10年以上にわたり、熊本県人吉市に通い希少種の野鳥、ヤマセミの生態を観察研究してきた団塊世代の筆者だが、観光活性化に関してあまりに上手くない人吉市を憂い続けて同じく10年以上が過ぎた。
人吉市と聞いて全国の人々は一体何を思い浮かべるだろう?
数年前、東京でプライベートに有識者30名対象でアンケート調査をしてみたことが有った。実際通っている筆者も予想もしない内容だった。もちろんデータその他は在るが、一般には今公表はしない。
2004年頃九州新幹線が鹿児島中央⇔新八代間で先発営業を開始した(トンネル区間が多く用地買収に時間が掛からなかった)際、2011年の鹿児島・博多間全線開通を見据え、八代市役所からの依頼で八代市活性化計画(八代シティ・プロモーション計画)を約3年間広告代理店業務としてサポートしたことが有った。
これを推進するにあたって、まず行ったことが「いったい八代市は全国からどういうイメージで見られているのかを実際知るべきだ」という事だった。
東京、大阪、広島、北九州、福岡の5カ所で対面による街頭アンケート調査を行った。お礼に八代市日奈久にある松永製菓のニッケ玉をプレゼントしたら、アンケートに列ができるほど大変好評だった。当時はまだ一袋100円(10~12個入)だった。
人気商品になっていれば大変嬉しい。
で、その結果は?地元の方々はもちろん、筆者も腰を抜かすほど「青天の霹靂」に近い内容だった。このブログを御覧の皆さんもこれを見れば驚かれると思う。
この時はまだ大活躍中だった八代亜紀さんがトップである事だけは最初から分かっていたが、二位以下の内容は驚くべきことだった。
大まかな事ですら、八代市の位置関係も理解認識されていない事が判った。八代は有明海には面していない、面しているのは八代海・不知火海だ。公害は水俣市と、鶴は鹿児島県出水市と混同していると思われた。(ごく少数・数羽八代市にもツルは飛来するが)阿蘇山とは直接関係ないし、焼酎も「八代不知火蔵」というのが一社あるものの住所は東京都になっている。事実上無いに等しい。ザボンは晩白柚との誤認識・同一視が在ると思われる。
上記ランキングの分析・解説
人吉市でこれを行えば更に地元の方々が思っているイメージと違う結果になるだろう。だからこそイメージ調査が怖くて出来ないものと思っている。
しかし、人吉市の方々も八代市の方々も、例えば能代市と聞いてそこが何県なのか?角館や大曲との位置関係、名産、名所に関してお分かりだろうか?判る訳がない、遠すぎて地理感覚がゼロに等しいのだから、それはそれで全国どこも同じなのだ。
東京に居てすらはっきりしないのだ。だから逆に言えば、全国的に視て地元がどう見られどう理解されているかを知るのは、観光活性化の第一段階として非常に重要な事なのだ。
それを理解しないで、やたら地元の認識と期待感で観光ポスターを作ったり旅行代理店の企画を丸のみしても、暗闇に向かって鉄砲を撃つようなモノで獲物には当たらない。
実は数年前、市のトップの方々にこの八代市のアンケート手法・データ・分析内容・を資料と共に解説してあるが、「良い話を有難う・・・」で、それ以降何の反応もないのは、これら結果が怖いのが原因かと思っている。
父親の職業(十條製紙=現日本製紙)が理由で小学校・中学時代にたった2年間だけしか八代市に住んでいなかった筆者だったが、このアンケート分析の結果を含めて、生まれて以来ずっと地元在住の人より八代市の魅力と泣き所を良く知っている・・と、関係者の方々に認識して頂けた。
それが在ったからこそ市役所の中島隆利市長(当時)以下、市役所勤務同級生や和田観光協会長(当時)から賛同を得て、これ以降のプロジェクトをスタートさせたものだった。
その第一弾が、熊日新聞における1か月間に及ぶ「八代市の県内PR」連載だった。構成から文章・コピー・写真まで全て筆者の制作だった。もちろん八代市商政観光課長・市長の厳しいチェックを頂いての掲載だったが連日問い合わせの電話が来て大好評だった。
シリーズは20回の連載だった。表記はいずれも当時のまま。
これ以降、八代市の観光活性化、市のPRに関してはPR組織の充実、PR手法の充実で熊本県内でも大きな成果を上げていると聞く。時間はかかるし、一時は恥もかきながら地道な観光活性化を行い今日に至っているのは、一部支援活動を御手伝いした者として非常に嬉しい。
この手法と成果をぜひ人吉市にも参考にして頂ければと思う次第。明日はこの続きで勿体ない人吉市の観光資源・・をご紹介予定。