鳥類を描かせたら右に出るものが居ない,かの伊藤若冲が描かなかったある意味日本特有の野鳥の一つがヤマセミ。実際に観たとは思えない象や鯨を描いているのに、ヤマセミを描かなかった理由は生のヤマセミに出遭えなかったからではないかと言われている。
鶏は自宅の庭で飼っていたのでよく観察スケッチをして、素晴らしい作品を残しているが、カワセミには出遭っているものの(※ただし何とあの綺麗な翡翠色のカワセミを水墨画(墨色)で描いている)ヤマセミは無い様だ。それほど江戸時代にあっても出遭い難い野鳥の一つだったのであろう。
では、象や鯨には出遭っていないだろう。ましてやトラは?出遭えていない動物を沢山描いているのに、ヤマセミは描かない・・・ひょっとして存在すら知らなかった?
これら象や鯨、更に寅は海外からの書物や毛皮など長崎経由の伝聞で描いたものだろうと思う。鶏のような詳細な色遣いや詳しい動作・生態に比べ、鯨や象は素晴らしいのはもちろんだが大雑把でシンボル的な様に感ずる。
この若冲さんの鶏に対する執着心と同様、筆者もヤマセミの生態に魅了され、結構重箱の隅を衝くような細かい所の生態まで撮影して記録している。
10年間で大きな発見はいくつもあったが、求愛給餌を年明け前の12月に行う様子を収録した際は、自分の頭の中のヤマセミ生態常識を、すべて再起動させなければいけないと思ったほどだった。
131219(=2011年12月19日) 球磨川のヤマセミ12月の佇まい。次の2枚も同様。
131219 左のオスが獲物の頭の方を前にして求愛給餌で待ち受ける所へメスが自分でも餌をゲットして戻ってきてしまった。別の三脚に乗せたカメラで動画を取っていたが「ウソだろう?」という筆者の声が入っていて大笑いの場面だった。結果はメスが自分の獲物を慌ててその場でのみ込み、更にオスの獲物を貰おうと近寄ったが、オスは一旦離れて仕切り直しをしてからメスに獲物を与えていた。
これは、即繁殖行動に入るというための求愛給餌ではなく、また来期もよろしくね?という仕切り直しの挨拶ではないかと想像する。実際このペアが繁殖行為に入ったのを目視・撮影出来たのは翌年2月末だった。
111211万江川で。
111211 上記と同じ万江川。
111211 同上。
111211 球磨川本流、上記のペアのポイントから2.5㎞の距離。
111213 球磨川本流。
111213 球磨川本流。
121224 球磨川本流。
131218 人吉城址