2014年3月1日土曜日

団塊世代のヤマセミ狂い外伝 #19. 附属小学校時代の小倉日常生活。

 自分達が教育現場のモルモットにされているとはつゆ知らず…だったが、またまた変わった新しい環境に馴染むのにそう長い時間は掛からなかった。

 乗り物での通学も楽しかったし、次々と停留所に留まる度クラスメートが乗り込んで来たりして、毎朝決まった時間の西鉄電車や西鉄バスは期待に満ちた小さな通学ドラマの世界だった。学校に近くて歩いて通った地元っ子達には無い経験だった。

 我が社宅からだるま醤油の脇を抜けて、香春口の電停まで約5分。途中のタバコ屋はタイル張りで映画「三丁目の夕日」そのままのスタイル。
 映画の中でも個性的な存在感で一杯だった「もたいまさこ」は座ってないけれど、父親にいつも買いに行かされた「新生」はいまだに売られているという。

 同時期に在った「いこい」が生産中止なのに比べて息の長い人気商品らしい。伴淳三郎が何かの映画の中で「スンセー喫ってみっか?」と「新生」を一本だけ袋から器用に出した状態で差し出すシーンがあったが、時々夢の中に出てくる。

 今販売中の新生もイメージはこのままだが「健康にうんぬん~」のお約束の文字が入ってしまいデザインも滅茶苦茶にななってしまった。

 
 昭和30年代初頭、市民の娯楽は映画が一番で、テレビは昭和33年の皇太子(現天皇)のご成婚ブームまで一般家庭にはまだまだ遠い存在だった。

 我が母が無類のデパート好きだと云う事は八代時代の話で紹介したとおりだが、同時に超の字が付く程の外国映画好きであった。そのせいか否か知らないが、終生和服というモノは着ないで、いつも洋服だった。

 玉屋デパートの八幡よりのカーブ、大門の附近に映画館が在って良く連れて行ってもらったが、男女の濃厚な愛のシーンが多い映画だと「俊郎、出ますよっ!」と強引に外へ出てしまうのだった。今と違ってネットで予告編を観る訳にもいかず、子供の教育に相応しくないと思った途端せっかく入場料を払ったにも拘らず出てしまうのだった。

 映画「カウボーイ」でグレン・フォードとアンナ・カシュフィというインド系のエキゾチックな女優(マーロン・ブランドの最初の妻)のキスシーンで出てしまったので、社会人になってからVTRの名画シリーズ(1本980円)を探し出して改めて観た。が、ちゃんと映画館を出た場面を覚えていて記憶の定かな自分に驚いた。

 その他、ジーン・バリーが主演の1953年制作の「宇宙戦争」は破壊光線を吐く電気スタンドの自在アームの様な首を持つ宇宙人が非常に強く印象に残っていて、自分の宇宙未来好きへの原点に成っている。
 数年前封切られたトム・クルーズ主演のリメイク版はさすがに二番煎じで恐怖感が無かった。
初期のパンフなんてこんなものだった。

この宇宙人というか宇宙船に非常に興味を持った。

 もう一本印象的な映画は西部劇で「誇り高き男」がある。ロバート・ライアン、ジェフリー・ハンターが出ていたが、この映画の最後の場面で眼が見えないヨッパライにジェフリー・ハンターがコインを渡すと、目が不自由なクセにコインに目をやって「金貨だ!」と言うシーンが有った。
 思わず立ち上がって筆者は「何だコイツ眼が見えるんじゃないか!」と叫んでしまった。  小倉の小さな映画館の観客を爆笑させてしまい、当然母に「俊郎っ!出ますよっ!」とものすごい力で腕を引っ張られたのを覚えている。

今でも相当大胆なデザインだと思う。

  そのほか、「ジョン・ウエインの西部劇3本立て祭り」とかいうのが在った雨の日曜日。京町の映画館に一家で行った事があった。
 ジョン・ウエイン3本立てと云えば監督はジョン・フォードと相場が決まっている。これを一日がかりで観るのだから大変だ。

 ついつい2本目の途中で寝てしまった。で、起きたのは3本目が始まって少し経ってからだった。どういう事に成るか想像できよう?小学生の頭の中は大混乱だ。主役が同じで監督が同じであれば似たような脇役俳優が出ている。ジョン・ウエインは騎兵隊の隊長だったのが、いつの間にかそうでない退役軍人になっていたりして「どうなってんの?」と脇に居る親に訊いたものだ。
yahooに出ていた当時のポスター群

 この時は3本観終わって、映画館を出た時に既に外は真っ暗で星空だった。

 入った時には温かくて雨が降っていたのに、出る時になると星空で風が強くて冷たい、要は寒冷前線が通過しただけなのだが、当時はその環境のあまりの違いに驚き、まるでタイムマシンに乗ったような気分になったのを覚えている。

 映画の後は新小倉駅前の広い通りに在った小倉会館の3階レストランで洋食を食べるのが常だった。決まってお好みはコールミートの盛り合わせ。
 チキンのモモ肉、ロースハム、ソーセージ、ローストビーフなどが盛り合わせになっていて、我が家ではまずお目に掛かれない豪華な夕食だった。
 このレストランにはテレビが据えてあって「ソニー号空飛ぶ冒険」と云うヘリコプターを使った活劇をやっていた。後で調べたらこの番組をSONYが提供していたのでソニー号となったようで原題は全然関係ないタイトルだったそうだ。
 
 これ以外に行ったレストランは鳥町食堂街の「耕治」が多い。このお店は今でもまだ在る中華料理屋で小倉では数少ない東京と同じ醤油味の澄んだスープの中華ソバを出すところだ。
 私と違って我が父はとんこつスープが全く駄目だったらしく、この店を大変贔屓にしていた。当時は外の通路から店内が中華どんぶりの縁に付いているような真っ赤な卍型の格子越しに見える造りだった。
 床も一部がタイル張りで風呂場みたいだったのを覚えている。此処でのお気に入りはチャーシューメンか五目そばで今も変わらない。スープを飲んでいくと御椀の中から鳳凰の絵が現れてくるのが好きだった。
 
いわゆるとんこつ味の九州ラーメン、私はこちらが好みだ。

小倉の鳥町食堂街の「耕治」の醤油ラーメン(※ラーメンどんぶりは当時と全然違う)