2024年6月9日日曜日

団塊世代は地元の文化遺産を知らない人吉市を憂える。後半。 The baby boomer generation is concerned about Hitoyoshi city's lack of awareness of its local cultural heritage. VOL2.

  タイトルと中身が随分違うじゃないかと思われた方も多いと思う昨日の投稿。今日はその核心部分の話になります。真剣だけにいささか厳しい指摘も在ろうかと思うが、平にご容赦願いたい。

 いわば、昨日の部分は長ーい前置き。

 おなじ球磨川下流部の八代市での観光活性化活動に参画した話の延長線上に、ヤマセミで身近になった人吉市の話がのっかってくる。

 2010年4月1日エイプリルフールの日に八代市から球磨川に沿って国道219号線を遡り、かっての国民宿舎くまがわ荘の横で球磨川にかかるワイヤー架線上のヤマセミを撮影したのが最初。(・・だと思い込んでいた)

 実は同じホルダーの16分前の画像にそれと気づかず撮影していたヤマセミが存在したことが8年後判明。

 此処から2020年3月に人吉市を訪れるまで毎年5~6回、多い年は10回も東京と人吉・八代を往復してきた。当然一般の観光客とは滞在方法(私費で300泊している)も、食事方法も、デイリーの行動(ほとんど球磨川・川辺川の土手沿いにヤマセミ観察)も大きく異なる。

 当然それだけの滞在時間で観るモノも触れるものも違うのだが、人吉の持つ「よそ者から見た魅力」は充分その本質を判っているつもりだ。

 勿論、長年地元在住の人々の持つ「人吉自慢、人吉らしさ」とは全然異なっているだろう。

 そんな中、2014年の冬頃人吉城址へヤマセミの巣穴のチェックに行った際、面白いものを見つけた。地元の人に訊いてもそれが何であるかなかなか判らなかったし、存在すら知っている人が見当たらなかった。

 先月、八代へ行った際いつものミック珈琲店で人吉市ご出身の筆者が尊敬している作家・前山光則さんにこの話をしたがご存じなかった。

 それが「断髪記念供養塔」なる石碑だ。建立は昭和10年とある。明治4年に政府が断髪令つまり髷を落としてザンギリ頭になれという命令を出し、国民が慣れ親しんだちょん髷を落としたのだ。

 その65年後の記念日(昭和10年)にこの塔を人吉市の理容業組合が立てているのだが、その詳しい理由・経緯が良く判らない。

 小さい時(明治四年)に髷を泣く泣く切り落とした人が齢を重ねて65年後、その時を思い返して記念塔を作ったのか?はたまた切り落とした髷を床屋が捨てられず65年間保存してきたものをこの記念塔に埋めて供養したのか?経緯を調べて文化財としても良いと思う。

 なにせこんな面白いもの日本の他の地区で観たことがない。律儀でまじめだった昔の人吉の人々を彷彿とさせる文化財ではないだろうか?

 いくら初夏の緑の勢いとはいえ、その塔の傍まで行けないような管理の仕方、筆者は疑問だ。文化財としての価値に気が付いていないように思える、残念だ。


最初に発見したときは真冬のせいもあるが奇麗に周りの草が刈り取られていた。



2014年2月の撮影

それが先月半ば5月16日に行った際は以下のような有様で、雨後にはマムシも出そうな感じだった。観光客などまず絶対傍に行けまい。

それが今はこんな状態だ。

鉄道遺産などより遥かに昔の事象を記念した人吉ならではの文化財ではないだろうか?

 明治4年の断髪廃刀令に関する碑といえば横浜の山下公園内のこの碑が在るが、人吉市の断髪記念供養塔はレベルも価値も全然違う日本の歴史を物語るものだろうと思う。
             https://tabi-mag.jp/kn0463/

 こういった地元の観光資源に目が行かない今の人吉市の観光活性化策では、いつまで経っても「豪雨災害に見舞われた人吉市」のまま、観光客は来ないだろう。

 豪雨災害で「山奥の小京都的街」の佇まいが全滅。かっての風情が殆ど消え去ってしまった人吉市。10年通った筆者も去年・今年と行く度に街並みを見ると涙が出てしまう。
 今の人吉市は、温泉や川遊び、雛飾りくらいで周辺の強力な温泉地・観光地に立ち向かう事は非常に難しい。根本的戦略から再構築が必要だろう。

 人吉市に関係(生まれ育ったなど)し、現在人吉市から離れた場所で生活し、強い望郷の念をベースに全国中、他の観光地とふるさと人吉市を常時比べ「人吉市の持つ強みと泣き所」を本音で知った人々の意見・アイディアを収集しなければ再活性化は難しいと思う。

 地元生活者のプライドと誇り、これがあまりに強く外の意見を聴くという行為を「恥」と感ずるようでは、いつまでも何も変わらないだろう。筆者はその業務歴上、全国で幾度もこういった例を経験してきた。

 例えば東京在住の人吉出身者の「繊月会」に依頼し、皆さんの意見を吸い上げるとか、身近で即行えることは沢山あるだろう?

 これらは地元の観光ビジネス専門をうたう集団や活性化企画集団では出来ない仕事だと思う。前にも述べたが、地元の人にとっての由緒ある懐かしい山は、よそから来た者にとっては「ただの山」なのだ。

 筆者のこのブログでのモノの言い方が厳しすぎる、何か恨みでもあるのかとお思いかもしれないが、それは大間違いだ。人吉市、並びに数多くの人吉市の方々に散々お世話になっているからこそ今まで10年以上もヤマセミの生態研究・観察を続けてこられたのだから・・。
 
 優しい言葉と、安心させるような物言いでは決して現状打破は出来ない。厳しく指摘し、如何すれば良いか?具体案・方法を提案することが今重要だろうと思う次第。

 全国から人を呼んで、来てもらい、お金を落としてもらうには「地元の考え、地元の身贔屓」に徹してしまっては難しい。