2018年6月10日日曜日

週末新シリーズ・団塊世代のジジ放談 #3.『最近、人と人のコミュニケーションが危ない! その2』 Recently communication between human and human is getting bad !. 2.

 前回(=昨日のブログ)で冒頭に出て来る贈答品などもネット上で選びカード決済で済んでしまう現在、液晶画面を見るだけで「気持ち」や「義理」を先様へ贈れてしまう時代になった。
 ネット・バイイングが主流になった現在、当然商取引・デパートなどの店頭展開もガラッと変わった。


 旅行の申し込み、宿の予約なども旅行代理店を通すより、ダイレクトにネット上のトラベルサイトから宿や交通機関の予約を取る時代になり、世の中の仕組みも大きく変わった。10年で旅行予約、宿予約の仕組みが変わった訳だ。

 今から15年前、2003年に熊本県八代市のシティプロモーションセンター設立の支援業務に携わっていた際、全国5カ所(東京・大阪・広島・北九州・福岡)で街頭ダイレクトインタビュー方式によるマーケティング調査を行った事があった。


 2003年時点で観光客の旅の情報収集は旅行代理店のパンフレット、旅行雑誌(るるぶ、旅行読売、じゃらん等)が主流だった。当時、相談・予約、申し込みはまだ旅行代理店店頭が多かったが、15年後の今はどうだろう?計画も申し込みもすっかりネット上で行う方が主流になっているようだ。
 2004年の段階で、既に旅行客たちは観光旅行に行く際、旅先決定の情報をパンフレットや旅行雑誌の次にインターネットから多く取っていた事がこの書類からも判る。既に旅情報はTVや新聞よりネットの方が多かったのだ。
 さらに1995年のOS・Windows95発売の10年後,2005年前後にネット上で人と人を結ぶコミュニケート・アプリケーションFacebook(フェイスブック・個人⇔複数)、Twitter(ツイッター・個人⇔登録者全員)が始まった。
 2012年にLINE(ライン・個人⇔個人)が始まり、パソコン(デスクトップ・ラップトップ)とは別に情報端末スマホ(=スマートフォン)が急速に普及した。

  これ以降、情報範囲とそのスピードが人間の判断・処理・対応能力を遥かに超えてしまい歯止めが効かなくなってきている。その影響で、最近は数々の社会問題を生み出しているのが現状だ。
 随分前に、スマホがもたらす人間社会の行く末を憂いたアニメが、世界中で注目された。ご存じだろうか?

https://www.youtube.com/watch?v=yJk0RyXVW5I

 このアニメが提言している事はまさにこのブログで言わんとしている事と重なっている。

 筆者の場合、FaceBook繋がりは、既に知っている人、昔の同僚やクラスメート、あるいは尊敬に値する人々のみで友達登録されている70名程度に限定している。目の届く範疇でしか繋がらない事にしている。したがって実際に生で逢う機会の多い友とのやり取りの頻度が圧倒的に多い。ブログの毎日の更新告知も兼ねている。

 Twitterは、不特定多数の野鳥好きの方々への一方的なブログ更新告知、面白野鳥画像などの情報拡散ツールとして使用中。だが1400名を超えるフォロワーさんたちが時々見て下さっているので、ブログの更新お知らせの直後はやはりブログ・ページビューが急増する。

 これらSNSの爆発的普及による即断即決の風潮は一長一短があり、色々な問題を抱えていると言って良いだろう。
 人と人のコミュニケーションスピードの速さが加速したため「空気を瞬時に読む」能力、「話を瞬時に理解し反応する」レスポンシビリティの速さが必要となってきた。だからこそ、テレビのバラエティ番組やクイズ番組などで、その場の刹那的盛り上がり会話に長けている「お笑い系」の人間が重用され、今やテレビの中はお笑い芸人だらけだ。

 つまり、これら通信機器ならびに通信インフラの発展の相乗効果で、人間のコミュニケーション速度は人間の生物的能力限界を越え「ゆとり」の無い刹那的なコミュニケーションが多く生まれるようになった。

 往復4日掛かる手紙で、お互いの連絡を取り合う当時のスピードから比べると、数秒で意思疎通を行うスマホやPCでのLINEやFacebookが「瞬時」にコミュニケートできる現在では、理解し思い込んで悶々とする無駄な時間が殆ど無くなってしまった。頭の回転の遅い者には辛い時代に成ったとも言えよう。


 しかし、一方良い面としては、何かやり取りの中で疑問があれば、その場(=リアルタイム)で再確認や問いただしが出来る為、コミュニケーション上の「誤解」や「勘違い」が起こる事が少なくなっている。


 確かに、待ち合わせなどの場合約束時間に遅れそうな時は、携帯・スマホであらかじめ交通機関の中に居ても連絡が出来るので、1時間も2時間も駅の伝言板の前で相手を心配しながら、あるいは腹を立てながら待ったり、待たせたりなどという昔のような事は無くなった。伝言板そのものも最近は見かけない。公衆電話が減ったのも同様だ。時代は変わったのだ。

 反面、繋がる相手の多さ(自分で勝手に登録し広めたのだが)に、コミュニケーション相手の数と親しさなどレベルの管理を自己制御しないとエライ事になり、逆にコミニュケーション・トラブルを生み出してしまう・・・というような話を良く聞くようになった。

 一方で理由は別としても頑固に情報端末(=携帯電話・スマホなど)を持たない主義の人は、この流れに乗らずコミュニケーション・デバイド(情報端末を持たないがために損をする事が多い)に遭遇しているのが現状ではないだろうか?


 デジタル情報端末の普及により、アナログ時代とは異なって、その場で瞬時に「間違いや誤解」を修正・訂正するのがお約束(=常識)の現代社会。いわば新しい時代のコミュニケーションのルール・マナーと言って良い。今の人間は人と人とのコミュニケーションスピードが遅いと、非常にストレスを感ずるように成ってしまったのだ。
 

 例えば、東京から福岡(博多)へ行くのに20時間も掛かる在来線で行っていた者が、新幹線に一度乗って5時間程度で行けてしまった場合、二度と在来線でなど行かないのと同じ理屈だ。往年のブルートレイン=長距離寝台特急が廃止されたのもこれらの時代の流れ、社会と人の行動スピードが速くなったためだ。
 
 これは決して「勝ち組・負け組」と言った品の無い区別をしている訳ではない。銀行のお金の出し入れが窓口ではなく、預金通帳ではなく、ATM(=キャッシュディスペンサー)で出し入れが当たり前、コンビニでも出来る・・・という世の中の変化と同じ事だ。
 
 また一方では情報端末(=携帯電話・スマホなど)を持たない人へ急いで連絡を取りたいのに、電話をしても連絡が付かず、「ゴメンナサイ、用事で外出してたので家にいませんでした。」などと、呑気な事を言っていては済まされない世の中に成っているのだ。本人はそれで良いかもしれないが、相手側はイラつき、ストレスを貯めてしまう。そうして本人はそれに気が付かない。これが現代の抱えるコミュニケーショントラブルの典型なのだろう。

 そのうち病気、不慮の事故などで自宅で亡くなっても、誰も気が付かず、孤独死という残念な結果になってしまう恐れが充分考えられるのだ。その場合も本人は死んでしまっているが、残されたものは周りから責められ、大変な思いをする事になるのだ。

ご参考= https://news.yahoo.co.jp/byline/fuwaraizo/20170808-00074164/