2018年7月19日木曜日

団塊世代が良く知っている、あの常田富士男さんが亡くなった。 Fujio Tokita who Well known actor by baby-boomer, passed away.

 テレビアニメ「まんが日本昔ばなし」の語り手として知られる俳優の常田富士男(ときた・ふじお)さんが18日午後、病気のため入院していた東京都内の病院で死去した。81歳だった。

 まんが日本昔話は殆ど筆者は見ていなかったが、「ゲバゲバ90分」は欠かさず観ていた。「アッと驚く為五郎!」などの意味不明なスーパーギャグを生み出した歴史的なバラエティ番組だ。

 我が妹がその昔、「サインはV」という女子バレーボール、今でいうスポ根ドラマにバレーボール選手としてエキストラ出演している頃、収録の際にこの常田富士男さんが俳優として出演され、お話をしたという事だった。当時既に放映されていた「ゲバゲバ90分」で相当人気者だったようだ。

 それから30年以上経った2006年、翌年の第31回全国育樹祭くまもとで、その常田富士男さんと仕事を一緒にする事に成るとは。ご縁というものは摩訶不思議だ。
 長野県生まれの常田さんは、小さい時小学校3年生の時に父親の関係で南小国町に越し、中学卒業とともに親元を離れ一人で熊本で生活したという。筆者が中学2年で単身上京し、親元を離れて育ったのと境遇が非常に似ている。

 この熊本の育樹祭では、メイン・アトラクションのストーリーテラーを熊本県で育った常田さんにお願いしたのだ。
 
 幾度かリハーサルの合間に、仮設ステージの木製の椅子やパイプ椅子に座って仕事以外の話をされるのを聴くのが好きだった。勿論声優としてのプロだもの、それはそれは引き込まれたものだ。

 本番は、今から11年前の2007年。ちょうど常田さん70歳の時だと思われる。今年の12月で70歳に成る現在の筆者とほぼ同じ年頃だ。考えてみると不思議な気がする。

 本番前日、宿舎でスタッフと一緒に夕食を摂ったが、其処での会話は相当筆者にも影響を与えた様だ。
 暫くは、ただ常田さんと他のスタッフとの話を聴くだけだったのだが、色々質問をされ、筆者が北九州の小倉や八代など点々と引っ越した話、小学校を4カ所転校した話など、生い立ちや中二で親元を離れて育ったこと、普段はスバルの四駆に乗っている事などを話した。
 そうしたら「君は、姿かたちもやる事も僕と同じ匂いがするね?」と言われ、感動して調子に乗り、思わず「匂いってまさか加齢臭じゃないですよね?」と軽口を叩いてしまった。そうしたら「ほーらねっ!僕と同じだぁ!」と大笑いされてしまった。

 常田さんは四駆のジープに乗っているとのお話で、何と当時は武蔵野にお住まいだったという。
 いつか伺おうと思っていて、ついに果たせなかった。とにかく、ゲバゲバ90分以降、1983年の今村正平監督「楢山節考」含め広い守備範囲をお持ちで影響を深く受けた素晴らしい俳優さんだった。残念だ。
本番前日の関係者夕食でテーブルを囲み、色々お話を伺った。
本番前日の総合リハーサルで、筆者はもちろん仕事!

同じく前日総合リハで・・・。前日も当日も快晴!

第31回全国育樹祭は当時の潮谷熊本県知事先導で皇太子殿下がご臨席になった。来年からはいよいよ天皇陛下に成られる。

本番時の常田富士男さん。勿論大成功で終了した。