前2回はアクセスも500を超え、取りあえずは好意的に見て頂いたと安心した。そのすぐ後、新聞の広告欄に団塊世代をターゲットにしたと思われるアイテムが有ったので切り抜いてみた。
メディアが品なく煽る、勝ち組、負け組。そういう既存メディア自身、全てIT・ネット時代の今、実は相当な負け組ではないのか?
70歳に成ったばっかりの団塊世代に20年後を気にさせる・・・。書いているのは一体誰よ?ほとんど生き残った裕福な女性だけでしょ?
団塊世代は殆どこの数年で好むと好まざるに拘わらず、嫌でも70歳代に突入する。「古希」などという祝いを込めた歳の数え方が在るほどだもの、昔は稀な事だったのだろう。「還暦」以降はオマケみたいなものだったのかもしれない。
しかし、今は違う。1948年生まれの筆者の小・中・高学校時代のクラス会名簿を見ても、「物故」表記の者はまだ数名しかいない。しかも鬼籍に入る理由は、病気とそれ以外の原因の比率がほぼ半々だ。
遅かれ早かれ「死」は自分の身に迫って来る。昔、長野善光寺の入り口に数ある分院?に掲げられていた教えに「生は偶然、死は必然」とあってえらく納得したものだ。あと10年と言っても日数に換算すればたったの3,650日だ。
要は70歳に成れば、男子であれば後寿命は5~10年くらいなものだろう。余程頑丈に出来ていてもあと20年。生き抜くだけの「体力と財力」、それにボケないだけの頑丈な「脳」が有れば良いが、生き延びてもどこかの機能にガタが来ては、現実的に生きている事にはならない。
半身不随、寝たきりで日々変わらない窓の外の景色を見て、遠くに響く鳥の声と子供達の嬌声を聴く毎日が待っているようでは、夢も希望も無かろう?
そういう意味では、男性長寿日本一の北アルプス山麓松川村の「ピンピンコロリ」の精神は良いかもしれない。長野の善光寺にもこの言葉があちこちに出ていたのを想い出した。
同時に「予防が治療に勝る!」これは絶対に同感!筆者の日々の実践はまったくこれだった。
筆者が3日に一度は8~10km走る、あるいは愛犬と走るのも、足腰のキープと関節の保持を目的としている。東京で朝10時過ぎのバスに乗ってみるが良い。乗降に時間のかかるご老体ばかりが乗客だ。半分は杖を突いている、まるで病院の待合室が車を付けて走っているに等しい。
野川沿いをゆっくり走るが仔犬には3km以上は無理なようだ。
何故か我が家の黒柴犬ペロはリードを咥えて走り出す。
話を戻そう・・・。
このような高齢化に伴う諸傾向は日本だけのモノではなく、世界中の団塊世代に同じような状況を生み出している。
たまたまYOUTUBEを観ていて、筆者が中学校時代流行っていた「ポールとポーラの、ヘイポーラ!」の二人がちょうど我々団塊世代の今と同じ70歳近くになってインタビューに答えているのを発見した。
2012年、ポール72歳、ポーラ68歳の頃のインタビュー。Youtubeより
このポール(ビル・ヒルデブランド)とポーラ(ジル・ジャクソン)はそれぞれ1940年、1944年生まれだから団塊世代より4~8歳年長だが、西洋人にしては非常に良い歳の取り方をしている。筆者も是非こうありたい。
このYOUTUBEは、もう二度とお目に掛かれないと思い込んでいた、小・中学校時代のTV番組などを視られる意味では凄いと思う。
世田谷の奥沢中学校2年生の時、TVで「うちのママは世界一!」というのが有った。ドナ・リードという美人女優がお母さんで週一回の30分番組だった。
ドナ・リード「うちのママは世界一」のお母さん役。当時米国での番組タイトルは「ドナ・リード・ショウ」だった。映画「素晴らしき哉 人生!」でもジェームズ・スチュアートと共に名演技を披露している。
その中である週、娘のメアリーが学校の文化祭で歌を唄った。それが「ジョニー・エンジェル」で全米ナンバーワンを数週間続けたオールディズヒットの代表曲だ。リアルタイムで見たアメリカのTV番組の歌がその数日後全米ナンバーワンに成ったのだ。当時はそういう時代だった。
それをいま何度も見返すことが出来るのだ。
当時のシングル盤「ジョニー・エンジェル」ジャケットの女性はシェリー・フェブレーではない。何もかもがいい加減な時代だった。
こういった当時の自分と自分を取り巻く周りの環境、友達の現在を比較しつつ、今後何が出来るかじっくり考えるのも梅雨の長雨の日曜日には良いのではないだろうか?
パソコンのキーボードを叩けば脳が活性され、アルツハイマーやボケ・認知症には成りにくいと聞いてこのブログを始めた訳では無いが、今後も毎日の更新に努力してみたいとは思っている。