず政治家や裏の世界との人的結びつきがあるとメディアは報道している。それが何処まで本当で、何処まで表に出るのかは解らぬが、そうであれば甘い蜜に群がる蟻と同じだ。

 一方、大ウソがばれた元国税庁長官の佐川氏、未曽有を「みぞうゆう」と大きな声で読んでしまった国語力のない麻生財務大臣。いずれも高学歴、高コネクションの持ち主で長い事人の上に立つ立場だった人間だ。

 安倍総理大臣、同夫人含め、これらメディアで話題に成っている今まで上から人々や物事を見てきた人々の「まずい事がばれた際の行動」について今日は考えてみたい。お断りしておくが、筆者は政治的には全くのノンポリだ。右でも左でもない。

 数年前のこのブログで「団塊世代のヤマセミ狂い外伝」という自叙伝的内容で団塊世代の生き様を1年ちょっとの間、連日の野鳥ブログの合間週末にだけ続け、ご好評を得た事がある。

 その後このデジタル・ブログを縦書きのアナログ印刷の本にしてごく少数近親者にお配りしたが、その中で、政治家、官僚、会社トップの経営者・役員、学校の先生、大学の教授、裁判官、医者・・・など常に人の上に立って日常「上から目線」で権力を行使してきた人種は、モノの見方が一般の人とは違う。と、書いた。

※団塊世代のヤマセミ狂い外伝2014年2月1日「団塊世代のヤマセミ狂い外伝  #11.団塊世代の事実をどれだけ一般世間は知っているのだろう?(下)」

 こういった、常に人より上の地位で「ある種の権威」を持ち・行使してきた人種がまずい事をしてバレたり、立場上責任を取らざるを得なくなった際の身の処し方を視てみると非常に面白い。

 まず、最初に言い訳をする、逃げようとする。誰もがオカシイ、間違っていると思う事でも記者会見で良く言う「~それは非難される様な事には当たらない。」「規則違反には当たらない」、菅官房長官お得意の白々しいフレーズだ。
時には白々しい答弁(菅節)で煙に巻く菅官房長官。

 高級官僚から村役場の担当者に至るまで、ほとんどの役人は常に身の保善を考え、幾つものケースを想定して、常に言い訳を考えながら生きている生き物だと聞いた事がある。8件の大成功事例+2件の失敗例より、成功案件など一つもなくても良いから、失敗件数がゼロであった方が褒められる、高い評価を得られる・・・とも聞いた事がある。こんな事民間企業では絶対に有り得ない。
 最近の裁判官にも言える事だが、世の中の物差しと自分達の物差しが違う事に気が付いていない。

 そうして、その言い訳が通じなかった場合、雲隠れする。仮病で入院、隠遁する。日大アメフトの恥ずかしくも除名・永久追放された内田元監督、さっそく入院した。白髪だがまだ62歳で、部外者であろうがなかろうが気に入らぬ人間を呼び出して殴る、・・・という一部情報もある程のヤンチャな人間が入院だと?本当に体が悪くて入院している人達に失礼だろう?
最悪の状態になるまで学長が出てこなかった日大。デイリースポーツ。

で、雲隠れしても事が収まらず、逃げきれないと悟ると、証拠隠滅、証拠改ざん、データ抹消、データ改ざんに走る。ひどいのに成ると口裏合わせを行う、それも組織ぐるみで。今回の財務省の組織ぐるみ未曾有の犯罪がそれだ。そうして其処には「忖度」という流行語にまでなった摩訶不思議な空気が存在する。
あれだけ改ざんの酷さを報道されておきながら起訴できない大阪地検。テレ朝ニュースより。

 簡単に言えば、ヤクザの下っ端が敵のヤクザに殴り込みをかけ数名血祭りに上げて戻って逮捕されても「親分があまりに理不尽で忍びなく、あっしが勝手にやった事です。」と、決して親分の命を受けてなどと言わぬのと一緒だ。実は政治家もヤクザも忖度(そんたく)だらけの世界なのだ。それが「忖度」ではなく実は「命令・指示」だったのでは?という疑念が今一番の論点なのだろう。

 一般の社会生活でも良い意味での「忖度」がもっと頻繁におこなわれれば、もっと遥かに男女の仲、親子の仲、友達間のコミュニケーションは上手くいくと思うのだが・・・、しかしこれは人間に余裕がなければ、出来そうで出来ないのだなぁ、なかなか。

 この週末、自分はどうなのだろうか、よく考えてみようと思う。